江戸川乱歩 孤島の鬼(34) かたわ者の群
かたわ者の群
同じ日の夕方、私は土蔵の下へ行って、例の紙つぶてによって、私の発見した事柄を諸戸に通信した。その紙きれには、念のために烏帽子岩と石地蔵の位置を示す略図まで書き加えておいた。
しばらく待つと、諸戸が窓のところに顔を出して、左のような手紙を投げた。
「君は時計を持っているか、時間は合っているか」
とっぴな質問である。だが、いつ私の身に危険が迫るかもしれないし、不自由きわまる通信なのだから、前後の事情を説明している暇のないのも無理ではない。私はそれらの簡単な文句から彼の意のあるところを推察しなければならないのだ。
幸い私は腕時計を、二の腕深く隠し持っていた。ネジも注意して巻いていたから、多分大した時間の違いはなかろう。私は窓の諸戸に腕をまくって見せて、手まねで時間の合っていることを知らせた。
すると、諸戸は満足らしく領いて、首を引込めたが、しばらく待つと、今度は少し長い手紙を投げてよこした。
大切なことだから間違いなくやってくれたまえ。おおかた察しているだろうが、宝の隠し場所がわかりそうなのだ。丈五郎も気づきはじめたけれど、大変な間違いをやっている。僕らの手で探し出そう。確かに見こみがある。あす空が晴れていたら、午後四時ごろ、烏帽子岩へ行って、石の鳥居の影を注意してくれたまえ。多分その影が石地蔵と重なるはずだ。重なったら、その時間を正確に記憶して帰ってくれたまえ。
私はこの命令を受取ると、急いで徳さんの小屋へ帰ったが、その晩は呪文のことのはかは何も考えなかった。今こそ私は、呪文の「神と仏が会う」という意味を明かにすることができた。ほんとうに会うのではなくて、神の影が仏に重なるのだ。鳥居の影が石地蔵に射すのだ。なんといううまい思いつきだろう。私は今さらのように、諸戸道雄の想像力を讃嘆しないではいられなかった。
だが、そこまではわかるけれど、「神と仏が会うたなら、巽の鬼を打ち破り」という巽の鬼が、今度はわからなくなってくる。丈五郎が大間違いをやっているというのだから、土蔵の鬼瓦ではないらしい。といって、そのほかに「鬼」と名のつくものが、一体どこにあるのだろう。
その晩は、つい疑問の解けぬままにいつか眠ってしまったが、翌朝、この島には珍らしいガヤガヤという人声に、ふと眼を覚ますと、小屋の前を、船着場の方へ聞きおぼえのある声が通り過ぎて行く。疑いもない諸戸屋敷の雇人たちだ。
私は諸戸に命じられていたことがあるものだから、急いで起き上がって、窓を細目にひらいて覗くと、遠ざかって行く三人のうしろ姿が見えた。二人が大きな木箱を吊って、一人がその脇につき添って行く。それが双生児の日記にあった助八爺さんで、あとの二人は、諸戸屋敷で見かけた屈強な男たちだ。
諸戸が先日「近いうちに諸戸屋敷の雇人たちが、荷物を積んで、舟を出すはずだ」と書いたのはこれだなと思った。私はその人数を彼に知らせることを頼まれているのだ。
窓をひらいてじっと見ていると、三人づれはだんだん小さくなって、ついに岩蔭に隠れてしまったが、待つほどもなく、船着場のほうから一艘の帆前船が、帆をおろしたまま、私の眼界へ漕ぎ出してきた。遠いけれど、乗っているのはさっきの三人と、荷物の木箱であることはよくわかった。少し沖に出ると、スルスルと帆が上がって、舟は朝風に追われ、みるみる島を遠ざかって行った。
私は約束に従って、早速このことを諸戸に知らせなければならぬ。もうそのころは、昼間出歩くことに馴れてしまって、滅多に人通りなぞありはしないと、多寡(たか)をくくっていたので、なんの躊躇もなく、私はすぐさま小屋を出て、土蔵の下へ行った。紙つぶてで事の仔細を告げると、諸戸から、勇ましい返事がきた。
[やぶちゃん注:「多寡(たか)をくくっていた」「たかをくくる」の漢字表記は一般的には「高を括る」である。この「たか(高)」は「生産高」「残高」などの物の数量や金額を見積もった際の総計額を指すように、数量の程度を表わしている。それを「くくる(括る)」というのはそうした「たか」としての対象を「一纏めにする」、ある事柄や対象の認識や理解に対して「ある区切りを定める」「見切りをつける」ことを意味する。現行では、この語はいい意味ではあまり用いず、ある事態に対して「恐らくは進んで行っても(展開して行っても)この程度で留まる(終わってしまう)に違いないと安易に予測して楽観的に考えたり、大した影響はないとして対象を侮(あなど)る際に専ら用いられている。「多寡」は「多いことと少ないこと」であるから、成句としては意味が通り、「日本国語大辞典」でも「多寡」の二番目に「高」の上記の意味への「見よ見出し」を附すから、誤りではない。]
彼らは一週間ほど帰らぬはずだ。彼らが何をしに行ったかもわかっている。もう屋敷の中には手強いやつはいない。逃げるのは今だ。助力を頼む。君は一時間ばかりその岩蔭に隠れて僕の合図を待ってくれたまえ。僕がこの窓から手を振ったら、大急ぎで表門へ駈けつけ、邸内を逃げ出すやつがあったら引っ捉えてくれたまえ。女とかたわばかりだから、大丈夫だ。いよいよ戦争だよ。
この不意の出来事のために、私たちの宝探しは一時中止となった。私は諸戸の勇ましい手紙に胸をおどらせながら、窓の合図を待ちかまえた。諸戸の計画がうまく行けば、私たちは間もなく、久し振りで口を利き合うことができるのだ。そして、私がこの島に来て以来、あこがれていた秀ちゃんの顔を、間近に見、声を聞くことさえできるのだ。この日頃の奇怪なる経験は、いつの間にか、私を冒険好きにしてしまった。戦争と聞いて肉がおどった。
諸戸は親たちと戦おうとしている。世の常のことではない。彼の気持はどんなだろうと思うと、その刹那のくるのをじっと待っている私も、心臓が空っぽになったような感じである。それにしても、彼は腕力で親たちに手向かうつもりなのであろうか。
長い長いあいだ、私は岩蔭にすくんでいた。暑い日だった。岩の日蔭ではあったけれど、足元の砂がさわれないほど焼けていた。いつもは涼しい浜風も、その日はそよともなく、波の音も、私自身つんぼになったのではないかと怪しむほど、少しも聞こえてこなかった。なんとも底知れぬ静寂の中に、ただジリジリと夏の日が輝いていた。
クラクラと眼まいがしそうになるのを、こらえこらえして、じつと土蔵の窓を見つめていると、とうとう合図があった。鉄棒のあいだから腕が出て、二、三度ヒラヒラと上下するのが見えた。
私はやにわに駈け出して、土塀を一と廻りすると、表門から諸戸屋敷へ踏みこんで行った。
玄関の土間へはいって、奥の方を覗いて見たが、ヒッソリとして人けもない。
たとえ対手はかたわ者とはいえ、奸智にたけた兇悪無残な丈五郎のことだ。諸戸の身の上が気遣われた。あべこべにひどい目に会っているのではあるまいか。邸内が静まり返っているのがなんとなく無気味である。
私は玄関を上がって、曲りくねった長い廊下を、ソロソロとたどって行った。
一つの角を曲ると、十間ほどもつづいた長い廊下に出た。幅は一間以上もあって、昔風に赤茶けた畳が敷いてある。屋根の深い窓の少ない古風な建物なので、廊下は夕方のように薄暗かった。
[やぶちゃん注:「十間」十八メートル十八センチ。]
私がその廊下へヒョイと曲ったとき、私と同時に、やっぱり向こうの端に現われたものがあった。それが恐ろしい勢いで、もつれ合いながら私の方へ走ってくるのだ。あまり変な恰好をしているので、私は急にはその正体がわからなかったが、そのものがみるみる私に接近して、私にぶつかり、妙な叫び声をたてたとき、はじめて私は双生児の秀ちゃんと吉ちゃんであることを悟った。
彼らはボロボロになった布切れを身にまとい、秀ちゃんは簡単に髪をうしろで結んでいたが、吉ちゃんのほうは、時々は散髪をしてもらうのか、百日鬘(ひゃくにちかつら)のような無気味な頭であった。二人とも監禁を解かれたことを、無性に喜んで、子供のように踊っていた。私の前で、私の方へ笑いかけながら、踊り狂う二人を見ていると、妙な形のけだものみたいな感じがした。
[やぶちゃん注:「百日鬘」歌舞伎で使用する鬘(かつら)の一つ。月代(さかやき)の長く伸びた様子を表現したもので、時代物の盗賊や囚人などの役で使用する。鬢が左右に黒く垂れ、頭上に茸のような黒い空飛ぶ円盤を載せたみたような奴である。因みに、それがさらにさらに百日分も伸びたさまの鬘に「大百日(おおびゃくにち)」というのもある。]
私は知らぬまに秀ちゃんの手をつかんでいた。秀ちゃんのほうでも、無邪気に笑いかけながら、懐かしそうに私の手を握り返していた。あんな境遇にいながら、秀ちゃんの爪が綺麗に切ってあったのが、非常にいい感じを与えた。そんなちょっとしたことに、私はひどく心を動かすのだ。
野蛮人のような吉ちゃんは、私と秀ちゃんが仲よくするのを見てたちまち怒り出した。教養を知らぬ生地のままの人間は、猿と同じことで、怒ったときに歯をむきだすものだということを、私はそのとき知った。吉ちゃんはゴリラみたいに歯をむき出して、からだ全体の力で、秀ちゃんを私から引離そうともがいた。
そうしているところへ、騒ぎを聞きつけたのか、私のうしろのほうの部屋から、一人の女が飛び出してきた。啞のおとしさんである。彼女は双生児が土蔵を抜け出したことを知ると、まっ青になって、やにわに秀ちゃんたちを奥のほうへ押し戻す恰好をした。
私は最初の敵を、苦もなく取り押えた。対手は手をねじられながら、首を曲げて私を見、たちまち私の正体を悟ると、ギョツとして力が抜けてしまった。彼女はなにがなんだか少しもわけがわからぬらしく、あくまで抵抗しようとはしなかった。
そこへ、さっき双生児が走ってきた方角から、奇妙な一団が現われてきた。先頭に立っているのは、諸戸道雄、そのあとに不思議な生きものが五、六人、ウヨウヨと従っていた。
私は諸戸屋敷にかたわ者がいることを聞いていたが、みな開かずの部屋にとじこめられていたので、まだ一度も見たことがなかった。多分諸戸は、今その開かずの部屋をひらいて、この一群の生きものに自由を与えたのであろう。彼らはそれぞれの仕方で、喜びの情を表わし、諸戸になついているように見えた。
顔半面に墨を塗ったように毛の生えた、俗に熊娘というかたわ者がいた。手足は尋常であったが、栄養不良らしく青ざめていた。何か口の中でブツブツいいながら、それでも嬉しそうに見えた。
足の関節が反対に曲った蛙のような子供がいた。十歳ばかりで可愛い顔をしていたが、そんな不自由な足で、活発にピョンピョンと飛びまわっていた。
小人島(こびとじま)が三人いた。大人の首が幼児のからだに乗っているところは普通の一寸法師であったが、見世物などで見かけるのと違って、非常に弱々しく、くらげのように手足に力がなくて、歩くのも難儀らしく見えた。一人などは、立つことができず、可哀そうに三つ子のように畳の上をはっていた。三人とも、弱々しいからだで大きな頭を支えているのがやっとであった。
[やぶちゃん注:「小人島(こびとじま)」皓星社の「隠語大辞典」に『体格倭小ノ人物』とあるが、小学館の「日本国語大辞典」には見出しとしてあり、『背が低く小さい人が住むと考えられた想像上の島』とあって、俳諧と雑排での使用例があるから、近世のそれから生じた差別用語であろう。]
薄暗い長廊下に、二身一体の双生児をはじめとして、それらの不具者どもが、ウジャウジャかたまっているのを見ると、なんともいえぬ変な感じがした。見た目はむしろ滑稽であったが、滑稽なだけに、かえってゾッとするようなところがあった。
「ああ、蓑浦君、とうとうやっつけた」
諸戸が私に近よって、つけ元気みたいな声でいった。
「やっつけたって、あの人たちをですか」
私は諸戸が丈五郎夫婦を殺したのではないかと思った。
「僕たちの代りに、あの二人を土蔵の中へ締め込んでしまった」
彼は両親に話があるといつわって、蔵の中へおびきよせ、咄嗟のまに双生児とともにそとへ出て、うろたえている二人のかたわ者を、土蔵の中へとじこめてしまったのである。丈五郎がどうしてやすやすと彼の策略に乗ったかというに、それには充分理由があったのだ。私は後になってそのことを知った。
「この人たちは」
私は化け物の群を指さして尋ねた。
「かたわ者さ」「だが、どうして、こんなにかたわ者を養っておくのでしょう」
「同類だからだろう。詳しいことはあとで話そうよ。それより僕たちは急がなければならない。三人のやつらが帰るまでにこの島を出発したいのだ。一度出て行ったら五、六日は大丈夫帰らない。そのあいだに、例の宝探しをやるのだ。そして、この連中をこの恐ろしい島から救い出すのだ」
「あの人たちはどうするのです」
「丈五郎かい。どうしていいかわからない。卑怯(ひきょう)だけれど僕は逃げ出すつもりだ。財産を奪い、このかたわの連中を連れ去ったらどうすることもできないだろう。自然悪事をよすかもしれない。ともかく僕にはあの人たちを訴えたり、あの人たちの命を縮めたりする力はない。卑怯だけれど置去りにして逃げるのだ。これだけは見のがしてくれたまえ」
諸戸は黯然(あんぜん)として言うのだ。
[やぶちゃん注:「黯然」「暗然」「闇然」とも書く。悲しみや絶望などで心が塞ぐさま。深く気落ちする様子。]

