ブログ1020000アクセス突破記念 梅崎春生 弁慶老人
[やぶちゃん注:昭和三〇(一九五五)年十月号『オール読物』に発表され、同年十一月刊の作品集「春日尾行」に収録された。
最後にオリジナルな注を附した。
本電子化は2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが1020000アクセスを突破した記念として公開する。【2017年11月10日 藪野直史】]
弁慶老人
「その老人は名前を大河内弁慶と言うんですがね、弁慶とはまた大時代な名前をつけたもんですな。近所の人の話によると、それが通称とか雅号とかでなく、戸籍面の本名だと言うんだから、まったくの驚きです」
友人の画家早良(さがら)十一郎君がある日やってきて、その大河内という老人について語り始めた。
「こういう突拍子もない名前を子供につけた親の顔がみたいようなもんです。一体どういう気持なんでしょうねえ」
「さあ。僕にも判らないが、弁慶のように強くあれかしという親心じゃないのか」と僕は答えた。「で、その大河内老人は、弁慶的性格を持っているのかね。たとえば弁慶のように強いとか、悲劇的であるとか――」
「さあ」
早良君は腕を組んで考え込んだ。
「僕は武蔵坊弁慶についてあまり知識がないんでねえ、よく判らないけれども、膂力(りょりょく)はそれほど強くはなさそうですね。背は高いけれども瘦せっぽちだし、そうだ、内弁慶という言葉があるが、あの爺さんは内弁慶じゃないようだな。むしろ外弁慶だ。陰気なる外弁慶と言うべきでしょうねえ。おかげで隣人たる僕もいろいろ困ることがある。遠くに住んでりゃ、たんに風変りな老人として眺めることが出来るんですが、なにしろ垣根ひとつ隔てての隣り合わせでしょう。それに大河内老人の家と僕の家は、敷地の広さも同じだし、家屋の恰好(かっこう)も間取りも全然同じ、いや、同じというのではなく、裏返しの形にすると全然同じになるのです。よく二軒長屋なんかにあるような、垣根を中心として左右相称の間坂りです。すぐ隣に自分とこの裏返しの家があることは、なにかむず痒(がゆ)いような、妙な気分のものですねえ。むしろ都営アパートか何かみたいに、同じ形の同じ間取りがずらずら並んでいる方が、まだしもさっぱりと落着くでしょう。こちらが居間に坐っている、そうすると向うの家の居間では、大河内老が僕と裏返しの恰好で坐っている。そういうことを考えると、とたんにムズムズして来るんですな。また便所にしゃがんでいる時、向うでは老人が逆の形にしゃがんでいる、そう思ったとたんに便意が消滅して、そうそうに飛び出さざるを得ない。考えまいとしても、つい考えがそっちに行ってしまう。これも一種のノイローゼと言うものでしょうねえ。相手がうすぎたない老人でなく、妙齢の美女ででもあれば、別の感じがするんでしょうが、大河内老ではどうにも仕方がない。もっとも大河内老は昔からそこに住んでいるんだし、僕は近頃そこに引越したんだから、こちらから文句をつける筋合いのものじゃありません。ありませんけれども、困るという点では確実に困るんです。そこで僕はあれこれと考えた。如何にしてこの状況を打開すべきや」
「あの家に引越して――」と私は訊ねた。「もうどのくらいになるんだね?」
「ええ。もう半年余りになりますよ」早良君は指を折って数えた。「権利金もバカ高でなし、家賃もまあまあだし、手頃の家と思って入ったんですが、入ってみるといろいろとアラがあるもんですねえ。もっともアラがあるからこそ、権利金や家賃が割安になっていて、僕みたいな貧乏画家にも入れたんでしょうけれどねえ」
引越してきて判ったんですが、実にここらは押売りの多いところで、多い日は一日に五人も六人もやってくる。押売りの他には、洋服地売りや学生アルバイト。洋服生地売りはこれはどうせ買えないから、撃退はかんたんです。学生アルバイトもかんたんに撃退。ほんとならアルバイトのやつは買ってやりたいのですが、アルバイト学生が持ってくる品物で、安くて良い品物を僕は一度も見たことがない。みんな市価より割高で、しかも品質はお粗末と来ている。あれはどういう訳あいのもんでしょう。学生アルバイトは商人でないから、それでいいと思っているのでしょうか。
学生アルバイトは割に純真なのが多いようですが、中には相当なしたたか者もいます。先だっても僕が奥で昼寝をしていると、玄関に学生アルバイトがやってきた。うちの婆さんが出て、いらないよ、いらないよと言うんだが、なかなか帰ろうとしない風(ふう)です。
「十円でも二十円でもいいですから」
と哀れっぽい声でねばっている。うちの婆さんは気が弱くて、同情っぼい性質と来ているものですから、つい品物を拡げさせたんですな。すると箱の中には、百円とか百五十円のものばかりが入っている。僕はむっくりと起き上って、玄関に飛び出して行った。飛び出さなきや、婆さんが買わせられるにきまっていますからねえ。
「今なんて言った。十円でも二十円でもと言ったじゃないか」と僕はきめつけた。「見ろ。どこに十円や二十円の品物がある?」
「十円二十円の品物があると僕は言わないです」そのアルバイト学生はすこしも騒がず、僕の顔を見て平然と答えました。「十円でも二十円でもいいから儲けさせて呉れって、そう申し上げたんです」
ふり上げた拳固のやり場がないような恰好で、僕はもごもごと口をつぐんでしまった。なるほど、どこかの大臣みたいな、ぬけぬけとした見事な答弁ですねえ。見たところニセ学生でもなさそうな、おとなしそうな少年でしたが、全く油断もすきもありません。
しかし押売りにくらべれば、学生アルバイトなんて、脅威の点において物の数じゃありません。近頃の押売りというと、ゴム紐(ひも)の一点張りにきまっていますが、あれはどういうわけでしょう。よく覚えていないが、戦前の押売りはもっと品物にバラエティがあったようです。品物に変化があれば、ついその中に必要なものもあって、買わせられるという形にもなるのですが、入れかわり立ちかわりゴム紐ばかりとは、いくらなんでも芸がない。押売りの芸も戦後は地におちたと言うべきでしょうねえ。
しかもそのゴム紐がやたらに高い。街で一本三十円ぐらいの代物を、六十円だの百円だのとふっかけて来る。おどしたり下手に出たり、さまざまの術策を弄(ろう)して押し売ってしまう。僕が在宅中ならいいのですが、婆さんだけの時なんか、百発百中で売りつけられてしまうのです。しかし僕が在宅中ならば、彼等がいかに術策を弄そうとも、これは全然ダメ。
実のところ僕は押売りが大好きです。押売りそのものが好きではなく、押売りをかまい、そして撃退するのが大好きなのです。毎日うちで絵を描いていると、退屈な気分になってくる。そこへ玄関や庭先に「ゴメン」とか「コンチワ」と言う声とともに押売り氏がぬっと入ってくる。押売りというやつはその声で直ぐに判りますな。僕は直ちに絵筆を投げ捨てて、いそいそとして、縁側や玄関先に飛んで行く。そして敵がさまざまの術策を弄して押売ろうというのを、僕もさまざまの術策をもってこれを受け、そしてついに撃退してしまう。魚釣りやパチンコとちがって、相手が生身の人間だけに、はるかにスリルがあって面白いですな。
もっともいきなり僕が出て行くと、僕の顔を見ただけで相手はげんなりとし、半分諦(あきら)めてしまうような傾向もないではありません。きやつらは男が苦手らしいです。だから彼等は僕の前で一応の演技はやるが、こちらが強く出ると、たいていチェッとかなんとか捨言辞(すてぜりふ)を残して立ち去って行く。
それでは面白味があまりないので、時には婆さんを先に出し、僕は唐紙(からかみ)のかげでじっと待機している。すると押売り氏は大いに張り切って、すごんでみたりおどしてみたり、中には地下足袋(じかたび)のまま玄関にずり上って来るような奴もいるのです。
「こんな家構えで、五十円百円の金がないとは言わせぬぞ」
そこへ僕が肩肱(かたひじ)を張り、眉の根をふくらませて、ぬっと姿をあらわす。たいていの押売りはそれでギョッとするようですな。なにしろ僕は残念ながらあまり人相は良くないし、それにいつも無精ヒゲなんかを生やしている。その上応対しながら空手チョップの練習みたいなことをするので、敵はとたんに元気がなくなり、玄関にずり上った奴はこそこそと土間にずり降り、そしてこそこそと退散ということになるのです。その間の醍醐味(だいごみ)はちょっと言うに言われぬ趣きがありますな。
家から二町ほど離れたところに僕の先輩の家がありますが、僕に押売り撃退の趣味あるを知って、時に獰猛(どうもう)な押売りがやってくると、先輩宅の女中さんが僕を呼びに来るのです。先輩が留守の時なんかですな。この間も、押売りが居坐って全然動かないというので、女中さんが呼吸をはずませて僕を呼びに来た。昨日刑務所から出所したとか何とか、しきりにスゴ味を利かせて、玄関に大あぐらをかいているというのです。僕は直ちに絵筆を投げ捨て、身仕度をととのえ、女中さんとともにエッサエッサと二町の道を走り、先輩宅についた。すると先輩の奥さんが汗を拭きながらあたふたと出て来て、
「まあ。残念でしたねえ。一足違いで今帰っちゃったんですのよ」
「なんだ。もう帰ったんですか」僕もがっかりして汗を拭きました。「そうですか。タダで帰ったんですか」
「タダじゃないんですよ」奥さんは口惜しそうにゴム紐をぶらぶらさせた。「とうとうこれを買わされちゃったんですよ。火をつけてやるとか何とか言い出して来たので、怖くなったんですよ」
「なんだ」僕は膝をたたいて口惜しがった。「もう二分か三分、頑張ればよかったのに。そうすれば僕が撃退して上げたのになあ」
暑い中をエッサエッサと走ってきたというので、奥さんが気の毒がって、冷蔵庫の西瓜(すいか)を割って僕に御馳走して呉れました。よく冷えておいしい西瓜だったので、四片か五片頂戴に及び、また炎天の道をトコトコと家に戻ってくると、うちの婆さんが玄関に飛び出して来ました。
「どこに行ってたんですよ。ものすごい押売りが来て、あたしゃとうとう三百円がとこゴム紐を買わされましたよ」
僕はアッと叫び、よくよく事情を聞いてみると、刑務所を出たばかりという先輩宅のと同一人物と判った。僕は玄関でじだんだを踏んで口惜しがった。西瓜なんか食べずに直ぐ戻ってくれば、三百円がとこ買わされずに済んだのに、と思ってもそれはあとの祭りです。その押売り氏も、わざわざ僕の不在をねらって来たのではなく、たまたまそうなったのでしょうが、僕の側からすれば、なんだか策略にかけられたみたいで、後味が悪かった。その後は僕は、先輩宅に駈(か)けて行っても、撃退がすむと直ぐ家に駈け戻り、我が家の来訪に具(そな)えるということに方針を改めました。よそのを撃退しても、うちで押売られては、元も子もないですからねえ。
このようにここらは押売りその他の多い地区ですから、被害は我が家のみならず、当然大河内弁慶老人のところにも押売りその他は押しかけて行く。
ところが大河内老も、前に申し上げた如くなかなかの外弁慶ですから、押売り諸君も手を焼くらしいのです。
大河内家の家族は、大河内老人と老夫人の二人きりで、大河内夫人もうちの婆さんと同じでまったく気弱な性分のようです。そこで大河内老が不在の節は、つい押売られてしまうらしいが、大河内老が在宅の時はとてもそういうわけには行かない。どうも大河内老は僕と同じく、押売り撃退の趣味を持っているのではなかろうか。そう思われる節(ふし)があります。なにしろ両家をへだてるのは、かんたんな四ツ目垣だけですから、向うの動静は手に取るようにこちらに判るのです。
大河内老は以前にどういう職業に従事していたか、僕もよく知らないけれども、何か権力を持つ職業についていたのではないか、と僕は推察しています。たとえば軍人とか、税務吏員とか、視学とか刑事などですな。その挙措(きょそ)動作からそう推定するのですが、他人を見る時にこの老人は、とたんにとがめ立てするような眼付きになってしまうのです。あれはたしかに権力者の眼付きであり、そしてその権力も人間そのものに具わっているのではなく、職業によって賦与(ふよ)されている、そんな感じの眼付きなのです。大河内老は過去においてそんな職業に従事し、そしてその恩給か何かで老後を暮しているのでしょう。たとえばヤドカリのように、ひっそりと殻にこもって生活しているのです。
大河内老の眼がランランととがめ立ての色を帯びるのは、そういう生活の殻を他から犯されようという場合なのです。押売りなんかはそれの典型的なものですな。そして大河内老は、そういう殻を破ろうとしてくる奴を、一面においては蜘蛛(くも)の如く待ち受けている。
学生アルバイトなんかが大河内家を訪ねると、これはもう大変です。飛んで火に入る夏の虫みたいなものです。たちまち大河内老のいいカモになってしまう。
「なになに。学生アルバイトだと?」
大河内老は眼をランランと光らせて、縁側なり玄関なりにのそのそと出て行きます。
「まさか君はニセ学生ではあるまいな。ニセでなければ、ちょっと学生証を見せなさい」
本物であることを示せば買って呉れるだろうと思うものですから、ここでたいてい学生証を出す。すると大河内老は表をしらべ裏をしらべ、学校にはどんな先生がいるかとか、何を勉強しているかとか、一日売り回ってどの位の収入になるかとか、君はまだ童貞であるかとか、愚にもつかない質問を三十分もやり、そしてやっと学生証を返してやるのです。返しながらアッサリと宣言する。
「品物は全部間に合ってるから、帰りなさい!」
これにはアルバイト学生も怒りを感じるらしいですな。退屈しのぎに三十分も相手をさせられて、しかも何も買って呉れないとは、怒るのもあたり前でしょう。しかしさすが学生で、その場で怒ったりわめいたりするようなのはいないようです。玄関の扉をガチャリとしめるとか、外に出て門柱を憤然と蹴りつけるとか、そんな隠微な表現をもって彼等はその待遇に酬(むく)いるもののようです。この間などは門柱を蹴りそこなって、ストンと石畳にひっくり返り、痛そうにお尻をさすりながら、泣き顔で立ち去って行ったアルバイト学生もいました。これには僕も義憤を感じましたねえ。僕みたいにぽんと断るのならまだしも、さんざん相手をさせて断るんですからねえ。どだいやり方が悪質です。押売り。これがまた大変です。押売り撃退のやり方は、大体僕のと同じようなものですが、なかなか居直って動かないとなると、大河内老は突然大声を張り上げて、夫人を呼び立てる。
「婆さん。婆さん。パチンコを早く持って来なさい!」
そうすると夫人が奥の間から、いそいそとパチンコを捧げ持って、老人のところにかけつける。ここでパチンコと言うのは、街にあるチンジャラジャラのパチンコではありません。木のふた股にゴムを取りつけて、小石などをはさんでピュツと飛ばすあのパチンコのことです。しかも大河内家のパチンコは子供用のとちがって、相当に大きくて頑丈(がんじょう)につくられているのです。
「これを見なさい」老人はそれを見せびらかすようにしながら、すご味のきいた声を出す。「先ほどから言う通り、うちにはゴム紐は馬に食わせるほどあるのじゃ。見なさい。こんなものにまで、うちでは押売りのゴム紐を使用しておる!」
ここらでたいていの押売り氏はギョッとするようですな。すかさず老人はたたみかける。
「三十米離れた雀もこれで打ち取れるぞ。婆さん、それ、パチンコ玉を持って来なさい。この仁(ひと)に威力を見せて上げる」
声に応じて老夫人は直ちに奥にかけ込む。老人はおもむろにパチンコをかまえ、トレーニングとして押売りの顔面にねらいをつけ、ぎゆうとゴム紐を引き絞る。パッと指を放す。玉は入っていないけれども、ゴム紐はヒユウというような音を立てて縮み、空間にはねくりかえるのです。さすがの押売りも飛び退き、老夫人がパチンコ玉を持ってかけつけてくる頃には、おおむね退散に及んでいるようです。本物のパチンコ玉を正面に受けると、額なんか割れてしまいますからねえ。退散して行く押売りの後ろ姿を、老人は実に嬉しそうな表情で見送るのです。撃退の醍醐味をしみじみと味わっているに違いありません。
こういう具合に、大河内老在宅の節は、押売り強談(ごうだん)物貰い寄付強要策は見事に撃退されるようですが、老夫人だけの時はそうは行かない。根が気の弱い性分らしく、かんたんにしてやられているようです。では隣人の誼(よし)みとして撃退に行ってやればいいではないか。押売り撃退はお前の趣味ではないか、とお思いになるかも知れません。ところがそうは行かない事情があるのです。僕としても撃退に赴(おもむ)きたいのは山々なのですけれども。
前にも申し上げたように、大河内夫妻はヤドカリの如く、自分の殻にかたく閉じこもっている趣きがある。
近所つき合いもほとんどないようで、四ツ目垣にかこまれた五十坪ほどの土地にしがみついている。そして極度に無愛想な表情で、あるいはとがめ立てをするような眼付きで、周囲に対しているのです。
こういう無愛想な老人と隣り合わせになったのは、僕の不幸ですが、最初のうちはそんな性格の老人とは知らないものですから、朝などに顔を合わせると、
「お早うございます」
などと僕が頭を下げる。僕が頭を下げるとたんに、あるいは下げそうな気配を感じたとたんに、大河内老はふっとそっぽを向く。ひどい時になると、くるりと背中を向けてしまうのです。これには腹が立ちましたねえ。折角あいさつをして、そして頭を上げて見ると、もう背中を向けているんですからな。バカにしてやがる。何て横柄な爺だろうと、もうその頃から僕は面白くなかった。
今考えると、大河内老は僕を憎んだりバカにしているのではなく、つまり近所つき合いをするのがイヤだったんでしょうねえ。あいさつを返せば、それから何となくつき合いが始まる。つき合いが始まれば、自然と往き来のきっかけが出来る。そうすると自分の生活が犯されそうな予感がして、それで老人は僕のあいさつを拒否したのかも知れません。もっともこれは僕の好意的解釈ですが。
今年の春のことですが、大河内家との境の四ツ目垣の根元に、僕はせっせと朝顔の苗を植えつけたのです。ただの四ツ目垣だけでは殺風景だし、それに見通しですからね。個人生活が見通しということは、あまりいいことではありません。
すると苗を植えつけている最中に、大河内老が縁側にぬっと姿を現わした。僕が苗を植えていることを、老夫人が急いで報告に行ったらしいのです。大河内老はそそくさと庭下駄をつっかけ、つかつかと垣根のところにやって来ました。
「貴公はそこで何をやっている?」
大河内老は例のとがめるような眼付きになって言いました。
「朝顔の苗を植えているんですよ」
僕は顔を上げて答えた。これが引越し以来老と交した最初の会話です。
「苗を植えちゃいけないんですか?」
「いけないとは言わない!」大河内老はじろりと僕をにらみつけました。「苗を植えるとだ、やがてそのツルが伸びる。貴公はそのツルをどこにからませるつもりかね?」
「もちろんこの垣根にですよ」
「この垣根?」彼は憤然と肩をそびやかしました。「この垣根は貴公の所有物か?」
ぐつと詰って僕が黙っていると、彼はかさにかかって声を大きくしました。
「勝手な真似はつつしんで貨おう。早速全部引っこ抜け!」
「イヤだ!」僕もむっとしたから怒鳴り返してやりました。「引き抜けなんて言う権利があんたにあるのか。絶対に僕は引き抜かないぞ。いかにもこの垣根は僕の所有物じゃない。しかしこれはあんたの所有物でもなかろう!」
僕が大声を出したものだから、大河内老はびっくりしたらしく、黙ってしまった。そこで僕はたたみかけました。
「どうしても引っこ抜けと言うんなら、そちらで引っこ抜いて貰おう。そのかわり、家宅侵入並びに毀傷(きしょう)の罪をもって、ケイサツに訴えてやるからな!」
そして僕はさっさと植えつけを再開した。
大河内老は口惜しそうに僕をにらんでいたが、やがて足音荒く縁側に戻り、家の中に入って行きました。ケイサツと言う言葉が利いたのかも知れません。
垣根というやつは両家の境界ですから、もちろんどちらの所有ということはないでしょう。しかしこのやりとりにおいて、案外僕が手強な相手だと言うことを、大河内老ははっきりと認識したらしいのです。それまではたかが絵描き如き、組しやすしと考えていたのでしょう。つまりアルバイト学生並みになめられていたんですな。
それから三、四日経って、僕が所用から戻ってくると、婆さんが急いで僕の耳に口を寄せてささやきました。
「あの垣根の根元に、今日はあちらの方で何かセッセと植えてましたぞ」
僕も興味をもよおして庭に出、垣根のところに行って見ますと、まさしく婆さんの言う通り、何か苗がずらずらと植えつけてある。僕側の朝顔に対抗する如く、数も丁度(ちょうど)同じですが、苗の種頼はちがうようです。あとについて来た婆さんに僕は訊(たず)ねました。
「これは何の苗だろう。朝顔より頑丈に出来てるようだけれど」
「カボチャですがな」
婆さんは大河内家をにらみつけました。大河内夫妻は家の中に閉じこもっていると見えて、姿は見えないようです。婆さんはにくにくしげに言いました。
「これじゃ土地の養分は全部カボチャに吸い取られて、朝顔にまで回りませんがな」
「なるほどねえ。やりやがったな!」
僕は半ば感服、半ば怒りを発して、そう呟(つぶや)いた。なるほど、そういう方法をとれば、引っこ抜くことなしに、僕の朝顔を合法的に圧迫出来るわけです。それに僕の方から向うのカボチャを引っこ抜くと言うわけには行かない。引っこ抜けば彼は僕の言葉を逆用して、早速ケイサツに届けに行くでしょう。
これが僕と大河内老とのつめたい戦いの始まりでした。
それを始まりとして、物干竿事件、肥料事件、雨水流入事件、塵芥(じんかい)廃棄事件と、両家の間にはさまざまの事件が次次起って来ました。その事件のひとつひとつをくわしく話したいのですが、話すと腹の立つことばかりでしてねえ。事件が起きるたびに、いつも僕の方がしてやられているのです。もうあんな老人と隣り合わせに住むのは、つくづくイヤになって来たのですが、そうかと言ってかんたんによそに引越すというわけにも行かないしねえ。だから最初にお話ししたようなノイローゼが僕に起って来たのです。
たかが無愛想で強欲な隣人だと、気持の上で黙殺しておればいいのですが、なにしろこの暑さでしょう、ぼんやりと寝ころんでいても、どうも放って置けないような気分になってくる、一体今頃あの爺は何をしてやがるんだろうな、そんなことばかりを考えている。やはり暑いから俺みたいとにぼんやり寝ころがっているんじゃないか、などと考える、急に畳がべとべとして来るような気がして、僕はパッとはね起きてしまう。飯を食っていればいたで、それを考えると、とたんに食欲がなくなってしまうのです。
やはりこれも一種の強迫観念と言うべきでしょうねえ。両方の家が裏返しの形で相似しているということが、一番よろしくない。
え? 四ツ目垣ですか?
四ツ目垣はね、今はカボチャの花盛りで、ふてぶてしい形の葉や幹の間から、黄色い花が点々と咲き乱れ、実に無風流な景観を呈しています。僕の方の朝顔は伸びるには伸びたけれども、婆さんの予言のように養分をすっかりカボチャに吸い取られ、お情けでヒョロヒョロと伸びた恰好で、ろくに花もつけないような有様です。最初僕が意図した目かくしの目的はそれで達せられたわけですが、面白くないですねえ。それに大河内のカボチャは遠慮なく僕の家の空間にも伸びてきて、僕の領知内でもたくさん黄色の花を咲かせています。それらの花々がやがてはあの不恰好なカボチャの実になるでしょう。僕の領域に実ったカボチャは、一休どちらの所有物になるのでしょうね。あれやこれや考えると、僕も頭が痛く、そのうちに本物のノイローゼになって来そうです。
押売りですか?
さすがにこう暑くなると、あまりやって来ないようですねえ。やはりカンカン照りに照らされて、ゴム紐を持って歩くのは、ラクじゃないのでしょう。あるいは彼等は春の間に大いに儲け、今頃は海か山に避暑にでも行っているかも知れない。押売りとは利幅の多い商売ですからねえ。そんなことを考えると、もう僕はいらいらと腹が立ってくるのです。なにかいい療法はありませんかねえ。
[やぶちゃん注:本作は私が梅崎春生の作品の中でも特に偏愛する一篇、「断片」(「三角帽子」との二篇構成であるが、相互の関係性はない)の中の「鏡」と相同のモチーフ(壁を隔てた住まいの空間構造が鏡像対称関係にあるということ)が使用されている。但し、本篇が昭和三〇(一九五五)年の発表であるのに対し、「鏡」を含む「断片」は昭和二六(一九五一)年(一月号『文学界』初出)で、発表年では四年ほど先行する。しかし、春生は、このモチーフの使い回しを隠そうとはしておらず、寧ろ、確信犯でヴァリエーションを読者に示していることは、本作と「断片」を同じ単行本「春日尾行」に収録していることによって明らかである。
「友人の画家早良(さがら)十一郎」梅崎春生の友人で「カロ三代」など、彼の随筆・小説にしばしば登場する画家秋野卓美(大正一一(一九二二)年~平成一三(二〇〇一)年:「立軌会」同人。元「自由美術協会」会員。春生(大正四(一九一五)年生)より七つ年下。作家色川武大とは麻雀仲間)がモデルであろう。彼或いは彼をモデルとしたと推定されるキャラクターが登場する際には、かなりエキセントリックなトリック・スターとして描かれるが、ここでも一風変わった内容を自己にとっては至極当然な事柄として、マシンガンのようにほぼ一方的に喋り続けている。
「僕の領域に実ったカボチャは、一休どちらの所有物になるのでしょうね」現行の民法上の解釈では、早良の敷地内に完全に侵入して転がっていても、カボチャの所有権は基本的に弁慶老人のものである。これは当該のカボチャが空中或いは地面から離れた蔓を伝って水分や栄養を吸収しており、その根元は弁慶老人の敷地内にあり、その吸収した主たる成分は弁慶老人の宅地内から得られたと考えられるからである。早良の敷地内に無断で伸び出ている事実はあるが、カボチャは地面に接しているものの、早良の宅地内の地中には入っておらず、成長栄養を早良の宅地内から得ているとは解釈されないからである。但し、カボチャという果実(これは普通の野菜としての「カボチャの実」を言っているのではない。民法八十八条一項の「天然果実」の既定する『物の用法に従い収取する産出物を天然果実とする』(元物の経済的用途に従って採り収められる産物)という法的規定としてのそれであるので注意されたい)が、宅地内の地面に接触した状態で侵入している点では邪魔であり、腐れば、それこそ迷惑であるから、法的には弁慶老人に取り去って貰うことを口頭で依頼するのが、まず、筋である。それを弁慶老人が拒否したり、無視したり、請けがいながらも一定期間実行に移す気配がない場合(腐る前でよい)は、次に「私の宅地内に侵入しているあなたのカボチャ一個を取り除き、所有責任者であるそちらに引き渡します」と本人と面談して通告するのが正しい。しかし、彼の特異な性格から考えると、彼が居留守を使って対面を拒否することも考えられる。その場合は、弁慶老人が在宅で、声が聴こえる位置関係にあり、覚醒している彼に明らかに聴こえていると判断される位置(早良の庭内からで構わない)から、「私の宅地内に侵入しているあなたのカボチャ一個を私が代わって取り除きます」と複数回(三度は必要)大声で通告し、自分の庭に侵入している蔓の手前(切った際に蔓が弁慶老人の宅地内に戻ると厄介なので)で切って構わないと解釈されているはずである。問題はそのカボチャを食べてよいかどうかであるが、最初の言った通り、カボチャの実自体はそうして採取しても依然として弁慶老人のものであるから、返却せねばならない。出て来なければ、玄関先に採取経緯を簡単に記したメモと一緒に置いておく。弁慶老人が「そんなものはいらない」「勝手にしろ」とはっきりと言った場合に限り、賞味期間内ならば、そこで食して何ら、問題ない、というのが私の民法上の解釈である。というより、この問題は、若い頃から法律関係書でかなり調べて来たので、いい加減な思いつきではない。柿(自宅敷地内の空中に侵入しても、支持する本体が宅地外の物である場合、空中にある物体には侵入された側の所有権は発生しないとされるようである)や筍(地下には所有権が発生し、本件とは逆に水分や栄養分を宅地内から摂取していると見做されるので、相手に通告しても音沙汰ない場合は、最終的には勝手に切り取ってよいはずである。食べても構わないとする解説書もあるが、私は竹藪の所有者に持って行くのが無難と考える)などがとみに知られるが、私は落花生の場合(ストロン状に空中に茎が出て、それが地面に突き刺さって脹らんで実がなるケースでその実が成った先がたまたま隣の別人の敷地だった場合である。これはかなり難しいと今でも考えている)など、かなり微妙なものまで、大学時分、法学部の友人と検討したことがあるのである。]