トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) 素朴
素朴
素朴よ、素朴よ、人はお前を聖者と呼ぶ。しかし聖とは、所詮人の世の業でない。
謙虛――これならばよい。それは驕慢を足下に踏まへ、これに打ち勝つ。
だが忘れまい。勝利の感の裏には、既に驕慢の勾ふことを。
一八八一年六月
[やぶちゃん注:原典では最後のフレーズが「既に驕慢の勾ふことを」となっているが、これでは意味が通るように訓ずることは出来ない。当該原文は“в самом чувстве победы есть уже
своя гордыня”で、「勝利の感覚の中には既にして自身の驕りがある」といった意味であろう。因みに、後の中山省三郎氏の訳では『征服感そのもののうちには既に驕傲のこころの潛むを。』であり、一九五八年岩波文庫刊の神西清・池田健太郎訳では『勝利の感情の裏には、はやくも驕慢のただようことを。』であるからして、これは「匂ふ」(にほふ)の誤植と断じて、特異的に訂した。]
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