柴田宵曲 俳諧博物誌 (4) 鳶 三 / 鳶~了
三
「狐は穴あり、空の鳥は塒(ねぐら)あり、然(さ)れど人の子は枕する所なし」という。地球の上に産み付けられた鳶は、大空を我物顔に飛び廻るようであっても、結局土を離れることは出来ないので、
雲に鳶五重の塔や蓮(はす)の花 許六
鳶の舞梢は暑し坂ひとつ 枳邑(きいう)
川越の鳶と舞たり秋の水 仙化
鳶の眼もわたらぬ松のしみづかな 成美
晝の間は鳶の留守にや高灯籠 左江
引上て鳶に曇るや高灯籠 龍山(りゆうざん)
というような句を見ると、鳶の姿は空中にあるにかかわらず、大分地上の影が濃くなって来る。高灯籠などが顔を出すに及んで、殊にその感が強い。
鳶の羽も刷(カイツクロヒ)ぬはつしぐれ 去來
うしろ風鳶の身振ひ猶寒し 玄虎
凩(こがらし)や鳶のすがたもふところ手 蜃水
等の句は、いずれも何かにとまった場合であろう。去来の「鳶の羽」は、今までのどの句にもないような高い響を持っている。「かいつくろひぬ」という引締った言葉も、この場合頗る通切である。場所も背景も描かず、ただ鳶だけを点出して、一句を斯(かく)の如く力あるものにしたのは、去来の気稟(きひん)の自(おのずか)ら然(しか)らしむる所でなければならぬ。「ふところ手」というのは、翼を収めている形を、懐手をしていると見立てたので、それが冬の季節を現すことにもなるのであろうが、あまり面白い観察ではない。もし「も」の一字が「人も懐手をしている」という意味を裏面に寓しているとしたら、いよいよ面白くないわけである。
[やぶちゃん注:去来の句は底本「刷ぬ」の「刷」に「かいつくろい」とルビし、本文も「かいつくろいぬ」とするが、歴史的仮名遣を平然と無視していて、宵曲の僻事(ひがごと)ではないが、『いよいよ面白くな』く、「てにをは」を命(いのち)とする俳諧の風上にも置けぬ、鳶も呆れて糞ひって飛び去ってしまうような低レベルのトンデモ仕儀である。これは一見、柴田宵曲のやったことのように見えてしまうが、そうではない。恐らくは編者小出昌洋氏が岩波編集部の方針――文庫化する当該文章『原文』全体『が文語文であるとき』に場合に限って『旧仮名づかいのままとする』であるが(尤も、本篇は引用以外の全体は口語文であるからこの条件に当て嵌まらないことに注意!)、しかし『振り仮名』については、『読みにくい語、読み誤りやすい語には現代仮名づかいで振り仮名を付す』という融通の全く利かないトンデモ規則(二重鍵括弧が岩波文庫編集部による巻末にある編集付記の表記についての現行の編集方針内容)に従って許諾した(せざるを得なかった)仕儀と思われる。しかしこうした変更は、文学を編集する者の当然の『気稟』として、基本的に厭なもの・嫌悪すべきもの・おぞましく感じること・恥ずべき行為であると私は思っている。特に短詩文学である俳諧世界では絶対の禁足として指弾されるべきものであると断ずる。さればこそ、「猿蓑」原文によって(カタカナ・ルビは「猿蓑」のママ)句を訂し、本文のそれは、それをひらがな表記に直したもので特異的に訂した。因みに、堀切実編注の岩波文庫「蕉門名句選(下)」(一九八九年刊)の本句(無論、そこでは「刷」には『カイツクロヒ』とルビする)のこの語の注に、『「かき繕ひ」の音便形。乱れた筋目など整えなおすの意。また』、『身づくろいする意にも。本来は他動詞的用法のものであるが、ここは雨に濡れてかいつくろわれた、という意で、自動詞的に用いられている』とある。
「気稟」生まれつき持っている気質。]
うろうろと何を燒野の鳶からす 母風(ぼふう)
冬枯や物にまぎるゝ鳶の色 吏明(りめい)
霜かれて鳶の居る野の朝曇 曉臺
これらは先ず地上にあるものと解せられる。
しぐるゝや鳶のをりたる捨桴(すていかだ)
智邑
の如く、その場合ははっきりしておらぬが、地に近づいた場合でないと、こうした感じは受取りにくい。「物にまぎるゝ鳶の色」の一語に、蕭条たる冬枯の色と鳶の羽の色とを併せて描き去ったのは、巧(たくみ)な叙法というべきであろう。
俳人は下界の鳶を観察してその巣に及んだ。鳥の巣は春の季になっている。もし鳶そのものに季を求めるとすれば、春季の鳶の巣か、鳶の子を持出すより外に仕方があるまい。岡本綺堂氏の書いたものによると、鳶はわが巣を人に見せぬという俗説があるそうである。鳶の巣は如何なるものか知らぬが、いずれ高い木の上に巣くうのであろうから、容易に人に見つからぬものと思われる。
[やぶちゃん注:「岡本綺堂氏の書いたものによると、鳶はわが巣を人に見せぬという俗説があるそうである」先に出た岡本綺堂の随筆「鳶」(昭和一一(一九三六)年五月発行『政界往来』初出。後に単行本「思ひ出草」「綺堂むかし語り」に収録。後者が「青空文庫」で電子化されており、こちらで読める)の一節。ここでは死の二年前に出た随筆集「思ひ出草」(昭和一二(一九三七)年相模書房刊)から引く(国立国会図書館デジタルコレクションの同書の画像を視認)。踊り字「〱」は正字化した。
*
私はこのごろ目黒に住んでゐるが、こゝらにはまだ鳶が棲んでゐて、晴れた日には大きい翼をひろげて悠々と舞つてゐる。雨のふる日でもトロトロと鳴いてゐる。私は舊友に逢つたやうな懷かしい心持で、その鳶が輪を作つて飛ぶ影をみあげてゐる。鳶はわが巢を人に見せないといふ俗説があるが、私の家のあたりへ飛んで來る鳶は近所の西鄕山に巢を作つてゐるらしい。その西郷山もおひおひに拓かれて分讓地となりつゝあるから、やがてはこゝらにも鳶の棲家を失ふことになるかも知れない。いかに保護されても、鳶は次第に大東京から追ひ遣らるゝの外はあるまい。
*]
鳶の巢と里の木のぼり霞みけり 冥々
五月雨は鳶のうき巢を懸てけり 春澄(しゆんちよう)
鳶の巢としれて梢に鳶の聲 北枝
鳶の巢にひるまぬ藤や木の間より 桃鄰
このうち鳶の巣を季としているのは、北枝の一句だけである。梢に鳶の声がするのを開いて、この木には鳶の巣のあることがわかる、という意味であろう。強いて理窟をいうならば、梢に鳶が鳴いているからといって、必ずしもその木に巣があるとは断定出来ないかも知れぬ。作者もそこを慮(おもんぱか)ったものか、一本には「鳶の巢としれず梢は鳶の聲」となっている。この方だと、梢に鳶の声がするけれども果して鳶の巣があるかどうかわからぬということになって、理窟は合うようなものの、いささか理が詰み過ぎる嫌がある。作者の最初の感じは「鳶の巣としれて梢に鳶の声」であったのを、だんだん考えた結果、右のように直したのではあるまいか。子規居士の歌に「森の木にくふや鳶の巢鶉の巢鶉の子鳴けば鳶の子も鳴く」とあるのは、多分この北枝の句から来たものであろう。『分類俳句』の春の部には、ちゃんと鳶の巣の一項があって、北枝及(および)桃鄰の句を収録しているからである。鳶の巣の近くに鶉の巣があって、鶉の子が鳴けば鳶の子も鳴くなどというのは、内容が複雑になっている代りに、想像の産物たるを免れぬが、「子」ということを点じただけは、慥に北枝のより一歩を進めている。子の鳴声が聞えるなら、巣のあることは明(あきらか)である。北枝の句に対する疑問は、ただ鳶の声を耳にしただけで巣を想像する点にあるかと思う。
[やぶちゃん注:「鳶の巣としれて梢に鳶の声」は宵曲の推測句形であるから、正字化はしていない。]
北枝は十七字の中に「鳶の巢」と「鳶の聲」を重ねて用い、子規居士は更に二重奏の格で、「鳶の巢鶉の巢」「鶉の子鳴けば鳶の子も鳴く」と繰返した。この句も歌も別にすぐれたものではないけれども、こういう句法を用いたことに注意すべきであろう。北枝と同じ元禄人の連句に
水仙や圍ひの花を藪に見る 淺生(あさお)
尋ぬる家の留主(るす)てこからし 兎白
鳶の立(たつ)鳶の跡から鳶啼(ない)て
杏雨
というのがあり、これは鳶の字が三つある。十七字の中に三度同じ名詞を繰返すのは、少し多過ぎるかも知れぬが、作者工夫の迹(あと)の認むべきものがないでもない。
[やぶちゃん注:言わずもがなであるが兎白の句は前の淺生の句の付句である。]
桃鄰の句も一本には「鳶の羽に」となっている。この場合の「鳶の羽」は、その形や色よりも羽風(はかぜ)を連想せしめる。従って「ひるまぬ」という言葉には「羽」の方が適切らしいが、そういう猛禽の巣があるにも恐れず、高い梢に藤の絡んでいるところを詠んだとすれば、「鳶の巣」でも差支(さしつかえ)はなさそうである。木の間に垂るる山藤の花は、一句の世界を極めて美しいものにしている。
巣の有無にかかわらず、梢の鳶を描いたものはいろいろある。
蓬萊や動かぬ枝にとまり鳶 貞佐
初午や梢に鳶のふき合せ 同
下闇や梢は晝で鳶の聲 除風
翠(みどり)して鳶鳴く楠(くす)の木ずゑかな
闌更
朝霧や枝に居ながら鳶の聲 可風
蹈折(ふみを)つて枝なき鳶の師走かな
淡々
毛をこぼす鳶や梢の小六月(ころくぐわつ)
蒼虬(さうきう)
鳶は空を飛びながらも囁き、梢にとまっても暗く。初午の句はよくわからぬが、人の吹く笛に合せて鳶の啼くことを詠んだものであろう。鳶の声を捉えた句は、右に挙げた外にも各季にわたって散見する。
[やぶちゃん注:「蓬萊」は、この場合、神仙の住む蓬萊山を象った正月の祝儀物の蓬萊飾りを指す。一般的に見慣れた正月飾りの素材に添えて、松竹梅・鶴と亀・尉(じょう)と姥(うば)などの祝儀物の人工的なフィギアの造り物を添えることがありここはその景を詠んだものであろう。]
夕晴や柳に盈(こぼ)す鳶の聲 五明(ごめい)
卯の花や巽(たつみ)ははれて鳶の聲 蘆角
鳶啼(なく)や花も榎も蹈散(ふみちら)し
白良(はくりよう)
さみだれや耳に忘れし鳶の聲 嘯山
日の落(おち)て樹(き)になく鳶や秋の風
其雷(きらい)
鳶の眞似してや棗(なつめ)の四十雀 楓井(ふうせい)
浮雲やあふちの花に鳶の聲 涼菟(りやうと)
鳶の啼く日の淋しさよ草の花 士朗
鳶鳴(ない)て木を割(わる)音や冬籠り
海印
柴漬(ふしづけ)に浪の立(たち)ゐや鳶の聲
我々(がが)
茶の花に何を追込む鳶の聲 推柳
十月やけさは鳶啼(なく)藪の空 風芝
鳶の声はあまり愛すべきものでもないが、晴を卜(ぼく)するに足るというので、何となく明るい感じがする。嘯山の句は降り続く五月雨に、この頃鳶の声を聞かぬ、それを「耳に忘れし」といったのであるが、雨中といえども鳶は啼かぬわけではない。
[やぶちゃん注:「鳶の声はあまり愛すべきものでもないが、晴を卜するに足るというので、何となく明るい感じがする」敢然と言いたい。私は鳶の声が好きだ。更に物言いを言っておくと、確かに快晴が有意に続いた日中には太陽光によって地面が暖まり、地表近くの空気温度が上がり、その結果として上昇気流が起こって、それに乗って鳶が狩りするために高いところへ飛び翔ける(晴天時は空気の透明度が高いから索餌に適しているとも言えるし、逆に湿度が高くなって視界が悪くなれば彼らは低い位置を飛翔する傾向があることも事実ではある)ことはままある。あるが、それは結果であって予兆でも何でもない。だから「卜するに足」らぬものだ。寧ろ、考えてみれば、晴天であっても、低気圧が近づけば上昇気流が発生し、それに鳶が乗って舞い上がるとも言えるわけであり、その時こそ、鳶は晴れを占うのではなくて、雨を予兆するのだと言えるではないか! 蘆角や一茶を引き合いに出そうが(次を見よ)、宵曲の謂いは博物学的には不十分であると私は思う。]
朝鳶がだまして行(ゆく)や五月雨(さつきあめ)
一茶
という句は、雨中に鳶の声が聞えても、更に晴れる様子のないことを詠んだので、一茶一流の騙(だま)すという擬人法は、この場合気象台の予報と同じく、全く天候の上に繋っている。蘆角の「卯の花」の句も雨である。但(ただし)辰巳の方の空は已に晴れかけて、爽かな鳶の声がするのだから、この雨は必ずあがると見てよかろうと思う。その他はすべて晴れた日の句と解すべきで、海印の「冬寵り」の如き、文字の上には何も現れておらぬにかかわらず、やはり好晴の天を想わしめる。晴れた空に鳶が啼き、どこかで薪(まき)を割る音が聞えて来る。一室を出ようともせぬ閑居の人の世界は、殆ど聴覚だけのものになっているのである。
楓井の「四十雀」の句は、他の声を持って来て側面から鳶の声を現そうとした。その点前に引いた貞佐の「初午」の句に似ているが、鳶の声を如実に描いたものとしては、
鳶ひよろひいよろ神の御立げな 一茶
を挙げなければならぬ。「神の御立」は神の旅である。出雲へ旅立ち給う首途(かどで)の合図に鳶が啼いたとすると、この句には笛の音に近いものが含まれているような気がする。
鳶ついと社日(しやにち)の肴(さかな)領しけり
嘯山
ふゆ木立鳶のかけたるわらぢかな 成美
鼠喰ふ鳶のゐにけり枯柳 太祇
眼前
猫喰(くら)ふ鳶がむさいか網代守(あじろもり)
北枝
油揚を攫う鳶は遂に俳句の中に発見し得なかった。冬木立の草鞋(わらじ)は果して鳶が攫って行ったものかどうかわからない。高い梢にかかっているのを見て、鳶が攫って行ったものと解釈したまでであろう。鼠も食われ、鼠を食う猫もまた食われる。そこに現世における自然の姿がある。北枝が前書に記した通り「眼前」の消息なのである。
[やぶちゃん注:「社日」雑節の一つで産土神(うぶすながみ:郷土の古来からの土地神)を祀る日。ウィキの「社日」によれば、『春と秋にあり、春のものを春社(しゅんしゃ、はるしゃ)、秋のものを秋社(しゅうしゃ、あきしゃ)ともいう。古代中国に由来し、「社」とは土地の守護神、土の神を意味する』。『春分または秋分に最も近い戊(つちのえ)の日が社日となる』、但し、『戊と戊のちょうど中間に春分日・秋分日が来る場合(つまり春分日・秋分日が癸(みずのと)の日となる場合)は、春分・秋分の瞬間が午前中ならば前の戊の日、午後ならば後の戊の日とする。またこのような場合は前の戊の日とする決め方もある』。『この日は産土神に参拝し、春には五穀の種を供えて豊作を祈願し、秋にはその年の収獲に感謝する。また、春の社日に酒を呑むと耳が良くなるという風習があり、これを治聾酒(じろうしゅ)という。島根県安来市社日町などが地名として残っている』とある。]
鳶はいろいろなものを攫って行く代りに、時に空中から取落すこともあるらしい。俳人はこれをも見遁(みのが)さなかった。
古鳶の魚とり落すしぐれかな 卓池
芋頭(いもがしら)鳶や落せし酉の市 抱一
尤も抱一のは目撃でなしに想像である。明治以前に甚だ乏しい酉の市の句の、芋頭までが鳶によって拾われているのは面白い。
[やぶちゃん注:「芋頭」サトイモの塊茎。親芋。人の頭(かしら)に立つ意を通わせ、また子が多いところから正月の縁起物に用いる。通常は新年の季語であるが、ここは「酉の市」がロケーションで季語だから初冬となる。]
あなかなし鳶にとらるゝ蟬の聲 嵐雪
ひるがほに蝨(しらみ)のこすや鳶のあと
嵐蘭(らんらん)
鳶の狙う対象としては、蟬は少し小さ過ぎる。嵐雪も現在鳶が捕る有様を見て、この句を詠んだのではなさそうである。耳に悲しげな蟬の声を聞いて、何かに捕えられたらしい蟬の運命を憐んだのであろう。「あなかなし」という上五字に、嵐雪一流の抒情味が溢れている。
「ひるがほ」の句は鳶が地に下りた場合の遺留品と解せられる。俳人はこの種の観察を怠らなかったと見えて、元禄時代の句の中にも、「羽蝨(はじらみ)を花に落すなむら烏 正秀(まさひで)」「つばくらの蝨うつるなほとゝぎす 素覽」「梟の蝨落すな花のかげ 北枝」「蝙蝠の蝨落すな星祭 曲翠」等、いくつも算えることが出来る。ただ以上の句は悉く「落すな」「うつるな」という警戒的注意であるのに、嵐蘭は昼顔のほとりに遺された蝨を以て、明(あきらか)に鳶のものと認めている。
[やぶちゃん注:節足動物門 Arthropoda 昆虫綱 Insecta 咀顎(そがく)目 Psocodea に分類されるハジラミ(羽虱)類で、チョウカクハジラミ(ホソツノハジラミ)亜目 Ischnocera・ゾウハジラミ亜目 Rhynchophthirina・タンカクハジラミ(マルツノハジラミ)亜目 Amblycera 等に属する。ウィキの「ハジラミ」によれば、『鳥の羽毛や獣の体毛の間で生活し、小型で扁平、眼は退化し翅は退化している。成虫の体長は』〇・五~一〇ミリメートルで、『雄は雌より少し小さい。体色は白色、黄色、褐色、黒色と種によってさまざまである。大部分が鳥類の外部寄生虫で鳥類のすべての目に寄生し、一部は哺乳類にも寄生する。全世界で』二千八百『種ほどが知られ、うち』二百五十『種が日本から記録されている』。『ハジラミは全体の形はシラミに似るが、細部では多くの点で異なっている。胸部の各節は完全に癒合することはなく前胸部は明らかに分かれる』。『体表は剛毛に覆われ、多いものと比較的少ないものがある。また口器はシラミと違って吸収型でなく』、『咀嚼型で大顎が発達している。宿主の羽毛、体毛と血液を摂取するが、フクロマルハジラミ』タンカクハジラミ亜目タンカクハジラミ科メナカントゥス属メナカントゥス・ストラミネウス(フクロマルハジラミ)Menacanthus
stramineus)『のように血液を成長中の羽毛の軸からとる種もある。ペリカンやカツオドリの咽喉の袋にはペリカンハジラミ属』(Pelecanus)『やピアージェハジラミ属』(Piagetiella)『が寄生し、大顎で皮膚を刺し、血液や粘液を摂取する』(以上の二属の属名は寄生される鳥と同名。上位タクソンは調べ得なかった)。『不完全変態で、卵→若虫→成虫となる。卵は長卵型でふつう白く、宿主の大きさに対応し』、一ミリメートル以下から二ミリメートル『近いものまである。卵は宿主の羽毛か毛に産みつけられるが、羽軸内に産みこむものもある。若虫は成虫に似ており』、一『齢若虫では小さく色素をもたないが、脱皮ごとにしだいに大きくなり』、『着色し』三『齢を経て成虫となる』。『ハジラミは温度や宿主のにおいに敏感で、適温は宿主の体表温度である。宿主が死に体温が下がるとハジラミは宿主から脱出しようとする。そのままでいれば、宿主が死ぬとハジラミも数日内に死ぬ』。『ハジラミの感染は交尾、巣づくり、雛の養育、砂あびなど宿主間の接触で起こる。もう一つの方法は翅のある昆虫に便乗することで、吸血性のシラミバエの体に大顎でしがみつき他の鳥に運ばれる。自然の集団では雌が多く、ある種では雄がほとんど見つからない。ウシハジラミ』(チョウカクハジラミ亜目ケモノハジラミ科Bovicola
bovis)『では処女生殖が知られている。前胃にハジラミの断片が見つかることがあるが、この共食いの現象は個体数の調節に役だつと考えられている』。『ハジラミの最大の天敵は宿主であって、ついばみ、毛づくろい、砂あびによって殺される。また鳥の蟻浴も同様の効果がある。くちばしを痛めた鳥は十分毛づくろいができないので、非常に多数のハジラミの寄生をうけ弱る。哺乳類のハジラミは有袋類、霊長類、齧歯類、食肉類、イワダヌキ類および有蹄類に寄生し皮膚の分泌物や垢を食べているが、トリハジラミ』(タンカクハジラミ亜目トリハジラミ(鳥羽虱)科 Menoponidae)『ほど多くはない』。『ハジラミの祖先はチャタテムシのコナチャタテ亜目Nanopsocetae下目であると見られる』(確かに幾つかの拡大画像を見たが、形状が実に酷似している)。『自然の中で地衣類やカビを食べ自由生活をしていたチャタテムシが、三畳紀、ジュラ紀といった中生代初期から新生代の初期である古第三紀の間に羽毛を持つ動物の巣に寄生する生活を経て、生きた鳥の羽毛にとりつき寄生するようになったと考えられるが、化石は発見されていない。ちなみに、近年では羽毛は鳥の祖先の恐竜の一部の系統で既に発達していたことが知られるようになってきているので、初期のハジラミは鳥の出現以前に恐竜に寄生していた可能性もある』。『系統学的解析により、ハジラミは』二『つの系統が別々に進化したことがわかっている。哺乳類・鳥類に外部寄生するという特徴的な生態により、収斂進化が進んだ。うち』一『つの系統は、咀嚼性から吸収性へと進化したシラミを生み出した』。『ある種のハジラミは』二『種以上の鳥に寄生することがあるが、それは鳥の進化の速さがハジラミのそれを上まわったためと考えられている。つまり、宿主が環境に適応して変化しても、ハジラミにとっての生活環境である鳥体表面の条件、つまり食物の栄養や、温度条件などはあまり変化しないからだというのである。これをV・L・ケロッグは遅滞進化と名付けた。例えばアフリカのダチョウと南アメリカのレアには共通のハジラミが寄生しており、今日では形態も分布も異なっているとしても、これらのダチョウは共通の祖先から分化したことを物語っている。ミズナギドリの仲間には』十六属百二十四種もの『ハジラミが知られているが、ハジラミの知見は大筋においてミズナギドリの分類系と一致するといわれている』。『アジアゾウ、アフリカゾウなどに寄生するゾウハジラミ』(ゾウハジラミ亜目ゾウハジラミ科 Haematomyzidaeゾウハジラミ属 Haematomyzus)『は体長』三ミリメートル『足らずの小さなシラミで、長い吻をもち吸血するが、その先端に大顎を』持ち、『完全にハジラミの形態をそなえており、ハジラミとシラミ』(咀顎目シラミ亜目 Anoplura:ヒトジラミ科 Pediculidae などの狭義のシラみ類を指している)『の間を結ぶ中間型とされる』。『人間に直接に加害するものはいないが、家畜や家禽につくものがある。ハジラミが多数寄生すると、鳥や獣はいらだち、体をかきむしり体を痛め、食欲不振や不眠をきたす。家禽は産卵数が減り太らなくなり、ヒツジは良質の羊毛をつくらなくなる。ニワトリハジラミはニワトリに寄生するハジラミ類の総称で、畜産上はニワトリナガハジラミ』(チョウカクハジラミ亜目チョウカクハジラミ科 Philopteridae ハジラミ属ニワトリナガハジラミ Lipeurus caponis)・『ハバビロナガハジラミ』(チョウカクハジラミ科Cuclotogaster 属ハバビロナガハジラミCuclotogaster
heterographus)・『ニワトリマルハジラミ』(この和名では学名を探し得なかった)・『ヒメニワトリハジラミ』(チョウカクハジラミ科Goniocotes
属Goniocotes
hologaster)の四『種が重要である。そのほか、ニワトリハジラミやニワトリオオハジラミも寄生する。これらはいずれも世界共通種である。キジ目の中には家禽となるものが多いが、同目のニワトリと近縁であるからいっしょに飼えばハジラミの混入が生ずる』。『多数寄生すればニワトリは羽毛がたべられ』、『かゆみのため体力が弱まり、成長が遅れ産卵率の低下をみる。防除には殺虫剤を使い、鶏舎内を清潔に保つことが必要である』とある。あまり理解されているとは思われないので言っておくと、鳥類へのこのハジラミ類の寄生率は極めて高い。引用中にも出たが、私自身、弱って地に落ちた燕から、ぞろぞろと必死で逃げ出す彼らを見たことがある。何故か、無性に腹が立ったのを覚えている。]
鳶の萊て蝨こぼすや家ざくら 雨江
という句もまた制止的命令でなしに、現在蝨をこぼすものとした。何か鳶に限って証迹(しょうせき)歴然たるものがあるのであろうか。もしそれがないとしたら、鳶罪の甚しいものといわなければならぬ。
[やぶちゃん注:「鳶罪」底本のママ。思うにこれ、冤罪の誤植ではないのか? それともそれを確信犯で洒落たとでも言うのか? とすれば、宵曲はかなり厭味な奴ということになろうかと存ずるが?]
かきつばたへたりと鳶のたれてける 蕪村
この句は燕子花(かきつばた)のような美しい植物に対し、思いもよらぬ鳶の糞を配したところ、奇想というを憚らぬが、一面からいうと、あまり手際がよ過ぎるために、自然の感じは多少弱められているようである。鳶の糞を詠んだものは以前からあって、
華科(とが)なしあたまから肩へ鳶の糞 素風
鳶に糞しかけられたる瓠(ひさご)かな 鐡山
の如く、いずれも植物を題材に用いている。これらの句に比すれば、蕪村の句が一頭地を抽(ぬ)いていることは論を俟たぬ。
鳶に関する俳人の観察は、以上の例句でほぼ尽していると思うが、なお数句を挙げて足らざる点を捕って置きたい。
舞ふ鳶の中はせはしや夕雲雀 不卜
鳶の羽風(はかぜ)靑梅ひとつ零しかな
求魚(きゆうぎよ)
つゝくりて鳶もまだ寢ず初月夜 卓袋(たくたい)
蓙(ござ)きれの鳶にもならずあきの暮
洞々(とうとう)
いつまでか鳶にもならで古ぶすま 成美
彼(かの)袴(はかま)鳶になつたか夕しぐれ
如行(じよかう)
麥まきや風にまけたる鳶烏 吏明(りめい)
雲雀も空の高くまで上る鳥ではあるが、軀(からだ)が小さいだけに大分忙しいところがある。「零し」は「オチシ」と読むのであろう。鳶が低くおろして来た羽風に、青梅が一つほろりと落ちる、自然の観察者に取っては看過しがたい小事実である。暮方の鳶を描いたものは、前に「日の落て」という其雷の句があったが、卓袋は進んで暮れた後を捉えた。「初月夜」は陰暦八月初の月をいうと歳時記にある。日はもう暮れて、繊(ほそ)い月が西にあるような場合であろう。「鳶もまだ寢ず」という言葉は、この場合いささか不明瞭であるが、高い梢の巣から啼く声が聞えて来るのをいったものではあるまいか。上五字が「つゝくりと」となっている本もあり、この語意がはっきりすれば、全体の趣ももう少しはつきりして来るのかも知れぬ。
如行の句には「尾陽の鱠山(くわいざん)は一頭三面の市中に住て神や佛や儒や萬屋のあるじと成(なり)て等閑滑稽に心を遊(あそば)せ杜子(とし)が景情山谷が廣作を我物とする事久し、今年秋の末至日(しじつ)何やらむつかしと髪剃捨浮世(かみをそりうきよをすてん)に後さしむけ必(かならず)と西行遍照(へんじやう)ごときの佛たふとみにもあらず、旅衣か應(こた)ふ綸綴(りんてい)かおふるのかたちかるがるし、予ある日其閑戸を敲(たた)いて例の一笑を進む」という長い前書がついている。別に鳶には関係がないが、袴が鳶になるというのは説明を要するであろう。俗説に「古筵(ふるむしろ)鳶になる」ということがあって、木導なども「出女説(でおんなのせつ)」の中に「物皆終りあれば古筵も鳶にはなりけり」と書いている。洞々はそのまま一句の趣向としたのであるが、成美はこれを衾(ふすま)とし、如行は一転して袴とした。特に袴を持出したのは、鱠山が俗を捨てて法体(ほったい)になったためかと思う。今は不要になった彼の袴は多分鳶になったろうというところに、俳語らしい転化の迹(あと)が窺われる。
[やぶちゃん注:「袴が鳶になる」これは、ある程度の長い年月を経たものか、或いは、いわく因縁のある道具などに霊が宿った、所謂、「付喪神(つくもがみ)」の変容したものであろう。それらが化けて妖怪めいたものとなって百鬼夜行のように登場して跋扈することになったのは中世以降であったが、近世には早くもその流行は廃ってしまう。この無生物の化生説は、そうした名残りと読み取るべきであると私が思っている。]
吏明の句は、麦蒔をする畑のほとりに、はじめのうちは鳶や鴉が集っていたが、風の強いのに辟易したらしく、遂に姿が見えなくなった。それを「風にまけたる」といったのである。見方によっては働き過ぎた言葉のようでもあるが、これだけの事を簡単に現すためには、やはりこの種の言葉を用いなければなるまい。
むぎ蒔の鳶袖すりに落すかな 玉扇
などという句に比較すると、伎倆(ぎりょう)において同日の談でないことがわかる。
鳶ひじり柿の衣をしぐれけり 星府
『十訓抄(じっきんしょう)』に子供に捕えられた古鳶を助ける僧の話があって、鳶と見えたのは実は天狗であり、僧の乞に任せ釈尊説法の有様を見せるということになっている。しかも天狗が後シテの格で藪から現れる時は、法師の姿をしているのだから、どうもこの句に関係がありそうである。「鳶ひじり」という言葉は他に用例があるかどうか、鳶に化した聖、若しくは鳶の化した聖という『十訓抄』の典拠なしに、この言葉の解釈が出来るかどうか。もしその解釈が成立つとすれば、「鳶のすがたもふところ手」の句の如く、鳶そのものを聖と見立てたとしてもいいわけであるが、われわれは先入観に捉われているせいか、いささか無理なような気がする。
[やぶちゃん注:「十訓抄」のそれは「第一 可定心操振舞事」(心の操(きさを)を定むべき振舞(ふるまひ)の事」の中の一条。これは既に私が『柴田宵曲 續妖異博物館 「佛と魔」(その1)』の注で電子化してあるので、そちらを参照されたい。]