江戸川乱歩 孤島の鬼(22) 恐ろしき恋
恐ろしき恋
秀ちゃんと吉ちゃんの心のことを書きます。
前に書いたように、秀ちゃんと吉ちゃんは、からだは一つです、心は二つです。切りはなしてしまえば、べつべつの人間になれるほどです。わたしは、だんだんいろいろなことがわかってきたものですから、いままでのように、両方とも自分だとおもうことが少しになって、秀ちゃんと吉ちゃんは、ほんとうはべつべつの人間だけれど、ただお尻のところでくっついているだけですとおもうようになってきました。
それで、おもに秀ちゃんの心のほうを書きますが、その心をかくさずに書くと、吉ちゃんのほうがおこるにきまっております。吉ちゃんは、字が秀ちゃんのようによめませんから、少しはいいけれど、それでもこのごろはうたがいぶかいからしんぱいです。
それで、秀ちゃんは、吉ちゃんがねむっているあいだに、そっとからだをまげて、ないしょで書くことにしました。
まずはじめから書きます。小さいときは、かたわですから、おもうようにならないものですから、それがはらがたって、わがままをいいあって、けんかばかりしておりましたが、心がくるしかったり悲しかったりすることはありませなんだ。
かたわということが、ハッキリわかってからは、けんかをしても、今までのようにひどいけんかはしませなんだ。それでも、だんだんちがった、心のくるしいことができてきました。秀ちゃんは、かたわというものがきたなくてにくいとおもいました。それですから自分がきたなくてにくいのです。そして、いちばんきたなくてにくいのは、吉ちゃんです。吉ちゃんの顔やからだが、いつでもいつでも、秀ちゃんのよこにちゃんとくっついているかとおもうと、いやでいやで、にくらしくてにくらしくて、なんともいえないきもちになりました。吉ちゃんのほうでも同じでしょうとおもいます。それで、ひどいけんかはしませんかわりに、心のなかでは、いままでのなんばいもけんかをしておりました。(中略)
わたしのからだの半分ずつが、どこやらちがっていることを、ハッキリ心におもうようになったのは、一年ぐらいまえからです。タライでからだをあらうときに、一ばんよくわかりました。吉ちゃんのほうは、顔がきたないし、手も足も力がつよくてゴツゴツしています。色もくろいのです。秀ちゃんのほうは色がしろくて、手や足がやわらかいし、二つの丸い乳がふくらんでいるし。それから……
吉ちゃんのほうが男で、秀ちゃんのほうが女ということは、ずっとまえから助八さんにきいて知っていましたが、そのわけが一年ぐらいまえから、わかりかけてきましたのです。「思出の記」のいままでわからなんだところが、たくさんわかってきました。〔註、いわゆるシャム兄弟のように、癒合双体(ゆごうそうたい)が生存を保った例がないではないが、この記事の主人公の場合は、医学上はなはだ解しがたい点がある。賢明な読者諸君はすでに或る秘密を推察されたであろう〕
[やぶちゃん注:「シャム兄弟」結合双生児(凡そ五万から二十万の出生当たりで一組程度の割合で発生するとされる)の異称のようにされてしまった、タイのサムットソンクラーム県出身のチャンとエンのブンカー兄弟(英語表記:Chang and Eng Bunker 一八一一年~一八七四年)のこと。ウィキの「シャム兄弟」より引く。彼らに正面から向かって左側が兄のチャン、右側が弟のエンである。リンク先には若い時と晩年の二人(専用着衣着用)の写真がある。二人は『胸部と腹部の中間付近で結合していた。結合部がある程度』、『伸縮し、正面での結合でありながら』かなり自然な形で『横に並ぶこともできた。そのため』、『側面結合と誤解されることもある。この結合部に肝臓が存在』し、二『人が唯一共有していた部分であった。結合部に肝臓があることが問題となったのか、当時の医療では分離手術は難しいとされ』、二『人は生涯結合したままであった(現在ならば分離は容易である)』『父は中国人の漁師、母は中国人とマレー人のハーフであった。このため、地元タイでは中国人という認識であったらしい。タイにいた当時、彼らにはまだ姓がなかった』。一八二九年、十八歳の時に『イギリス人に発見されて引き取られる。その後、サーカスの見世物として欧米を巡業した』。二『人がサーカスの見世物として巡業していた時に「The Siamese Twins」(シャム人の双子、シャムとは現在のタイ)と名乗ったのが「シャム双生児」という言葉が生まれた最初であり、以後』、『結合双生児を指して普遍的にこの言葉が使われるようになった』(この名が独り歩きすると、特にシャムで結合双生児が多かったという全くの誤解を生む虞れもあるから、この異名は使用されるべきではない)。一八三九年に二人は『サーカスを辞めてノースカロライナ州マウントエアリー(Mount Airy)に定住、アメリカの市民権を取り、「ブンカー」の姓を名乗った(この姓を名乗った理由は不明)。そして』十年後の一八四九年には、『それぞれ普通の女性(姉妹)と結婚、チャンは』十一名の、エンは十名の子を儲けている。二人は『同地でプランテーションを経営した』一八七四年(本邦では明治七年相当)一月十七日『未明に兄のチャンが気管支炎で死亡しているところを起床した弟のエンが気づき、チャンの妻や親族を呼び寄せ、体の関節がひどく痛むことを訴えた。しかしエンも約』三『時間後に、兄の後を追う形で死亡した』六十二歳は』現在でも結合双生児としてはかなりの長寿である』とある。]
ふたりの人間のくっついたかたわだものですから、わたしは一日に五ども六ども、あたりまえの人の倍も梯子をおりて……(中略)
そのうちに、秀ちゃんのほうに今までとちがったことがおこってきました。(中略)わたしはびっくりして、死ぬのではないかとおもって、ワァワァ泣きだしました。助八さんがきて、わけをいってくださるまでは、心配で、しっかりと吉ちゃんのくびにしがみついておりました。
吉ちゃんのほうにも、もっともっとちがったことがおこってきました。吉ちゃんのこえがふとくなって、助八さんのこえのようになってきたのです。そして、吉ちゃんの心がひどくかわってきたのです。
吉ちゃんは手の指でも、力はつよいけれど、こまかいことはできません。三味線でも、秀ちゃんみたいに、かんどころがよくわかりませんし、歌でも、こえが大きいばかりで、ふしがへんです。そのわけは、吉ちゃんの心があらくて、こまかいことが、よくわからないためでしょうとおもいます。それですから、秀ちゃんが十ものを考えるあいだに、吉ちゃんは一つぐらいしか考えられません。そのかわりに、考えたことを、すぐしゃべったり、手でやったりいたします。
吉ちゃんはあるとき「秀ちゃんは、いまでもべつべつの人間になりたいか。ここのところを切りはなしたいか。吉ちゃんは、もうそんなことはしたくないよ。こんなふうにくっついているほうが、よっぽどうれしいよ」といいました。そして、涙ぐんで、赤いかおをしました。
なぜか知りませんが、そのとき秀ちゃんも顔があつくなってきました。そして、今まで一ども知らなんだような、妙な妙なきもちがしました。
吉ちゃんは、少しも秀ちゃんをいじめないようになりました。ガラスのまえでお化粧するときにも、朝、顔をあらうときにも、夜、フトンをしくときにも、少しもじゃまをしませんで、おてつだいをしました。何かすることは、みんな「吉ちゃんがするからいいよ」といって、秀ちゃんがらくなようにらくなようにと気をつけるのです。
秀ちゃんが、三味線をひいて、歌をうたっておりますと、吉ちゃんは、今までのように、あばれたり、どなったりしませんで、じつとして、秀ちゃんの口のうごくのを、見つめておりました。秀ちゃんが髪をむすぶときでも、同じでした。そして、うるさいほど、「吉ちゃんは秀ちゃんが好きだよ。ほんとうに好きだよ。秀ちゃんも吉ちゃんが好きだろう」と、いつもいつもいいました。
今まででも、左がわの吉ちゃんの手や足が、右がわの秀ちゃんのからだにさわることはたくさんありましたが、同じさわるのでもちがったさわりかたをするようになりました。ゴツゴツとさわるのではありませんで、虫がはっているように、ソッとなでたり、つかんだりします。それですけれども、そこのところが熱くなって、トントンと血のおとがわかるのです。
秀ちゃんは、夜、びっくりして、眼をさますことがあります。あたたかい生きものが、からだじゅうをはいまわっているようなきもちがして、ゾツとして眼をさますのです。夜はまっくらでわかりませんから、「吉ちゃんおきていたの」とききますと、吉ちゃんは、じっとしてしまって、返事もいたしません。左がわに寝ている吉ちゃんの、息や血のおとが、肉をつたわって、秀ちゃんのからだにひびいてくるばかりです。
ある晩、寝ているとき、吉ちゃんがひどいことをしました。秀ちゃんは、それから、吉ちゃんがきらいできらいでしようがないようになりました。殺してしまいたいくらいになりました。
秀ちゃんは、そのとき寝ていて息がつまりそうになって、死んでしまうのではないかとおもって、びっくりして眼をさましました。そうしますと、吉ちゃんの顔が秀ちゃんの顔の上にかさなって、吉ちゃんのくちびるが秀ちゃんのくちびるをおさえつけて、息ができぬようになっていたのです。けれども、吉ちゃんと秀ちゃんとは、腰のよこのところでくっついていますので、からだをかさねることができません。顔をかさねるのでも、よっぽどむずかしいのです。それを、吉ちゃんは、骨が折れてしまうほどからだをねじまげて、いっしょうけんめいに顔をかさねておりました。秀ちゃんの胸が横のほうからひどくおされるのと、腰のところの肉が、ちぎれるほど引っぱっているので、死ぬほどくるしいのです。秀ちゃんは「いやだいやだ吉ちゃん嫌いだ」といって、めちゃくちゃに、吉ちゃんの顔をひっかきました。それでも、吉ちゃんは、いつものように、けんかをしませんで、だまって顔をはなして寝てしまいました。
朝になりますと、吉ちゃんの顔がきずだらけになっていましたが、それでも吉ちゃんはおこりませんで、一日悲しい顔をしておりました。〔註、この不具者は羞恥を知らないので、このあと露骨な記事が多い。それらはすべて削除した〕
わたしひとりだけでかってに寝たりおきたり考えたりできたら、どんなにきもちがいいでしょうと、あたりまえの人間をうらやましくうらやましくおもいました。
せめて、本をよむときと、字を書くときと、窓から海のほうを見ているときだけでも、吉ちゃんのからだがはなれてほしいとおもいました。いつでもいつでも、吉ちゃんのいやな血のおとがひびいていますし、吉ちゃんのにおいがしていますし、からだをうごかすたんびに、ああ、私は悲しいかたわ者だとおもいだすのです。このごろでは、吉ちゃんのギラギラした眼が、顔のよこから、いつでも秀ちゃんを見ております。はないきの音がうるさくきこえますし、こわいようなにおいがしますし、私はいやでいやでたまりません。
あるとき吉ちゃんが、オンオン泣きながら、こんなことをいいました。それで、私は少し吉ちゃんがかわいそうになりました。
「吉ちゃんは秀ちゃんがすきですきでたまらんのに、秀ちゃんは吉ちゃんがきらいだもの、どうしよう、どうしよう。いくらきらわれても、はなれることはできんし、はなれなんだら、秀ちゃんのきれいな顔や、いいにおいがいつもしているし」といって泣きました。
吉ちゃんは、しまいにむちゃくちゃになって、私がいくらいやいやといっても、力ずくで、秀ちゃんをだきしめようとしますが、からだがよこにくっついているものですから、どうしてもおもうようになりません。それでわたしはいいきみだとおもいますが、吉ちゃんはよっぽどはらがたつとみえて、顔に一ぱい汗をだして、ギャアギャアどなっております。
それですから、よく考えてみますと、秀ちゃんも吉ちゃんも、同じように、かたわ者を悲しく悲しくおもっているのです。
吉ちゃんの一ばんいやなことを二つ書きます。吉ちゃんはこのごろ毎日ぐらい………………くせになりました。見るのがむねがムカムカするくらいですから、見ぬようにしておりますが、吉ちゃんのいやなにおいやむちゃくちゃなうごきかたがつたわってきますので、死ぬくらいいやにおもいます。
また、吉ちゃんは、力がつよいものですから、いつでも好きなときに、力ずくで、吉ちゃんの顔と秀ちゃんの顔とかさねて、秀ちゃんが泣きだそうとしても、口をおさえてこえのでぬようにします。吉ちゃんのギラギラする大きな眼が、秀ちゃんの眼にくっついてしまって、鼻も口もいきができぬようになって、死ぬほどくるしいのです。
それですから、秀ちゃんは、まいにちまいにち、泣いてばっかりおります。(中略)