ローガン
今夕、「ローガン」を見た。
平行世界の時間軸の変容を収束させ、「Xメン・シリーズ」の最後を飾って余りあるよい作品であった。
同じ平行世界を扱いながら、昨夜見た「ターミネーター・ジェニシス」が、生死の問題を等閑視しており、存外に無感動であって失望したのとは大違いであった。
ローラとローガンの別れのシーン――まさか、このシリーズの中で、私の涙腺が緩むとは思っても見なかった。それは確かに私の老いの結果とも言えなくもないが、それはまた、アリスを失った私の今の心理状態によるものが甚だ大きい故であろう。
そもそも――「死ぬことが出来なかったはずの『絶対の孤独』者であるはずだったローガンが『絶対の死を迎える人間として』――しかも『他者から愛されて死ぬことが出来る』ということを知り得て、真の『ちっぽけな人間としての』死を『確かに』迎えることが出来たことを『安らかに人として実感する』――というエンディングは、禅の糞っ垂れた公案なんどより、遙かに『実感としての』説得力を持っている。
ネタバレにならぬ程度に言っておくと、子供たちが野放しのアメリカを脱出して銃規制のより厳しいカナダに向かうという設定、さらに往年の映画ファンには堪(こた)えられない大きな伏線が重要な形で張られている点でも、私は脚本もよく出来ていると思った。
十字架の洒落(皮肉)も私はすこぶるよいと感ずる。
人間を亡ぼし得るもの、且つ、逆にそれを救い得るもの、とは、神なんどではなく、人間そのものだ――ということに於いて、である――
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