和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蚘(ひとのむし)
ひとのむし 蛔【同蚘】 蛕【同】
人龍
蚘【音爲】
本綱蚘人腹中長蟲也人腹有九蟲一切癥瘕久皆成蟲
凡上旬頭向上中旬向中下旬向下服藥須於月初四五
日五更時則易効也其九蟲如左【出巣元方病原】
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伏蟲 長四分群蟲之主也
蚘蟲 長五六寸至一尺發則心腹作痛上下口喜吐涎
及清水貫傷心則死
白蟲 長一寸色白頭小生育轉多令人精氣損弱腰脚
疼長一尺亦能殺人
肉蟲 狀如爛杏令人煩悶
肺蟲 狀如蠶令人咳嗽成勞殺人
胃蟲 狀蝦蟇令人嘔逆喜噦
弱蟲 【一名鬲蟲】狀如瓜瓣令人多唾
赤蟲 狀如生肉動作腹鳴
蟯蟲 至微形如菜蟲居胴腸中令人生癰疽疥癬瘑癘
痔瘻疳䘌齲齒諸蟲皆依腸胃之間若人臟腑氣實則
不爲害虛則侵蝕變生諸疾也又有尸蟲【與此俱十蟲也】
尸蟲 與人俱生爲人大害其狀如犬馬尾或如薄筋依
脾而居三寸許有頭尾
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凡九蟲之中六蟲傳變爲勞瘵而胃蚘寸白三蟲不傳其
蟲傳變或如嬰兒如鬼形如蝦蟇如守宮如蜈蚣如螻蟻
如蛇如鼈如蝟如鼠如蝠如蝦如猪肝如血汁如亂髮亂
絲等狀不可勝窮要之皆以濕熱爲主
△按人吐下蛔蟲大抵五六寸如蚓淺赤色有死而出或
活而出者脾胃虛病癆下蛔蟲者不治
小兒胃虛蚘蟲或吐或下其蟲白色長一二寸如索麪
者一度數十晝夜至數百用錢氏白光散加丁字苦楝
根皮煎服癒【白色帶黒者不治】
正親町帝時【天正十三年】武臣丹羽五郎左衞門長秀【年五十一】
嘗有積聚病甚苦不勝其痛苦乃拔刀自裁死火葬之
後灰中撥出積聚未焦盡大如拳形如秦龜其喙尖曲
如鳥刀痕有背以告秀吉公【秀吉】見之以爲奇物卽賜
醫師竹中法印
*
ひとのむし 蛔【蚘〔(くはい)〕に同じ】
蛕〔(かい)〕【同じ。】
人龍
蚘【音、「爲〔(イ)〕」。】
「本綱」、蚘は人の腹中の長き蟲なり。人の腹に、九蟲、有り。一切〔の〕癥瘕〔(ちようか)〕、久しくして、皆、蟲と成る。凡そ、上旬には、頭、上に向かひ、中旬には中に向かひ、下旬には下に向かふ。服藥、須〔(すべか)らく〕月の初め、四、五日の五更の時に於いてすべし。則ち、効〔(ききめ)〕しあり易し。其の九蟲、左のごとし【「巣元方病原〔(さうげんぼうびやうげん)〕」に出づ。】。
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伏蟲 長さ、四分。群蟲の主〔(しゆ)〕なり。
蚘(くはい)蟲 長さ、五、六寸より一尺に至る。發するときは、則ち、心・腹、痛みを作〔(な)〕し、上下の口、喜〔(この)み〕て、涎(よだれ)及び清水を吐く。心を貫き傷むときは、則ち死す。
白蟲 長さ、一寸。色、白く、頭、小さく、生育〔すること〕、轉〔(うた)〕た、多し。人をして、精氣損弱し〔→せしめ〕、腰・脚、疼(うづ)かせしむ。長さ、一尺〔に〕なれば、亦、能く人を殺す。
肉蟲 狀〔(かた)〕ち、爛〔れたる〕杏〔(あんず)〕のごとし。人をして煩悶せしむ。
肺蟲 狀ち、蠶(かいこ)のごとし。人をして咳嗽〔(せきがい)〕して〔→せしめ〕、勞〔(らう)〕と成さしめ、人を殺す。
胃蟲 狀ち、蝦蟇(かへる)のごとし。人をして嘔逆し〔→せしめ〕喜〔(この)み〕て噦(しやつくり)せしむ。
弱蟲 【一名、「鬲蟲〔(かくちゆう)〕」。】狀ち、瓜の瓣(なかご)のごとし。人をして唾〔(よだ)〕り、多からせしむ。
赤蟲 狀ち、生肉のごとし。〔その〕動作に〔したがひて〕、腹、鳴る。
蟯蟲 至つて微〔(こま)〕か。形ち、菜の蟲のごとし。胴腸〔(どうちやう)〕の中に居て、人をして癰疽〔(ようそ)〕を生ぜしむ。疥癬・瘑癘〔(くわれい)〕・痔瘻・疳䘌〔(はくさ)〕・齲齒〔(うし)〕の諸蟲、皆、腸胃の間に依りて、若〔(も)〕し、人、臟腑〔の〕氣、實するときは、則ち、害を爲さず、虛するときは、則ち、侵蝕す。變じて諸疾を生ずるなり。又、「尸蟲〔(しちゆう)〕」有り【此れと俱に〔せば〕十蟲なり。】
尸(し)蟲 人と俱に生じて、人の大害を爲す。其の狀ち、犬馬の尾のごとく、或いは薄筋〔(すぢ)〕のごとし。脾に依つて居〔(を)〕る。三寸許り、頭尾、有り。
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凡そ、九蟲の中〔(うち)〕、六蟲は傳變して勞瘵〔(らうさい)〕と爲る。而して、胃〔蟲〕・蚘・寸白〔(すはく)〕の三蟲は傳(つたは)らず。其の蟲の傳變すること、或いは嬰兒のごとく、鬼形〔(きぎやう)〕のごとく、蝦蟇〔(か〕へる)のごとく、守宮(いもり)のごとく、蜈蚣(むかで)のごとく、螻蟻〔(らうぎ)〕のごとく、蛇のごとく、鼈(すつぽん)のごとく、蝟〔(はりねづみ)〕のごとく、鼠のごとく、蝠(かはほり)のごとく、蝦(えび)のごとく、猪肝〔(ちよかん)〕のごとく、血汁ごとく、亂髮亂絲等のごとし。狀の勝〔(た)へ〕て窮むべからず。之れを要するに、皆、濕熱を以つて主〔(しゆ)〕と爲〔(す)〕。
△按ずるに、人、蛔蟲を吐き下するに、大抵、五、六寸〔にて〕、蚓(みゝづ)のごとく、淺赤色、死して出でて、或いは活(い)きて出でる者、有り。脾・胃の虛の病ひ〔にて〕、癆(つか)れて蛔蟲を下す者、治せず。
小兒、胃虛にして、蚘蟲、或いは吐き、或いは下す。其の蟲、白色、長さ、一、二寸、索麪〔(さうめん)〕のごとき者、一度に數十、晝夜に數百に至る。「錢氏白朮散〔(ぜんしびやくじゆつさん)〕」を用ひて、丁字〔(ちやうじ)〕・苦楝〔(くれん)〕の根皮を加へ、煎〔じて〕服して、癒ゆ【白色〔に〕黒を帶びたる者は治せず。】。
正親(おほぎ)町の帝の時【天正十三年。】、武臣丹羽(には)五郎左衞門長秀【年五十一。】嘗て積聚〔(しやくじゆ)〕の病ひ有り、甚だ苦しむ。其の痛苦に勝(た)へず、乃〔(すなは)〕ち、刀を拔き、自ら、裁死〔(さいし)〕す。火葬の後、灰の中より、積聚を撥(か)き出だす。未だ焦〔(こが)〕れ盡きず。大いさ、拳(こぶし)の形のごとく、秦龜(いしがめ)のごとし。其の喙〔(くちばし)〕、尖り曲り、鳥のごとく、刀痕(〔かたな〕きず)、背(せなか)に有り。以つて秀吉公【秀吉。】に告(まふ)す。之れを見て、以つて奇物と爲す。卽ち、醫師竹中法印に賜ふ〔と〕。
[やぶちゃん注:線形動物門 Nematoda 双腺綱
Secernentea 旋尾線虫亜綱
Spiruria 回虫(カイチュウ)目Ascaridida
回虫上科
Ascaridoidea 回虫科
Ascarididae 回虫亜科
Ascaris カイチュウ属 Ascaris ヒト回虫 Ascaris lumbricoides を代表とする、ヒトに寄生する(他の動物の寄生虫による日和見感染を含む)寄生虫類。ウィキの「回虫」によれば、回虫は『「蛔虫」とも書き』、広義の回虫類は『ヒトをはじめ』、『多くの哺乳類の、主として小腸に寄生する動物で、線虫に属する寄生虫である』。『狭義には、ヒトに寄生するヒトカイチュウ
Ascaris lumbricoides を指』し、『ヒトに最もありふれた寄生虫であり、世界で約十億人が感染している』。以下はヒト回虫(本文の「蚘(くはい)蟲」に同じい)について記す。『雌雄異体であり、雄は全長15〜30cm、雌は20〜35cmと、雌の方が大きい。環形動物のミミズに似た体型であり、 lumbricoides (ミミズのような)という種名もこれに由来するが』、『回虫は線形動物であり、環形動物とは全く異なるので体節も環帯もなく、視細胞などの感覚器も失われており、体の両先端に口と肛門があるだけで、体幹を腸が貫通する。生殖器は発達し、虫体の大部分を占める。成熟した雌は1日10万個から25万個もの卵を産む』。『最大25万個の回虫卵は小腸内で産み落とされるが、そのまま孵化する事はなく、糞便と共に体外へ排出される。排出された卵は、気温が15℃くらいなら1か月程度で成熟卵になり、経口感染によって口から胃に入る。虫卵に汚染された食物を食べたり、卵の付いた指が感染源となる場合が多い。卵殻が胃液で溶けると、外に出た子虫は小腸に移動する。しかしそこで成虫になるのではなく、小腸壁から血管に侵入して、肝臓を経由して肺に達する。この頃には1mmくらいに成長している。数日以内に子虫は気管支を上がって口から飲み込まれて再び小腸へ戻り、成虫になる。子虫から成虫になるまでの期間は3か月余りであり、寿命は2年から4年である』。『こうした複雑な体内回りをするので「回虫」の名がある。このような回りくどい感染経路をたどる理由ははっきりしていない。一説によれば、回虫はかつては中間宿主』『を経てヒトに寄生していたためではないかという』。『回虫は、古くから人類の最も普遍的な寄生虫であった。紀元前4世紀から5世紀のギリシャの医師ヒポクラテスや中国の紀元前2700年頃に記録があり、日本では4世紀前半とされる奈良県纏向(まきむく)遺跡の便所の遺構から回虫卵が発見されている。鎌倉時代頃から人糞尿(下肥)を農業に利用する事が一般化したので、回虫も広く蔓延した。人体から排泄された回虫卵が野菜等に付き、そのまま経口摂取されて再び体内に入るという経路である。こうした傾向は20世紀後半にまで続き、1960年頃でも、都市部で寄生率30 - 40%、農村部では60%にも及んだ。しかし、徹底した駆虫対策と衛生施設・衛生観念の普及によって急速に減少、20世紀末には実に0.2%(藤田紘一郎)から0.02%(鈴木了司)にまで下り、世界で最も駆虫に成功した例となった。ただし、同じ頃に広まった自然食ブームによって下肥を用いた野菜が流通するようになり、また発展途上国からの輸入野菜類の増加に伴い、回虫寄生の増加が懸念される。更に、駆虫が余りにも徹底したため、回虫に関する知識が忘れられるというような場合もあり、医師でさえ』、『回虫を見た経験がなく、検査方法も知らない例もあって、回虫の増加が見逃される恐れもある』。『世界的にも回虫の寄生率は高く、アジア・アフリカ・中南米などの発展途上国・地域ではなお40%程度あり、欧米でも数%となっている。発展途上国・地域では、人口の激増と都市集中、衛生施設・観念の不足、衛生状態や経済の悪化等により駆除が困難となっている』。『回虫による障害は多岐にわたり、摂取した栄養分を奪われる、毒素を分泌して体調を悪化させる、他の器官・組織に侵入し、鋭い頭で穿孔や破壊を起こす、等である。1匹や2匹程度の寄生であればほとんど問題はなく、肝機能が強ければ毒素を分解してしまうが、数十匹、数百匹も寄生すると激しい障害が起こる。幼少期なら栄養障害を起こし、発育が遅れる。毒素により腹痛・頭痛・めまい・失神・嘔吐・けいれんといった症状が出る。虫垂に入り込んで虫垂炎の原因になる場合も稀ではなく、多数の回虫が塊になって腸閉塞を起こす事もあり、脳に迷入しててんかんのような発作を起こす例もある』。『衛生環境を整備しなければならないのはもちろんである。かつての日本で寄生率が著しく高かったのは、人糞尿を肥料に用いていたと共に、それで栽培した野菜類を漬け物などとして生食いしていたのが大きな原因である。回虫卵は強い抵抗力を持ち、高濃度の食塩水中でも死なないので、食塩を大量に使用した漬け物でも感染は防げなかった。第二次大戦後は化学肥料の普及が回虫撲滅の一端を担った。回虫卵は熱に弱く、70℃では1秒で感染力を失う。従って野菜類は充分熱を通して食べれば安全である。有機栽培の生野菜を摂取するのであれば、下肥の加熱処理をしなければならない』。『だが、大量の食品が海外から輸入されている現状では、そこから感染する恐れもあり、注意しなければならない。発展途上国では人糞尿を肥料にする事は少ないが、衛生観念や施設の不充分から回虫の蔓延が見られる。便所の位置や構造が不衛生で、地面にそのまま排泄する場合には、乾燥した便に含まれる回虫卵が風に乗って空中に浮遊して感染する。糞便にたかる昆虫やネズミなどの小動物も感染源となっている』。『回虫は毎日大量に産卵するので、1匹でも寄生していれば必ず糞便に卵が混じる。よって検便をすれば寄生の有無がわかる。駆除にはかつてはサントニン・マクニン・カイニンソウなどが用いられたが、最近はパモ酸ピランテル、メベンダゾールなどが用いられる』。『根本的には便所の改善、人々の衛生観念の向上、社会の貧困撲滅など、多くの課題がある。発展途上国・地域でも、日本はじめ先進諸国の援助もあってそれらの問題の解決に取り組んでいるが、なお困難な事業である』。以下、私の好きな寄生虫博士藤田先生絡みの「アレルギー症との関連」の項で、是非、ここだけは読んで戴きたい(下線太字はやぶちゃん)。『東京医科歯科大学名誉教授の藤田紘一郎は、回虫(ヒト回虫)の寄生が花粉症などのアレルギー性疾患の防止に効果があると説いている。それによると、花粉症は花粉と結合した抗体が鼻粘膜の細胞に接合し、その結果としてヒスタミン等の物質が放出されて起こるが、回虫などの寄生虫が体内にいる場合、寄生虫は人体にとって異物であるので対応する抗体が大量に産生され、しかもそれらの抗体は花粉等のアレルギー物質とは結合しないので、アレルギー反応も起こらない。近年アレルギー性疾患が激増しているのは、回虫保有率が極端に減少したためであるという。少数の回虫寄生であれば、むしろ人体に有益な面も見られると考えられる。ヒト回虫とヒトには安定した共生関係が成立している可能性も考えられる』。『これに対し』、『東京慈恵会医科大学元教授の渡辺直煕(熱帯医学講座)は、ヒトへのブタ回虫寄生によりアレルギー物質に対するIgE抗体産生が増強する結果』、『アレルギー疾患が増悪することを示し、藤田の説を否定している』(これっておかしくない? 渡辺氏のそれは日和見感染の限定的結果論であって、それを通常のヒト回虫に敷衍するのはどうなの?)。『豚回虫・牛回虫・馬回虫・犬回虫・猫回虫など各種の回虫は、それぞれの哺乳類に固有であり、異種間では成虫になれない。そのため産卵することは無いので、糞便の虫卵検査では検出出来ない。時おり話題になるアニサキス症も、クジラ類の回虫に当たるアニサキスの幼虫がヒトの消化管(胃)へ迷入して起こる。ただし、人体に入ってもすぐ死んでしまい、寄生する事はない。もっとも、回虫は、かつては異なる宿主には寄生しないと考えられて来たが、実際にはヒトにイヌ回虫などの幼虫が寄生した例が多くあり、そのような場合は各種臓器への迷入が起こりやすく、重篤な症状を引き起こすので充分な注意が必要である』。
「癥瘕〔(ちようか)〕」腹中のしこり。この場合、本草家は寄生虫症による体内病変以外の寄生虫に依らない腫瘍等を含むものを主に想定していることに注意。「久しくして、皆、蟲と成る」とある通り、彼らは、そうした腫瘍から寄生虫が発生するというとんでもない勘違いを確信しているのである。
「上旬には、頭、上に向かひ、中旬には中に向かひ、下旬には下に向かふ」月の満ち欠けに従っているというのである。
「五更」凡そ、現在の午前三時から午前五時、或いは午前四時から午前六時頃。寅の刻。
「効〔(ききめ)〕しあり易し」「し」は強意の副助詞と採った。
「巣元方病原」隋代の医師で大業年間(六〇五年~六一六年)中に太医博士となった巣元方が六一〇年、煬帝の勅命によって撰した医術総論「巣氏諸病源候論」。全五十巻。
「伏蟲」現行の研究では、これはヒトに寄生する十二指腸虫(線形動物門双腺綱桿線虫亜綱 Rhabditia 円虫目 Strongylida 鉤虫上科 Ancylostomatoidea 鉤虫科 Ancylostomatidae 十二指腸虫属Ancylostomaズビニ鉤虫 Ancylostoma
duodenale 及び鉤虫科 Necator 属アメリカ鉤虫 Necator
americanus)に比定される。十二指腸虫という名称はたまたま剖検によって十二指腸で発見されただけのことで、特異的に十二指腸に寄生するわけではないので注意されたい。なお、犬や猫を固有宿主とするセイロンコウチュウ・ブラジルコウチュウ・イヌコウチュウなどもヒトに寄生することがある。ウィキの「鉤虫症」によれば、『感染時にかゆみを伴う皮膚炎を起こす。幼虫の刺激により』、『咳・咽頭炎を起こす。重症の場合、寄生虫の吸血により軽症~重症の鉄欠乏性貧血を起こす。異食症を伴う場合もある』。『亜熱帯から熱帯にひろく分布する。戦前までは日本中で症例が多数みられ、埼玉県では「埼玉病」と呼ばれており、大正期に罹病率の高かった地域は水田の多い北葛飾郡・南埼玉郡・北埼玉郡の三郡であったとされる。これは近世中期以降、この地域が江戸からの下肥需要圏であり、河川を利用した肥船による下肥移入が多かったためとされる』。本種群はヒトからヒトへの『感染はない。糞便とともに排出された虫卵が適切な条件の土壌中で孵化し幼虫となる。通常裸足の皮膚から浸入し、肺、気管支、喉頭を経て消化管に入り、小腸粘膜で成虫となり、排卵を開始する。生野菜、浅漬けから経口感染することもある』とある。
長さ、四分。群蟲の主〔(しゆ)〕なり。
「上下の口」寄生(それも多量に)された人間の口と肛門。
「喜〔(この)み〕て」訓読に苦労したが、これで「頻りに」「甚だしく」という意味に問った。東洋文庫訳では『たえず』と訳してある。
「心を貫き傷むときは、則ち死す」これは回虫による死ではなく、別な心疾患によるものを誤認していると私は思う。
「白蟲」これと後に出る「寸白」(すばく)は、現行の研究では、条虫(所謂、「サナダムシ(真田虫)」)類、例えば、ヒトに寄生する扁形動物門 Platyhelminthes 条虫綱 Cestoda 真性条虫亜綱 Eucestoda 円葉目 Cyclophyllidea テニア科 Taeniidae テニア属 Taenia 無鉤条虫 Taenia saginata 等の断裂した切片ではないかと考えられている。ウィキの「無鉤条虫」によれば、感染しても、通常は『無症候性だが、多数寄生では体重減少・眩暈・腹痛・下痢・頭痛・吐気・便秘・慢性の消化不良・食欲不振などの症状が見られる。虫体が腸管を閉塞した場合には手術で除去する必要がある。抗原を放出してアレルギーを引き起こすこともある』とある。真性条虫亜綱擬葉目 Pseudophyllidea 裂頭条虫科 Diphyllobothriidae 裂頭条虫属 Diphyllobothrium 広節裂頭条虫 Diphyllobothrium latum でも主な症状は下痢や腹痛であるが、自覚症状がないことも少なくない(但し、北欧では広節裂頭条虫貧血と称する悪性貧血が見られることがある)。但し、テニア科 Cysticercus 属有鉤嚢虫(ユコウノウチュウ)Cysticercus
cellulosae が、脳や眼に寄生した場合は神経嚢虫症など重篤な症状を示すケースがある。なお、ここでは「長さ、一尺〔に〕なれば」などと言っているが、実際には無鉤条虫や広節裂頭条虫は全体長が五メートルから十メートルにも達する。
「肉蟲」不詳。或いは先に述べたように、寄生虫とは関係のない、腫瘍疾患かも知れない。
「肺蟲」扁形動物門 Platyhelminthes 吸虫綱 Trematoda 二生亜綱 Digenea 斜睾吸虫目 Plagiorchiida 住胞吸虫亜目 Troglotremata 住胞吸虫上科 Troglotrematoidea 肺吸虫科 Paragonimidae Paragonimus 属に属する肺吸虫類が念頭には上ぼる。特にヒト寄生として知られるウェステルマン肺吸虫
Paragonimus westermaniiの場合、血痰・喀血などの肺結核(本文の「勞〔(らう)〕」は「労咳」で、それ)に似た症状を引き起す(また、迷走て脳その他の器官に移って脳腫瘍症状や半身不随などを引き起こすこともあり、生命に関わる重篤なケースも出来(しゅったい)することがある)。本種の体型はよく太った卵円形を呈し、体長は七~十六ミリメートル、体幅は四~八ミリメートルではあるが、肺に寄生したそれが、咳や喀血とともに体外に出ることは、ちょっと考え難く、ここで「狀ち、蠶(かいこ)のごとし」と言っているのは、本種を正しく比定出来るのかどうかは怪しい。死後に剖検して肺腑の寄生状態を見たというならまだしも、中国の本草家がそこまで出来たとは私には全く思われないからである。
「胃蟲」胃壁に咬みついて激しい痛みを起す、回虫上科アニサキス科 Anisakidae アニサキス亜科 Anisakinae アニサキス属 Anisakis
のアニサキス類が頭に浮かぶものの、あれは線虫樣で「蝦蟇(かへる)」なんぞには似ていない。ここも寧ろ、胃癌を比定した方が、腑に落ちる。
「弱蟲」「鬲蟲〔(かくちゆう)〕」不詳。
「瓜の瓣(なかご)」うりの中の種。
「赤蟲」不詳。
「蟯蟲」旋尾線虫亜綱蟯虫(ギョウチュウ)目 Oxyurida 蟯虫上科 Oxyuroidea 蟯虫科Oxyuridae Enterobius 属ヒト蟯虫Enterobius
vermicularis。以下、諸病の現況の如き書かれようであるが、ウィキの「ギョウチュウ」によれば、『仮にヒトがヒトギョウチュウに寄生されたところで、そのヒトが特段に栄養状態の悪い環境に置かれていなければ、腸内でギョウチュウに食物を横取りされることなどによって起こり得る栄養障害などについては、ほぼ問題になることは無いとされる。しかしながら、ヒトの睡眠中にギョウチュウが行う産卵などの活動に伴って、かゆみなどが発生し、これによってヒトに睡眠障害が誘発され得る。睡眠障害の結果として、日中の眠気や、落ち着きが無く短気になるなどの精神症状の原因となる場合があることが問題視されている。また、かゆみのために、ほぼ無意識に肛門周辺を掻いた跡が炎症を起こしたり、解剖学的に汚れやすい場所であることから掻いた跡が細菌などの感染を受ける場合がある』という程度のものでしかない。
「形ち、菜の蟲のごとし」ギョウチュウは雌雄異体で、♂で二~五ミリメートル程度なのに対し、♀は八~十三ミリメートルに達する性的二型である。外見は乳白色で「ちりめんじゃこ」のような形に見える(ここも上記のウィキに拠った)。
「胴腸〔(どうちやう)〕」東洋文庫の割注で『大腸』とある。
「癰疽〔(ようそ)〕」悪性の腫れ物。「癰」は浅く大ききなそれ、「疽」は深く狭いそれを指す。
「疥癬」皮膚に穿孔して寄生するコナダニ亜目ヒゼンダニ科Sarcoptes 属ヒゼンダニ変種ヒゼンダニ(ヒト寄生固有種)Sarcoptes
scabiei var. hominis によって引き起こされる皮膚疾患。
「瘑癘〔(くわれい)〕」東洋文庫の割注で『悪瘡による手足の痛痒』とある。
「疳䘌〔(はくさ)〕」読みは東洋文庫訳のルビに拠った。次が「齲齒」であることを考えると、「齒臭」で強い口臭症状を指すものか? 小学館「日本国語大辞典」によれば、歯茎にできた腫れ物のことか、とし、歯肉炎の類、とする。
「齲齒〔(うし)〕」虫歯。
「尸(し)蟲」不詳。ただ、この「尸蟲」を見、「人と俱に生じて、人の大害を爲す」となると、私は真っ先に道教由来の人間の体内にいるとされる「三尸(さんし)の虫」を思い浮かべるのだが。ウィキの「三尸」より引いておく。六十日に『一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられ、そこから、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われた。一人では夜あかしをして過ごすことは難しいことから、庚申待(こうしんまち)の行事がおこなわれる』。『日本では平安時代に貴族の間で始まり』、『民間では江戸時代に入ってから地域で庚申講(こうしんこう)とよばれる集まりをつくり、会場を決めて集団で庚申待をする風習がひろまった』。『道教では人間に欲望を起こさせたり』、『寿命を縮めさせるところから、仙人となる上で体内から排除すべき存在としてこれを挙げている』。『上尸・中尸・下尸の』三『種類があり、人間が生れ落ちるときから体内にいるとされる』。「太上三尸中経」の『中では大きさはどれも』二『寸ばかりで、小児もしくは馬に似た形をしているとあるが』、三『種とも』、『それぞれ』、『別の姿や特徴をしているとする文献も多い』。『病気を起こしたり、庚申の日に体を抜け出して寿命を縮めさせたりする理由は、宿っている人間が死亡すると自由になれるからである。葛洪の記した道教の書』「抱朴子」(四世紀頃成立)には、『三尸は鬼神のたぐいで形はないが』、『宿っている人間が死ねば』、『三尸たちは自由に動くことができ』、また、『まつられたりする事も可能になるので』、『常に人間の早死にを望んでいる、と記され』、他の書で『も、宿っている人間が死ねば三尸は自由に動き回れる鬼(き)になれるので人間の早死にを望んでいる、とある』とする。本邦では、「大清経」を『典拠とした三尸を避ける呪文が引かれており』、「庚申縁起」などに『採り入れられ』て『広まった。その中に「彭侯子・彭常子・命児子」という語が見られ』、『また、三尸が体から抜け出ないように唱えるまじない歌に、「しし虫」「しゃうけら」「しゃうきら」「そうきゃう」などの語が見られ、絵巻物などに描かれる妖怪の「しょうけら」と関係が深いと見られている』。「上尸(じょうし)」は彭倨(ほうきょ)・青姑(せいこ)・青古青服・阿呵・蓋東とも呼ばれ、『色は青または黒』で、『人間の頭の中に居り、首から上の病気を引き起こしたり、宝貨を好ませたりする』。「中尸(ちゅうし)」は彭質(ほうしつ)・白姑(はくこ)・白服・作子・彭侯とも呼ばれ』、『色は白または青、黄』で、『人間の腹の中に居り、臓器の病気を引き起こしたり、大食を好ませたりする』。「下尸(げし)」は彭矯・血姑・血尸・赤口(しゃっこう)・委細蝦蟆とも呼ばれ、『白または黒』で、『人間の足の中に居り、腰から上の病気を引き起こしたり、淫欲を好ませたりする』という。『道教では、唐から宋の時代にかけてほぼ伝承として固定化された』。但し、「抱朴子」の三尸の記載には特に三体で『あるという描写は無く、のちに三尸という名称から』三『体存在すると考えるようになったのではないかともいわれている』。「瑯邪代酔篇」など、『庚申のほかに甲子(あるいは甲寅)の日にも三尸が体から抜け出るという説をのせている書籍も中国にはある。庚申と甲子は道教では北斗七星のおりてくる日とされており、関連があったとも考えられる』。『日本で庚申待と呼ばれるものは中国では「守庚申」「守庚申会」と言われており、仏教と結びついて唐の時代の中頃から末にかけて広がっていったと考えられる。平安時代に貴族たちの間で行われていたものは中国の「守庚申」にかなり近いものであった』。『清の時代にかけては行事の中での三尸や道教色は薄れて観音への信仰が強く出ていった』とある。中国の民俗学的寄生虫の元祖みたようなものであるからして、ここはやはり「三尸虫」で採っておきたい。
「傳變」ヒトからヒトに感染するという意味という意味ではなく、寄生の後にその寄生虫が「勞瘵〔(らうさい)〕」=労咳=肺結核のような病気の病原虫に変化するという意味であ「其の蟲の傳變すること、或いは嬰兒のごとく……」以下の「如」の羅列はもの凄い。ゴシック怪奇小説を読むようなインパクトがある。
「螻蟻〔(らうぎ)〕」ケラ(螻蛄)と蟻(アリ)。
「猪肝〔(ちよかん)〕」文字通り、猪の肝臓のことであろう。反射的にヒト寄生し幼虫が移行迷入性が強い厄介なカンテツ類(吸虫綱二生亜綱 Digenea 棘口吸虫目 Echinostomida 棘口吸虫亜目 Echinostomata 棘口吸虫上科 Echinostomatoidea 蛭状吸虫(カンテツ)科 Fasciolidae 蛭状吸虫亜科 Fasciolinae カンテツ属 Fasciola)を思い浮かべた。カンテツ(肝蛭)とは厳密には Fasciola hepatica のことを指すが、巨大肝蛭 Fasciola gigantica、日本産肝蛭 Fasciola sp. を含めて肝蛭と総称されることが多い。成虫は体長二~三センチメートル、幅約一センチメートル。本邦の中間宿主は腹足綱直腹足亜綱異鰓上目有肺目基眼亜目モノアラガイ上科モノアラガイ科 ヒメモノアラガイ Austropeplea ollula(北海道ではコシダカヒメモノアラガイ Lymnaea truncatula)、終宿主はヒツジ・ヤギ・ウシ・ウマ・ブタ・ヒトなどの哺乳類。ヒトへの感染はクレソンまたはレバーの生食による。終宿主より排出された虫卵は水中でミラシジウムに発育、中間宿主の頭部・足部・外套膜などから侵入、スポロシストとなる。スポロシストは中腸腺においてレジアからセルカリアへと発育、セルカリアは中間宿主の呼吸孔から遊出して水草などに付着後に被嚢し、これをメタセルカリアと呼ぶ。メタセルカリアは終宿主に経口的に摂取され、空腸において脱嚢して幼虫は腸粘膜から侵入して腹腔に至る。その後は肝臓実質内部を迷走しながら発育、最終的に総胆管内に移行する。感染後七〇日前後で総胆管内で産卵を始める。脱嚢後の幼虫は移行迷入性が強く、子宮・気管支などに移行する場合がある。ヒトの症状は肝臓部の圧痛・黄疸・嘔吐・蕁麻疹・発熱・下痢・貧血などで、現在では、一九七〇年代半ばに開発された極めて効果的な吸虫駆除剤プラジカンテル(praziquantel)がある(以上は主にウィキの「肝蛭」に拠った)。
「狀の勝〔(た)へ〕て窮むべからず」ヒトに感染寄生して別の遺物(疾患)に変化する様態はさまざまであって、それを総て語り尽くすことは到底、出来ない、の意。
「之れを要するに」東洋文庫訳では『しかし要するに』とある。
「主〔(しゆ)〕と爲〔(す)〕」東洋文庫訳では『すべて湿熱によって生ずるものなのである』とある。
「人、蛔蟲を吐き下するに」「蜮」の項で既に述べたが、回虫などが多量に寄生した場合には、本邦でも江戸時代、「逆虫(さかむし)」と称して、口から回虫を吐き出すケースがままあった。私の「谷の響 二の卷 四 怪蚘」も参照されたい。
「錢氏白朮散〔(ぜんしびやくじゆつさん)〕」配合生薬は人参・白朮(キク目キク科オケラ属オケラ Atractylodes japonica の根茎。健胃・利尿効果がある)・茯苓(ぶくりょう:アカマツ・クロマツなどのマツ属 Pinus の植物の根に寄生する菌界担子菌門菌靱蕈(きんじん)綱ヒダナシタケ目サルノコシカケ科ウォルフィポリア属マツホド(松塊)Wolfiporia
extensa の菌核の外層をほぼ取り除いた生薬名)・甘草(かんぞう)・葛根(かっこん)木香(もっこう:キク目キク科トウヒレン属モッコウ Saussurea costus 又は Saussurea lappa の根)・藿香(かっこう:シソ目シソ科ミズトラノオ属パチョリ Pogostemon cablin の全草乾燥品)で、小児の消化不良や胃腸虚弱の体質改善に効果があり、感冒時や食あたりの口の渇き・発熱・下痢・嘔吐にも用いる。
「丁字〔(ちやうじ)〕」漢方薬に用いる生薬の一つ。丁香・クローブともいう。 バラ亜綱フトモモ目フトモモ科フトモモ属チョウジノキ Syzygium aromaticum の蕾を乾燥したもので、殺菌・強壮・胃液の分泌を盛んにするなどの作用を持ち、他にも打撲・捻挫などの腫れや痛みを抑える「治打撲一方(ぢだぼくいっぽう)」や、更年期障害・月経不順・産前産後の神経症に効く「女神散(にょしんさん)」、しゃっくりを止める「柿蔕湯(していとう)」などに含まれる。
「苦楝〔(くれん)〕」苦楝子。ムクロジ目センダン科センダン属センダン Melia azedarach の果実。ひび・あかぎれ・しもやけに外用。整腸・鎮痛薬として煎液を内服もするが、生の果実はサポニンを多く含むため、人が食べると、中毒を起こし、摂取量が多い場合には死に至ることもあることを知っておきたい。
「白色〔に〕黒を帶びたる者」こんなヒト寄生虫は私は知らない。
「正親(おほぎ)町の帝」正親町天皇(永正一四(一五一七)年~文禄二(一五九三)年)は第百六代天皇。在位は弘治三(一五五七)年から天正一四(一五八六)年。
「天正十三年」一五八五年。
「丹羽(には)五郎左衞門長秀」(天文四(一五三五)年~天正十三年四月十六日(一五八五年五月十五日)は元織田氏の宿老。本能寺の変では豊臣秀吉と共に明智光秀を討ち、賤ヶ岳の戦でも秀吉に属した。越前国足羽郡北庄城主。ウィキの「丹羽長秀」によれば、「秀吉譜」によると、本文にある通り、長秀は平生より「積聚」(症状としては「さしこみ」を指す。漢方で、腹中に出来た腫瘤によって発生するとされた、激しい腹部痛を言う(本来はその腫瘤そのものの呼称であろう)。現在は殆んどの記載が胃痙攣に同定しているが、私は癌、胆管結石や尿道結石及び女性の重度の生理通等を含むものではあるまいかと思っている)に『苦しんでおり、苦痛に勝てず』、『自刃した。火葬の後、灰の中に未だ焦げ尽くさない積聚が出てきた。拳ぐらいの大きさで、形は石亀』(本文の「秦龜(いしがめ)」。爬虫綱カメ目イシガメ科イシガメ属ニホンイシガメ Mauremys japonica)『のよう、くちばしは尖って曲がっていて鳥のようで、刀の痕が背にあった。秀吉が見て言うには、「これは奇な物だ。医家にあるべき物だろう」と、竹田法印』(竹田定加(たけだじょうか 天文一五(一五四六)年~慶長五(一六〇〇)年)は豊臣秀吉の侍医。秀吉の生母大政所や丹羽長秀らを治療し、文禄二(一五九四)年に来日した明の使節の治療にもあたっているが、慶長二年には秀吉の病中に役目を怠って罰せられてもいる)『に賜ったという。後年、これを読んだ平戸藩主・松浦静山は、この物を見たいと思っていると』、寛政六(一七九三)年『初春、当代の竹田法印の門人で松浦邸に出入りしていた者を通じて、借りることができた。すると』、内箱の銘は「秀吉譜」に書かれたものとは『相違があり、それによれば』、『久しく腹中の病「積虫」を患っていた長秀は、「なんで積虫のために殺されようか」と、短刀を腹に』刺し、『虫を得て』、『死去した。しかし、その虫は死んでおらず、形はすっぽんに似て歩いた。秀吉が侍医に命じて薬を投じたが、日を経てもなお』、『死ななかった。竹田法印定加に命じて方法を考えさせ、法印がひと匙の薬を与えると、ようやく死んだ。秀吉が功を賞してその虫を賜り、代々伝える家宝となったとあった。外箱の銘には、後の世にそれが失われることを恐れ、高祖父竹田法印定堅がその形を模した物を拵えて共に今あると書かれていた(内箱・外箱の銘は』天明七(一七八七)年『に竹田公豊が書いたものであった)。しかし、静山が借りたときには、本物は別の箱に収められて密封されていたため持って来なかったというので、年月を経て朽ちて壊れてしまい、人に見せることができなくなってしまったのだろうと静山は推測し、模型の模写を遺している』。『これらによると、石亀に似て鳥のような嘴をもった怪物というのは、寸白の虫』(但し、「真田虫」ではなく「蛔虫」)『と見るのが妥当。証拠の品を家蔵する竹田譜の記事に信憑性が認められるからである。割腹して二日後に死亡したことから判断して、いわゆる切腹ではなかった』とある。]
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