トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) 眞理と正義
眞理と正義
「なぜあなたは、靈魂不滅をそんなに尊重されるのですか。」
「なぜですと。なぜなら、その曉にこそ永劫不磨の眞理を把握し得るからです。それにわたしの考へでゆくと、その中にこそ至福はあるのですから。」
「眞理の把握の中にですか。」
「無論。」
「ぢや一つ、次のやうな場面を考へて頂きたい。靑年が集つて、議論をしてゐます。そこへ慌しく、もう一人の青年が駈けつけます。見ると、その眼がぎらぎらしてゐる。激しい昂奮に息切れがして、物も言へぬ樣子なのです。『おいおい、どうした。』『まあみんな、聽いて呉れ。僕は大發見をしたのだ。これこそ眞理だ。入射角は反射角に等し。まだあるぞ。二點間の最短距離は、その二點を結ぶ直線上にあり。』『そりや本當か。おお、なんて幸福だ。』
聽いてゐた靑年たちは、口々にさう叫んで、感きはまつて互ひに抱きあふ。……いかがです、さすがのあなたにも、こんな場面は考へられますまい。あなたは笑つてゐますね。それ、そこですよ。しよせん眞理は幸福を得る道ではない。正義こそその道なのです。これこそ地のもの、人間のものですよ。正義と公明。さう、正義のためなら、死も怖れますまい。……なるほどわれわれの全生活は、眞理の知識のうへに築かれますね。だが、それを『把握する』とは何ごとです。ましてや、そこに至福を見いだすといふに至つては。……」
一八八二年六月
[やぶちゃん注:一九五八年岩波文庫刊の神西清・池田健太郎訳「散文詩」版にはこの中山版の挿絵はない。]
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