柴田宵曲 猫 三
猫に配した春の植物の句は梅が最も多く、桜、海棠、椿、藤、柳、菜の花、独活(うど)、蕗(ふき)の薹(とう)などいろいろあるが、それほど面白いものもない。
うち晴て猫の眠るや庭さくら 春水
ぬつくりと寢てゐる猫や梅の股 几董
の兩句は同じように睡猫を描いている。前者が背景を主にし、後者が状態を主にしたあたり、元禄と天明との相違を窺うべきものであろう。
[やぶちゃん注:「元禄と天明との相違」「元禄」(前者春水(但し、この人物も句も出典不明。識者の御教授を乞う)の活躍期)は一六八八年から一七〇四年まで。「天明」(後者の几董の天明俳諧を指す)は一七八一年から一七八九年まで。高井几董(寛保元
(一七四一)年~寛政元(一七八九)年)は其角に私淑し、明和七(一七七〇)年三十歳の時に与謝蕪村に入門している。]
猫逃て梅うごきけりおぼろ月 言水
も実景ではあろうが、やはり
くはらくはらと猫のあがるやむめの花 許六
の方が生趣に富んでいるようである。
尋常に甘んぜざる其角は、猫と蝶との配合において次のような趣を見出した。
猫の子のくんづほぐれつ胡蝶かな 其角
薗中(ゑんちゆう)の吟
蝶を嚙(かん)で子猫を舐(なむ)る心かな 同
猫の子が蝶に戯れる光景とも解せられ、猫の子同士が戯れる上に蝶の飛ぶ意とも解せられる。翩々たる蝶を捕えかねて追いかけるところを「くんづほぐれつ」といったとしても、甚しい無理とは思われぬが、猫の子同士が組んずほぐれつする方が自然であろう。「薗中の吟」は単なる実景でなしに、何か寓する所があるらしい。もし蝶が子猫の害をなす者であったら、憎愛の二色が判然として隠れたる所なしであるが、それでは趣がなくなる。或時は蝶を嚙み、或時は子猫を舐(なめ)る。薗中の趣は蝶の一字に発揮されているように思われる。
酔うた目と猫の目かはる胡蝶かな 貞佐
蛤を猫に預けてこてふかな同 同
から猫や蝶嚙む時の獅子奮迅 抱一
これらの句も猫に蝶を配したものであるが、其角のような妙味がない。抱一は其角の二句を学んでいるだけに、かえって及ばざること遠いところを暴露している。
[やぶちゃん注:貞佐の一句目、暗愚な私にはよく句意が汲めない。識者の御教授を乞う。
「其角の二句を学んでいる」言わずもがなであるが、主語は我々(読者)のこと。]
まふてふの跡けがらはし猫の糞 笑成
蝶飛(とび)て花くふ猫の木陰かな 枕螢
これらも別にすぐれた句ではないけれども、貞佐や抱一とは比較にならぬ。前に挙げた太祇の「蝶とぶや腹に子ありてねむる猫」なども、違った趣を捉えている点で一顧する必要がある。
釈尊の入滅に参り合せなかった動物は猫だけであるといい、だから涅槃像には猫が画いてないのだという。猫嫌いの人はこれを以て猫の情に乏しい一理由に算えるようだが、俳人は季題の関係からこの伝説を見遁さなかった。
佛には別れて猫の化粧かな 直水(ちよくすい)
涅槃會や猫は戀してより付(つか)ず 許六
鼠とる涅槃の猫と詠めけり 言水
戀ゆゑの猫のうき名や涅槃像 童平
涅槃會や猫のなく音はうはの空 田女
涅槃会に疎(うと)かった理由を「猫の戀」に結びつけるのは、浅薄でもあり、即(つ)き過ぎてもいる。そういう人間にしたところで、勝負事に耽っては親の死目に逢い損うのだから、あまり威張った口は利かぬ方がいいかも知れぬ。
[やぶちゃん注:「涅槃會」(ねはんゑ(え))は釈尊が亡くなって涅槃に入ったとされる日に行われる仏教の法会。一般に二月十五日とされる。私の誕生日である。]
けれども涅槃会の猫は大体において概念の世界を脱し得ない。そこへ往くと同じ人事に配した句でも、「出代り」の方には実感が伴って来る。
[やぶちゃん注:「出代り」「出替り」とも書く。主に商家に於いて、半季奉公及び年季(年切)奉公の雇人が交替したり、契約を更新・変更する日を指す。この切替えの期日は地方によって異なるが、半季奉公の場合は二月二日と八月二日を当てるところが多かった。但し、京や大坂の商家では元禄以前から既に三月と九月の両五日と定めてあった。二月・八月の江戸でも、寛文八(一六六八)年、幕府の命により、京阪と同じ三月と九月に改められたものの、以後も、出稼人の農事の都合を考慮したためか、二月・八月も長く並存して行われた(以上は平凡社「世界大百科事典」に拠った)。]
出かはりや猫抱(だき)あげていとまごひ 慈竹
出替りや淚ねぶらすひざの猫 木導
出替の留主事(るすごと)するか猫のつま 吾仲
出代やあとに名殘の猫の聲 和嶺
犬とか猫とかいうものは、雇人に親しむ機会が多いから、別を惜しむのに不思議はない。「猫抱あげていとまごひ」だの、「淚ねぶらす」だのということは、必ずしも拵えた趣向とのみいい去ることは出来ぬが、即き過ぎていることは慥(たしか)である。俳句の場合、往々にして人情が障りになるのは、この即き過ぎる点にある。
猫に鰹節は常識に過ぎるせいか、あまり見当らぬ。
氏よりもそだちや猫に花鰹 論派(ろんぱ)
の句が花で春の季になるなども、あまり働かぬ趣向である。
いささか意外の感があるのは、燕を配合したものが数句に上ることで、家の軒に巣を食う燕と、屋根歩きをする猫とは因縁がありそうなところであるが、われわれには所見がない。
巣立まで猫の御器(ごき)借ル燕かな 喜友
燕(つばくろ)の出入や猫の夢ごゝろ 任長
おもはずつばくらにつらをけられたる猫あり
妻もやと燕見かへる野猫かな 魚兒
かくいへる我も別をおしみて
契りおく燕と遊ん(あそば)庭の猫 園女(そのめ)
燕に面を蹴られるなどは、どう考えても不自然を観察である。それを妻かと思って見返るに至っては、いよいよ面白くない。猫の食器のものを利用することが果してあるかどうか。要するに猫の相手になるには、燕の動作が軽捷過ぎるので、調和を得にくいように感ぜられる。猫が睡っている上を燕が身軽に出入する。猫はそれを見るでもなく夢心でいるなどというのが、比較的無理のないところであろうが、句の出来はあまり面白くない。
飛(とび)かはづ猫や追行(おひゆく)小野の奥
水友
猫はのけ蛙も面を洗ふらん 百里
なども別にいい句ではないにせよ、猫と蛙の間には実際的な調和がある。先天的に虫を好む猫が蛙を銜(くわ)えて来ることは、決して珍しい話ではない。佐藤春夫氏の『田園の憂鬱』の中にも、そんなことが書いてあったように記憶する。蛙に取ってはありがたくない敵ではあるが、事実の上で調和するから仕方がないのである。
[やぶちゃん注:。佐藤春夫氏の『田園の憂鬱』の中にも、そんなことが書いてあった」ここ。前後は私の『「佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)』の分割注釈版でどうぞ(一括版はこちら)。
*
猫は、每日每日外へ出て步いて、濡れた體と泥だらけの足とで家中を橫行した。そればかりか、この猫は或る日、蛙を咥へて家のなかへ運び込んでからは、寒さで動作ののろくなつて居る蛙を、每日每日、幾つも幾つも咥へて來た。妻はおおぎように叫び立てて逃げまはつた。いかに叱つても、猫はそれを運ぶことをやめなかつた。妻も叫び立てることをやめなかつた。生白い腹を見せて、蛙は座敷のなかで、よく死んで居た。
*]
「猫の戀やむ時閨(ねや)の朧月」という芭蕉の句は、猫の恋が主になっているため、この文章では圏外に置かなければならぬが、猫と朧月乃至(ないし)朧夜との配合は、春の句を考えるに当り、どうしても看過することが出来ない。
[やぶちゃん注:「猫の戀やむ時閨(ねや)の朧月」という芭蕉の句は、元禄五(一六九二)年春か、それ以前の作。]
月は尚それもおぼろに猫の聲 芳船
火に醉(ゑひ)て猫も出(いづ)るや朧月
木導
猫をよぶ氣疎(けうと)き聲や朧月
化蝶
朧夜やいつぞや捨し猫歸る 尚白
朧月猫とちぎるや夜ルの殿 越闌
「猫逃て梅うごきけり」という言水の句も当然ここに加えなければならぬ。猫の活動する舞台は必ずしも夜には限らぬが、春の大気が温暖になるに従い、夜までのそのそ歩くに適して来ることは事実である。月も朧なら更に妙であろう。ここに挙げた五句は、最後の越闌の句を除き、いずれも春の夜らしい空気を描き得ている。固(もと)より涅槃会や出代りの比ではないが、就中われわれには尚白の句が面白い。大分前にどこかへ捨てたなり、誰も見かけなかった猫がひょっくり帰って来た。「いつぞや」の一語は捨ててから相当の日数を経ていることを現している。この時間的経過と、朧夜の世界と、突然帰って来たこととの三つが合体して、一たび捨てた猫に或なつかしみを感ぜしめる。平凡なるが如くにして異色ある句といわなければならぬ。
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