柴田宵曲 俳諧博物誌 (1) はしがき
[やぶちゃん注:本「俳諧博物誌」は昭和五六(一九八一)年八月日本古書通信社刊。底本は一九九九年岩波文庫刊の小出昌洋編「新編 俳諧博物誌」を用いたが、「虫の句若干」の冒頭注で述べた通り、大幅な変更処理を施してあるので、必ず参照されたい。一部の引用部は底本の字配を無視しているが(ブログ公開時のブラウザの不具合を防ぐ目的のみ)、一々注さない。この注は以下、繰り返さない。]
はしがき
はじめてジュウル・ルナアルの『博物誌』を読んだ時、これは俳諧の畠(はたけ)にありそうなものだと思った。『博物誌』からヒントを得たらしい芥川龍之介氏の「動物園」の中に、
雀
これは南畫(なんぐわ)だ。蕭々(せうせう)と靡(なび)いた竹の上に、消えさうなお前が揚(あが)つてゐる。黑ずんだ印(いん)の字を讀んだら、大明方外之人(だいみんはうぐわいのひと)としてあつた。
とあるのを読んだ後、『淡路嶋(あわじしま)』に
枯蘆(かれあし)の墨繪に似たる雀かな 荊花(けいくわ)
という句を発見して、その偶合に興味を持ったことがある。古今の俳句の中から、こういう俳人の観察を集めて見たら、日本流の博物誌が出来上るであろうが、今のところそんな事をやっている暇がない。墨絵の雀を手控(てびかえ)に書留めてから、已に何年か経過してしまった。
[やぶちゃん注:芥川龍之介の「動物園」の前後を一行空けた(以下の俳句以外の改行引用も同処理した。以下ではこの注を略す)またその引用は底本に従わず、私の岩波旧全集準拠の「動物園」の古い電子テクストに拠った。
「ジュウル・ルナアルの『博物誌』」私の偏愛するフランスの作家ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)が一八九六年に発表したアフォリズム風随想“Histoires naturelles”。私が如何に偏愛しているかは、私の古い電子テクスト「博物誌 ルナール 岸田国士訳(附原文+やぶちゃん補注版)」(ナビ派(Les Nabis:ヘブライ語「預言者」)のピエール・ボナール(Pierre Bonnard 一八六七~一九四七年)の挿絵全添付)をご覧になればお判り戴けるものと存ずる。
「大明方外之人」とは中国は「明の世捨て人」の意。
「淡路嶋」諷竹編になる俳諧選集。元禄一一(一六九八)年成立。全二冊。]
尤も俳諧におけるこの種の観察は、元来一部的な傾向である。ルナアル的観察といえば新しく聞えるようなものの、やはり擬人とか、見立(みたて)とかいう平凡な言葉で片付けられやすい。奇警な観察が第一の価値である以上、その顰(ひそみ)に倣(なら)う者は、どうしても様(よう)に依って胡蘆(ころ)を画(えが)くことになる。仮に陳腐を嫌って、一々新意を出すとしても、その新しさが観察の範囲を脱却し得ぬとすれば、俳諧の大道にはやや遠いものといわなければならぬ。ルナアルの成功は散文の世界にああいう観察と、短い表現を持込んだ点にあるので、そこに若干の智的分子を伴うだけ、俳句のような詩では純粋な作を得がたいのである。
[やぶちゃん注:「様(よう)に依って胡蘆(ころ)を画(えが)く」旧来の定まった様式に従って瓢簞(ひょうたん)を描くという意で、先例に従っているだけで創意工夫がまるでないことの批判的な譬え。宋の魏泰(ぎたい)の随筆「東軒筆録」を出典とする。]
最も手近な一例を挙あげるならば、
二つ折りの恋文が、花の番地を捜している。
というのが、『博物誌』の中の「蝶」であるが、元禄の俳人は同じく蝶に関して
封〆(ふうじめ)を蝶の尋(たずぬる)ぼたんかな 潭蛟(たんこう)
の句を遺(のこ)している。一は蝶の形を二つ折の恋文と見立て、一は牡丹ほたんの封〆を蝶が尋ねると観察したのだから、その内容は同一でないにかかわらず、この両者は異曲にして同工と見るべき点がある。しかも潭蛟の句は牡丹の句としても、蝶の句としても竟ついに記憶されるほどのものではない。
[やぶちゃん注:「二つ折りの恋文が、花の番地を捜している」宵曲はあたかも自分が訳したように平然と記しているが、これは明らかに岸田国士訳(昭和一四(一九三九)年白水社刊初訳)のそれである。柴田のこういうやり口は許されるものではない。なお、原文は以下。
*
LE
PAPILLON
Ce billet doux plié en deux cherche une
adresse de fleur.
*]
搗立(つきたて)に白粉かけてや春の月 露川
眞中に一目置くや今日の月 十竹(じつちく)
この二句はいずれも月を題材にしている。搗立の餅のすべすべした上に白粉をかける、それを朧(おぼろ)なる春の月に見立てたので、餅の形の丸いことから、月の完円なることを示しているのかも知れない。「眞中に」というのは碁盤の見立である。碁盤の真中に一つ碁石を置く。天心に懸かかる月をその一目の石と見たのだから、その形容からいって当然白石の方であろう。餅とか、碁盤とかいうことを文字に現さぬのは、作者として用意の存する所であるかどうか。譬喩(ひゆ)は一々説明してかからぬ所に面白味があるかと思うが、それだけまた智的に想像せしむる傾(かたむき)を免れぬ。
人も巢に顔出してゐる紙帳(しちやう)かな 馬泉
紙帳から首ばかり出している人の形を、鳥の巣から鳥が首を出しているかの如く見立てたのであるが、「人も巣に」の語は少しく窮した感がある。巣の一字だけで鳥の巣にすることも、この場合無理といえば無理であろう。
[やぶちゃん注:紙をはり合わせて作った蚊帳(かや)。季語としては夏であるが、防寒用にも用いた。]
夕ばえの半襟(はんえり)赤き燕(つばめ)かな
紫筍母(しじゆんのはは)
蒲(がま)の穗や明(あけ)て狐のとぼしさし
扶浪(ふらう)
燕の衿許(えりもと)の赤いのを半襟に見立てたのは、さすがに女らしい観察である。蒲の穂の形は蠟燭に似ている。狐には狐火というものがあるところから、「明て狐のとぼしさし」といい、夜が明けて火の消えた蠟燭と見たのである。蒲の穂を蠟燭に見立てた句は他にもあったと思うが、狐火を取合せて「とぼしさし」の蠟燭にしたのがこの句の趣向であろう。但(ただし)信州方面には蒲の穂を「狐の蠟燭」と呼ぶ土地があるそうだから、もし元禄時代からそんな名称があったとすれば、作者の働きは少くなる。蒲の穂を乾かして油に浸すと、よく燃えるという話もある。いろいろな因縁は具(そなわ)っているが、この句も遺憾ながら智的な興味に堕している。
蒲公英(たんぽぽ)の夕べ白骨と成(なり)にけり 桐花
蒲公英の花が白い穂綿(ほわた)のようになったのを捉えたので、明(あきらか)に「朝(あした)に紅顔夕(ゆうべ)に白骨」ということを蹈ふまえている。ただ白骨はいささか強過ぎる。「たんぽゝもけふ白頭に暮の春」という句は雅馴(がじゅん)であるのみならず、蒲公英の形容としても白頭の方が遥(はるか)に適切である。
[やぶちゃん注:「朝(あした)に紅顔夕(ゆうべ)に白骨」朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて夕べには白骨(はっこつ)となる」この世は無常であって人の生死(しょうじ)は予測出来ぬことを言う成句。後に蓮如が「御文章」で用いたのが知られるが、「和漢朗詠集 下 無常」の
*
朝(あした)に紅顏(こうがん)あて世路(せいろ)に誇れども 暮(ゆふべ)に白骨(はくこつ)となて郊原(かうぐゑん)に朽ちぬ 義孝(よしたかの)少將
朝有紅顏誇世路 暮爲白骨朽郊原 義孝少將
*
が原出典である。]
うづみ火も冬の雨夜の螢かな 鼠彈
石摺(いしずり)のうらや斑(まだら)に夜の雁(かり)
露川
燒飯に毛のはえて飛(とぶ)鶉(うづら)かな
昆綱
何船ぞかまぼこうかぶ浦の雪 金水(きんすい)
臍の緒の蔓も枯(かれ)ゆく瓠(ひさご)かな
兎格
まだ必要があればいくらでも挙げ得るが、この種の句の見本としては先ずこんなところでよかろうと思う。以上は手許の俳書から目についたままを抽き出したので、もっと丹念に捜したら、多少は面白いものが出て来るかも知れぬが、畢竟こうした観察によって本筋の句の得にくいことを示せば足るのである。「俳諧博物誌」と銘打ったのは、決してルナアル的観察に終始するわけではない。これを冒頭として各方面にわたる俳句の世界を一瞥しようというので、フランスの『博物誌』とは縁の遠いものになりそうである。もともと博物だから、大概なものは包含される理窟だけれども、結果は恐らく羊頭狗肉におわるであろう。いささか由来書を述べて前口上とする。