トゥルゲーネフ「散文詩」全篇 神西清個人訳(第一次改訳) 東方傳説
東方傳説
誰かバクダットの都に、宇宙の太陽、大なるジヤッファルを知らぬ者があらうか。
その昔、まだ若冠のジヤッファルは、或る日バクダツドの市外を逍遙してゐた。
不圖彼は助けを呼ぶ嗄れた聲を耳にした。
ジヤッファルは、知慧と深慮を以て、遙か同輩に擢んでてゐた。また慈悲心に富み、且つ、自らの膂力を賴んでゐた。
彼は悲鳴をめざして馳せ寄つた。見ると二人の追剝が、よぼよぼの老人を市壁に押しつけて、あわや狼籍に及ぼうとしてゐる。
ジヤッファルは矢庭に長劍の鞘を拂つて、惡者に打掛つた。そして一人を仆し、他を走らせた。
かうして危難を免れた老人は、救ひ主の足もとに跪坐して、その衣の裾に口づけながら、呼ばはつた、「心毅(たけ)き若者よ、御身の義俠は酬い無しには濟まされぬ。風體こそ見ての通りの乞食ながら、その實わしは只人ではない。明日の朝まだきに、大市場まで來るがよい。噴水の傍で待つてゐよう。ゆめ此の言葉を疑ふな。」
ジヤッファルは心に思った、「成るほど見掛けは乞食だが、世の中には何があるか測り知られぬ。物は試しだ。……」そこで答へて言つた、「御老人、畏りました。」
老人は彼の眼に見入り、さて立去つた。
翌る朝、まだ太陽の出ぬうちに、ジヤッファルは市場に赴いた。老人は大理石の水盤に肘をついて、既に彼を待受けてゐた。
老人は、無言のままジヤッファルの腕を取つて、丈高い四壁を遶らした小園に導いた。
綠滴る園の芝生の中央には、曾て見たこともない樹が一本生えてゐる。
どうやら絲杉に似てゐるが、その葉は大空の瑠璃色だ。
天を指して曲(くね)る細枝に、三つの果實――三つの林檎が生(な)つてゐる。一つはほどよい大きさで、稍々細長く、乳のやうに白い。もう一つは大きくまん圓で、血のやうに赤い。殘る一つは小さくて皺が寄つて、色も黃ばんでゐる。
風もないのに、樹々はさらさらと鳴つた。その音は玻璃の鈴を振るやうに微かで、何か物悲しい。樹はジヤッファルの訪れを知るものの樣だつた。
「さて若者よ」と、老人が言つた、「あの實のうち、好きな一つを捥ぐがよい。白いのを捥いで食べれば、世に雙びない賢人になる。赤いのを捥いで食べれば、猶太人ロスチャイルドに劣らぬ金持になる。黃色いのを捥いで食べれば、年寄りの女に氣に入る樣になる。どれなりと選ぶがよい。しかし早く決めねばならぬ。一時間もすれば、あの實はしなび、聲もない大地の底に此の樹は沈む。」
ジヤッファルは頭を垂れて、沈思した。
「どれにしよう」と、恰も自らに問ふやうに呟いた、「餘り賢くなると、きつと世の中が厭にならう。誰よりも金持になると、人の妬みを買ふだらう。いつそ、あの皺のある黃色いのにしよう。」
若者はそれを捥いで食べた。すると老人は齒の無い口で笑つて言つた、「おお、賢い若者よ。御身は一番よいのを選んだ。今更白い實を取つて何にならうぞ。御身の知慧はソロモンにも勝るではないか。紅いのも御身には要らぬ。それは無くとも、金持になれよう。今はもうどんな金持にならうと、誰の妬みも受けまい。」
「御老人、教へて下さい」と、急(せ)き込んでジヤッファルは言つた、「アラーの護らせ給ふわが教王(カリフ)の、尊き母君は何處にお住ひでせうか。」
老人は地にひれ伏して、若者に道を教へた。
誰が、バクダッドの都に、宇宙の太陽、大いなるジヤッファルの名を知らぬ者があらうか。
一八七八年四月
[やぶちゃん注:「バクダット」「バクダツド」の拗音の不揃いは底本のままとした。
「ジャッファル」原文は“Джиаффара”で、ラテン文字表記に直すと“Dzhiaffara”である。この詩のエピソードは「アラビアン・ナイト」第十九話にある「三つの林檎の物語」に想を得ているものと思われ(ウィキの「千夜一夜物語のあらすじ」の「斬られた女と三つの林檎と黒人リハンとの物語」(第十八夜~第二十四夜)を参照されたいが、話は全く異なり、三つの林檎の役割も違うが、林檎が葛藤のシンボルとして登場する点では共通する)、「ジャッファル」が、その主人公由来であるならば、同じ「アラビアン・ナイト」第九百九十四夜~第九百九十八夜の「ジャアファルとバルマク家の最後」にその悲劇的な最期も描かれているところの、実在したイブン・ヤフヤー・ジャアファル(ibn Yahya Ja'far 七六六年?~八〇三年)である。アッバース朝の宰相ヤフヤー・イブン=ハーリドの次男で、父ヤフヤー・兄ファドルとともに、アッバース朝第五代カリフであったハールーン・アッ=ラシードに仕えた人物である。ウィキの「ジャアファル」を参照されたい。
「擢んでて」「ぬきんでて」。
「膂力」「りよりよく(りょりょく)」と読む。本来は背骨の力、そこから全身の筋骨の力の意となった。
「遶らした」「遶(めぐ)らした」。
「捥ぐ」「もぐ」。
「ロスチャイルド」Rothschild。ユダヤ系金融業者の一族。イギリス最大の富豪。始祖マイヤー・アムシェル・ロートシルト(ロスチャイルドのドイツ語読み)Meyer Amschel Rothschild(一七四四年~一八一二年)は当初、フランクフルトの古物商であったが、当時は未だコレクションの対象でなかった古銭に着目して、珍品コインを収集、それに纏わる逸話集を添えて好事家の貴族に売り捌いて成功、その後、それを元手に金融業を起こして財産の基礎を形成した。その子の代でイギリス・フランス・イタリア・ドイツ・オーストリア等ヨーロッパ各国にロスチャイルド財団を形成した(イギリスでは孫の代に貴族に列している)。フランスではマイヤーの息子ジェームスが鉄道事業に着目して、パリ~ブリュッセル間の北東鉄道を中心に事業を拡大し、本詩が書かれた八年前(一八七〇年)には、ロスチャイルド銀行による財政難のバチカンへの資金援助が行われる等、金融支配を固めた。ロシアへは日露戦争前後に於ける石油開発の投資でも知られ、一族はヨーロッパ各地での金融業の他、現在も石油・鉱業・マスコミ・軍産共同体・製薬等の企業を多く傘下に置きつつ、主にロンドンとパリに本拠地を置いて、世界経済に対して隠然たる権力を有しているとされる。勿論、ここでこの老人が時代の合わないロスチャイルドを引き合いに出すこと自体、本話がツルゲーネフによる全くの作り事、パロディであることの証左である。本詩篇の原題は“Восточная легенда”で、“легенда”(ラテン文字転写:legenda)は、ご覧の通り、英語の“legend”である。ところが、ロシア語の“легенда”という単語には、「作り話・ありそうもないこと」という意味もある。また、「猶太人」とわざわざ断ったところには(原文“еврей”(イェヴレーイ))、ツルゲーネフの中に、当時、一般的であったユダヤ人への差別感覚が窺われるところでもある(彼のユダヤ人への強い差別意識については、呉燕氏の論文「『猶太人の浮世』から『憂患余生』へ―語彙の選択から見る近代日中間の「重訳」―」(PDF)を参照されたい)。なお、同じくロスチャイルドを詩中に挙げる、後掲の「二人の富者」も参照されたい。
「ソロモン」旧約聖書「列王記」に記される古代イスラエル王国第三代の王(在位:紀元前九六五年頃~紀元前九二五年頃)。父はダビデ。ユダヤの伝承では神から知恵の指輪を授かり、多くの天使や悪魔を使役したとも言われる。イスラム教でも預言者の一人として認められており、アラビア語で「スライマーン」と呼ばれる。ユダヤ教徒と同様、偉大なる知恵者とし、精霊ジンを操つることが出来たとする。
「教王(カリフ)の、尊き母君」ここで彼がカリフの母への対面を求める意味は私には判らないが、ウィキの「ジャアファル」によれば、彼の『兄ファドルはハールーンの乳兄弟で、ハールーンの母ハイズラーンとハールーンの乳母(ファドルとジャアファルの母)とは非常に親しかったらしい』とある。なお、ジャアファルの『人柄は謹厳実直な兄のファドルとは異なり』、『闊達で洒脱で機知に富んでいたという。ハールーンは後に妹のアッバーサを彼に嫁がせたぐらいである』ともある。]
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