柴田宵曲 猫 五 / 猫~了
猫の眼というものは慌しく変化する例に引かれるが、
酔うた目と猫の目かはる胡蝶かな 貞佐
の如き句ではあまり面白くない。
ひるがほや猫の糸目になるおもひ 其角
里家春日
猫の目のまだ昼過ぎぬ春日かな 鬼貫
この二句は猫の目が午時(ひるどき)に至って、糸のように細くなることを捉えている。猫の眼の変化というのも、畢竟忽ちに糸の如くなるところから起ったのであろう。
凩(こがらし)や眕(まばたき)しげき猫の面(つら)
八桑
むらしぐれ猫の瞳子(ひとみ)もかはり行く
旨原
なども当然この範疇に属すべきものと思われる。
猫の眼のいとたへがたきあつさかな 田女
これは猫の眼がとろりとして、如何にも大暑に堪えぬように見えるというのであろうか。猫は寒に怖(お)じるけれども、暑には平然としている。猫を爾(しか)く見るのは、作者の方が暑に悩まされていることはいうまでもない。
寒食や竃下(さうか)に猫の目を怪しむ 其角
いなづまや黑猫のめをおびやかし りん女
暗きに青光りする猫の眼は無気味なものである。この二句はその趣を描いているが、真に妖気を発するところまで往っていない。十七字詩にこれ以上を求めるのは、あるいは無理なのかも知れぬ。
[やぶちゃん注:「寒食」(かんしょく)は陰暦で冬至から百五日目に行った行事或いはその日。古代中国に於いては、この日に火気を用いずに冷たい食事を摂った。これは、その頃に風雨が激しいことから、実用上の火災予防のためであるとも、また、一度、火を断って、新しい火で春を促すための予祝行事起原とも言われる。春の季語。]
「猫の鼻は夏至の一日のみあたたかし」という諺がある。これは『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』に「其鼻端常冷(そのびたんつねにひゆ)、唯夏至一日媛(ただげしいちじつのみあたたかし)」とあるから、支那伝来のものらしいが、日本でもよく耳にするように思う。
[やぶちゃん注:「酉陽雑俎」唐代の八六〇年頃に成立した段成式(八〇三年~八六三年)撰になる、古今の異聞怪奇を記した随筆。
「其鼻端常冷(そのびたんつねにひゆ)、唯夏至一日媛(ただげしいちじつのみあたたかし)」「のみ」は私が特異的に恣意的に附した。「酉陽雜俎 續集卷八」の「支動」に以下のようにある。
*
貓、目睛暮圓、及午豎斂如糸延。其鼻端常冷、唯夏至一日暖。其毛不容蚤、虱黑者暗中逆循其毛、卽若火星。俗言貓洗面過耳則客至。楚州謝陽出貓、有褐花者。靈武有紅叱撥及靑驄色者。貓一名蒙貴、一名烏員。平陵城、古譚國也、城中有一貓、常帶金鎖、有錢飛若蛺蝶、士人往往見之。
*]
水無月や暑さを探る猫の鼻 銀雨
は明(あきらか)にこの趣である。俳人は猫の額より更に面積の狭い鼻にも、種々の観察を下している。
立花にこすりてやらん猫の鼻 舟雅
秋風の吹通し也(なり)猫の鼻 丿松(べつしよう)
酒くさききく嗅ぐ猫や鼻の皺(しは)
神叔
石蕗(つはぶき)の日蔭は寒し猫の鼻
抱一
鼻をこすりつけるのは、猫が叱られる場合である。特に芳しい橘(たちばな)にこすりつけるというのに、何か意味があるのであろうが、これだけでは十分にわからない。「酒くさききく」というのは酒宴などの意味か、「鼻の皺」を捉えるに至っては、微細な観察の必ずしも近代俳人の檀場でないことがわかる。
ひとり近代俳人が微細なる観察を誇り得ぬのみではない。俳諧という詩の生れるより数百年前に、平安朝の才女清少納言は、猫の耳を観察することを忘れなかった。『枕草子』に「むつかしげなるもの」として挙げた中に、先ず「ぬひ物のうら、猫の耳のうち」とある。これには蕉門の俳人もいささか驚いたと見えて、越人は享保十四年版の撰集に『猫の耳』という名をつけた。『蕉門珍書百種』がこの書を覆刻した時、野田別天楼(べってんろう)の開題に「枕草子に、宮中に飼われていた「命婦(みょうぶ)のおとど」という猫が、翁丸という犬に脅かされた談(はなし)が載っている。しかし猫の耳のことは見当らない」と断ぜられたのは、千慮の一失であろう。罔両子(もうりょうし)の序に「集を猫耳といふ事は淸女か筆にとるならし」というのも、機石の跋に「如何淸女かいへる猫耳を一刀に截斷(せつだん)して俳語の南泉と悟入し」云々とあるのも、皆前に挙げた「むつかしげなるもの」を指しているので、この才女の俳眼に感服した結果、採って我撰集の名としたに相違あるまい。現に『猫の耳』の跋を書いた機石は、『鵲尾冠(しゃくびかん)』に左の一句をとどめている。
[やぶちゃん注:「『枕草子』に「むつかしげなるもの」として挙げた中に、先ず「ぬひ物のうら、猫の耳のうち」とある」「枕草子」の「むつかしげなるもの」(一般に第百五十段とする)は、
*
むつかしげなるもの
繡物(ぬひもの)の裏。鼠の子の毛もまだ生(お)ひぬを、巢の中よりまろばし出でたる。裏まだ付けぬ裘(かはぎぬ)の縫目(ぬひめ)。猫の耳の中。ことに淸げならぬ所の、暗き。
ことなる事なき人の、子などあまた持(も)てあつかひたる。いと深うしも心ざしなき妻(め)の、心地あしうして久しう悩みたるも、夫(をとこ)の心地(ここち)はむつかしかるべし。
*
であり、中の二品を恣意的に飛ばしていて、よろしくない。
「享保十四年」一七二九年。
『枕草子に、宮中に飼われていた「命婦(みょうぶ)のおとど」という猫が、翁丸という犬に脅かされた談(はなし)が載っている』一般に第六段とされる「上(うへ)にさぶらふ御猫(おほんねこ)は、かうぶり得て[やぶちゃん注:五位の位を賜って。]「命婦(みやうぶ)のおとど」とて、いみじうをかしければ、かしづかせたまふが、……」で始まる長い章段(原文や現代語訳は有象無象あるのでご自分お探しあれ)。
「南泉」禪語の公案に洒落たもの。私の古い電子化野狐禪訳注「無門關 十四 南泉斬猫」を参照されたい。因みに、「無門關」の私の完全訳注版はこちらにある。]
淸少納言もよく見て
木茸(きくらげ)の形(なり)むづかしや猫の耳 機石
「よく見て」は「よく観察して」の意である。木茸を耳の形容に用いることは、明治年間までは極めて普通であった。この句は猫の耳を木茸に擬し、「むづかしや」の語に『枕草子』の「むつかしげなるもの」を利かせたのであろう。『鵲尾冠』もまた越人撰の集だから、機石の名が両方に見えるのは当然でなければならぬ。
[やぶちゃん注:「木茸(きくらげ)」菌界担子菌門真正担子菌綱キクラゲ目キクラゲ科キクラゲ属キクラゲ
Auricularia auricula-judae。]
木枯や更行(ふけゆく)夜半(よは)の猫のみゝ 北枝
この句になると已に『枕草子』を離れている。木茸に似た猫の耳のうちの観察でもない。更け渡る木枯の夜に、座辺に睡っている猫が時に聴耳(ききみみ)を立てたりする。聴耳を立てるまで往かずとも、懶(ものう)げに耳を動かしたりする。人は冬夜の閑に坐して、その耳を見ているというような趣であろう。
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