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2017/11/26

ジョナサン・スイフト原作 原民喜譯 「ガリヴァー旅行記」(やぶちゃん自筆原稿復元版) 飛ぶ島(ラピュタ)(4) 「四章 發明屋敷」(1)

 

四章 發明屋敷

 

 私はこの國で〔、〕別にいぢめられたのではなかつたの〔わけではないの〕です。が、どうも〔、〕なんだか〔、〕みんなから馬鹿にされてたやうな気がしま〔した〕。〔この國では、〕王も人民も〔、〕數學と音樂のことのほかは〔、〕何〔一つ〕知らうとしないのでした。〔す。〕だから私なんか〔、〕〔どうも〕馬鹿にされるのでてのしかたがない→るので〕した。

[やぶちゃん注:現行版の「発明屋敷」は柱番号は「二」である。]

 ところが〔、〕私の方でも、この島の珍しいものを見物してしまうと、もう〔、〕ここの人間たちには、あきあきしました。早く去りたくなりました。ました。ました。→てしまいました。〕早く去りたい気持になりました。彼等は數學と音樂にかけてはすぐれてゐましたが〔いつも〔、〕何か我を忘れて〔ぼんやり〕考へ〔ごとに〕耽けつてゐましたがや〔るのです。〕交際ふ相手として〔、〕〔こんな→これほど〕不愉快な人間は〔見たことが〕〔この囗〕ありません。私の話相手〔で、私はいつも〕いつも女、女や、商人や、たたき役、侍童などとばかり話をしました。それかまた彼等にはそれがまた彼等にはそれがまた私を馬それがまた上品な人たちかだが、ものを〔云〕つて、筋の通つた返答をしてくれるのは、かういふ連中だけでした。

[やぶちゃん注:「交際ふ」は現行版では『附き合う』となっている。]

 私は勉強したので〔、〕彼等の言葉は大分出來るやうにな〔つてゐ〕ました。で、私はかうして〔、〕殆ど相手に〔も〕してもらへないやうな〔國〕に〔、〕ぢつとしてゐるのが〔、〕〔たま〕らなくなつたのです。一日も早くこの國を去らうと決心しました。

 私は陛下に賴んで、この國から出られるやうにしてもらいました。ました。→二月十〕六日に王と宮廷に別れを告げました。丁度その時、島は首府から二哩ばかり郊外の山の上を飛んでゐましたので、私は一番下の通路から、鎖を吊下げてもらつて地上に下りました。

[やぶちゃん注:「二哩」三千二百十九メートル弱。]

 

 その大陸は〔、〕飛島の〔囗〕王に属してゐて、バルニバービと云はれてます。首府はラガードーと呼ばれてゐます。

 私は地上に降ろされて、とにかく滿足でした。服裝は國人この飛島の〕と同じだし、彼等と話も出來〔の言葉も私〕はよく〔分〕つてゐ〔る〕ので、何の心配〔気がかり〕もなく〔、〕町の方へ步いて行きました。私は飛島の人から紹介狀をもらつてゐましたので、それを持つて、〔ある〕〔貴族〕の家を訪ねて行きました。すると、この太公は■■私に〔その貴族は〕彼の邸やしきの一室を〔、〕私に貸してくれ、非常に〔厚〕くもてなしてくれました。

 翌朝、彼は〔、〕私を馬車に乘せて〔、〕市内見物に連れて行つてくれました。その國→町〕はロンドンの半分ぐらゐですが、家の建て方が〔、〕ひどく奇妙で、そして、殆ど荒れ放題になつてゐるのです。〔街〕を通る人はみな急ぎ足で、妙に物凄い顏つきで、大概ボロボロの服を着ています。

 それから〔私たちは〕城門を出て、三哩ばかり〔、〕郊外を步いてみました。ここでは〔、〕沢山の農夫が〔、〕いろいろの道具で〔〕地面を掘り返してゐましたが、どうも〔、〕何をしてゐるのやら〔、〕さつぱりわからないのです。土はいい〔よく〕肥えてゐるのに、穀物など一向に生えてゐ〔さうな樣子は〕ないのでした→す〕。私には

 私は〔こんなふうに〕町も田舍も〔町もどうも〕実に奇妙なので、私は驚いてしまひました。

 「これは一たいどうした譯なのでせう、町にも畑にも〔、〕あんなに澤山の人人が〔、〕〔とても〕忙しさうに動き廻つてゐるのに、ちよつとも、よくな〔〕いやうですね。私は私はまだ、どうも、私はまだ、〔こ〕んな出鱈目〔に〕耕した、〔された畑や、〕こんな無茶な荒れ放題の家や〔、〕〔あんなみじめな人間いふもの〔の姿を〕〔まだ〕見たことがないのです。」と、私は案内役の太公〔貴族〕に訊ねてみました。

 すると太公→彼〕は次のやうな話をしてくれました。

 今からおよそ四十年ばかり前に、数人の男がラピュタへ上つて行つたのです。五ヶ月程して帰つて來ましたが、飛島で覺えて來たのは數學のはしくれと、〔でした。〕〔そして→しかし彼等は、〕あの〔空の〕國の〔氣紛〕〕のやり方〔に〕ひどく氣に入つ〔かぶれ〕てしまつたのです〔てゐたのです〕。帰ると、早速、〔この〕地上のやり方を厭がり憎み→厭がり〕はじめ〔、〕藝術も學問も機械も〔、〕何もかも、みんな〔、〕新しくやり直さうといふ計劃を〔ことにし〕ました。

 それで〔、〕彼等は王に願つて、ラガードに學士院をつくるこ〔りまし〕た。ところが、これが〔ついに〕國中〔全囗〕の流行となつて、今では〔、〕どこの町にも學士院ができて〔あるの〕です。

 この學士院では〔、〕先生たちが〔、〕農業や建築の新しいやり方とか、商工業に使ふ新式の道具を〔、〕考へださうすことに〕さうとしてゐます。先生たちは〔よく〕かう云ひます。

「〔もし〕こ〔の道具〕を使へば、今まで十人でした仕事が〔、〕たつた一人で出來上がり、〔るし、〕宮殿はたつた一週間で建つ。その上〔れに〔、〕〕一度建てたらもう修繕することがいらない、〔。〕果物は〔、〕何時でも好きなときに熟させることができ、今までの百倍位澤山とれるやうになる。」と、その他いろいろ結構なことばかり云ふのです。

 ただ殘念なのは、これらの計畫が〔、〕まだ今はどれちつ〔も、〕ほんとに出來上つてはゐないことです。だからそれが出來上るまでは、國中ぢうが荒れ放題になり、家は破れ、人民は不自由をつづけます。がそれでも〔、〕彼等は元氣〔は〕失はず、希望に燃え、時に■半分絶望しながら、五十倍の勇気を振つて、この計畫をなしとげようとするのです。

[やぶちゃん注:「半分絶望しながら」は現行版では『半分やけくそになりながら』(太字は傍点「ヽ」)となっている。]

 太公〔彼〕はこんな説明をして〔、〕くれましたが、〔ことを私に説明してくれたました。そして、〕

 「是非一つあなたにも〔、〕その學士院を御案内しませう。」と約束し云ひました。つけ加へました。それからこんなこともも話してくれました。〔以前〕彼は山の中腹に〔、〕大変便利な水車を一つ持つ

 〔それから數日して、〕〔私は太公〔彼〕の友人に案内されて〔、〕學士院を見物に行きました。〕

[やぶちゃん注:ここで原稿は終わって、次に「五章」とあって、「一行アキ」の広西記号が入る。現行版は章立ても空行もなく、次の学士院訪問に繋がっている。]

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