イワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフ作「散文詩」神西清訳 「うるわしく、さわやかなりし、ばらの花……」
「うるわしく、さわやかなりし、ばらの花……」
いつ、どこでとも覚えていない。とおい昔のことである。わたしは一つの詩を読んだ。それは間もなく忘れたけれど……はじめの一句が記憶にのこった、――
「うるわしく、さわやかなりし、ばらの花……」
いまは冬。霜は窓ガラスに張りつき、暗い部屋には、ろうそくが一本もえている。その隅に、かじかんで坐っているわたしの耳に、たえまなく鳴り、また、びびく、――
「うるわしく、さわやかなりし、ばらの花……」
と、わたしの目に、郊外のロシアふうの家の、低い窓のそとに立っている自分のすがたが、うかび出る。夏の夕べは、しずかに溶けながら、夜へ移ろうとし、あたたかい空気には、木犀草(レゼダ)と菩提樹の花がにおう。――その窓べには、ひとりの少女が坐って、まっすぐさし伸べた両腕に身をささえ、あたまを肩へもたせかけている。そして無言のまま、じつと夕空に見入るすがたは、はつ星のきらめき出るのを待っているかのようだ。もの思わしげなその眼(まな)差しは、なんとすなおな感動にあふれていることだろう。もの問いたげに開いた唇は、なんと無邪気で、いじらしいことだろう。まだ花の咲ききらず、まだ何ひとつ心のみだれを覚えたことのない胸の、なんとおだやかな息づかいだろう。ういういしい顔の、なんと清らかな、やさしい気品だろう。わたしは彼女にものを言いかけようとはせずに、いとしさに高鳴るわが胸の鼓動をきいている、――
「うるわしく、さわやかなりし、ばらの花……」
部屋のなかは、いよいよ暗くなってくる。……ろうそくは燃えつきかけて、さびしくはじけ、低い天井にちらちらと影はゆれ、壁のそとでは霜が、いらだたしげにきしめいている。――そして、わびしい老人のつぶやきがする、
「うるわしく、さわやかなりし、ばらの花……」
またほかの面影が、わたしの前に立ちあらわれる。……いなか暮しの家庭の団居(まどい)、その陽気なさざめきだ。亜麻いろ髪の頭がふたつ、たがいにもたれあいながら、はにかみもせず、明るい可愛らしい目でわたしを見つめる。笑いをこらえて、まっかな頰はぴくぴくし、手と手は仲よくもつれあって、若々しいきれいな声も一つにからみあう。また少しむこう、この居心地のいい部屋の奥には、やはり若々しいほかの両手が、指もつれしながら古ピアノのキイを走っている。――そのランナーのワルツの曲の合間をぬって、家長ぜんと納まったサモワールのつぶやきがする。……
「うるわしく、さわやかなりし、ばらの花……」
ろうそくは、ちらちらして、消えかかる。……だれだ、そこで陰気くさいしゃがれ声で、せきをするのは? 足もとには、わたしのたったひとりの仲間、わたしの老いぼれ犬がうずくまり、四足をちぢめてふるえている。……ああ寒い。……こごえそうだ。……みんな死んだ……死んでしまった。……
「うるわしく、さわやかなりし、ばらの花……」
Ⅸ.1879
[やぶちゃん注:中山省三郎譯「散文詩」では「いかばかり美はしく、鮮やかなりしか、薔薇の花は……」。これはプーシキンと同時代の諷刺詩人イヴァン・セルゲーヴィチ・ミャトリョフ(Иван
Петрович Мятлев 一七九六年~一八四四年)の一八三五年作の“Розы” (薔薇)の詩の冒頭連(以下、ロシア語版ウィキペディア「Розы」より引用)。
Как хороши, как свежи были розы
В моём саду! Как взор прельщали мой!
Как я молил весенние морозы
Не трогать их холодною рукой!
かつて、ロシア語の出来る知己の協力を得て、以下に最初の一連だけを文語和訳してみた。
ああ、かくは美しき、鮮やかなりし、
わが庭の薔薇の花よ! わが眼差し惹きつけてやまざりし!……
ああ、かくも花冷えに祈りし、
そが冷たき手をな觸れそ! と……
なお、中山省三郎譯「散文詩」では注で全詩原文を載せてある。
「木犀草(レゼダ)」原文は“резедой”。被子植物門双子葉植物綱フウチョウソウ目モクセイソウ科モクセイソウ属モクセイソウ Reseda odorata 。北アフリカ原産で「ニオイレセダ」等とも和名する。本邦には江戸末期頃にオランダ船によって渡来し、観賞用に栽培されてきた。茎は高さ三十センチメートルほどで直立し、基部近くでよく分枝し、全体は尖塔形を成す。葉は互生で長さ三~五センチメートルの箆(へら)形乃至は長楕円形。夏、総状花序を頂生し,小さい淡黄白色の花をつける。花弁は六枚であるが、そのうちの四枚は先が細く裂ける。開花と同時に強い芳香を放つ(ここまでは概ね、「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。「カドカワ・コーポレーション」の運営になる「魔法ランド」の花言葉「誕生日の花 6月12日 レセダ 【木犀草(もくせいそう)】」の解説には、英名を“Mignonette”とし、『レゼダはマイウェイ、愛によって相手を奴隷にしようなどとはおもわない、自立した女性のような落ちつきをそなえ』た花で、それは『地味ながら』、『からっとした明るさがあ』るとする。『英語の名前であるミグノネッティ(Mignonette)は、フランス語の「小さく可愛い」を意味する』“mignon”(ミニヨン)が由来とし、『また、学名のレセダ(Reseda)は、ラテン語の「癒す=Resedo」に由来し、かつては傷や炎症をやわらげる薬草だったことがうかがわれ』、『古代ギリシャでは染料ともされ、花嫁の黄色い衣装を染めたとい』う。『花言葉は、そうした控えめな花にふさわしく』、『「見かけ以上の人」』だそうである。グーグル画像検索「Reseda odorata」をリンクさせておく。
「ランナー」ヨーゼフ・ランナー(Joseph Lanner 一八〇一年~一八四三年)はオーストリアのヴァイオリン奏者にして作曲家。ウィキの「ヨーゼフ・ランナー」によれば、『シュトラウス一家に先立ってウィンナ・ワルツの様式を確立させたため、「ワルツの始祖」と呼ばれることがある。そして後にはヨハン・シュトラウス』Ⅰ『世と対決しつつワルツを磨き上げていった(ワルツ合戦)』。『ワルツ、ポルカ、ギャロップ、レントラーなど』四百『曲以上の舞曲などを作曲した』。『ショパンやスメタナ、リヒャルト・シュトラウスなどの作品にも影響を与えた』とある。
「サモワール」(самовар:正確に音写するなら「サマヴァール」)はロシアやその他のスラブ諸国・イラン・トルコなどで湯を沸かすため、概ね、給茶のために伝統的に使用されてきた金属製の容器。沸かした湯は通常、紅茶を淹れるのに利用されるため、多くのサモワールは、上部にティー・ポットを固定してあり、保温するための機能も備わっている。参照したウィキの「サモワール」によれば、『その起源には諸説あるが、中央アジアで発明されたといわれている。古くは石炭や炭で水を沸かした』。『なお、名称はロシア語の「サミ(自分で)」と「ワリーチ(沸かす)」を結合したものである』。『素材は銅、黄銅、青銅、ニッケル、スズなどで、富裕層向けには貴金属製のものや非常に装飾性の高いものも作られた。胴部に水を入れられるようになっており、伝統的なサモワールは胴部の中央に縦に管が通っていて、そこに固形の燃料を入れて点火し、湯を沸かした。胴の下部には蛇口がついていて、そこから湯を注ぐ』とある。]
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