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2017/11/14

江戸川乱歩 孤島の鬼(31) 殺人遠景

 

   殺人遠景

 

 今や私は一篇の冒険小説の主人公であった。

 二人を送り出して、今まで徳さんの息子が着ていた磯臭いボロ布子を身につけると、私は小屋の窓際にうずくまって、障子の蔭から眼ばかり出して、小舟の行手を見守っていた。

 牛の寝た姿の岬は、夕もやに霞んで、黒ずんだ海が、鼠色の空と溶け合い、空には一つ二つ星の光さえ見えた。風が凪いで海面は黒い油のように静かであったが、ちょうど満ち潮時で、例の魔の淵の辺は、遠目にも海水が渦をなして、洞窟の中へ流れ込んでいるのが見えた。

 小舟は凹凸(おうとつ)のはげしい断崖に沿って、隠れたかと思うとまた切り岸の彼方に現われて、だんだん魔の淵へ近づいて行った。数丈の断崖は、まっ黒な壁のようで、その下を、おもちゃみたいな小舟が、あぶなげに進んで行く。時たま海面を伝わって、虫の鳴くような艪(ろ)の音が聞こえてきた。徳さんも、息子の洋服姿も、夕闇にぼかされて、もう豆のような輪廓だけしか見えなかった。

 もう一つ岩鼻を曲ると、魔の淵のほら穴にさしかかる。ちょうどその角に達したとき、私はふと小舟の真上の切り岸の頂上に、何かしらうごめくもののあるのに気づいた。ハッとして見直すと、それはまぎれもなく一人の男、しかも背中が瘤のようにもり上がった佝僂の老人であることがわかった。あの醜い姿をどうして見ちがえるものか。たしかに丈五郎だ。だが、諸戸屋敷の主人公が、今ごろ何用あって、あんな断崖の縁へ出てきたのであろう。

 その佝僂男は、鶴嘴(つるはし)のようなものを手にして、うつむいて熱心に何事かやっている。鶴嘴に力をこめるたびに、鶴嘴のほかに、動くものがある。よく見ると、それは断崖の端に危なく乗っている一つの大岩であることがわかった。

 ああ、読めた。丈五郎は、徳さんの舟がちょうどその下を通りかかるおりを見計らって、あの大岩を押し落とし、小舟を顚覆させようとしているのだ。危ない。もっと岸を離れなければ危ない。だがここから叫んだところで、徳さんに聞こえるはずもない。私はみすみす丈五郎の恐ろしい企らみを知りながら、犠牲者を救う道がないのだ。天運を祈るほかにせんすべがないのだ。

 佝僂の影が一つ大きく動いたかと見ると、大岩がグラグラと揺れて、アッと思う間に、非常な速度で、岩角に当たっては、無数のかけらとなって飛び散りながら、小舟を目がけて転落して行った。

 大きな水煙が上がって、しばらくするとガラガラという音が、私のところまで伝わってきた。

 小舟は丈五郎の図に当たって顚覆した。二人の乗り手は影もない。岩に当たって即死したのか。それとも舟を捨てて泳いでいるのか。残念ながら遠目にはそこまでわからぬ。

 丈五郎はと見ると、執念深い佝僂男は、ただ舟を顚覆しただけではあきたらぬとみえ、恐ろしい勢いで鶴嘴を使い、次から次とその辺の大岩小岩を押し落としている。すると、まるで海戦の絵でも見るように、海面一帯に幾つもの水煙が立ちのぼっては崩れるのだ。

 やがて、彼は鶴嘴の手をやめて、じつと下の様子をうかがっていたが、犠牲者の最期を見届けて安心したのか、そのまま向こうへ立ち去った。

 すべては一瞬間の出来事だった。そして、あまりに遠いので、何かしらおもちゃの芝居みたいで、可愛らしい感じがして、二人の生命を奪ったこの悲惨事が、それほど恐ろしいこととは思えなかった。だが、これは夢でも幻でもない、厳然たる事実なのだ。徳さんと息子とは、人鬼の奸計によって、おそらくは魔の淵の藻屑と消えてしまったのだ。

 今こそ丈五郎の悪企みがわかった。彼は最初から私をなきものにするつもりだったのだ。それを屋敷内で手を下しては何かと危険だものだから、舟にのせて、島との縁を切っておいて、舟の通路になっている断崖の上に待ち伏せ、魔の淵の迷信を利用して、徳さんの舟が、人間以上のものの魔力によって転覆したように見せかけようとしたのだ。それゆえ、彼は便利な銃器を使わず、難儀をして大岩を押し落としたのである。

[やぶちゃん注:「何かと危険だものだから」「だ」はママ。言い回しとしては誤りとは言えない。私は使わないが。]

 渡船をほかの漁師に頼まず、不仲の徳さんを選んだのにも理由があった。彼は一石にして二鳥を落とそうとしたのだ。彼の悪事を感づいている私をなきものにすると同時に、以前の召使いで彼に反旗をひるがえした、それゆえ、彼の所業をある程度まで知っている徳さんを、事のついでに殺してしまおうと企らんだのだ。そして、それが見事図に当たったのだ。

 丈五郎の殺人は、私の知っているだけでも、これでちょうど五人目である。しかも、よく考えてみると、恐ろしいことに、その五つの場合は、ことごとく、間接ながら、この私が殺人の動機を作ったといってもよいのだ。初代さんは私がなかったら諸戸の求婚に応じたかもしれない。諸戸と結婚さえすれは、彼女は殺されなくてすんだのだ。深山木氏は、いうまでもなく、私さえ探偵を依頼しなければ、丈五郎の魔手にかかるようなことはなかった。少年軽業師もそうだ。また徳さんにしろ、その息子にしろ、私がこの島へこなかったら、また影武者なぞを頼まなかったら、まさかこんなみじめな最期をとげることはなかったであろう。

 考えるほど、私は空恐ろしさに身震いした。そして、殺人鬼丈五郎を憎む心が、きのうに幾倍するのをおぼえた。もう初代さんのためばかりではない、ほかの四人の霊のためにも、私はあくまでこの島に踏みとどまって、悪魔の所業をあばき、復讐の念願をとげないではおかぬ。私の力はあまりにも弱いかもしれない。警察の助力を乞うのが万全の策かもしれない。だが、この稀代の悪魔が、ただ国家の法律で審(さば)かれたのでは満足ができない。古めかしい言葉ではあるが、眼には眼を、歯には歯を、そして、やつの犯した罪業と同じ分量の苦痛をなめさせないでは、此の私の腹が癒(い)えぬのだ。

 それには、丈五郎が私をなきものにしたと思いこんでいるのを幸い、先ずできるだけ巧みに、徳さんの息子に化けおおせて、彼の眼を逃れることが肝要だ。そして、ひそかに土蔵の中の道雄としめし合わせて、復讐の手段を考えるのだ。道雄としても、今度の殺人を聞いたなら、それでも親の味方をしようとはいわぬであろう。また、たとえ道雄が不同意でも、そんなことに構ってはおられぬ。私はあくまでも念願を果たすために努力する決心だ。

 仕合わせなことに、その後、幾日たっても、ふたりの死骸は発見されなかった。おそらく、魔のほら穴の奥深く吸いこまれてしまったのでもあろう。私は首尾よく徳さんの息子に化けおおせることができた。もっとも、いつまでたっても徳さんの舟が帰らぬので、不審がって私の小屋を見舞いにくる漁師もないではなかったが、私は病気だといって、部屋の隅の薄暗いところに二つ折の屏風(びょうぶ)を立てて、顔をかくしてごまかしてしまった。

 昼間はたいてい小屋にとじこもって人目を避け、夜になると、闇にまぎれて私は島中を歩き廻った。土蔵の窓の道雄や秀ちゃんを訪ねるのはもちろん、島の地理に通暁しておいて、何かのおりに役に立てることを心掛けた。諸戸屋敷の様子に心を配ったのはいうまでもないが、時には、人なきおりを見すまして門内に忍び入り、開かずの部屋の外側に廻って、密閉された戸の隙間から、内部の物音の正体を窺いさえした。

 さて読者諸君、私はかようにして、無謀にも、世にたぐいなき殺人魔を向こうに廻して、戦いの第一歩を踏み出したのである。私の行手にどのような生き地獄が存在したか。どのような人外境が待ち構えていたか。この記録の冒頭に述べた、一夜にして私の頭髪を雪のようにした、あの大恐怖について書きしるすのも、さほど遠いことではないのである。

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