イワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフ作「散文詩」神西清訳 そのひと
そのひと
しゃなりしゃなりと、足どり静か、そなたは浮世の道をゆく。涙もみせず、笑(え)みもせず、何を見ようがそしらぬ目つき、つんと澄ました憎らしさ。
気だてもよければ、心もさとく……いっさいがっさい無縁のよそごと、男も女も縁なき衆生(しゅじょう)。
見れば見るほど、そなたの美しさ。――器量じまんか、じまんでないか、心のうらはだれに見せぬ。生まれついての薄情もので、よそ様の情けなどにはすがり申さぬ。
ゆきずりに、投げるひとみは影ふかけれど、想いのふかい目ではない。よく澄んだ底をのぞけば、からっぼだ。
かくて行く、シャンゼリゼエの大通り、グルックの不粋な楽(がく)のしらべにつれて、よろこびもなく悔いもなく、やさしい影が過ぎてゆく。
Ⅺ.1879
[やぶちゃん注:原題はキリル文字“H. H.”(ラテン文字転写:“N.N.”)。これはロシア語で匿名氏、何某を示すのものか? 識者の御教授を乞う。【二〇一九年五月十五日追記:現在、ブログで進行中の生田春月訳の生田の註釈で解明した。これはラテン語「Nomen nescio」の略で、「ノーメン・ネスキオー」と発音し、「Nomen」はラテン語で「名」、「nescio」は「知らない・認識しない」の意。匿名にした「何某(なにがし)」的謂いである。】。さて、以下は私の勝手な想像であるが、この「そのひと」なる女性は、ツルゲーネフのパトロンであった評論家にしてイタリア座の劇場総支配人ルイ・ヴィアルドー Louis Viardot(一八〇〇年~一八八三年)の妻で、著名なオペラ歌手であり、そうして、実はツルゲーネフの「思い人」でもあったルイーズ・ポーリーヌ・マリー・ヘンリッテ=ヴィアルドー Louise Pauline Marie Héritte-Viardot(一八二一年~一九一〇年:ツルゲーネフより三歳歳下)で、彼女への秘やかな愛憎こもごもの思いを表現したものではあるまいか?
「グルック」クリストフ・ヴィリバルト・フォン・グルック(Christoph Willibald von Gluck 一七一四年~一七八七年)。オーストリア及びフランスを活動拠点として、主にオペラを手がけた音楽家である。代表作は歌劇“Orfeo ed Euridice”(オルフェオとエウリディーチェ)で、特にその間奏曲「精霊たちの踊り」が著名である。底本の池田健太郎氏の注によれば、この「不粋な楽(がく)のしらべ」とは、その“Orfeo ed Euridice”の『第二幕を指』し、『シャンゼリゼ大通り(よみ国)の場、死者の亡霊が合唱する』それを意味しているとする。]
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