トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) 無心の聲
無心の聲
私はその頃スヰスに居た。靑春の自負に燃え、しかも孤獨で、喜びのない憂鬱な日を送つてゐた。人生の味も知らぬうちから既に倦み疲れ、苛立たしかつた。この世の事はみな平凡な下らぬものに見え、靑年の例しに漏れず、自殺を思つて私かに愉しんだ。
「見てゐろよ、復讐してやるから……」と私は思つた。だが、何を見ろと言ふのか、なんの復讐をするのか、自分にも分らなかつた。栓を固くした壺の酒のやうに、身うちの血が騷ぐだけで、兎に角この酒を、外へ迸らせてやらればならぬと思はれた。今こそ窮屈な壺を碎く時だと思つた。私の偶像はバイロンだつた。私の英雄はマンフレッドだつた。
終にある夕暮、私はマンフレッドのやうに、山巓を極めようと決心した。氷河を越え人界を離れて、植物さへも生えぬ所へ、無生の巖のみ磊々と累なる所へ、寂として、瀑布の響も絶える所へ。……
そこへ行つて、何をする積りだつたかは知らない。多分、死ぬ積りだつたのだらう。
私は家を出た。
步いてゆくうちに道は漸く狹くなり、胸を衝く山徑(やまみち)になつた。道はどこまでも登る。最後の山小屋、最後の樹立を見棄てて、もう大分時がたつた。見渡すかぎりの、一面にそそり立つ巖、間近に逼る雪はまだ眼に見えないが、冷氣は既にしんしんと膚をつく。夜闇の影が、黑い渦をなして押寄せる。
私は步みを止めた。
怖ろしい靜寂。
死の王領。
身の程を知らぬ悲哀と絶望と侮蔑とを抱いて、佇み息づく人間は私一人。生を逃れ、生を欲せず、しかも意識あり生ある人間は私一人。……故知れぬ畏怖が私の血脈を凍らせる。
だが私は、なほも自らの大を信じてゐた。
マンフレッド。それで充分ではないか。
「一人だ、一人きりだ」と、私はくり返した、「一人で死の面前にゐるのだ。……さあ時だ。さよなら、哀れな地球よ。どれお前を、後足に蹴返してやらう。」
そのとき、ふと耳に聞いた不思議な響は、直ぐにそれとは覺れなかつたが、正しく生ある人間の聲だつた。私は身顫ひをして耳を欹てた。聲は再び起つた。
今は疑ふ餘地はない。それは子供の、赤子の泣く聲だつた。永遠に生の息吹きの絶えたと見た、この山巓の荒涼の中に、子供の泣く聲を聞かうとは。
驚きは忽ち消えて、息も詰まる喜びがこれに代つた。私は道も選ばずに、一目散に走り出した。徴かに悲しげなその聲、しかも私に取つては救ひの聲をめざして。
間もなく、行手に瞬く燈火が見えた。なほ步を急がせると、數瞬ののちに、地を摺るばかりの低い山小屋に行當つた。平屋根の下に壓伏せられたこれらの石小屋は、アルプスの牧人達が幾週間かを過す隱れ家である。
半開きの戸口から、私はその小屋に轉び入つた。死に追詰められた者のやうに。
見ると若い女が一人、腰掛の上で赤子に乳を含ませてゐる。その夫と見える牧人が、女と並んで腰掛けてゐる。二人はじつと私を見上げた。しかし私は何も言へずに、纔かに徴笑みながら頷いた。……
バイロンよ、マンフレッドよ、はた自殺の夢、思上つた自負の心よ。今それらは、何處にある。
赤子は泣き歇まぬ。私はその子を、母親を、父親を、心の底から祝福した。
生れたばかりの人間の、火の附くやうな泣聲。私を救つたのはお前だ。私を癒して呉れたのはお前だ。
一八八二年十一月
[やぶちゃん注:「私かに」「ひそかに」。
「マンフレッド」(Manfred)はイギリスのロマン主義詩人バイロン(George Gordon Byron
一七八八年~一八二四年)が一八一七年に書いた同名の長大な劇詩の主人公の青年の名。マンフレッドはかつて恋人を死に追いやってしまった罪の記憶を抱えて悩む。神霊と交感する能力を会得している彼は精霊を呼び出し、その記憶の「忘却」を求めるが、精霊は不可能と答える。「会得」は自在であっても「喪失」は思うままにならないことを知った彼は、「喪失」の最上の形態としての「死」に立ち向かうため、アルプスの山中を彷徨い続けた末、遂にその恋人の霊と再会を果たし、許しを乞うと共に自らも息絶えるのであった。なお、前出の「呪ひ」も参照されたい。]
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