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2017/11/13

江戸川乱歩 孤島の鬼(25) 諸戸道雄の告白

 

   諸戸道雄の告白

 

 神田の洋食屋の二階で、無気味な日記帳を読んだ翌日、私は約束に従って池袋の諸戸の家を訪ねた。諸戸の方でも、私を待ち受けていたとみえ、書生がすぐさま例の応接室へ案内した。

 諸戸は室の窓やドアをすべて開けはなして「こうしておけば立ち聞きもできまい」と言いながら、席につくと、青ざめた顔をして、低い声で、次のような奇妙な身の上話をはじめたのである。

「僕の身の上は誰にも打ちあけたことがない。実をいうと僕自身でさえハッキリはわからないくらいだ。なぜハッキリわからないかということを、君だけに話しておこうと思う。そして僕の恐ろしい疑いをはらす仕事に、君にも協力してもらいたいのだ。その仕事というのは、つまり初代さんや、深山木氏の敵(かたき)を探すことでもあるんだからね。君はきっと今まで、僕の心持ちに不審をいだいていたにちがいない。例えば、なぜ僕が今度の事件に、こんなに熱心にかかり合っているのか、なぜ君の競争者になって、初代さんに結婚を申しこんだのか(君を慕って、君たちの恋をさまたげようとしたのはほんとうだが、しかしそれだけの理由ではなかったのだ。もっと深いわけがあったのだ)、なぜ僕が女を嫌って男性に執着をおぼえるようになったか、また、僕はなんのために医学を修め、現にこの研究室で、どんな変てこな研究をつづけているか、というようなことだ。それが、僕の身の上を話しさえすれば、すべて合点が行くのだ。

 僕はどこで生れたか、誰の子だか、まるで知らない。育ててくれた人はある。学資をみついでくれた人はある。だが、その人が僕の親だかなんだかわからない。少なくともその人が親の心で僕を愛しているとは思えない。僕が物心を覚えたころには、紀州のある離れ島にいた。漁師の家が二、三十軒ポッリポッリ建っているような、さびれ果てた部落で、僕の家も、その中では、まるでお城みたいに大きかったけれど、ひどいあばら家だった。そこにいた僕の父母と称する人は、どう考えても僕の親とは思えない。顔も僕とちっとも似ていないし、二人とも醜い佝僂のかたわ者で、僕を愛してくれなかったはかりか、同じ家にいても、広いものだから父などとはほとんど顔を合わすこともないくらいだったし、それにひどく厳格で、何かすれば、必らず叱られる、むごい折檻(せっかん)を受けるという有様だった。

 その島には学校がなくて、規則では二里も離れた向こう岸の町の学校へ通ようことになっていたけれど、誰もそこまで通学するものはなかった。僕は、だから、小学教育を受けていないのだ。そのかわり、家に親切な爺やがいて、それが僕に「いろは」の手ほどきをしてくれた。家庭がそんなだから、僕は勉強を楽しみにして、少し字が読めるようになると、家にある本を手当たり次第に読んだし、町へ出るついでに、そこの本屋でいろいろな本を買ってきて勉強した。十三の年に、非常な勇気を出して、怖い父親に、学校に入れてくれるように頼んだ。父親は僕が勉強好きで、なかなか頭のいいことを認めていたから、僕の切なる願いを聞くと、頭から叱ることをしないで、少し考えてみるといった。そして、一と月ばかりたつと、やっと許しが出た。だが、それには実に異様な条件がついていたのだ。先ず第一は学校をやるくらいなら、東京に出て大学までみっちりと勉強すること、それには東京の知り合いに寄寓して、そこで中学校にはいる準備をし、うまく入学できたら、そのあとはずっと寄宿舎と下宿で暮らすこと、というので、僕にとっては願ってもない条件だった。ちゃんと東京の知り合いの松山という人に相談をして、その人から引き受けるという手紙まできた。第二の条件は、大学を出るまで国に帰らぬこと、というので、これは少々変に思ったけれど、そんな冷たい家庭や、かたわ者の両親などに未練はなかったから、僕はさして苦痛とも感じなかった。第三は、学問は医学を勉強すること、医学のどの方面をやるかは、大学に入るときに指図するが、もしその指図にそむいた場合は、すぐに学資の送金を中止することというので、当時の僕にとっては大していやな条件ではなかった。

 だが、だんだん年がたつに従って、この第二、第三の条件には、非常に恐ろしい意味を含んでいたことがわかってきた。第二の、僕を大学を出るまで帰らせまいとしたのは、僕の家に何かしら秘密があって、大きくなった僕に、それを感づかれまいためであったにちがいないのだ。僕の家は荒れすさんだ古城のような感じの建物で、日のささない陰気な部屋がたくさんあって、なんとなく気味のわるい因縁話でもありそうな感じであったし、その上、幾つかのあかずの部屋というものがあって、そこにはいつも厳重に錠前がおろしてあって、中に何があるのだか少しもわからない。庭に大きな土蔵が建っていたが、これも年中あけたことがない。僕は子供心にも、この家には何かしら、恐ろしい秘密が隠されていると感づいていた。また、僕の家族は、親切な爺やを除くと、一人残らずかたわ者だったことも変にうす気味がわるかった。佝僂の両親のほかに、召使いだか居候(いそうろう)だかわからないような男女が四人もいたが、それが申し合わせたように、盲人だったり、啞だったり、手足の指が二本しかない低能児だったり、立つこともできない水母(くらげ)のような骨なしだったりした。それと今のあかずの部屋とを結びつけて、僕はなんともいえない、ゾッとするような不快な感じを抱いたものだ。僕が親の膝元へ帰れなくなるのを、むしろ喜んだ気持が、君にもわかるでしょう。親のほうでも、その秘密を感づかれないために、僕を遠ざけようとしたのだ。それには、僕がそんな家庭に育ったにも似合わず、敏感な子供で、親たちがおそれをなしたせいもあるのだと思うがね。

 だが、もっと恐ろしいのは第三の条件だった。僕が首尾よく大学の医科に入学したとき、国の父親からのいいつけだといって、以前寄寓した松山という男が僕の下宿を訪ねてきた。僕はその人に或る料理屋へ連れて行かれ、一と晩みっしり説法された。松山は父親の長い手紙を持っていて、その文面に基づいて意見を述べたわけだが、一と口にいえば、僕は普通の意味の医者になって金を儲けるにも及ばないし、学者となって名をあげる必要もない。それよりも、外科学の進歩に貢献するような大研究をなしとげて欲しいということであった。当時、世界大戦がすんだばかりで、めちゃくちゃになった負傷兵を、皮膚や骨の移植によって、完全な人間にしたとか、頭蓋骨を切開して、脳髄の手術をしたり、脳髄の一部分の入れ替えにさえ成功したというような、外科学上の驚くべき報告が盛んに伝えられた時代で、僕にもその方面の研究をしろという命令なのだ。これは両親が不幸な不具者であるところから、一層痛切にその必要を感じるわけで、たとえば手や足のないかたわ者には、義手義足の代りに本物の手足を移植して、完全な人間にすることもできるというような、素人考えもまじっていたのだ。

[やぶちゃん注:「世界大戦がすんだばかり」第一次世界大戦は一九一四年七月二十八日に勃発し、一九一八年十一月十一日までの四年三ヶ月続いた。従って、ここでの時制は大正七年末から、翌大正八(一九一九)年辺りと考えてよい。]

 別段悪いことでもないし、もしそれを拒絶したら学資がとだえるので、僕はなんの考えもなくこの申し出を承諾した。そうして、僕の呪われた研究がはじまったのだ。基礎的な学課を一と通り終ると、僕は動物実験にはいって行った。鼠だとか猫だとか犬などを、むごたらしく傷つけたり、殺したりした。キャンキャン悲鳴を上げ、もがき苦しむ動物を、鋭いメスで切りさいなんだ。僕の研究は、主として活体解剖という部類に属するものだった。生きながら解剖するのだ。そうして、僕はたくさんの動物のかたわ者を作ることに成功した。ハンタアという学者は鶏のけづめを牡牛の首に移植したし、有名なアルゼリアの「犀(さい)のような鼠」というのは、鼠の尻尾を鼠の口の上に移植して成功したのだが、僕もそれに似たさまざまの実験をやった。蛙の足を切断して、別の蛙の足をつないでみたり、二つ頭のモルモットをこしらえてみたりした。脳髄の入れ替えをするために、僕は何匹の兎を無駄に殺したことだろう。

[やぶちゃん注:「ハンタア」イギリスの解剖学者で外科医のジョン・ハンター(John Hunter 一七二八年~一七九三年)。ウィキの「ジョン・ハンター外科医)によれば、『「実験医学の父」「近代外科学の開祖」と呼ばれ、近代医学の発展に貢献した』。種痘で知られる同じイギリスの医学者エドワード・ジェンナー(Edward Jenner 一七四九年~一八二三年))は直接の弟子に当る。ハンターは『解剖教室のための死体調達という裏の顔を持ち、レスター・スクウェア』にあった彼の家は、後の、イギリスの小説家ロバート・スティーヴンソン(Robert Stevenson 一八五〇年~一八九四年)のかの怪奇小説の名品「ジキル博士とハイド氏」(The Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde:一八八六年刊)の『モデルになった』とある。『ハンターは当時の医学界では異端であったが』、『多くの弟子が彼の考え方を世界に広げた』。『人体のみならず、多数の動物実験や動物標本の作成を行い』、一七六六年には王立協会によって『解剖学と博物学の分野で評価され、翌年』には『王立協会の会員となった』。『標本の収集家としても有名であり、世界中から一万四千点もの標本を集めた。中には、非合法な手段を問わず』、『集めた物も多く、珍獣どころか特徴的な人間を見つけると』、『葬儀業者に金をつかませて』、『死体を手に入れたという。チャールズ・バーン』(Charles Byrne 一七六一年~一七八三年六月一日:アイルランド出身。日本語版ィキもある)という、身長が二メートル四十九センチにも『なる巨人症の人物を標本にするためにいつ死ぬか人を雇って見張らせていたという逸話がある。チャールズ・バーンは見張られていることに気づき、標本にされないよう』、「棺桶に重りをつけて海に沈めてくれ」と『友人たちに遺言した。しかし、ジョン・ハンターは遺体を海に沈めるために運んでいる途中』、『葬儀業者に賄賂を渡し』、『遺体を盗み出すという暴挙を行っ』ている。『ジョン・ハンターは盗み出した遺体をチャールズ・バーンのために用意していた特大の鍋で煮込んで』、『骨格標本に加工した。なおその標本は、ジョシュア・レノルズ』(Joshua Reynolds 一七二三年~一七九二年:ロココ期のイギリスの画家)『によるハンターの肖像画の右後方に描かれている』(リンク先で複製が見られるが、全身ではなく、脛の部分のみである)『当時の法律に照らしても犯罪であり、コレクションのためなら』、『手段を選ばない人物だった。レスター・スクエアの家には表通りと裏通りに面した入り口があり、表は妻の社交界の友人や患者が出入りし、裏は解剖教室の学生の出入りや死体の搬入出のための玄関であった』という。彼はかのSF小説の父H・G・ウェルズ(Herbert George Wells 一八六六年~一九四六年)の獣を人間に改造する「ドクター・モローの島」(The Island of Dr. Moreau:一八九六年発表)に名前だけであるが、『登場しており、モロー博士の獣を人間型にする改造手術の原理説明に彼の形成手術の話がモロー自身の口から』語られる、とあり、さらに本作のこの部分への言及もある。また、個人ブログ「日々不穏」の解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯には、彼の異様な実験の数々が記されており、その中に、ここで諸戸が述べるような、意味不明の移植実験が以下のように記されてある。『ハンターは色々と移植手術を試した。例えば、歯牙を移植したり、雄鶏のけづめを雌鶏のとさかに移植したり、雄鶏の睾丸を雌鶏の腹に移植した。歯牙移植は数年しか持たず、梅毒の原因にもなった』。ある意味、実在したマッド・サイエンティストの一人とも言えようか。

『アルゼリアの「犀(さい)のような鼠」』不詳。「アルゼリア」は国名の「アルジェリア」っぽく聴こえはするが。識者の御教授を乞う。]

 人類に貢献するはずの研究が、裏から考えると、かえって、とんでもないかたわの動物を作り出すことでもあった。そして、恐ろしいことには、僕はこのかたわ者の製造に、不思議な魅力を感じるようになって行った。動物試験に成功するごとに、手紙で父親に誇らしげに報告した。すると、父親からは僕の成功を祝し激励する長い手紙がきた。大学を卒業すると、父親はさっきいったように松山を介して、僕にこの研究室を建ててくれた上、研究費用として、月々多額の金を送るようにしてくれた。それでいて、父親は僕の顔を見ようとはしないのだ。学校を卒業しても、前の条件を堅く守って、僕の帰省も許さず、自分で東京へ出てこようともしない。僕は、この父親の一見親切らしい仕打ちが、その実、みじんも子に対する愛から出たものでないことを感じないではいられなかった。いやそればかりではない。僕は父親の或る極悪非道な目論見を想像して身慄いした。父親は僕に顔を見られることさえ恐れているのだ。

 僕が親を親と感じないわけはまだある。それは僕の母親と称する女に関してだが、この佝僂の醜悪極まる女が、僕を子としてではなく、一個の男性として愛したことだ。それをいうのは非常に恥かしいだけでなく、ムカムカと吐き気を催すほどいやなのだが、僕は十歳を越したころから、絶間なく母親のために責めさいなまれた。お化けのような大きな顔が、僕の上に襲いかかって、ところきらわず舐めまわした。その唇の感触を思いだしただけで、今でも総毛立つほどだ。あるむず痒い不快な感じで眼を醒ますと、いつの間にか母親が僕の寝床に添い寝していた。そして「ね、いい子だからね」といいながら、ここでいえないようなことを要求した。僕はあらゆる醜悪なものを見せつけられた。その堪え難い苦痛が三年もつづいた。僕が家庭を離れたく思った一半の理由は、実はこれなのだ。僕は女というものの汚なさを見つくした。そして、母親と同時に、あらゆる女性を汚なく感じ、憎悪するようになった。君も知っている僕の倒錯的な愛情は、こんなところからきているのではないかと思うのだよ。

 それから、君は驚くかもしれないが、僕が初代さんに結婚を申し込んだのも、実は親の命令なのだよ。君と初代さんが愛し合う前から、僕は木崎初代という女と結婚しろと命じられていた。父から手紙がくるし、松山が父の使いみたいにして、たびたびやってくるのだ。偶然の一致とはいえ、不思議な因縁だね。だが、今いう通り、僕は女というものを憎みこそすれ、少しも結婚の意志がなかったので、親子の緑を切り送金を絶つとさえおどかされたけれど、なんとかごまかして、結婚の申し込みをしないでいた。ところが、間もなく、君と初代さんの関係がわかってきた。そこで、僕はガラリと気が変って、君らの邪魔をする意味で、父の命令に従う気になった。僕は松山の家へ行って、その決心を伝え、結婚の運動を進めてくれるように頼んだ。それからのことは、君も知っている通りだ。

 今これだけの事実を話せば、君はそこから或る恐ろしい結論を引き出してくることができるかもしれない。現在僕たちの知っているだけの材料があれば、おぼろげながら、一つの筋道を組み立てることも不可能ではないのだ。だが、きのうあの双生児の日記を読むまでは、そして、君から初代さんの幼時の記憶にあったという景色のことを聞くまでは、さすがに僕も、そこまで邪推する力はなかった。それが、ああ、恐ろしいことだ。きのう君の描いて見せた、荒れ果てた海岸の景色が、僕にとってどんなに手ひどい打撃であったか。君、あの海岸の城のような家は、この僕が十三の年まで育った、あのいまわしい故郷にちがいないのだよ。

 思い違いや偶然の符合にしては、三人の見た景色が、あまりに一致しすぎているじゃないか。初代さんは、牛の臥(ね)た形の岬を見た。城のような廃屋を見た。壁のはげ落ちた大きな土蔵を見た。双生児も、牛の形の岬を見た。そして、彼らは大きな土蔵に住んでいた。それはどちらも、僕の育った家の景色にピッタリと一致しているのだ。しかし、この三人は別の方面でも不思議なつながりを持っている。僕に初代さんと結婚することを強要したからには、僕の父は初代さんを知っていたにちがいない。その初代さんの下手人を探偵した深山木氏が、双生児の日記を持っていたところをみると、初代さんの事件と双生児とのあいだには、直接か間接か、いずれにしても何かのひっかかりがなければならない。しかも、その双生児は、僕の父の家に住んでいるとしか考えられないのだ。つまりわれわれ三人は(その一人は双生児だから、正しくいえば四人だが)眼に見えぬ悪魔の手にあやつられた哀れな人形でしかないのだ。そして、恐ろしい邪推をすれば、その悪魔の手の持ち主は、ほかならぬ僕の父と称する人物であるかもしれないのだよ」

 諸戸はそういって、恐怖に満ちた表情で、ちょうど怪談を聞いている子供がするように、ソッとうしろを振り返るのであった。私は彼のいわゆる結論というのが、どんな恐ろしい事柄だか、まだまだ呑み込めなかったが、諸戸の奇怪至極な身の上話と、それを話している彼の一種異様の表情から、何かしら世の常ならぬ妖気を受けて、よく晴れた夏の真昼であったのに、ゾッと寒気をおぼえ、全身鳥肌立ってくるのを感じたのである。

 

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