老媼茶話巻之弐 狸 / 老媼茶話巻之弐~了
狸
越後高田に村田三四郎といふ者の家へ、冬十月はじめ、狸、犬に追(おは)れて缺込(かけこみ)、椽(エン)の下へかゞみ入(いる)。三四郎子、十二、三なるが、犬を追返(おひかへ)し、狸を助けたり。
其夜、三四郎夫婦の夢に、狸、美くしき兒(ちご)に變じて見へけるは、
「今朝は御賢息(ケンソク)の御慈悲にて不思義の命を、ひろい申(まうし)たり。同じくは、來春迄、御屋敷の緣の下、御貸(カ)シ候得。われ、御家にあればとて、何の仇(あだ)を可仕(つかまつるべき)にて候はず。」
といふ。
三四郎、夢さめ、妻に此事を語りけるに、妻も、
「同じ夢を見たり。」
と云。
三四郎、則、子共・下々迄、堅く、いましめ、
「狸に手をさすべからず。」
といい付(つけ)、折節、食事をあたへ、哀みて飼(かひ)ける。
ある夜、狸、又、夫婦のものの夢にみへけるは、
「われ、御愛憐を以(もつて)食にもうへず、居所にもまどはず、心安(こころやすく)住居仕(すみゐつかまつ)る。其御禮に、今夕、狸のはら皷(ツヾミ)を打(うち)て聞せ可申(まうすべし)。したしき方々、催し、聞(きき)玉へ。」
と云(いひ)て、夢、覺(さむ)る。
三四郎、不思ぎに思ひ、其夕、近(ちかき)友を呼(よび)、此(この)よし、かたりければ、皆々、興ある事に思ひ、三四郎方に集りける。
其夜は初春の半(ナカバ)、月さへて、心もすみ、面白かりけるに、いづくともなく、皷の音色、ほのかにきこへけるが、次第に近くなり、面白さ、一座、かんに絶(たえ)たり。假(たとひ)、天下の皷の上手打(じやうずうち)といふ共(とも)、不可及(およぶべからず)。皷、止(やみ)て、皆々、我家へ歸る。
二月の頃、狸、夢に告(つげ)けるは、
「今日迄、命、全(まつた)く暮し候事、尊人の御影(おかげ)也。明曉(みやうげう)、山へ歸候。其道にて、しころ村の獵師權九郎と云(いふ)者の犬に、喰殺(くひころ)され候。御名殘(おなごり)惜(おし)く候。」
と淚を流し、語る。
三四郎、夢心に、
「さもあらば、歸る道筋をかへて行(ゆく)べし。然らずは、我が裏の竹藪に生涯を送れかし。」
と云。
狸のいわく、
「人畜皆々、過去の宿報あり。人は萬物の靈長たりといへども、過去未來を不知(しらず)。畜生は至(いたつ)ておろかなりといへども、是を知る。我が夙生(シユクセイ)は權九郎。權九郎が過去生(かこしやう)は、則(すなはち)、今の我身也。今更、此報(むくひ)にて、かゝる災(ワザワイ)に逢候得(あひさふらえ)ば、決(けつし)て明日の死をのがるゝ事、叶わず。」
と云て去ル。
三四郎、つとに起き、狸を呼(よぶ)に、なし。
霜降りしあしたなるに、狸の足跡、有り。
三四郎、急ぎ、しころ山の麓へ人を遣しけるに、里の小童(こわらべ)のゝじり、あつまり、
「今、大き成(なる)古狸を犬に喰殺(くひころ)されたり。」
と云。
使の者、むじなの死骸を見るに、いまだ、あたゝかに、はつかに、息もかよひけるを、狩人に右(みぎ)件(くだん)の有增(あらまし)を語り、錢をあたへ、狸の死骸を持歸(もちかへ)り、三四郎に見せける。
三四郎、不便(ふびん)におもひ、うらの竹藪に狸の死かばねを、能々(よくよく)埋めけるとなり。
[やぶちゃん注:本話のように狸が自身の最期を事前に知りながら、それから宿命によって逃れることが出来ないという話柄は、先に電子化注した「想山著聞奇集 卷の四 古狸、人に化て來る事 幷、非業の死を知て遁れ避ざる事」にもある。未読の方は、そちらも、是非、お薦めのしみじみとした奇譚である。なお、「老媼茶話巻之弐」は本話を以って終わっている。通常、他巻にある後書き「老媼茶話卷之弐終」は原典にはないことから、やはり、本巻は後の再編の際に、錯簡が生じたものと推定される。
「手をさす」手出しをする。ちょっかいを出す。
「うへず」「餓えず」。
「不思ぎに」底本では別本により『不思しきに』とするが、これでは読めないので、編者が追字した「し」を除去し、「き」を濁音と直し、「不思議」の意で採った。
「かんに絶(たえ)たり」「感に堪へたり」。
「御影(おかげ)」「御蔭」。
「しころ村」「錣村」と思われるが、不詳。少なくとも現在の上越市(旧高田市を含む)にはこの地名は存在しない模様である。錣山という山も見当たらない。識者の御教授を乞う。
「夙生(シユクセイ)」以前の現世での存在。この狸の述懐によるならば、前世(の孰れか)と現世に於いて同一の存在が別な生を受けて併存していることになる。
は權九郎。權九郎が過去生(かこしやう)は、則(すなはち)、今の我身也。今更、此報(むくひ)にて、かゝる災(ワザワイ)に逢候得(あひさふらえ)ば、決(けつし)て明日の死をのがるゝ事、叶わず。」
「のゝじり」「ののしり」。騒ぎ。
「今、大き成(なる)古狸を犬に喰殺(くひころ)されたり」「古狸の」であろうが、興奮した童子らの謂いなればこそ、却って、リアルである。
「狩人に右(みぎ)件(くだん)の有增(あらまし)を語り」総てを語っていないものか。前世の権九郎がこの狸であり、狸が権九郎の前世の彼であるという、タイム・パラドクスを語っていれば、この権九郎は猟師をやめて出家するというのが、常套的話柄ではあるからである。
「能々(よくよく)」丁重に。このコーダが綺麗な額縁となっている。三坂春編、なかなかの書き手である。]
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