トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) この上の惱みはあらじ
この上の惱みはあらじ
青い空、綿毛のやうな雲、花の勾ひ。若者らの快い叫び。大いなる美術の工(わざ)の、光り輝く麗しさ。やさしい女の頰には幸福の笑ひ、魅するばかりのその眸。……それらみな、なんのために。
二時間ごとの、役にも立たぬ苦い藥の一匙――私の用はそれだけだ。
一八八二年六月
[やぶちゃん注:訳者註。
*
『この上の惱みはあらじ』 原題は NESSUN
MAGGIOR DOLORE である。『神曲』地獄篇第五歌一二一行以下、すなはちダンテが地獄の第二圏に至り、フランチエスカ・ダ・リミニに行逢つて語る條に、
女いふ、「まがつ日のもと
幸みてる日をかへりみる
この上の惱はあらじ……」
とあるに基く。なほはじめはこの詩は『嗟嘆』STOSZSEUFZER と題された。
*
註に出る「NESSUN
MAGGIOR DOLORE」という題名は実際にはダンテの原文では“Nessun maggior dolore che ricordarsi del tempo felice nella miseria.”と続き、イタリア語で「逆境にあって幸せな時代を思い出すこと程つらいことはない。」といった意味である。シチュエーションは次の注を参照されたいが、昭和六二(一九八七)年集英社刊寿岳文章訳「神曲」の訳では、地獄の苦界の只中にいる彼女がダンテの『フランチェスカよ、あなたの苦患(くげん)は、悲しさと憐れみゆえに、私の涙をひき出す。/だがまず語りたまえ。甘美なためいきの折ふし、何より、どんなきっかけで、定かでない胸の思いを恋とは知れる?』という問いに対する答えの冒頭で、『みじめな境遇に在(あ)って、しあわせの時を想いおこすより悲しきは無し。』と訳される。以下、フランチェスカはパオロ・マルテスタとのなれそめを語る。なお、特にこの台詞について寿岳氏は以下の注を附している。『ダンテは多くの古典をふまえてこれらの言葉を書いたと考えられるが、ポエティウス(四八〇-五二四)の『哲学の慰め』二の四、三-六行とのかかわりは最も深い。』。「フランチエスカ・ダ・リミニ」についても寿岳文章訳「神曲」の脚注を引用しておく。ダンテがヴィルジリオに『つねに離れず、頬よせて、いともかろがろと風を御するかに見える、あの二人とこそ語りたい。』の「二人」に附された注である。『フランチェスカ・ダ・リミニとパオロ・マルテスタ。北イタリアのラヴェンナ城主グイド・ミノーレ・ポレンタの娘フランチェスカは隣国の城主で狂暴かつ醜男ジャンチオット・マラテスタと一二七五年頃政略結婚させられた。初めジャンチオットは結婚の不成立をおそれ、眉目秀麗の弟パオロを身代わりに立てたが、婚後事実を知ったフランチェスカのパオロに対する恋情はいよいよつのり、フランチェスカにはジャンチオットとの間にできた九歳の娘が、そしてパオロにも二人の息子があったにもかかわらず、一二八五年頃のある日、ジャンチオットの不在を見すまして密会していたところ、不意に帰宅したジャンチオットにより、二人は殺された。フランチェスカはダンテがラヴェンナで客となっていたグイド・ノヴェロの伯母なので、特に親近の感が強かったに違いない。(後略)』。次に「STOSZSEUFZER」であるが、これはドイツ語で、正しくはエスツェットを用いて「Stoßseufzer」(シュトース・ゾイフツァ)と綴る。「深いため息」「危急の際の短い祈り」という意味である。]
« トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) 鷓鴣(しやこ) | トップページ | トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) 轢れて »