ジョナサン・スイフト原作 原民喜譯 「ガリヴァー旅行記」(やぶちゃん自筆原稿復元版) 飛ぶ島(ラピュタ)(4) 「四章 發明屋敷」(1)
四章 發明屋敷
私はこの國で〔、〕別にいぢめられたのではなかつたの〔わけではないの〕です。が、どうも〔、〕なんだか〔、〕みんなから馬鹿にされてたやうな気がします〔した〕。〔この國では、〕王も人民も〔、〕數學と音樂のことのほかは〔、〕何も〔一つ〕知らうとしないのでした。〔す。〕だから私なんか〔、〕〔どうも〕馬鹿にされるので〔てのしかたがない→るので〕した。
[やぶちゃん注:現行版の「発明屋敷」は柱番号は「二」である。]
ところが〔、〕私の方でも、この島の珍しいものを見物してしまうと、もう〔、〕ここの人間たちには、あきあきしました。〔早く去りたくなりました。→ました。→ました。→てしまいました。〕早く去りたい気持になりました。彼等は數學と音樂にかけてはすぐれてゐましたが〔いつも〔、〕何か我を忘れて〔ぼんやり〕考へ〔ごとに〕耽けつてゐましたがや〔るのです。〕交際ふ相手としては〔、〕〔こんな→これほど〕不愉快な人間は〔見たことが〕〔この囗〕ありません。私の話相手〔で、私はいつも〕いつも女、女や、商人や、たたき役、侍童などとばかり話をしました。それかまた彼等には〔それがまた彼等には→それがまた私を馬→それがまた上品な人たちか〕だが、ものをい〔云〕つて、筋の通つた返答をしてくれるのは、かういふ連中だけでした。
[やぶちゃん注:「交際ふ」は現行版では『附き合う』となっている。]
私は勉強したので〔、〕彼等の言葉は大分出來るやうになり〔つてゐ〕ました。で、私はかうして〔、〕殆ど相手に〔も〕してもらへないやうな島〔國〕に〔、〕ぢつとしてゐるのが〔、〕堪〔たま〕らなくなつたのです。一日も早くこの國を去らうと決心しました。
私は陛下に賴んで、この國から出られるやうにしてもらいました。〔ました。→二月十〕六日に王と宮廷に別れを告げました。丁度その時、島は首府から二哩ばかり郊外の山の上を飛んでゐましたので、私は一番下の通路から、鎖を吊下げてもらつて地上に下りました。
[やぶちゃん注:「二哩」三千二百十九メートル弱。]
その大陸は〔、〕飛島の〔囗〕王に属してゐて、バルニバービと云はれてます。首府はラガードーと呼ばれてゐます。
私は地上に降ろされて、とにかく滿足でした。服裝は國人〔この飛島の〕と同じだし、彼等と話も出來〔の言葉も私〕はよく知〔分〕つてゐた〔る〕ので、何の心配〔気がかり〕もなく〔、〕町の方へ步いて行きました。私は飛島の人から紹介狀をもらつてゐましたので、それを持つて、〔ある〕〔貴族〕の家を訪ねて行きました。すると、この太公は〔■■〕私に〔その貴族は〕彼の邸やしきの一室を〔、〕私に貸してくれ、非常によ〔厚〕くもてなしてくれました。
翌朝、彼は〔、〕私を馬車に乘せて〔、〕市内見物に連れて行つてくれました。市〔その國→市→町〕はロンドンの半分ぐらゐですが、家の建て方が〔、〕ひどく奇妙で、そして、殆ど荒れ放題になつてゐるのです。道〔街〕を通る人はみな急ぎ足で、妙に物凄い顏つきで、大概ボロボロの服を着ています。
それから〔私たちは〕城門を出て、三哩ばかり〔、〕郊外を步いてみました。ここでは〔、〕沢山の農夫が〔、〕いろいろの道具で〔■〕地面を掘り返してゐましたが、どうも〔、〕何をしてゐるのやら〔、〕さつぱりわからないのです。土はいい〔よく〕肥えてゐるのに、穀物など一向に生えてゐ〔さうな樣子は〕ないのです〔した→す〕。私には
私は〔こんなふうに〕町も田舍も〔町もどうも〕実に奇妙なので、私は驚いてしまひました。
「これは一たいどうした譯なのでせう、町にも畑にも〔、〕あんなに澤山の人人が〔、〕〔とても〕忙しさうに動き廻つてゐるのに、ちよつとも、よくな〔■〕いやうですね。私は〔私はまだ、→どうも、私はまだ、〕あ〔こ〕んな出鱈目な〔に〕耕した、〔された畑や、〕こんな無茶な荒れ放題の家や〔、〕〔あんな〕みみじめな人間を〔を→と〕いふもの〔の姿を〕〔まだ〕見たことがないのです。」と、私は案内役の太公〔貴族〕に訊ねてみました。
すると彼〔太公→彼〕は次のやうな話をしてくれました。
今からおよそ四十年ばかり前に、数人の男がラピュタへ上つて行つたのです。五ヶ月程して帰つて來ましたが、飛島で覺えて來たのは數學のはしくれと、〔でした。〕〔そして→しかし彼等は、〕あの〔空の〕國の〔氣紛〔れ→れ〕〕でのやり方で〔に〕ひどく氣に入つ〔かぶれ〕てしまつたのです〔てゐたのです〕。帰ると、早速、〔この〕地上のやり方を厭がり〔憎み→厭がり〕はじめ〔、〕藝術も學問も機械も〔、〕何もかも、みんな〔、〕新しくやり直さうといふ計劃を〔ことにし〕ました。
それで〔■、〕彼等は王に願つて、ラ■ガードに學士院をつくるこ〔りまし〕た。ところが、これが〔ついに〕國中〔全囗〕の流行となつて、今では〔、〕どこの町にも學士院ができて〔あるの〕です。
この學士院では〔、〕先生たちが〔、〕農業や建築の新しいやり方とか、商工業に使ふ新式の道具を〔、〕考へださう〔すことに〕さうとしてゐます。先生たちは〔よく〕かう云ひます。
「〔もし〕これ〔の道具〕を使へば、今まで十人でした仕事が〔、〕たつた一人で出來上がり、〔るし、〕宮殿はたつた一週間で建つ。その上〔れに〔、〕〕一度建てたらもう修繕することがいらないし、〔。〕果物は〔、〕何時でも好きなときに熟させることができ、今までの百倍位澤山とれるやうになる。」と、その他いろいろ結構なことばかり云ふのです。
ただ殘念なのは、これらの計畫が〔、〕まだ今はどれちつ〔も、〕ほんとに出來上つてはゐないことです。だからそれが出來上るまでは、國中ぢうが荒れ放題になり、家は破れ、人民は不自由をつづけます。がそれでも〔、〕彼等は元氣を〔は〕失はず、希望に燃え、時に■半分絶望しながら、五十倍の勇気を振つて、この計畫をなしとげようとするのです。
[やぶちゃん注:「半分絶望しながら」は現行版では『半分やけくそになりながら』(太字は傍点「ヽ」)となっている。]
太公〔彼〕はこんな説明をして〔、〕くれましたが、〔ことを私に説明してくれたました。そして、〕
「是非一つあなたにも〔、〕その學士院を御案内しませう。」と約束し〔云ひ〕ました。つけ加へました。それからこんなこともも話してくれました。〔以前〕彼は山の中腹に〔、〕大変便利な水車を一つ持つ
〔それから數日して、〕〔私は太公〔彼〕の友人に案内されて〔、〕學士院を見物に行きました。〕
[やぶちゃん注:ここで原稿は終わって、次に「五章」とあって、「一行アキ」の広西記号が入る。現行版は章立ても空行もなく、次の学士院訪問に繋がっている。]