江戸川乱歩 孤島の鬼(24) 北川刑事と一寸法師
北川刑事と一寸法師
私ほ諸戸の異様な挙動を理解することができなくて、独り取り残されたまま、しばらくほぼんやりしていたが、諸戸は「あすきてくれ、その時すっかり話をする」といったのだから、とも角一(ひ)と先(ま)ず帰宅してあすを待つほかはなかった。
だが、この神田の家へくる道さえ、乃木将軍の像を古新聞などに包んで、用心に用心を重ねたくらいだから、その中にはいっていた大切な二た品を、私の自宅へ持ち帰るのは、非常に危険なことにちがいない。私はさほどにも感じないけれど、死んだ深山木といい、諸戸といい、曲者はただこの品物を手に入れたいばっかりに、人を殺したのだといっている。それにもかかわらず、いま諸戸がこの品物の処分法を指図もしないで、喪心(そうしん)のていで立ち去ったというのは、よくよくの事情があったことであろう。そこで、私はいろいろ考えた末、曲者はまさかこのレストランの二階まで感づいていないだろうと思ったので、二冊の帳面を、そこの長押(なげし)に懸けてあった古い額の、表装の破れ目から、ぐっと押しこんで、ちょっと見たのでは少しもわからぬようにしておいて、何食わぬ顔でそのまま自宅に立ち帰ったのである(だが、この私の内心いささか得意であった即興的な隠し場所は、決して安全なものでなかったことが、あとでわかった)。
それから、翌日のおひるごろ、私が諸戸を訪問するまで、別段のお話もない。そのあいだを利用して、ちょっと変った書き方をして、私が直接見聞したことではないけれど、ずっと後になって、本人の口から聞き知ったところの、北川という刑事の苦心談を、ここにはさんでおくことにする。時間的にもちょうどこの辺のところで起こった出来事なのだから。
北川氏は先日の友之助殺しに関係した池袋署の刑事であったが、ほかの警察官たちとは少しばかり違った考え方をする男であったから、この事件に対する諸戸の意見をまにうけたほどで、署長の許しを乞い、警視庁の人たちさえ手を引いてしまったあとまでも、根気よく尾崎曲馬団(例の鷺谷に興行していた友之助の曲馬団のこと)のあとをつけ廻って、困難な探偵をつづけていた。
その時分、尾崎曲馬団は、逃げるように、鶯谷を打ち上げて、遠く静岡県の或る町で興行していたが、北川刑事は、曲馬団と一緒にその地へ出張して、みすぼらしい労働者に変装して、もう一週間ばかりも、捜索に従事していた。一週間といっても、引っ越しや、小屋組みで四、五日もかかったので、客を呼ぶようになったのは、つい二、三日前であったが、北川氏は臨時雇いの人足になって、小屋組みの手伝いまでして、座員と懇意になることをつとめたから、もし彼らのあいだに秘密があれば、とっくに感づいていなければならないはずなのに、不思議となんの手掛りを摑むこともできなかった。「友之助が七月五日に鎌倉に行ったことがあるか」「そのとき誰が連れて行ったか」「友之助の背後に八十くらいの腰の曲った老人がいないか」などということを、一人一人に当たって、それとなく尋ねてみたけれど、誰もかれも知らぬと答えるばかりであった。しかも、その様子が決して噓らしくなかったのである。
一座の道化役に、一人の小人(こびと)がいた。三十歳のくせに七、八歳の少年の背たけで、顔ばかりがほんとうの年よりもふけて見えるような、無気味な片輪者で、そんな男にありがちの低能者であった。北川氏は最初この男だけは別物にして、懇意になろうとも、物を尋ねようともしなかったが、だんだん日がたつにつれて、この小人は低能にはちがいないけれど、なかなか邪推深く、嫉妬もすれば、ある場合には普通人も及ばぬいたずらもする。ひょっとしたら、わざと低能を装って、それを一種の保護色にしているのかもしれない、ということがわかってきたので、かえって、こんな男に尋ねてみたら、案外何かの手掛りが摑めるかもしれぬと思うようになった。そこで、北川氏は根気よくこの小人を手なずけて、もう大丈夫と思った時分に、ある日、次のような問答をかわしたのだが、私がここへはさんで、しるしておきたいというのは、この変てこな問答のことなのである。
それはよく晴れた星の多い晩であったが、打出しになって、あと片づけもすんだころ、小人は話相手もないものだから、テントのそとに出て、一人ぼっちで涼んでいた。北川氏はこの好機をのがさず、彼に近寄り、暗い野天で無駄話をはじめたものである。つまらぬ世間話から、深山木氏が殺された問題の日の出来事に移って行った。北川氏はその日、鶯谷で曲馬団の客になって、見物していたと偽り、出鱈目(でたらめ)にそのときの感想などを話したあとで、こんなふうに要点にはいって行った。
[やぶちゃん注:「打出し」(うちだし)は、その合図として太鼓を打つことから、相撲や芝居などの一日の興行の終わりを指す語。]
「あの日、足芸があって、友之助ね、ホラ池袋で殺された子供ね、あの子が壺の中へはいって、グルグル廻されるのを見たよ。あの子はほんとうに気の毒なことだったね」
「ウン、友之助かい、可哀そうなはあの子でございよ。とうとうやられちゃった。ブルブルブルブルブルブル。だがね、兄貴、その日に友之助の足芸があったてえな、おまはんの思いちがいだっせ、おれはこう見えても、物覚えがいいんだからな。あの日はね、友之助は小屋にいなかったのさ」
小人はどこの訛りともわからない言葉で、しかしなかなか雄弁にしゃべった。
「千円賭けてもいい。おれは確かに見た」
「だめだめ、兄貴そりゃ日が違うんだぜ。七月五日は、特別のわけがあって、おらぁちゃんと覚えているんだ」
「日が違うもんか。七月の第一日曜じゃないか。お前こそ日が違うんだろ」
「だめだめ」
一寸法師は闇の中で、おどけた表情をしたらしかった。
「じゃあ、友之助は病気だったのかね」
「あの野郎、病気なんかするもんかね。親方の友だちがきてね、どっかへ連れてかれたんだよ」
「親方って、お父つぁんのことだね。そうだろ」
と、北川氏は例の友之助のいわゆる「お父つぁん」をよく記憶していて探りを入れたものである。
「えっ、なんだって?」一寸法師は突然、非常な恐怖を示した。「お前どうしてお父つぁんを知っている」
「知らなくってさ。八十ばかりの、腰の曲ったよぼよぼのお爺さんだろ。お前たちの親方ってな、そのお爺さんのことさ」
「違う違う。親方はそんなお爺じゃありゃしない。腰なんぞ曲っているもんか。お前見たことがないんだね。もっとも小屋へはあまり顔出しをしないけど、親方ってのは、こう、ひどい佝僂のまだ三十くらいの若い人さ」
[やぶちゃん注:「佝僂」(くる)は「せむし」の意。疾患としての佝僂病はビタミンDの不足によるもので、ビタミンDの摂取が極度に不足したり、摂取は尋常でも身体への日光(紫外線)照射が不十分なためにプロビタミンDのビタミンDへの転化が不足することによって発症する。ビタミンDはカルシウムとリンの代謝に関係があるため、不足すると、骨の発育が遅れたり、骨性部分が有意に減少したりする。先天的な遺伝性ビタミンD依存性佝僂病も複数タイプ、存在している。]
北川氏は、なるほど佝僂だったのか、それで老人に見えたのかもしれないと思った。
「それがお父つぁんかい」
「違う違う。お父つぁんが、こんな所へきているものか、ずっと遠くにいらあね。親方とお父つぁんとは、別々の人なんだよ」
「別々の人だって、するとお父つぁんてのは、一体全体何者だね。お前たちのなにに当たる人なんだね」
「なんだか知らないけど、お父つぁんはお父つぁんさ。親方と同じような顔で、やっぱり佝僂だから、親方と親子かもしれない。だが、おらぁよすよ。お父つぁんのことを話しちゃあいけねえんだ、お前は大丈夫だと思うけど、もしお父つぁんに知れたら、おれはひどい目に合わされるからね。また箱ん中へ入れられっちまうからね」
箱の中と聞いて、北川氏は現代の一種の拷問具ともいうべき、ある箱のことを連想したが、それは同氏の思い違いで、一寸法師のいわゆる「箱」というのは、そんな拷問道具なんかより幾層倍も恐ろしい代物であったことが、あとでわかった。それはとにかく、北川氏は相手が案外くみしやすくて、だんだん話が佳境にはいるので、胸を躍らせながら質問を進めて行った。
「で、つまりなんだね。七月五日に友之助を連れてったのは、お父つぁんでなくて、親方の知合いなんだね。どこへ行ったね。お前聞かなかったかね」
「友のやつ、俺と仲よしだったから、俺だけにそっと教えてくれたよ。景色のいい海へ行って、砂遊びをしたり泳いだりしたんだって」
「鎌倉じゃないの」
「そうそう鎌倉とかいったっけ。友のやつ親方の秘蔵っ子だからね。ちょくちょく、いい目を見せてもらったのよ」
ここまで聞くと、北川氏は諸戸の突飛な推理(初代殺しも、深山木を殺したのも直接の下手人は友之助であったという)が、案外あたっていることを、信じないわけにはいかなかった。だがうかつに手出しをするのは考えものだ。親方というのを拘引して、実を吐かせるのもいいが、それではかえって、元兇を逸するような結果になるまいものでもない。その前に彼の背後の「お父つぁん」という人物を、もっと深く研究しておく必要がある。元兇はその「お父つぁん」のほうかもしれないのだから。それに、この事件は単なる殺人罪ではなくて、もっともっと複雑な恐ろしい犯罪事件かもしれない。北川氏はなかなかの野心家であったから、すっかり自分の手で調べ上げてしまうまで、署長にも報告しないつもりであった。
「お前さっき、箱の中へ入れられるっていったね。箱って一体なんだね。そんなに恐ろしいものかい」
「ブルブルブルブル、お前たちの知らない地獄だよ。人間の箱詰めを見たことがあるかい。手も足もしびれちまって、おれみたいな片輪者は、みんなあの箱詰めでできるんだよ。アハハハ」
一寸法師は謎みたいなことをいって、気味わるく笑った。だが、彼はばかながらも、どこかに正気が残っているとみえて、いくら尋ねても、それ以上は冗談にしてしまって、ハッキリしたことをいわないのだ。
「お父つぁんが怖いんだな。いくじなし。だが、そのお父つぁんてな、どこにいるんだい。遠いところって」
「遠いところさ。おらあどこだか忘れちまった。海の向こうのずっと遠いところだよ。地獄だよ。鬼が島だよ。おらあ思い出してもゾッとするよ。ブルブルブルブル」
というわけで、その晩はなんと骨折っても、それから先へ進むことができなかったけれど、北川氏は自分の見込みが間違っていなかったことを確かめて、大満足であった。同氏はそれから数日のあいだ根気よく一寸法師を手なずけ、相手が気を許して、もっと詳しく話してくれるのを待った。
そうしているうちに、だんだん「お父つぁん」という人物の、えたいの知れぬ恐ろしさが、一寸法師や友之助があんなに恐れおののいていたわけが、北川氏にも少しずつわかってくるような気がした。一寸法師の物のいい方が不明瞭なので、確かな形をつかむことはできなかったけれど、ある場合には、それは人間ではなくて、一種の無気味な獣類という感じがした。伝説の鬼というのは、こんな生きものをさして言ったのではないかとすら思われた。一寸法師の言葉や表情が、おぼろげに、そんな感じを物語っているのだった。
また「箱」というものの意味も、ぼんやりとわかってくるようであった。ほんの想像ではあったけれど。その想像にぶつかったとき、さすがの北川氏も、あまりの恐ろしさにゾッと身震いしないではいられなかった。
「おれは、生れたときから、箱の中にはいっていたんだよ。動くことも、どうすることも、できないのだよ。箱の穴から首だけ出して、ご飯をたべさせてもらったのだよ。そしてね、箱詰めになって、船にのって、大阪へきたんだ。大阪で箱から出たんだよ。その時おらあ、生れてはじめて、広々した所へ出されたんで、怖くなって、こう縮み上がってしまったよ」
一寸法師はあるとき、そういって、短い手足を生れたばかりの赤ん坊みたいに、キューッと縮めて見せるのだった。
「だけど、これは内証だよ。お前だけに話すんだよ、だからね、お前も内証にしておかないと、ひどい目に合わされるよ。箱詰めにされっちまうよ。箱詰めにされたって、おらあ知らないよ」
一寸法師は、さもさも怖そうな表情でつけ加えた。北川刑事が、警察の威力によらず、少しも相手に感づかせぬ穏和な方法によって、「お父つぁん」という人物の正体をつきとめ、ある島に行われていた想像を絶した犯罪事件を捜り出したのは、それから更に十数日ののちであったが、それはお話が進むに従って、自然読者にわかってくることだから、ここでは、警察の方でも、こうして、特志なる一刑事の苦心によって、曲馬団の方面から探偵の歩を進めていたことを、読者にお知らせするにとどめ、北川刑事の探偵談はこれで打ち切り、話を元に戻して、諸戸と私とのその後の行動を書きつづけることにする。