進化論講話 丘淺次郎 藪野直史附注 第七章 生存競爭(3) 三 異種間の競爭
三 異種間の競爭
先づ異種間競爭の著しい例を四つ五つ擧げて見るに、ヨーロッパには、昔は鼠と言へば、たゞ黑鼠が一種あつたばかりである所、千七百年代の初めに、ロシアのヴォルガ河口邊にアジヤ産の鳶色鼠が現れ、それより盛に蔓延して、到る處從來の黑鼠を追ひ退け、今ではヨーロッパの大抵の處では昔の黑鼠は全くないか、またはあつても極めて稀になつてしまつた。この二種の鼠は形狀・習性ともに大同小異で、生活に要する需用品も略々全く同一である故、その間に劇しい競爭が行はれ、鳶色鼠の方が何か僅の點で勝つて居たので、斯かる結果に立ち至つたものと見える。兩種ともに我が國にも産するが、我が國でもやはり鳶色の鼠の方が遙に多い。
[やぶちゃん注:「黑鼠」「クロネズミ」という名称は特定種を指す語としては現在は機能せず、単に「黒い毛色の鼠」或いは「黒みがかった鼠色(の鼠)」意でしか用いられないが、諸条件から考えると、哺乳綱ネズミ目リス亜目ネズミ型下目ネズミ上科ネズミ科クマネズミ属クマネズミ(熊鼠)Rattus rattus を指していると思われる。生態・習性等はウィキの「クマネズミ」を参照されたい。
「鳶色鼠」同じく現行では「とびいろねずみ」なる異名を持つ鼠はいない。しかし、先の「黑鼠」をクマネズミに同定出来れば、諸条件から考えると、これはクマネズミ属ドブネズミ Rattus norvegicus と考えられる。その根拠は、丘先生が「兩種ともに我が國にも産する」と言っている点で、本邦には広義のネズミ類は多くいるものの、主に野外に棲息する所謂、「野ネズミ」類を除外し、都会に於いても極めて普通に見かけるところの、家屋やその周辺に棲息する「家ネズミ」に限るならば、日本に現在棲息するネズミ類のうちでこれに相当する種はドブネズミ・クマネズミ・ハツカネズミ(ネズミ科ハツカネズミ属ハツカネズミMus
musculus)の三種にほぼ限られるからであり、しかも、鼠害としての深刻さは前二者に比してハツカネズミのそれは遙かに小さいことを考えても、丘先生が「この二種の鼠は形狀・習性ともに大同小異で、生活に要する需用品も略々全く同一である故、その間に劇しい競爭が行はれ」ていると述べる場合、明らかにハツカネズミは候補対象足り得ないと考えられるからである。さらに、丘先生は、この「鳶色鼠」の初期発生地を「ロシアのヴォルガ河口邊」「アジヤ産」と述べておられるが、ドブネズミの初期発生と移動推定について、ウィキの「ドブネズミ」では、『ドブネズミの原産地は、中央アジア、あるいはシベリア南部の湿地帯と考えられて』おり(但し、この部分にはその提唱者明記の要請が掛けられてはいる)、『記録によれば』、一七三七年『にドブネズミの大群がヴォルガ川を渡ってヨーロッパに侵入、以後西進し』、二十『年後の』一七五七年『にはロンドンに現れた。アメリカ大陸での記録は』一七七五年『から始まる』(但し、ここにも要出典要請が掛けられはある)とあるからである(下線やぶちゃん)。ここで提唱者や出典要請が掛けられているものの、この「鳶色鼠」が「ドブネズミ」であるとすれば、既に大正期に生物学の碩学である丘先生が「千七百年代の初めに、ロシアのヴォルガ河口邊にアジヤ産の鳶色鼠が現れ、それより盛に蔓延し」「ヨーロッパの大抵の處」で繁栄しているとするのは、この一七〇〇年代にヴォルガ河口域を原産地とするドブネズミがヨーロッパに侵入して瞬く間にその縄張りを広汎に拡大したという仮説がこの大正時代に既に定説として生物学に認識されていたことを示す証左ともなるとは言えるではないか。]
この鳶色鼠は船などに紛れ込んで、今日交通の盛な土地へは何處へでも擴がつて居るが、ニュージーランドにも入つて、忽ち盛に繁殖した。この島には元來舊土人が南洋の或る島から持つて來たといふ一種の鼠が住んで居たが、鳶色鼠に段々位地を奪はれて、今では全く絶えてしまつた。またこの島ではヨーロッパ産の蠅が來てから、從來土着の蠅は追々亡び失せる有樣である。
[やぶちゃん注:「南洋の或る島から持つて來たといふ一種の鼠」不詳。「今では全く絶えてしまつた」ではますます判らぬ。しかし、それ自体が人為的移入種であることには変わりはない。現在、ニュージーランドは二〇五〇年までに外来種を完全に絶滅させる壮大な(私はある意味、「不遜な」と言いたい。土着の現地人以外の白人は皆、人為的外来侵入種であるからである)プロジェクトを進めようとしている。
「ヨーロッパ産の蠅」不詳。
「土着の蠅」不詳。]
ロシヤには臺所に住む一種の大きな「あぶらむし」があつたが、アジヤ産の稍小い「あぶらむし」が入り込んでから、前の種は忽ちの間に全く影も止めず、消えてしまつた。人間社會では今日ヨーロッパ人が跋扈して、アジヤ人は實に情ない有樣に壓倒せられて居るが、動物界に於ける鼠と「あぶらむし」とはアジヤ産の種類がヨーロッパヘ攻め入つて、その大陸全部を征服し終つたのである。
[やぶちゃん注:当時の国粋主義者・国家主義者及び軍部が喜びそうな一段ではある。
「ロシヤ」の「臺所に住む一種の大きな」「あぶらむし」節足動物門昆虫綱ゴキブリ目 Blattodea の一種であるが、種は不詳。生理的に嫌悪されるゴキブリ類は熱帯を中心として全世界に約四千種(本邦だけでも南日本を中心に五十種余(研究者によれば、一九九一年の時点で五十二種七亜種を数える)が知られる。参照したウィキの「ゴキブリ」によれば、世界に棲息するゴキブリの個体総数は 一兆四千八百五十三億匹とも言われ、本邦にはその一・五八%に当たる二百三十六億匹がいると推定されている、とある)。三億年前から形態を殆んど変えずに生きてきた人間などより遙かに古株の生物種群である。
「アジヤ産の稍小い」(「ややちいさい」と読む)「あぶらむし」軽々には断定出来ないものの、有力な一候補は、我々もお馴染みの(お馴染みになりたくはないのだが)、ゴキブリゴキブリ科 Periplaneta 属クロゴキブリ Periplaneta
fuliginosa 或いはその近縁種を挙げてよかろう。ウィキの「クロゴキブリ」によれば、『本種は日本在来の昆虫ではなく、人類の海上移動に伴い侵入してきた外来種である。原産地は中国南部であるとする説が有力』で、十八『世紀前半に南西諸島に上陸し、以後島伝いに分布を北上させたとみられている。また、日本に限らず様々な地域を渡り歩いて分布を拡げたコスモポリタンでもあり、ほぼ世界中で姿を見ることができる』とある。]
オーストラリヤに蜜蜂を輸入してからは、土著の一種の蜜蜂は年々減じて行くやうである。
[やぶちゃん注:しかし、個人ブログ「花を増やそう!みつばち百花」の「かつてオーストラリアにミツバチは生息していなかった!?」によれば、オーストラリアにはミツバチ(膜翅(ハチ)目細腰(ハチ)亜目ミツバチ上科ミツバチ科ミツバチ亜科ミツバチ族ミツバチ属 Apis)は棲息していなかったとあり、『オーストラリア大陸とアメリカ大陸にミツバチが持ち込まれたのは』十六『世紀』に『白人が上陸したときに持っていった』とあるのですが。丘先生? 或いはここで丘先生が言っておられるのは、ミツバチ上科 Apoidea に属するハナバチ(花蜂)類(ミツバチ上科の種群の中で幼虫の餌として花粉や蜜を蓄えるハチ類の総称)のある種群が移入されたミツバチの侵入圧によって激減したことを指していると読むべきであろうか。]
植物の方にも例が幾らでもある。デンマルク國の森林には昔は殆ど樺ばかりであつたが、今では「ぶな」が追々繁殖して、樺は年々敗けて行く有樣である。瘦せた砂地には今日でも樺ばかりの林があるが、土地の少しでも肥えた處では、樺と「ぶな」とが交つて生えて居て、「ぶな」の方が何時も勢が宜しい。一體、樺は日蔭には育たぬ木であるが、「ぶな」の方は少々の日蔭には一向平氣で、且自身は枝葉を繁らして一面に蔭を造るから、兩方混じて生えて居ると、樺は日光を得るために「ぶな」より上へ出んとして、たゞ丈ばかり高くなり、長い間には追々弱つて枯れてしまふ。人間でも丈ばかり高い人のことを俗に日蔭の桃の木といふが、日光は植物には是非必要のもの故、日蔭に生えた植物は如何にしても日光に接しようと、上へ上へと延びるもので、森の中央にある木が皆丈の高いのはこの競爭より起ることである。樺は「ぶな」の蔭には生活が出來ず、「ぶな」は樺の蔭にても少しも弱らず、「ぶな」の種子が落ちて生えた芽は、皆勢が好いが、樺の種子から生えた芽は一向に育たぬから、樺はこの競爭に敗を取るのであらうと植物學者は論じて居る。
[やぶちゃん注:「樺」ブナ目カバノキ科 Betulaceae のカバ類、或いは、同科のカバノキ属 Betula のカバ類、或いは、デンマークとあるから、同属のオウシュウシラカンバ Betula pendula(ヨーロッパに分布する本邦のシラカバ Betula platyphylla の近縁種)やヨーロッパダケカンバ Betula pubescens(ヨーロッパ北部に分布)か。]
ニュージーランドの河に、「おらんだからし」が繁茂して、之を刈り取るばかりにも年々莫大の入費が掛つたことは既に前にも述べたが、この草の蔓延つて居る河の岸に柳を植えると、柳が河底の方ヘ一面に根を擴げて、滋養分を吸うから、「おらんだからし」は生活が出來なくなるといふことが解つたので、諸處の河岸に澤山に柳を植えた結果、今ではこの草が餘程減じて昔のやうにこの草のために水流が支(つか)え、雨の降る每に水が溢れる如きことは全くなくなつた。柳と「おらんだからし」とは植物分類上からいへば、隨分掛け離れたものであるが、兩方とも水邊に生じ、水底の泥土から滋養分を取るといふ點で一致して居るから、一方が蔓延るには是非とも他のものを追ひ退けねばならず、隨つてこの二者の間には劇烈な競爭が起らざるを得ない。
[やぶちゃん注:「第六章 動植物の增加(4) 四 植物の急に增加した例」を参照。]
[岐阜蝶]
[うすばさいしん]
[やぶちゃん注:この図は講談社学術文庫版を加工して用いた。国立国会図書館デジタルコレクションの底本の図(ここ)とは二枚とも描画自体が異なるが、細部を観察認識するには講談社版の方が優れているからである。]
以上述べた通り、種屬の相異なる動植物の間には、猫と鼠、「いなご」と稻といふやうな互に相食ひ食はれるものの外、同一の需要品を要するために烈しい競爭が絶えず行はれて居るものであるが、この競爭の結果は如何と考へるに、之はいふまでもなく、各種屬の榮枯盛衰である。勝つたものが榮え、敗けたものが衰えるは理の當然であるが、地球の表面を見ると、山もあれば河もあり、森もあれば野もあり、日向もあれば日蔭もあり、瘦地もあれば肥えた地もあり、尚その上に熱帶もあれば寒帶もあつて、全く相同じ處は殆どない。それ故、一種の生物が普くどこでも勝を制するといふ譯には行かず、山では勝つても河邊では敗けるとか、砂地では勝つても粘土の處では負けるとか、または日向では勝つがに日蔭では負けるとかいふ具合に、その場處場處で競爭の勝負も違ふもの故、各種の生物は競爭上自分の勝つ場處若しくは負けざる場處に住居を定め、互に領分を守るやうになる。之が卽ち動植物分布の定まる原因である。特に植物は地に生えて動かぬもの故、分布の區域も明瞭であるが、植物の分布が定まれば之を餌とする動物の分布も共に定まる。その中にも昆蟲などの分布は殆ど一種每に或る植物の分布と一致する。岐阜蝶といふ奇麗な蝶は、「うすばさいしん」といふ草の葉ばかりを食ふから、この蝶の居る處はたゞこの草の生える處に限られてある。而して昆蟲の分布が定まれば、之を食する鳥類の分布も定まるといふやうな譯で、皆互に相關係しながら、各々競爭の結果として自然にその分布の區域が定まる。
[やぶちゃん注:「岐阜蝶」「春の女神」とも呼ばれる鱗翅(チョウ)目アゲハチョウ上科アゲハチョウ科ウスバアゲハ亜科ギフチョウ族ギフチョウ属ギフチョウ Luehdorfia japonica。詳しくはウィキの「ギフチョウ」を参照されたいが、教え子諸君の中には、教科書に載り、私が好んで授業した日高敏隆氏の(一九七三年執筆)「ギフチョウ――二十三度の秘密――」を思い出される方もいよう。ああ、懐かしい。
「うすばさいしん」ウマノスズクサ(馬の鈴草)目ウマノスズクサ科カンアオイ(寒葵)属ウスバサイシン(薄葉細辛)Asarum
sieboldii。ウィキの「ウスバサイシン」によれば、『中国、日本に分布』し、『日本では、北海道、本州、四国、九州北部に分布し、山地のやや湿った林下に自生する多年生草本』。『花期は』三月から五月頃で、『暗紫色の花を咲かせる。花弁のように見える部分は萼である。同種のアオイ類などと比べ、葉が薄いこと、味が辛いことが和名の由来となっている。アリが種子を運ぶ』とある。]
[植物の群落]
[やぶちゃん注:以上の「植物の群落」という挿絵(生態系を暗示させる野原の図)は講談社版にはない。国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングし、補正を加えて示した。]
また同じ需要品を要するから、競爭が起るので、習性が稍々異なり、隨つて生活上多少違つた需要品を要する生物は相接して住んでも互に相犯すことが少いから、一箇處にともに長く生活することが出來る。全く同一の需要品を要する生物は、自然界の中に同一の位地を占めようとするもの故、互に競爭するが、互に需要品を異にする生物であると、一種類が自然界の中に占める位置の間の空隙を他の種類が占めることになるから、たゞに相競爭せぬのみならず、異なつた生物を混じて置けば、一定の區域内に成るべく多くの生物の量を收容することが出來る。恰も一升桝に「じやがいも」一杯に入れゝば、「じやがいも」は最早その上に一つも入(はい)らぬが、芋の間には空隙があるから、蠶豆ならば尚餘程入れることが出來る。蠶豆を壹杯に入れゝば、蠶豆は最早入らぬが、粟なれば尚相應に入れることが出來るのと同じである。斯かる有樣故、一種每に無限の增加力を有する動植物各種は、決して自然界に空隙を殘さぬやうに各々自己に適する位置を占領し、同區域内に幾十種も數百種も混じて生活する。また互に競爭して居るものでも、略々互角の勢をなすものは勝負に長時間を要するから、餘り著しい變化も見えず、同じく相混じて生活する。それ故、地球の表面の各部には皆その部に於て生存競爭に負けぬ生物だけが相混じて群をなし、山には山の動植物群、谷には谷の動植物群、砂地には砂地の動植物群、日蔭には日蔭の動植物群といふものが自然に定まり、古井戸を覗けばその内には古井戸内に適する動植物群が出來て居る。地球表面の各部の景色の異なるは、餘程まではその處の動植物群の相異なるに因るものである。斯く一種一種の動植物が或る區域内に各々一定の位置を占領し、增加力を以て互に相壓し合ひながら、日々餘り著しい變動を示さぬ有樣が、卽ち前章の終に述べた自然界の平均である。
[やぶちゃん注:「蠶豆」「そらまめ」。]
倂し自然界の平均といふものは、決して永久的一定不變のものではない。桑田變じて海となるやうな地殼の變動があれば、それに隨つて各處の動植物群に變動が起り、動植物各種に盛衰の生ずるは無論であるが、たとひ斯かる變動がなくとも、動物には食物を求めて遠く移住を試みるものがあり、また植物の種子は風に吹かれ、鳥に運ばれて隨分隔つた處までも達するから、略々自然界の平均の保たれてある區域に、突然新規の動植物が紛れ込むことは常に幾らもあり、新規のものが入つて來れば、一時自然界の平均が破れる。倂し增すだけのものが增し、減るべきものが減つてしまへば、そこの自然界は更に新しい平均の有樣に落ち著く。また新規の動植物が他處から紛れ込めば、自然界の平均は再び破れ、暫くすれば更に新しい平均の有樣に靜まる。斯くして自然界の平均は絶えず破られ、絶えず改まり行くから、今日蔓延つて居る種類も永久蔓延つて居られるとは限らず、今日勢力のない種類も永久勢力がないものとはいはれぬ。また互角の勢のものも永久互角の勢を保つことは殆ど出來ぬことで、長い間には孰れかに勝敗が決するから、之によつても素より動植物各種の盛衰が定まる。榮枯盛衰は人の身の上ばかりではなく、動植物の各種も、異種間の競爭の烈しい結果、盛衰の運命は到底免れず、敗けたものは衰へ、衰への極に達すれば終に亡び失せて、跡をも止めぬやうになつてしまふ。昔あつて今なき動植物の種類は總べて斯かる運命に陷つたものである。
異種間の競爭の有樣を詳しく調べれば、動植物各種の榮枯盛衰の理を察することは出來るが、元來異種間の競爭といふものは、既に動植物各種が竝び存して後のこと故、如何に之を研究しても動植物各種は如何にして生じたものであるかといふ所謂種の起源に就いての問題を解釋することは出來ぬ。之を解するには必ず同種内の競爭を十分に調査せなければならぬ。異種間の競爭はこの節に述べた通り、生物各種盛衰の原因であるが、同種内の競爭はその種の進化の原因である。それ故、同種内の競爭の有樣を研究し、その結果を調べることは、ダーウィンの自然淘汰説の主眼とする所である。
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