江戸川乱歩 孤島の鬼(6) 恋人の灰
恋人の灰
私はそれから二、三日会社を休んでしまって、母親や兄夫婦に心配をかけたほど、一と間にとじこもったきりであった。たった一度、初代の葬儀に列したほかには一歩も家を出なかった。
一日二日とたつに従って、ハッキリとほんとうの悲しさがわかってきた。初代とのつき合いは、たった九カ月でしかなかったけれど、恋の深さ烈しさは、そんな月日できまるものではない。私はこの三十年の生涯に、それはいろいろの悲しみも味わってきたけれど、初代を失ったときほどの深い悲しみは一度もない。私は十九の年に父親を、その翌年に一人の妹をなくしたが、生来柔弱なたちの私は、その時もずいぶん悲しんだけれど、でも、初代の場合とは比べものにならぬ。恋は妙なものだ。世にたぐいなき喜びを与えてもくれる代りには、また人の世の一ばん大きな悲しみを伴なってくる場合もあるのだ。私は幸か不幸か失恋の悲しみというものを知らぬのだが、どのような失恋であろうとも、それはまだ耐えることができるであろう。失恋というあいだは、まだ相手は他人なのだ。だが私たちの場合は、双方から深く恋し合って、あらゆる障碍を物ともせず、そうだ、私のよく形容するように、どことも知れぬ天上の桃色の雲に包まれて、身も魂も溶け合って、全く一つのものになりきってしまっていた。どんな肉親もこうまで一つになりきれるものではないと思うほど。初代こそは、一生涯に、たった一度巡り合った私の半身であったのだ。その初代がいなくなってしまった。病死なればまだしも看病するひまもあったであろうに、私と機嫌よく別れてから、たった十時間あまりののちに、彼女はもう物いわぬ悲しい蠟人形となって、私の前に横たわっていたのだ。しかも、無残に殺されて、どこの誰ともわからぬやつに、あの可憐な心臓をむごたらしく抉(えぐ)られて。
[やぶちゃん注:「私はこの三十年の生涯」「私は十九の年に父親を、その翌年に一人の妹をなくした」作品内の初代殺しの起こったのは再度確認するが、大正一四(一九二五)年六月二十五日である。江戸川乱歩も大正十四年の同時日では満三十歳(乱歩は明治二七(一八九四)年十月二十一日生まれ)である。また、乱歩の父繁男が喉頭癌で亡なったのは、乱歩三十一歳の時ではあるが、それは実に大正一四(一九二五)年の九月のことである。因みに、乱歩は二十一歳も離れた末妹の玉子を、非常に可愛がって、その生活の面倒も見てやっていたのであるが、彼女は本作執筆時は生きていたが、三年後の昭和七(一九三二)年六月に享年十六の若さで亡くなっていることも記しておく。]
私は彼女の数々の手紙を読み返しては泣き、彼女から贈られた彼女のほんとうの先祖の系図帳をひらいては泣き、大切に保存してあった、いつかホテルで描いた彼女の夢に出てくるという浜辺の景色を眺めては泣いた。誰に物をいうのもいやだった。誰の姿を見るのもいやだった。私はただ、狭い書斎にとじこもって、眼をつむって、今はこの世にない初代とだけ逢っていたかった。心の中で、彼女とだけ話がしていたかった。
彼女の葬式の翌朝、私はふとあることを思いついて、外出の用意をした。嫂(あによめ)が「会社へいらっしゃるの」と聞いたけれど、返事もしないでそとに出た。むろん会社へ出るためではなかった。初代の母親を慰問するためでもなかった。私はちょうどその朝は、なき初代の骨上(こつあ)げが行われることを知っていた。ああ、私はかつての恋人の悲しき灰を見るために、いまわしい場所を訪れたのである。
私はちょうど間に合って、初代の母親や親戚の人たちが、長い箸を手にして、骨上げの儀式を行っているところへ行き合わした。私は母親にその場にそぐわぬ悔みを述べて、ボンヤリ竃の前に立っていた。そんな際、誰も私のぶしつけをとがめる者はなかった。隠亡(おんぼう)が金火箸(かなひばし)で乱暴に灰のかたまりをたたき割るのを見た。そして彼はまるで冶金家(やきんか)が坩堝(るつぼ)の金糞(かなくそ)の中から何かの金属でも探し出すように、無造作に、死人の歯を探し出して、別の小さな容器に入れていた。私は、私の恋人が、そうして、まるで「物」のように取り扱われるのを、ほとんど肉体的な痛みをさえ感じて、眺めていた。だが、こなければよかったなどとは思わなかった。私には最初から、ある幼い目的があったのだから。
私はある機会に、人々の眼をかすめて、その鉄板の上から、一と握りの灰を、無残に変った私の恋人の一部分を盗みとったのである(ああ、私はあまりに恥かしいことを書き出してしまった)。そして、その付近の広い野原へ逃れて、私は、気ちがいみたいに、あらゆる愛情の言葉をわめきながら、それを、その灰を、私の恋人を、胃の腑の中に入れてしまったのであった。
私は草の上に倒れて、異常なる興奮にもがき苦しんだ。「死にたい、死にたい」とわめきながら、ころげまわった。長いあいだ、私は、そこにそうして横たわっていた。だが私は、恥かしいけれど死ぬほど強くはなかった。或いは、死んで恋人と一体になるというような、古風な気持にはなれなかった。その代りに、私は死の次に強く、死の次に古風な、一つの決心をしたのである。
私は、私から大切な恋人を奪ったやつを憎んだ。初代の冥福のためにというよりは、私自身のために恨んだ。腹の底からそいつの存在を呪った。私は検事が如何(いか)に疑おうと、警察官がなんと判断しようと、初代の母親が下手人だとはどうしても信じられなかった。だが、初代が殺された以上、たとえ賊の出入りした形跡が絶無であろうとも、そこには下手人が存在しなければならぬ。何者だかわからぬもどかしさが、一層私の憎しみをあおった。私は、その野原に仰臥して、晴れた空にギラギラと輝いていた太陽を、眼のくらむほど見つめながら、それを誓った。
「おれはどうしたって、下手人を見つけ出してやる。そしておれたちの恨みをはらしてやる」
私が陰気な内気者であったことは、読者も知る通りであるが、その私が、どうしてそのような強い決心をすることができたのであるか、また、その後のあらゆる危険に突き進んで行った、あの私に似げなき勇気を獲得することができたのであるか、私は顧みて不思議に思うほどであるが、それはすべて亡びた恋のさせるところであったろう。恋こそ奇妙なものである。それは時には人を喜びの頂天に持ち上げ、時には悲しみのどん底につきおとし、また時には、人に比類なき強力を授けさえするのだ。
やがて、興奮から醒めた私は、やっぱり同じ場所に横たわったまま、やや冷静に、これから私のなすべきことを考えた。そして、さまざまに考えめぐらすうちに、ふと或る人のことを思い出した。その名は読者もすでに知っている。私が素人探偵と名づけたところの、深山木幸吉のことである。警察は警察でやるがいい。私は私自身で犯人を探し出さないでは承知できぬのだ。「探偵」という言葉はいやだけれど、私は甘んじて「探偵」をやろうと決心した。それについては、私の奇妙な友人の深山木幸吉ほど、適当な相談相手はないのである。私は立ちあがると、その足で付近の省線電車の駅へと急いだ。鎌倉の海岸近くに住む深山木の家を訪ねるためであった。
[やぶちゃん注:「深山木幸吉」冒頭の「はしがき」に既出で、初出ではルビで「みやまぎこうきち」と振る。]
読者諸君、私は若かった。私は恋を奪われた恨みにわれを忘れた。前途にどれほどの困難があり、危険があり、この世のほかの生地獄(いきじごく)が横たわっているかを、まるで想像もしていなかった。そのうちのたった一つをすら、予知することができたなら――私のこの向こう見ずな決心が、やがて私の尊敬すべき友人深山木幸吉の生命をさえ奪うものであることを、予知しえたならば――私は或いは、あのような恐ろしい復讐の誓いをしなかったかもしれないのだ。だが、私はそのとき、なんのそのような顧慮もなく、成否はともかくも、一つの目的を定めえたことが、やや私の気分をすがすがしくしたのであったか、足並みも勇ましく、初夏の郊外を、電車の駅へと急いだのである。
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