トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) 塒なく
塒なく
何處へ逃れよう。何をしよう。淋しい小鳥のやうに、この身には塒もない。
小鳥は逆羽を立てて、枯枝にとまつてゐる。このまま居るのは堪らない。しかし、何處へ飛ばう。
いま小鳥は翼をととのへ、兀鷹に追はれる小鳩さながら、遙か矢のやうに翔り去る。何處かに、靑々した隱れ家はないものか。よし假の宿りにせよ、何處かに小さな巣を營むことはできまいか。
小鳥は翔る。翔りながら、一心に下界を見つめる。
眼の下は一面の黃色い砂漠。音もなく、そよぎもなく、死のやうに。……
小鳥は急ぐ。急いで沙漠を越える。一心に、悲しげに下界を見つめて。
いま、眼下には海がある。沙漠のやうに黃色く、また死のやうに。波は穗を搖つて、潮の音もする。けれど、絶間ない潮騷にも氣倦い波の面にも、やはり生はなく、塒はない。
小鳥は疲れる。羽搏きは衰へ、その身は降る。虛空たかく舞ひ上らうか。だが、涯しない大空の、何處に巣を作らう。
終に小鳥は翼を疊んで、一聲悲しく啼いて海へ落ちる。
波は小鳥を吞み、さり氣ない響とともに、再びうねりを崩す。
この身に何處へ逃れよう。私も海へ落ちる時か。
一八七八年一月
[やぶちゃん注:「兀鷹」「はげたか」で禿鷹のことであるが、しかし、原文は“ястребом”で、これは所謂、極めて広義の鷹(たか)類(鳥綱新顎上目タカ目タカ科 Accipitridae に属するものの内で大型種(これを「鷲(わし)」と呼ぶ)に対して相対的に小さな種群)を指すもので、狭義の鳥としての「はげたか」(タカ科ハゲワシ亜科 Aegypiinae 及び、全くの別種であるタカ目コンドル亜目コンドル科 Cathartidae の両方に対する非生物学的俗称)に限定するのは寧ろ、追われる鳩との関係でもおかしいと私は思う。
「氣倦い」「けだるい」と訓じておく。]
« トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) つぐみ その二 | トップページ | 老媼茶話巻之四 大龜の怪 »