老媼茶話巻之四 魔女
魔女
肥前國鍋嶋家の士、龍門寺登之助といふもの無隱(かくれなき)大力也。
或春、友、弐、三人ともない、山寺へ花見に行(ゆく)。日暮歸りに趣(おもむき)、住僧も立出(たちい)で、歸りを送りける。登之助、僧にたはふれて、
「山寺にて、石、御自由と申(まうし)ながら、扨も苔むし、見事成(なる)手水石(てうづいし)哉(かな)。我にくれられよかし。」
といふ。
住僧、聞(きき)て、打笑(うちわらひ)、
「安き事也。望ならば、自身、持行(もちゆき)玉へ。進じ候べし。」
といふ。
登之助、聞て、
「過分に候。」
とて、三拾人にては動かし難き石、やすやすと引起(ひきおこ)し、肩にかけ、行程三里の所を持行(もちゆき)たり。
登之助、常に山狩・川狩を好む。
或時、はるか東に鹽田(しほた)といふ山里の、殺生宿(せつしやうやど)喜太郞といふ者、獨活(うど)・蕨(わらび)樣(やう)の物、土産として、遙々登之助かたへ來り、 機嫌を伺(うかがひ)、扨、申けるは、
「近頃、我等在所、弐里、山、入(いり)、窪谷と申(まうす)在鄕の庄屋兵助と申(まうす)有德(うとく)成る者、御座候。かの妻、魅物(バケモノ)におそはれ、十死一生にて候。然處(しかるところ)に、此頃、朝熊の明王院より鐵洞と申(まうす)眞言坊、參り、かぢいたし候。此僧、申(まうし)候は、此祈(いのり)には、いかにも膽太(きもふと)く大力の勇士、入申(いりまうし)候まゝ、夫(それ)を御賴可申由(おたのみまうすべきよし)、申(まうし)候。旦那樣、我等かたへ御入(おいり)候を、兵助、能(よく)存(ぞんじ)候。何卒、致御殺生(ごせつしやういたす)御慰(おなぐさみ)がてら、御出可被下(おいでくださるべき)や、伺吳候樣(うかがひくれさふらふやう)に、と賴申(たのみまうし)候。哀(あはれ)、人ひとり御助被下(くださる)と思召(おぼしめし)、御出被下(おいでくだされ)候へかし。」
と恐入(おそれいり)申ける。
登之助、聞て、
「夫は、先(まづ)、いか樣(やう)の魅物(ばけもの)ぞ。」
といふ。
喜太郞、申(まうす)は、
「窪谷に妙音山法奧寺と申(まうす)寺の候。其西に阿彌陀が原と申(まうす)塚原の候。其所より、化物、參り候。是は、元(もと)、兵助召仕(めしつかまつり)候女に忍(しのび)て目を懸(かけ)候を、兵助、妻、深くいきどをり、ひそかに縊(くび)り殺し、阿彌陀がはらに埋捨(うづめすて)候。其女の死靈の、かく、來り惱まし候とさた仕(つかまつり)候。」
と申。
登之助、聞て、
「明日、幸(さいはひ)、殺生に汝等があたりへ可行(ゆくべし)と思ひ居たり。汝とひとつに兵助かたへ行(ゆく)べき。」
とて、明(あく)るあした、喜太郞を召連(めしつれ)、窪谷の兵助かたへ行(ゆく)。
先達(せんだつ)て、此よし、喜太郞、通(つう)じける間、鹿目峠の坂下まで、兵助、迎ひに立出(たちいで)、ひれふしに也(なり)、先へ立(たち)、案内し、兵助、宿へ行(ゆく)。
百性ながら、大屋敷にて、男女、弐、三十人、召仕ひ、萱(かや)が軒端(のきば)も賑やか也。
扨、樣々の酒肴、取調(とりととのへ)、色々と、もてなしける。
鐵洞藏主(ざうす)も來り、登之助に對面し、
「英士、はるばる、御出(おいで)、御大儀。」
のよし、謝し、隨分、勇勢を出(いだ)し、
「今宵、牛三ツ過(すぐ)る頃、魔女、必(かならず)、來(きた)るべし。のがさず、だき留(とめ)玉へ。其物に至り、おくし給ふな。」
と、いふ。
登之助、打笑(うちわらひ)、
「其段、心易く思ひ、只、魔女の來れる樣に祈り給へ。」
と答(こたふ)。
鐵洞も歸り、登之助も休息す。
かくて、鐵洞法印、病者の枕元に、だんをかざり、へいはく、數多(あまた)切立(きりたて)、燈(ともし)、所々にたちならべ、供物をさゝげ、大魔降伏(だいまがうぶく)の不動明王の像を床(とこ)に懸(かけ)、印を結び、呪(じゆ)を唱へ、數珠、さらさらと押(おし)もみ、汗水になり、祈りける。病者は四拾斗(ばかり)の、やせつかれたる女也。登之助も傍(かたはら)に有(あり)て是を見る。
かくて夜も更(ふけ)て行(ゆき)、八ツ半斗(ばかり)の事なるに、兵助が家の西北に當り、物のひゞく音、聞(きこ)へ、西の障子に靑き光、移り、靑色の玉、庭へ落(おち)たり。
此玉の光り、消(きゆ)るとひとしく、稻光りして、障子の際(きは)に人の彳(たたず)むけしき有(あり)て、物すさまじさ、限りなし。
病者、ふるへわなゝき、目を見つめ、舌を出(いだ)し、手を握り、床より浮上(うきあが)り、恐苦(おそれくる)しむ折節、枕元の障子を、少し、ひらき、髮を亂したる七尺斗(ばかり)の大女(おほをんな)、顏、半分、出(いだ)し、眼(まなこ)を見開き、座中の樣子を窺居(うかがひゐ)たりけるが、閑(しづか)に、障子を押明(おしあ)ケ、座の内へ入(いり)たり。
眼は血のごとく、口は耳元へさけ、紅(くれなゐ)の舌を出(いだ)し、病者を恨めしげに見入(みいり)つゝ、息、火を吐(はく)がごとくなり。
登之助、走り懸り、くまんとするに、日頃の强力勇猛、うせ果て、手足なへ、腰、立(たた)ず。
鐵洞、是を見て、目をいららげ、齒をかみ、
「夫(それ)よ、夫よ。」
といふながら、もみにもんで、祈る。魔女は、人、有りとも思はざる氣色(けしき)にて、病者の枕元に立居たりけるが、右の腕を差延(さしのべ)、病者の髮をからみ、中(ちゆう)に提(さげ)、おもてのかたへ、走り出る。
此時、登之助、
「南無八幡。」
と願念(ぐわんねん)して立上(たちあが)り、魔女、追懸(おつか)ケ、
「むづ。」
と組(くむ)。
魔女、大きにいかり、病者を、かしこに抛捨(なげすて)、登之助と引組(ひつくみ)、小脇にかい込(こみ)、引立(ひきたて)ゆかんとする。
登之助、金剛力(こんがうりき)を出(いだ)し、もみあいけるが、立(たて)ならべたる燈火は消(きえ)て闇となり、互にふむ足にて、家内、震動して地震(なゐ)のふるふがごとし。
登之助、脇差、引拔(ひきぬき)、魔女が脇腹を、したゝかに、二タ刀、さし通ス。
魔女、此手に弱りけるか、登之助を突放(つきはな)し、靑色の大きなる玉となり、虛空に飛(とび)て、地をひゞかし、いつもの塚原江落(おち)たり。
夜も明ければ、皆人(みなひと)、血をしたいて阿彌陀がはらへ行(ゆき)、見るに、塚、崩(くづれ)て、血、夥敷(おびただしく)引(ひき)たり。
塚を崩(くづし)て、内をみるに、棺(をけ)の内に、一具の骸骨、血に染(そみ)、其外、替(かは)る事なし。
鐵洞法印がいはく、
「今少し早く、魔女を組留(くみとめ)玉はゞ、病者の命、助るべきに、殘多(なごりおほき)事也。然し、魔女を平(たひら)げ給はずは、此家、必(かならず)、變化(へんげ)の爲に取(とり)たやされ、黑土となるべし。是、皆、勇士の力にて、家、つゝがなし。變化も、弐度、來(きた)るまじ。」
とて、檀を破る。
登之助、ほうほう[やぶちゃん注:ママ。]、やどへ歸り、朋友に語りけるは、
「必(かならず)、魔ゑん・化粧(けしやう)のもの、事なくしたがへんなどゝ、みだりに、荒言(くわいげん)、はくべからず。我、一生の恥をかきたり。」
といへり。
[やぶちゃん注:「肥前國鍋嶋家」佐賀藩。肥前国佐賀郡(当時は現在の佐賀県及び長崎県の一部に相当)にあった外様藩で肥前藩、初期を除き、歴代、鍋島氏が藩主であったことから鍋島藩とも呼ばれることもある。藩庁は佐賀城(現在の佐賀市内)。三十五万七千石。
「龍門寺登之助」不詳であるが、佐賀藩の最初の藩主は龍造寺氏であることが、気にはなる。
「過分に候。」「身に余るご厚意にて恐縮致す。」。
「鹽田」佐賀県の南西にあった旧藤津郡塩田町(しおたちょう)。現在の佐賀県嬉野市塩田町。この附近(グーグル・マップ・データ)。
「殺生宿」不詳。地名とは思われない。この喜太郎の通称で、猟師に宿を貸す生業(なりわい)をしていた者か。
「遙々登之助かたへ來り」底本では「遙々登リ〔之助〕かたへ來り」とある。〔 〕は編者による補填であるが、どうもピンと来ない。主人公の名の「登之助」が「のぼりのすけ」であったというのもちょっとピンとこず、「(たうのすけ)とうのすけ」と読みたくなるし、そもそも「のぼりのすけ」と読むのであれば、底本編者は冒頭に出た際に、そうルビを振るはずであるが、ないからである。これは原作者が、「登之助かた」と書いたのを、書写の際に誤って「之助」を落としてしまい、後人が喜三郎が「登之助」の方へ行くことを「登り」と言ったと勘違いして、送り字の「リ」を送ってしまったのではなかろうか。
「窪谷」不詳。
「朝熊の明王院」三重県伊勢市朝熊町岳にある金剛證寺(こんごうしょうじ)の朝熊岳明王院か。しかし、「眞言坊」(真言宗の僧)とあるのが不審。初期は真言密教であったが、南北朝期に当寺は臨済宗となっているからである。当時、兼学寺院であったなら、問題はないのだが。或いは、「眞言坊」と名乗っているものの、その実、この男は山伏であったのではないか? 何故なら、「朝熊岳明王院萬金丹」を売り歩く山伏がいた可能性が、ここのページの記載で推測されるからである。但し、後でこの僧を別に「藏主」(ぞうす)とも呼称しており、これだと、問題がない。何故なら、「蔵主」とは禅寺の経蔵を管理する僧職を指す語だからである。
「鐵洞」不詳。
「かぢ」「加持」。加持祈禱。
「哀(あはれ)」感動詞。「ああ!」「どうか!」。
「妙音山法奧寺」不詳。
「阿彌陀が原」不詳。「塚原」とあるからには墓所である。
「さた」「沙汰」。
「鹿目峠」不詳。
「百性」「百姓」に同じい。
「だん」「壇」。悪霊調伏のための修法を行うための真言密教の護摩壇。
「へいはく」「幣帛」。神に奉献する供物。神仏習合であるから、問題ない。
「八ツ半」午前三時頃。
「床より浮上(うきあが)り」怪異出来の真骨頂シーン。
「七尺」二メートル十二センチメートル。最早、死霊ではなく、鬼女妖怪の類に化している。
「いららげ」逆立て。吊り上げ。
「もみにもんで」数珠を揉みに揉んで。
「魔ゑん」「魔緣」。仏教で学問や修行の邪魔をする悪神を指す。
「化粧(けしやう)」「化生」が正しい。
「荒言」無責任に大きなことを言い散らすこと。「公言」とも書く。]
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