トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) 何を思ふだらうか
何を思ふだらうか
臨終の迫るとき、もしもまだ思考の力が殘つてゐたら、私は何を思ふだらうか。
夢み且つまどろみ、生の賜物を碌々味ひもせずに、徒(あだ)に過した一生を悔むだらうか。
「え、もう死ぬのか。本當か。いやいや早過ぎる。だつてまだ何も仕遂げてはゐないではないか。……やつと今、何かする氣になつた所ではないか。」
それでも、過ぎた日々を思ひ出すだらうか。纔かながら、私の身にもあつた明るい幾瞬を思ひ浮べて、忘れ得ぬ面影、その面輪に、心は佇むだらうか。
それと樣々の身の惡業が、記憶に甦るだらうか。私の魂は、既に及ばぬ痛悔に責め苛まれるだらうか。
それとも、生の彼岸に待受けてゐるものを思ふだらうか。そして本當に、何かが待つてゐるのだらうか。
いや、恐らく私は、何も思ふまいと力めるに違ひない。行手に立ち罩める怖しい闇黑を見ずにゐたいばかりに、何か詰らぬ事を強ひて思ひ浮べるに違ひない。
曾て私は、或る男が臨修の床に橫はりながら、燒胡桃(くるみ)を嚙らせて呉れないと駄々をこねる光景に接したことがある。が然し、その男の昏(くら)む眼底には、何かしら傷き死んで行く小鳥の破れ翼に似たものがあつて、脈々と顫へてゐるのを見過し得なかつた。
一八七九年八月
[やぶちゃん注:一九五八年岩波文庫刊の神西清・池田健太郎訳「散文詩」版にはこの中山版の挿絵はない。]
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