江戸川乱歩 孤島の鬼(7) 奇妙な友人
奇妙な友人
私は内気者で、同年輩の華やかな青年たちにはあまり親しい友だちを持たなかった代りに、年長のしかも少々風変りな友だちにめぐまれていた。諸戸道雄もその一人にちがいなかったし、これから読者に紹介しようとする深山木幸吉などは、中でも風変りな友だちであった。そして、私のまわり気かもしれぬけれど、年長の友だちはほとんどすべて、深山木幸吉とても例外ではなく、多かれ少なかれ、私の容貌に一種の興味を持っているように思われた。たとえいやな意味ではなくとも、何かしら私の身内に彼らを引きつける力があるらしくみえた。そうでなくて、あのようにそれぞれ一方の才能に恵まれた年長者たちが、青二才の私などにかまってくれるはずはなかったからだ。
[やぶちゃん注:「まわり気」気を回して心配したり、疑ったりすること。]
それはともかく、深山木幸吉というのは、私の勤め先の年長の友人の紹介で、知り合いになった間柄であったが、当時四十歳をだいぶ過ぎていたにもかかわらず、妻もなく子もなく、そのほかの血縁らしいものは私の知る限り一人もなく、ほんとうの独り者であった。独り者といっても諸戸のように女嫌いというわけではなく、これまでにずいぶんいろいろな女と夫婦みたいな関係を結んだらしく、私の知るようになってからでも、二、三度そういう女を変えているのだが、いつも長続きがしないで、しばらくあいだを置いて訪ねてみると、いつの間にか女がいなくなっている、といった調子であった。「俺のは刹那的一夫一婦主義だ」といっていたが、つまり極端に惚れっぽく、飽きっぽいたちなのである。誰しも感じたり言ったりはするけれど、それを彼のように傍若無人に実行したものは少ないであろう。こういうところにも彼の面目が現われていた。
彼は一種の雑学者で、何を質問しても知らぬといったことがなかった。別に収入の道はなさそうであったが、いくらか貯えがあるとみえ、稼ぐということをしないで、本を読むあいだあいだには、世間の隅々に隠れている、様々な秘密をかぎ出してくるのを道楽にしていた。中にも犯罪事件は彼の大好物であって、有名な犯罪事件で、彼の首を突っ込まぬはなく、ときどきはその筋の専門家に有益な助言を与えるようなこともあった。
独り者の上に彼の道楽がそんなふうであったから、どこへ行くのか、三日も四日も家をあけているようなことが、ちょくちょくあって、うまく彼の在宅のおりに行き合わせるのはなかなかむずかしいのだ。その日もまた留守を食うのではないかと心配しながら歩いていると、幸いなことには彼の家の半丁も手前から、もう彼の在宅であることがわかった。というのは、可愛らしい子供らの声にまじって、深山木幸吉の聞き覚えのある胴間声(どうまごえ)が、変な調子で当時の流行歌を歌っていたからである。
[やぶちゃん注:「半丁」約五十四メートル半。
「胴間声(どうまごえ)」調子外れの濁った太い声。]
近づくと、チャチな青塗り木造の西洋館の玄関をあけっ放しにして、そこの石段に四、五人の腕白小僧が腰をかけ、表高いドアの敷居の所に深山木幸吉があぐらをかき、みんなが同じように首を左右に振りながら、大きな口をあけて、
「どこから私しゃ来たのやら
いつまたどこへ帰るやら」
とやっていたのである。彼は自分に子供がないせいか、非常な子供好きで、よく近所の子供を集めては、餓鬼大将となって遊んでいた。妙なことには、子供らもまた、彼らの親たちとは反対に、近所ではつまはじきのこの奇人のおじさんになついていたのである。
[やぶちゃん注:挿入された唄は、大正時代の流行歌「紅燈の唄」。nack500氏のYou Tube の「紅燈の唄 寺井金春 書生節」で、古いレコード盤からの音源で聴け、そこに歌詞が電子化されてある。音源を私も聴き取り、漢字を正字化し、一部に読みを添えて示す。
*
どこからわたしゃ來たのやら いつ又どこへ歸るやら 紅白粉(べにおしろい)に身をやつし 淚を隱す それさもの
父母(ちちはは)知らぬ身ではなし 逢いたい情けはあるものを 廓勤(くるわづとめ)めの悲しさは 顏見ることも ままならぬ
夜ごとに變わる徒枕(あだまくら) 今宵はだれの妻(つま)ならむ 明けなば誰にかしづかん 思えば儚(はかな)き我が身かな
廓の夜半(よわ)の靜けさよ 通りに響く新内(しんない)の 淚をそそる音寂し やるせない身 月は知る
*
寺井金春は「アサヒ歌劇団」の所属であったらしいことしか判らず、また、この唄の歌詞自体の作者かどうかも不明である。識者の御教授を乞う。如何にも哀しい女郎の感懐唄で、乱歩好みと読んだ。]
「さあ、お客さんだ。美しいお客さまがいらしゃった。君たちまた遊ぼうね」
私の顔を見ると、深山木は敏感に私の表情を読んだらしく、いつものように一緒に遊ぼうなどとはいわないで、子供らを帰し、私を彼の居間に導くのであった。
西洋館といっても、アトリエか何かのお古と見えて、広間のほかに小さな玄関と台所のようなものがついているきりで、その広間が、彼の書斎、居間、寝室、食堂を兼ねていたのだが、そこにはまるで古本屋の引越しみたいに、書物の山々が築かれ、そのあいだに古ぼけた木製のベッドや、食卓や、雑多の食器や、罐詰や、ソバ屋の岡持などが、めちゃくちゃに放り出してあった。
「椅子がこわれてしまって、一つきゃない。まあ、それにかけてください」
といって、彼自身は、ベッドの薄よごれたシーツの上にドッカとあぐらをかいたものである。
「用事でしょう。何か用事を持ってきたんでしょう」
彼は乱れた長い頭髪を、指でうしろへかきながら、ちょっとはにかんだ表情をした。彼は私に会うと、きっと一度はこんな表情をするのだ。
「ええ、あなたの智恵をお借りしたいと思って」
私は、相手の西洋乞食みたいな、カラーもネクタイもない皺くちゃの洋装を見ながらいった。
「恋、ね、そうでしょう。恋をしている眼だ。それに、近頃とんと僕の方へはご無沙汰だからね」
「恋、ええ、まあ……その人が死んじまったんです。殺されちまったんです」
私は甘えるようにいった。いってしまうと、どうしたことか止めどもなく涙がこぼれた。私は眼の所へ腕を当てて、ほんとうに泣いてしまったのだ。深山木はベッドから降りてきて、私のそばに立って、子供をあやすように、私の背中を叩きながら、何かいっていた。悲しみのほかに、不思議に甘い感触があった。私のそうした態度が、相手をワクワクさせていることを、私は心の隅で自覚していた。
深山木幸吉は実に巧みな聞き手であった。私は順序を立てて話をする必要はなかった。一語一語、彼の問うに従って答えて行けばよいのであった。結局私は何もかも、木崎初代と口を利きはじめたところから、彼女の変死までのあらゆることをしゃべってしまった。深山木が見せよというものだから、例の初代の夢に出てくる海岸の見取り図も、彼女から預かった系図帳さえも、ちょうど内ポケットに持っていたので、取り出して彼に見せた。彼はそれらを、長いあいだ見ていたようであったが、私は涙を隠すために、あらぬかたを向いていたので、そのときの彼の表情などには、少しも気づかなかった。
私はいうだけいってしまうと、だまり込んでしまった。深山木も異様に押しだまっていた。私はうなだれていたのだが、あまり長いあいだ相手が黙っているので、ふと彼の方を見上げると、彼は妙に青ざめた顔をして、じっと空間を見つめていた。
「僕の気持をわかってくださるでしょう。僕はまじめに敵討(かたきう)ちを考えているのです。せめて下手人を僕の手で探し出さないでは、どうにも我慢ができないんです」
私が相手を促すようにいっても、彼は表情も変えず、だまり込んでいた。何かしら妙なものがあった。日頃の東洋豪傑風な、無造作な彼が、こんな深い感動を示すというのは、ひどく意外に思われた。
「僕の想像が誤まりでなけりゃ、これは君が考えているよりは、つまり表面に現われた感じよりは、ずっと大袈裟な、恐ろしい事件かもしれないよ」
やっとしてから、深山木は考え考え、厳粛な調子でいった。
「人殺しよりもですか」
私はどうして彼がそんなことを口走ったのか、まるで判断もつかず、漫然と聞き返した。
「人殺しの種類がだよ」
深山木はやっぱり考え考え、陰気に答えた。
「手提げがなくなったからといって、ただの泥棒の仕業でないことは、君にもわかっているだろう。かといって、単なる痴情の殺人にしては、あまり考え過ぎている。この事件の蔭には、非常にかしこい、熟練な、しかも、残忍酷薄なやつが隱れている。並々の手際ではないよ」
彼はそういって、ちょっと言葉を切ったが、なぜか、少し色のあせた唇が、興奮のためにワナワナ震えていた。私は彼のこんな表情を見るのははじめてだった。彼の恐怖が伝わって、私も妙にうしろが顧みられるような気がしはじめた。だが、愚かな私は、彼がそのとき、私以上に何事を悟っていたか、何がかくも彼を興奮させたか、その辺のことには、まるで気がつかなかった。
「心臓のまん中をたった一と突きで殺しているといったね。泥棒が見とがめられたための仕業にしては、手際がよすぎる。ただ一と突きで人間を殺すなんて、なんでもないようだが、余程の手練がなくてはできるものではないのだよ。それに出入りした跡の全くないこと、指紋の残っていないこと、なんとすばらしい手際だ」彼は讃歎するようにいった。「だが、そんなことよりも、もっと恐ろしいのは、チョコレートの罐のなくなっていたことだ。なぜそんなものが紛失したのだか、はっきり見当がつかぬけれど、なんだかただごとでない感じがするんだ。そこにゾーッとするようなものがあるんだ。それに初代が三晩も見たというよぼよぼの老人……」
彼は言葉尻をにごして、だまってしまった。
私たちはてんでの考えに耽って、じつと眼を見合わせていた。窓のそとには、昼過ぎたばかりの日光がギラギラ輝いていたが、室の中は、妙にうそ寒い感じだった。
「あなたも、初代の母親には疑うべき点はないと思いますか」
私はちょっと深山木の考えをただしておきたかったので、それを聞いてみた。
「一笑の価値もないよ。なんぼ意見の衝突があったところで、思慮のある年寄りが、たった一人のかかり子を、殺すやつがあるものかね。それに、君の口ぶりで察すると、母親という人は、そんな恐ろしいことのできる柄ではないよ。手提げ袋は人知れず隠せるにしてもだ、母親が下手人だったら、なんの必要があって、チョコレートの罐が紛失したなんて、変な噓をつくものかね」
[やぶちゃん注:「かかり子」「かかりご」。「掛かり子・掛り子」で「かかりっこ」とも読む。原義は「他人の世話になっている子供」であるが、ここは「親が老後に扶養してもらう子供」の意。]
深山木はそういって立ち上がったが、ちょっと腕時計を見ると、
「まだ時間がある。明るいうちに着けるだろう。ともかく、その初代さんの家へ行ってみようじゃないか」
彼は室の一隅のカーテンの蔭へはいって、何かゴソゴソやっていたかと思うと、間もなく少しばかり見られる服装に変って出てきた。「さあ行こう」無造作にいって、帽子とステッキを摑むと、もう戸外へ飛び出していた。私もすぐさま彼のあとを追った。私は深い悲しみと、一種異様の恐れと、復讐の念のほかには何もなかった。例の系図帳や私のスケッチなどを、深山木がどこへ始末したのかも知らなかった。初代の死んでしまった今となって、私にそんな物の入用もなく、てんで念頭にもおいていなかった。
汽車と電車の二時間あまりの道中を、私たちはほとんどだまり込んでいた。私の方では何かと話しかけるのだけれど、深山木が考え込んでいて取り合ってくれないのだ。でも、たったひとこと、彼が妙なことをいったのを覚えている。これは後々にも関係のある大切な事柄だから、ここに再現しておくと、
「犯罪がね、巧妙になればなるほど、それは上手な手品に似てくるものだよ。手品師はね、密閉した箱の蓋をあけないで、中の品物を取り出す術を心得ている。ね、わかるだろう。だが、それには種があるんだ。ご見物様方には、全く不可能に見えることが、彼にはなんの造作もありはしないのだ。今度の事件がちょうど密閉された手品の箱だよ。実際見た上でないとわからぬけれど、警察の人たちは大事な手品の種を見落としているにちがいない。その種がたとえ眼の前に曝(さら)されていても、思考の方向が固定してしまうと、とんと気のつかぬものだ。手品の種なんて、大抵(たいてい)見物の眼の前に曝されているんだよ。多分それはね、出入口という感じが少しもしない箇所なのだ。それでいて考え方を換えると非常に大きな出入口なんだよ。まるで開けっぱなしみたいなもんだ。錠もかからねば、釘を抜いたり、破壊したりする必要もない。そういう箇所は開け放しのくせに誰もしまりなんてしないからね。ハハハハハハ、僕の考えていることは実に滑稽なんだよ。ばかばかしいことだよ。だが案外当たっていないとはきまらない。手品の種はいつもばかばかしいものだからね」
探偵家というものが、なぜそんなふうに思わせぶりなものであるか、幼稚なお芝居気に富んでいるものであるかということを、今になっても、私はときどき考える。そして、腹立たしくなるのだ。もし、深山木幸吉が、彼の変死に先だって、彼の知っていたことを、すべて私に打ちあけてくれたならば、あんなにも事を面倒にしないですんだのである。だがそれは、シャーロックホームズがそうであったように、またはデュパンがそうであったように、優れた探偵家の免がれがたい衒気(げんき)であったのか、彼も亦一度首を突っ込んだ事件は、それが全く解決してしまうまで、気まぐれな思わせぶりのはかには、彼の推理の片影さえも、傍人に示さぬのを常としたのである。
[やぶちゃん注:「デュパン」先に本文にも出たエドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人」(一八四一年発表)に登場する架空の探偵、C・オーギュスト・デュパン(C. Auguste Dupin)。推理小説界では「世界初の名探偵」と称されるという。参照したウィキの「C・オーギュスト・デュパン」によれば、『五等勲爵士。フランスの名門貴族で、騎士(chevalier)であったが、いくつかの不幸な事件により』、『財産をなく』し、『パリ郊外サン・ジェルマンの辺鄙な淋しいところ(パリ市、フォブール、サンジェルマン・デュノ街』三十三『番地)にある崩れかけた古い怪しげな館に、事件の記述者である「私」と同居』しており、『昼は戸を閉め切った真っ暗な部屋で強い香料入りの』蠟燭『に火をつけ、読書と瞑想にふける。夜はパリの街を徘徊して』は、『大都会の闇と影を愛する。警視総監Gと知り合いで、G氏は解決できない事件の調査をしばしばデュパンに依頼にくる』『デュパンの奇人ぶりは、詩人としてのポーの嗜好を反映している一方で』、イギリスの作家アーサー・コナン・ドイル(Arthur Ignatius Conan Doyle 一八五九年~一九三〇年)が創り出した名探偵シャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes:初登場は一八八七年に発表された(執筆は前年)「緋色の研究」(A Study
in Scarlet))を以下、『後の名探偵の人物像に少なからぬ影響を与えている。また』、第二登場作である「マリー・ロジェの謎」(The
Mystery of Marie Rogêt:一八四二年~一八四三年発表)では、『新聞に掲載された記事のみを頼りに事件の真相を推理している』ことから、「安楽椅子探偵」の『元祖といわれる場合もある』とある。但し、デユパンはその後、私の偏愛する短編「盗まれた手紙」(The
Purloined Letter:一八四四年発表)を以って姿を消す。]
私はそれを聞くと、彼がすでに何事か、事件の秘密をつかんでいるように思ったので、もっと明瞭に打ちあけてくれるように頼んだけれど、かたくなな探偵家の虚栄心から、彼はそれきり口をつぐんでしまって、何事をもいわなかった。

