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2017/11/12

江戸川乱歩 孤島の鬼(16) 魔法の壺

 

   魔法の壺

 

「まあ、ゆっくり聞いてくれたまえ。実は僕は初代さんなり深山木氏なりの敵討ちに、君にお手伝いして、犯人探しをやってもいいとさえ思っているのだから、僕の考えをすっかり順序だてて話をして、君の意見を聞こうじゃないですか。なにも僕の推理が動かすことのできぬ結論だというわけじゃないんだから」

 諸戸は私の矢つぎ早やな質問を押えて、彼の専門の学術上の講演でもするような調子で、まことに順序正しく彼の話をつづけるのであった。

「僕もむろんその点は、あとから近所の人に聞き合わせてよく知っている。古道具屋の主人なり野次馬なりの眼をかすめて、犯人が逃げ去ったと考えることはできないような状態でした。古道具屋の戸締まりがあけられた時には、すでに近所の人たちが往来に集まっていた。だから、たとえ犯人が縁の下を通って古道具屋の台所の上げ板から、そこの店の間なり裏口へ達したとしても、主人夫妻や野次馬たちに見とがめられずに戸外へ出ることは、全く不可能だったのです。彼はこの難関をどうして通過することができたか、僕の素人探偵はそこでハタと行き詰ってしまった。何かトリックがある。台所の上げ板に類した、人の気づかぬ欺瞞(ぎまん)があるにちがいない。で、多分ご存じだろうが、僕はたびたび初代さんの家の付近をうろついて、近所の人の話などを聞き廻ったのです。そして、ふと気がついたのは、事件ののち、例の古道具屋から、何か品物が持ち出されなかったか。商売がら、店先にはいろいろな品物が陳列してある。そのうち何か持出されたものはないかということです。そこで、調べてみると、事件の発見された朝、警察の取り調べでゴタゴタしている最中に、ここにあるこれと一対の花瓶ですね。あれを買って行った者があることがわかった。そのほかには何も大きな品物は売れていない。僕はこの花瓶が怪しいと睨んだのです」

「深山木さんも、同じことをいいましたよ。だが、その意味が僕には少しもわからないのです」

 私は思わず口をはさんだ。

「そう、僕にもわからなかった。しかし、なんとなく疑わしい気がしたのです。なぜかというと、その花瓶は、ちょうど事件の前夜、一人の客がきて代金を払い、品物はちゃんと風呂敷包みにして帰り、次の朝、使いの者が取りに来て担いで行ったというのが、時間的にうまく一致している。何か意味がありそうです」

「まさか花瓶の中に犯人が隠れていたわけじゃありますまいね」

「いや、ところが意外にも、その中に人が隠れていたと想像すべき理由があるのです」

「えっ、この中に。冗談をいってはいけません。高さはせいぜい三尺、さし渡しも広いところで一尺五寸ぐらいでしょう。それに第一この口をごらんなさい。僕の頭だけでも通りゃしない、この中に大きな人間がはいっていたなんて、おとぎ話の魔法の壺じゃあるまいし」

 私は部屋の隅違いてあった花瓶のそばへ行って、その口径を計って見せながら、あまりのことに笑い出してしまった。

「魔法の壺、そう、魔法の壺かもしれない。誰にしたって、僕だって最初は、そんな花瓶に人間がはいれようとは思わなかった。ところが、実に不思議なことだけれど、確かに隠れていたと想像すべき理由があるのです。僕は研究のために、その残っていた方の花瓶を買ってきたんですが、いくら考えてもわからない。わからないでいるうちに第二の殺人事件が起こった。あの深山木さんの殺された日には、僕は別の用件があって偶然鎌倉へ行ったんですが、途中で君の姿を見かけたものですから、つい君のあとをつけて海岸へ出てしまった。そして、計らずも第二の殺人事件を目撃するようなことになったのです。あの事件について、僕はいろいろと研究した。深山木さんが初代さんの事件を探偵していたことはわかっていたから、その深山木さんが殺された、しかも初代さんのときと同じようないわば神秘的な方法でやられた。とすると、この二つの事件には何か連絡があるのではないかと考えたからです。そして僕は一つの仮説を組み立てた。仮説ですよ。だから、確実な証拠を見るまでは空想だといわれても仕方がない。しかし、その仮説が考えうべき唯一のものであり、この壺の事件のどの部分にあてはめてみても、しっくり適合するとしたら、われわれはその仮説を信用してもさしつかえないと思うのです」

 諸戸は酔いと興奮とのために、充血したまなざしをじっと私の顔に注ぎ、乾いた唇を舐な)め舐め、だんだん演説口調になりながら、雄弁に語りつづけるのであった。

「ここで初代さんの事件はちょっとお預かりにして、第二の殺人事件から話して行くのが便利です。僕の推理がそういう順序で組み立てられて行ったのだから。深山木さんは衆人環視の中で、いつ、誰に殺されたのか全くわからないような、不思議な方法で殺害された。ごく近くだけでも、絶えずあの人のほうを見ていた人が数人ある。君もその一人でしょう。そのほか、あの海岸には、数百の群衆が右往左往していた。殊に深山木さんの身辺には四人の子供が戯れていた。それらのうちのたった一人さえ、下手人を見なかったというのは、実に前例のない奇怪事じゃないですか。全く想像のできない事柄です。不可能事です。だが、被害者の胸に短刀が突き刺さっていたという事実が厳存する以上は、下手人がなければならぬ。彼はいかにしてこの不可能事をなしとげることができたか。僕はあらゆる場合を考えてみた。だがどんなに想像をたくましくしても、たった二つの場合を除いては、この事件は全く不可能に属します。二つの場合というのは、深山木さんが人知れず自殺をしたと見るのが一つ、もう一つは、非常に恐ろしい想像だけれど、戯れていた子供の一人、あの十歳にも足らないあどけない子供の一人が、砂遊びにまぎれて、深山木さんを殺したという考えです。子供は四人いたけれど、深山木さんを埋めるために、てんでんの方角から砂を集めることで夢中になっていたでしょうから、その中の一人が、ほかの子供に気づかれぬように、砂をかぶせる振りをして、隠し持ったナイフを深山木さんの胸にうち込むのはさして困難な仕事ではありません。深山木さん自身も、相手が子供なので、ナイフを突刺されるまでは全く油断していたであろうし、突刺されてしまっては、もう声を立てるひまもなかったのでしょう。下手人の子供は、何喰わぬ顔をして、血や兇器をかくすために、上から上からと砂をかぶせてしまったのです」

私は諸戸のこの気ちがいめいた空想に、ギョッとして、思わず相手の顔を見つめた。

「この二つの場合のうち、深山木氏の自殺説はいろいろの点から考えて、全く成り立たない。すると、たとえそれがどれほど不自然に見えようとも、下手人はあの四人の子供のうちにいたと考えるほかには、われわれには全く解釈の方法がないのです。しかもこの解釈によるときは、同時にこれまでのすべての疑問がすっかり解けてしまう。一見不可能に見えた事柄が、少しも不可能ではなくなってくる。というのは、例の君のいわゆる『魔法の壺』の一件です。あんな小さな花瓶の中へ人が隠れるというのは、悪魔の神通力でも借りないでは不可能なことに思われた。だが、そう考えたのは、やっぱりわれわれの考え方の方向が固定していたからで、普通われわれは殺人者というものを犯罪学の書物の挿絵にあるような、獰猛な壮年の男子に限るもののように迷信しているために、幼い子供などの存在には全く不注意であった。この場合、子供という観念は全く盲点によって隠されてしまっていたのです。だが、一度子供というものに気づくと、花瓶の謎はたちどころに解決する。あの花瓶は小さいけれど、十歳の子供なら隠れることができるかもしれない。そして大風呂敷で包んでおけば、花瓶の中は見えないし、風呂敷の結び目のたるみから出入りすることができる。はいったあとでそのたるみを、中から直して花瓶の口を隠すようにしておけばいいのですからね。魔法は花瓶そのものにあったのではなくて、中へはいる人間のがわにあったのです」

 諸戸の推理は、一糸の乱れもなく、細かい順序を追って、まことに巧妙に進められて行った。だが私はここまで聞いても、まだなんとなく不服である。その心が表情に現われたのか、諸戸は私の顔を見つめて、さらに語りつづけるのであった。

「初代さんの事件には、犯人の出入口の不明なことのほかに、もう一つ重大な疑問があったね。忘れはしないでしょう。なぜ犯人が、あんな危急の場合に、チョコレートの罐なぞを持ち去ったかということです。ところが、この点も、犯人が十歳の子供であったとすると、わけなく解決できる。美しい罐入りのチョコレートは、その年ごろの子供にとって、ダイヤモンドの指環や、真珠の首飾りにもまして、魅力のある品ですからね」

「どうも僕にはわかりません」私はそこで口をはさまずにはいられなかった。「チョコレートの欲しいような、あどけない幼児が、どうして罪もないおとなを、しかも二人まで殺すことができたのでしょう。お菓子と殺人との対象があんまり滑稽じゃありませんか。この犯罪に現われた極度の残忍性、綿密な用意、すばらしい機智、犯行のすぐれた正確さなどを、どうしてそんな小さな子供に求めることができましょう。あなたのお考えは、あまりうがちすぎた邪推ではないでしょうか」

「それは、子供自身がこの殺人の計画者であったと考えるから変なのです。この犯罪はもちろん子供の考え出したことではなく、背後に別の意志がひそんでいる。ほんとうの悪魔が隠れている。子供はただよく仕込まれた自動機械にすぎないのです。なんという奇抜な、しかし身の毛もよ立つ思いつきでしょう。十歳の子供が下手人だとは、誰も気がつかぬし、たとえわかったところで、おとなのような刑罰を受けることはない。ちょうど、かっぱらいの親分が、いたいけな少年を手先に使うのと同じ思いつきを、極度におし拡めたものといえましょう。それに子供だからこそ、花瓶の中へ隠して安全に担ぎ出すこともできたし、用心深い深山木氏を油断させることもできたのです。いくら教え込まれたにしろ、チョコレートに執着するような無邪気な子供に、果たして人が殺せるかというかもしれませんが、児童研究者は、子供というものは、案外にも、おとなに比べて非常な残忍性を持っていることを知っています。蛙(かえる)の生皮をはいだり、蛇を半殺しにして喜ぶのは、おとなの同感しえない子供特有の趣味です。そしてこの殺生には全然なんの理由もないのです。進化論者の説によると、子供は人類の原始時代を象徴していて、おとなより野蛮で残忍なものです。そういう子供を、自動殺人機械に選んだ蔭の犯人の悪智恵には、実に驚くじゃありませんか。君は十歳やそこいらの子供をいかに訓練したところで、これほどまで巧みな殺人者に仕上げることは不可能だと考えているかもしれない。なるほど、非常にむずかしいことです。子供は全く物音を立てぬように縁の下をくぐり、上げ板から初代さんの部屋に忍び込み、相手が叫び声を立てる暇もないほど手早く、しかも正確に彼女の心臓を刺し、再び道具屋に戻って、一と晩じゅう、花瓶の中で窮屈な思いに耐えなければならなかった。また海岸では、三人の見知らぬ子供と戯れながら、その子供らに少しも気づかれぬあいだに、砂の中の深山木氏を刺し殺さなければならなかった。十歳の子供に、果たしてこの難事がなしとげられたであろうか。又たとえなしとげたにしても、あとで誰にも悟られぬように固く秘密を守ることができたであろうか、と考えるのは一応もっともです。しかし、それは常識にすぎません。訓練というものがどれほど偉い力を持っているか、この世にはどんな常識以上の奇怪事が存在するかを知らぬ人の言い草です。シナの曲芸師は五、六歳の子供に、股のあいだから首を出すほどもそり返る術を教え込むことができるではありませんか。チャリネの軽業師は、十歳に足らぬ幼児に、三丈も高い空中で、鳥のように撞木(とまりぎ)から撞木へ渡る術を教え込むことができるではありませんか。ここに一人の極悪人がいて、あらゆる手段をつくしたならば、十歳の子供だって殺人の奥義を会得しないと、どうして断言することができましょう。また、噓をつくことだって同じです。通行人の同情をひくために、乞食に雇われた幼児が、どんなに巧みにひもじさを装い、そばに立っているおとな乞食を、さも自分の親であるかのごとくに装うことができるか。君はあの驚くべき幼年者の技巧を見たことがありますか。子供というものは、訓練の与え方によっては、決しておとなにひけをとるものではないのですよ」

[やぶちゃん注:「チャリネ」平凡社「世界大百科事典」の「日本サーカス」の記載に、明治一九(一八八六)年にイタリアのチャリネ曲馬師のサーカスが渡来し、西洋曲馬・西洋軽業・象とトラの演芸・空中ブランコなどを演じた。それまでの日本の軽業・足芸・曲馬などの見世物は、それぞれが芸種別の一座を組み、個々の興行形態を持つものであったのに比べて、外国のサーカスは規模も大きく、芸種も豊富であったことから、大評判を呼んだ、とある。ウィキの「サーカス」によれば、イタリアのチャリネ曲馬団の『東京での初演は秋葉原の火除け地であった』とあり、『この公演に強い衝撃を受けた五代目尾上菊五郎は『鳴響茶利音曲馬』という猛獣使いなどが登場する歌舞伎を上演している』とある。その後、『日本人のサーカスとしては』、まさにその『チャリネ一座から名前をと』って、明治三二(一八九九)年に『山本政七らによって設立された「日本チャリネ一座」が最初であるとされる。日本チャリネ一座では馬や象、熊なども用いて曲芸や猛獣芸などを披露した。その後、大正末から昭和にかけて有田サーカス・木下大サーカス・シバタサーカスなどが続々と創立し、人気を博した』但し、『各団体が「サーカス」の呼称で名乗るようになるのは、昭和八(一九三三)年の『ハーゲンベック・サーカス』(Hagenbeck-Wallace Circus)『の来日以後のことである』。昭和二三(一九四八)年に「児童福祉法」が『制定され、「公衆の娯楽を目的として曲馬または軽業を行う業務」に満』満十五歳未満の『児童を使用する事が禁止された。これによって、年少期に芸を仕こまなければならないサーカスの手で芸の後継者を育てる事が困難となった。現在日本のサーカスで子供達が出演しないのは』、『この法によるものである』とある(下線太字やぶちゃん)。また、チャン助氏のサイト「見世物広場」の日本サーカス史によれば、チャリネは明治二二(一八八九)に再度、来日しており、『西洋曲馬と言えばチャリネと言わしめるほどの大きな反響を残し、以降サーカスをチャリネと呼ぶ人もあった』とあり、『その後も大きな興行団ではない』ものの、『外人曲馬師たちが来日してい』るとあり、明治四〇(一九〇七)年『前後、曲馬と軽業を組み合わせて最初に全国巡業を行ったのは』「益井商會興行部」という組織で『経営者益井喜蔵はサーカス興行の面で進歩的な運営をし、時流に即した西洋曲馬の芸を充実した物にしてい』き、『明治末から大正にかけて規模の大きかった一座は、益井サーカス、大竹サーカス、柿岡サーカスといわれ、これらの曲馬団が日本の近代サーカスの基盤を創りあげ』たとある。ここで諸戸の言っているのは、まず原点であるイタリアのチャリネ一座を指していると読むべきである。また、乱歩が一見古めかしく「曲馬団」と称していたのは、娯楽興行一座の歴史的事実、というより、本篇発表当時(昭和四(一九二九)年)は未だサーカスという呼称を本邦の一座が用いていなかったという当り前の事実に拠るものなのである。]

 諸戸の説明を聞くと、なるほどもっともだとは思うけれど、私は無心の子供に、血みどろな殺人罪を犯させたという、この許すべからざる極悪非道を、にわかに信じたくはなかった。何かまだ抗弁の余地がありそうに思われて仕方がないのだ。私は悪夢から逃れようともがく人のように、あてもなく部屋中を見廻した。諸戸が口をつぐむと、にわかにシーンとしてしまった。比較的賑やかなところに住みなれた私には、その部屋が異様な別世界みたい思われた。暑いので窓は少しずつ開けてあったけれど、風が全くないので、そとの闇夜が、何かまっ黒な厚さの知れぬ壁のように感じられるのであった。

 私は問題の花瓶に眼をそそいだ。これと同じ花瓶の中に、少年殺人鬼が、一と晩のあいだ身をかくしていたのかと想像すると、なんともいえぬいやな暗い感じにおそわれた。同時に、なんとかして、諸戸のこのいまわしい想像を打ち破る方法はないものかと考えた。そして、じつと花瓶を眺めているうちに、私はふとある事柄に気づいた。にわか元気な声で反対した。

「この花瓶の大きさと、海岸で見た四人の子供の背たけと比べて見ると、どうも無理ですよ。三尺たらずの壺の中へ三尺以上の子供が隠れるということは、不可能です。中でしゃがむとしては幅が狭すぎるし、第一の小さな口からいくら瘦せた子供にもしろ、ちょっとはいれそうにも見えぬではありませんか」

「僕も一度同じことを考えた。そして実際同じ年頃の子供を連れてきて、試して見さえした。すると、予想の通り、その子供にはうまくはいれなかったが、子供のからだの容積と、壺の容積とを比べてみると、もし子供がゴムみたいに自由になる物質だとしたら、充分はいれることが確かめられた。ただ人間の手足や胴体が、ゴムみたいに自由に押し曲げられぬために、完全に隠れてしまうことができないのです。そして、子供がいろいろにやっているのを見ているうちに、僕は妙なことを連想した。それはずっと前に、誰かから聞いた話なんですが、牢破りの名人というものがあって、頭だけ出し入れする隙間さえあれば、からだをいろいろに曲げて、むろんそれにほ特別の秘術があるらしいのだが、ともかくその穴から全身抜け出すことができるのだそうです。そんなことができるものとすれば、この花瓶の口は、十歳の子供の頭より大きいのだし、中の容積も充分あるのだから、ある種の子供にはこの中へ隠れてしまうことが、全く不可能ではあるまいと考えた。では、どんな種類の子供にそれができるかというと、すぐに連想するのは、小さい時から毎日酢を飲まさせられて、からだの節々がクラゲみたいに自由自在になっている、軽業師(かるわざし)の子供です。軽業師といえば、妙にこの事件と一致する曲芸がある。それはね、足芸で、足の上に大きな壺をのせ、その中へ子供を入れて、クルクル廻す芸当です。見たことがありましょう。あの壺の中へはいる子供は、壺の中で、いろいろからだを曲げて、まるで鞠みたいにまんまるになってしまう。腰の辺から二つに折れて、両膝のあいだへ頭を入れている。あんな芸当のできる子供なら、この花瓶の中へ隠れることも、さして困難ではあるまい。ひょっとしたら、犯人はちょうどそんな子供があったので、この花瓶のトリックを考えついたのかもしれない。僕はそこへ気づいたもんだから、友だちに軽業の非常に好きな男があるので、早速(さっそく)聞き合わせてみると、ちょうど鶯谷の近くに曲馬団がかかっていて、そこで同じ足芸もやっていることがわかった」

 そこまで聞くと、私は悟るところがあった。この会話のはじめのほうで、諸戸が子供の客があるといったのは、多分その曲馬団の少年軽業師であって、私がいつか鶯谷で諸戸を見たのは、彼がその子供の顔を見きわめるために行っていたのだということである。

「で、僕はすぐその曲馬団を見物に行ってみたところが、足芸の子供が、どうやら鎌倉の海岸にいた四人のうちの一人らしく思われる。ハッキリした記憶がないので断定できないけれど、ともかく、この子供を調べてみなければならないと思った。目的の子供が東京にいたというのは、あの四人のうちで一人だけ東京から海水浴にきていた子供のあったことと一致するわけですからね。だが、うっかり手出しをしては、相手に用心させて、真の犯人を逃がしてしまう虞(おそ)れがあるので、非常に迂遠(うえん)な方法だけれど、僕は自分の職業を利用して、子供だけをそとへつれ出すことを考えた。つまり医学者として軽業師の子供の畸形的に発育した生理状態を調べるのだから、一と晩貸してくれと申し込んだのです。それには、興行界に勢力のある親分を抱き込んだり、座主に多分のお礼をしたり、子供には例の好物のチョコレートをたくさん買ってやる約束をしたり、なかなか骨が折れたのですが」と諸戸は言いながら窓際の小卓(テーブル)にのせてあった紙包みをひらいて見せたが、その中にはチョコレートの美しい罐や紙函が三つも四つもはいっていた。「やっと今晩その目的を果たして、軽業少年を単独でここへ引っぱってくることができた。食堂にいる客さんというのは、すなわちその子供なんですよ。だが、さっき来たばかりで、まだなにも尋ねていない。海岸にいたと同じ子供かどうかも、ハッキリわかっていないのですよ。ちょうど幸いだ。君と二人でこれから調べてみようではありませんか。君ならあの時の子供の顔を見覚えているだろうから。それに、この花瓶の中へはいれるかどうかを、実際にためして見ることもできますしね」

 語り終って諸戸は立ち上がった。私を伴なって食堂へ行くためである。諸戸の探偵談は、この世にありそうもない、まこと異様な結論に到達したのであったが、しかし私は非常に複雑でいながら、実に秩序整然たる彼の長談議に、すっかり堪能した形で、今はもはや異議をはさむ元気もうせていた。私たちは小さいお客さまを見るために、椅子を離れて廊下へと出て行った。

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