トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) 杯
杯
可笑しなことだ。私は自らにおどろく。
私の悲哀は佯りではない。私は心(しん)そこから生(いのち)がにがく、胸は悲哀とざされてゐる。しかも私は、情感をつとめて燦らかに裝ふ。形象や比喩を探ねもとめる。句を雕琢し、言葉のひびきと調和とに浮身をやつす。
私は彫物師、また彫金師。一心にかたどり、鏤(ゑ)り、刻み、さて彫りあがつた黃金の杯に、みづからあふる毒を盛る。
[やぶちゃん注:「杯」「さかづき(さかずき)」と訓じておく。一九五八年岩波文庫刊の神西清・池田健太郎訳「散文詩」(その中の本篇は神西氏の訳をもとに池田氏が改訳したもの。同詩集は総て現代仮名遣)では「さかずき」となっている。
「佯り」「いつはり」。偽り。
「燦らかに」「あきらか」と訓じておく。「
明るくあざやかに・美しく輝くように」の意。
「探ね」「たづね」。
「雕琢」「てうたく(ちょうたく)」と読み、原義は「玉石を彫刻して磨くこと」で、転じて詩文の語句を選んで美しく創り上げるの意。
「鏤(ゑ)り」「鏤」(音「ル」)原義は「金銀・宝石などを一面に散らすように嵌め込むこと」で、転じて、「文章の各所に美しい言葉や表現などを交えて飾ること」を指す。その動詞形。なお、「鏤」は「ちりばめる」と訓ずることもある。
「あふる」「呷(あふ)る」。現代仮名遣で「あおる」で、もともとは「煽(あふ(あお))る」と同源で「酒や毒などを一気に飲む」「仰向いてぐいぐいと飲む」の意。]