フォト

カテゴリー

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 僕の愛する「にゃん」
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の Pierre Bonnard に拠る全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

無料ブログはココログ

« トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) 絞首刑! | トップページ | トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) 「爽やかに美はしかりし花さうび……」 »

2017/10/17

トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) 何を思ふだらうか


Watasihananiwo

   何を思ふだらうか

 

 臨終の迫るとき、もしもまだ思考の力が殘つてゐたら、私は何を思ふだらうか。

 夢み且つまどろみ、生の賜物を碌々味ひもせずに、徒(あだ)に過した一生を悔むだらうか。

 「え、もう死ぬのか。本當か。いやいや早過ぎる。だつてまだ何も仕遂げてはゐないではないか。……やつと今、何かする氣になつた所ではないか。」

 それでも、過ぎた日々を思ひ出すだらうか。纔かながら、私の身にもあつた明るい幾瞬を思ひ浮べて、忘れ得ぬ面影、その面輪に、心は佇むだらうか。

 それと樣々の身の惡業が、記憶に甦るだらうか。私の魂は、既に及ばぬ痛悔に責め苛まれるだらうか。

 それとも、生の彼岸に待受けてゐるものを思ふだらうか。そして本當に、何かが待つてゐるのだらうか。

 いや、恐らく私は、何も思ふまいと力めるに違ひない。行手に立ち罩める怖しい闇黑を見ずにゐたいばかりに、何か詰らぬ事を強ひて思ひ浮べるに違ひない。

 曾て私は、或る男が臨修の床に橫はりながら、燒胡桃(くるみ)を嚙らせて呉れないと駄々をこねる光景に接したことがある。が然し、その男の昏(くら)む眼底には、何かしら傷き死んで行く小鳥の破れ翼に似たものがあつて、脈々と顫へてゐるのを見過し得なかつた。

             一八七九年八月

 

[やぶちゃん注:一九五八年岩波文庫刊の神西清・池田健太郎訳「散文詩」版にはこの中山版の挿絵はない。]

« トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) 絞首刑! | トップページ | トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) 「爽やかに美はしかりし花さうび……」 »