江戸川乱歩 孤島の鬼(33) 神と仏
神と仏
さきほどから、たっぷり三十分はたっているので、もう大丈夫だろうと、私は岩蔭に身をひそめたまま、思いきって、小さく口笛を吹いてみた。諸戸を呼び出す合図である。
すると待ちかまえていたように、蔵の窓に諸戸の顔が現われた。
岩蔭から首を出して、大丈夫かと眼で尋ねると、諸戸は領いてみせたので、私は用意の手帳を裂いて、手早く丈五郎の不思議な仕草について書きしるし、その辺の小石を包んで、窓を目がけて投げこんだ。
しばらく待つと、諸戸の返事がきた。その文句。
僕は君の手紙を見て、非常な発見をした。喜んでくれたまえ。僕らの目的の一つは、間もなく成就することができそうだ。また、僕の身にさしあたり危険はないから安心したまえ。詳しく書いている暇はないが、ただ君にしてもらいたいことだけ書く。それによって、君は充分僕の考えを察することができよう。
⑴危険を冒さぬ範囲で、この島のあらゆる隅々を歩き廻り、何か祭ってあるもの、たとえば稲荷さまのほこらとか、地蔵さまとか、神仏に縁あるものを探し出して、知らせてください。
⑵近いうちに諸戸屋敷の雇人たちが、何かの荷物を積んで舟を出すはずだ。それを見つけたら、すぐに知らせてください。その時の人数も調べてください。
私はこの異様な命令を受取って、一応は考えてみたけれど、むろん諸戸の真意を悟ることはできなかったが、それ以上つぶて問答をくりかえしては危険なので、私は一応その場を立ち去った。
それから、諸戸の命令に従って、なるべく人家のないところ、人通りのないところと、まるで泥棒のように隠れまわって、終日島の中を歩いた。たとえ人に会っても化けの皮がはげぬよう、頰冠りをし、着物はむろん徳さんの息子の古布子(ふるぬのこ)で、手先や足に泥を塗って、ちょっと見たのではわからぬようにしてはいたが、それでも、昼ひなか、野外を歩きまわるのだから、私の気苦労は一と通りではなかった。それに、海辺とはいえ、八月の暑いさいちゅうに、炎天を歩きまわるのは、ずいぶん若しかったけれども、このような非常の場合、暑さなど気にしているひまはなかった。だが、そうして歩いて見てわかったことだが、この島はなんというさびれ果てた場所であろう。人家はあっても、人がいるのかいないのか、長いあいだ歩いていて、遠目に二、三人の漁師の姿を見たほかには、終日誰にも出あわないのだ。これなら何も用心することはない。
私はその夕方までに、島を一周してしまったが、結局、神仏に縁のあるらしいものを二つだけ発見した。
岩屋島の西がわの海岸で、それは諸戸屋敷とは中央の岩山を隔てて反対のがわなのだが、ほとんど人家はなく、断崖の凸凹が殊に烈しくて、波打際にさまざまの形の奇岩がそそり立っている。その中に一と際目立つ烏帽子(えぼし)型の大岩があって、その大岩の頂きに、ちょうど二見が浦の夫婦岩(みょうといわ)のように、石で刻んだ小さい鳥居が建ててある。何百年前、この島がもっと賑やかであったころ、諸戸屋敷のあるじが城主のような威勢をふるっていたころ、この海岸の平穏を祈るために建てられたものであろう。御影石の鳥居は薄黒い苔(こけ)に蔽われて今ではその大岩の一部分と見誤まるほどに古びていた。
もう一つは、同じ西がわの海岸の、その烏帽子岩と向き合った小高いところに、これも非常に古い石地蔵が立っていた。昔はこの島を一周して完全な道路ができていたらしく、ところどころにその跡が残っているのだが、石地蔵はその道路に沿って道しるべのように立っているのだ。むろんお詣りする人なぞはないものだから、奉納物もなく、地蔵尊というよりは、人間の形をした石ころであった。眼も鼻も口も磨滅して、のっペらぼうで、それが無人の境にチョコンと立っている姿を見たときには、ギョッとして思わず立ち止まったほどである。台座にかなり大きな石が使ってあるので、ころびもせずに、幾年月を元の位置に立ち尽していたものであろう。
あとで考えたことだけれど、この石地蔵は、昔は島の諸所に立っていたものらしく、現に北がわの海岸などには、石地蔵の台座とおぼしきものが残っていたほどである。それが子供のいたずらなどで、いつとなく姿を消して行き、最も不便な場所であるこの西がわの海岸の分だけが、幸運にもいまだに取り残されていたものにちがいない。
私の歩きまわったところでは、島じゅうに、神仏に縁のあるものといっては右の二つだけで、そのほかには諸戸屋敷の広い庭に、何さまのほこらだか知らぬけれど、可なり立派なおやしろが建ててあったのを覚えているくらいである。だが、諸戸が私に探せといったのは、諸戸屋敷の内部のものではなかったであろう。
烏帽子岩の鳥居は「神」である。石地蔵は「仏」である。神と仏。ああ、私はなんだか諸戸の考えがわかりだしてきたようだ。それはいうまでもなく、例の呪文のような暗号文に関連しているのだ。私はその暗号文を思い出してみた。
神と仏がおうたなら
巽(たつみ)の鬼をうちやぶり
弥陀(みだ)の利益(りやく)を
六道(ろくどう)の辻に迷うなよ
この「神」とは烏帽子岩の鳥居を指し、「仏」とは例の石地蔵を意味するのではあるまいか。それから、ああ、だんだんわかってきたぞ。この「鬼」というのは、けさ丈五郎が取りはずして行った、土蔵の屋根の鬼瓦に一致するのではないかしら。そうだ。あの鬼瓦は土蔵の東南の端にのせてあった。東南は巽の方角に当たるではないか。あの鬼瓦こそ「巽の鬼」だ。
呪文には「巽の鬼を打ち破り」とある。ではあの鬼瓦の内部に財宝が隠してあったのかしら。もしそうだとすれば、丈五郎はもうとっくに、あの鬼瓦を打ち割って、中の財宝を取り出してしまったのではあるまいか。
だが、諸戸がそこへ気のつかぬはずはない。丈五郎が鬼瓦を持ち去ったことは、私がちゃんと通信したのだし、その通信を読んで、彼ははじめて何事かに気づいたらしいのだから、この呪文にはもっと別の意味があるにちがいない。瓦を割るだけならば、第一の文句は不必要になってしまうのだから。
それにしても「神と仏が会う」というのは一体全体なんのことだろう。たとえその「神」が烏帽子岩の鳥居であり、「仏」が石地蔵であったとしたところで、その二つのものが、どうして会うことができるのであろう。やっぱりこの「神、仏」というのは、もっと全く別なものを意味しているのではあるまいか。
私はいろいろと考えてみたが、どうしてもこの謎を解くことはできなかった。ただきょうの出来事でハッキリしたのは、私たちがかつて東京の神田の西洋料理店の二階へ隠しておいた暗号文と、双生児の日記帳とを盗んだやつは、当時想像した通り、やっぱり怪老人丈五郎であったということである。そうでなければ、彼が鬼瓦をはずした意味を解くことができない。彼はそれまでは、庭を掘り返したりして、無闇に諸戸屋敷を家探ししていたのだが、暗号文を手に入れると、一生懸命にその意味を研究して、ついに「巽の鬼」というのが、土蔵の鬼瓦に一致することを発見したものにちがいない。
もしや丈五郎の解釈が図にあたって、彼はすでに財宝を手に入れてしまったのではあるまいか。それとも、彼の解釈には、非常な間違いがあって、鬼瓦の中には何もはいっていなかったのかもしれない。諸戸は果たしてあの暗号文を正しく理解しているのかしら。私はやきもきしないではいられなかった。