柴田宵曲 俳諧博物誌(12) 狸 一
狸
一
狸は「かちかち山」以来久しい御馴染であるが、実際には甚だ疎遠の間柄で、瀬戸物屋の店頭の外、正真の狸に面と向った記憶は殆どない。先年志村の火薬工場に柴葉子(さいようし)をたずねた際、一隅に獣が飼ってあって、これは貉(むじな)だと教えられた。どういう順序で捕獲されたのであったか、もう忘れてしまったけれども、狸と貉の差別が新聞紙上を賑(にぎわ)していた時分だったので、一種妙な気持でその獣を眺めたおぼえがある。狸と貉の差別については、動物学者以外に久米邦武博士なども「狸貉(りかく)同異の弁」という説を述べている。今そういうものを援用して、道草を食っているわけにも往かぬが、狸族に御目にかかったのはそれが最近であり、はっきり意識しているのもこの時以外にないのだから、どこから手を著けていいか、相手が人を化すことを心得ているだけに、此方(こっち)もいささか迷わざるを得ぬ。
[やぶちゃん注:「志村」現在の東京都板橋区志村か。この北直近の板橋区中台に昭和二四(一九四九)年に八社共同火薬庫が存在し、この年の九月に爆発事故を起こしている。
「柴葉子」不詳。
「狸と貉の差別」動物界 Animalia脊索動物門 Chordata脊椎動物亜門 Vertebrata哺乳綱 Mammalia食肉(ネコ)目 Carnivoraイヌ科 Canidaeタヌキ属 Nyctereutesタヌキ Nyctereutes procyonoides は元来、極東(日本・朝鮮半島・中国・ロシア東部など)にのみに偏在して棲息していた分布域が非常に珍しい動物である。一九二八年に毛皮採取の目的でソ連に移入された亜種ビンエツタヌキ Nyctereutes procyonoides procyonoides が野生化し、ポーランド・東ドイツを経て、現在はフィンランドやドイツ、及びフランスやイタリアへと分布を広げている。本邦には本州・四国・九州に亜種ホンドタヌキ Nyctereutes procyonoides viverrinus が、北海道に亜種エゾタヌキ Nyctereutes procyonides albus の二亜種が棲息する。「貉(むじな)」は通常、食肉目 Carnivoraイヌ型亜目 Caniformiaクマ下目 Arctoideaイタチ小目 Mustelidaイタチ上科 Musteroideaイタチ科 Mustelidaeアナグマ属 Melesニホンアナグマ Meles anakuma に比定される全くの別種である(ニホンアナグマはアナグマ Meles meles の亜種とされていたが、二〇〇二年に陰茎骨の形状の相違から独立種とする説が提唱されているのに従った)。両者は雑食性であること、夜行性であること、擬死をすることなど、生態も外観(特にタヌキの冬毛が抜けて捺毛になった状態)も類似していることなどから混同されることも多いが、アナグマは耳が小さく、脚もタヌキより短くて爪が鋭いなど、素人でもよく観察すれば区別は可能である。ややこしいのは寧ろ、人間の側の古来からの呼称の方で、両者をともに「貉(むじな)」と呼ぶ地方や、「狸」を「むじな」と呼ぶ地方もあり、さらに面倒なことに、それ以外のアナグマと同じイタチ科のテン(イタチ科イタチ亜科テン属テン Martes melampus)やジャコウネコ科のハクビシン(食肉目ネコ型亜目ジャコウネコ科パームシベット亜科ハクビシン属ハクビシンPaguma
larvata)をも含めて十把一絡げに「むじな」とする地域もあり、これが混同される大きな一因となっている。昔話の「かちかち山」のタヌキはアナグマであるというかなり信じられている説があるが、これは生物学的な検証に基づくものとは私には思われない。その説が載るウィキの「ニホンアナグマ」には、『タヌキと本種は混同されることがあるが、その理由の一つとして、同じ巣穴に住んでいる、ということがあるのではないかと推察される。本種は大規模な巣穴を全部使用しているのではなく、使用していない部分をタヌキが使用することもある』。『昔の猟師は本種の巣穴の出入口を』一『ヶ所だけ開けておき、残りのすべての出入口をふさぎ、煙で燻して本種が外に出てくるところを待ち伏せして銃で狩猟した。そのときに本種の巣穴の一部を利用していたタヌキも出てきたことも考えられ、このことがタヌキと本種を混同する原因の一つになったと思われる』とある。そうした錯誤が裁判にまで発展したケースがあるので、ウィキの「たぬき・むじな事件」から引いておく。これは大正一三(一九二四)年に『栃木県で発生した狩猟法違反の事件』で、『刑事裁判が行われ、翌年』『に大審院において被告人に無罪判決』『が下され』ている。日本の刑法の第三十八条の「事実の錯誤」(一般には「故意」と呼ばれる条文。『第三八条 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。』『2 重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。』『3 法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。』という条文である)『に関する判例として』、『現在でもよく引用される』事件・判決である。被告人は同年二月二十九日、『猟犬を連れ』、認可を受けている『村田銃を携えて狩りに向かい、その日のうちにムジナ』二『匹を洞窟の中に追い込んで大石をもって洞窟唯一の出入口である洞穴を塞いだが、被告人はさらに奥地に向かうために直ちにムジナを仕留めずに一旦その場を立ち去った。その後』、三月三日『に改めて洞穴を開いて捕らえられていたムジナを猟犬と村田銃を用いて狩った』。『警察はこの行為が』当時、三月一日『以後にタヌキを捕獲することを禁じた狩猟法に違反するとして被告人を逮捕した』(現行の同法施工規則では猟期は十一月十五日から翌年の二月十五日となっている)『下級審では、「動物学においてタヌキとムジナは同一とされている」こと、「実際の捕獲日を』三月一日『以後である」と判断したことにより被告人を有罪とした。だが被告人は、自らの住む地域を始めとして昔からタヌキとムジナは別の生物であると考えられてきたこと(つまり狩猟法の規制の対象外であると考えていたこと)』二月二十九日『の段階でムジナを逃げ出せないように確保しているので』、『この日が捕獲日にあたると主張して大審院まで争った』。『大審院判決では、タヌキとムジナの動物学的な同一性は認めながらも、その事実は広く(当時の)国民一般に定着した認識ではなく、逆に、タヌキとムジナを別種の生物とする認識は被告人だけに留まるものではないために「事実の錯誤」として故意責任阻却が妥当であること、またこれをタヌキだとしても、タヌキの占有のために実際の行動を開始した』二月二十九日『の段階において被告人による先占が成立しており、同日をもって捕獲日と認定(つまり狩猟法がタヌキを捕獲を認めている期限内の行為と)するのが適切であるとして被告人を無罪とした』というものである。 リンク先の『判決文から一部抜粋』も引いておく。『狸、貉(むじな)の名称は古来併存し、我国の習俗此の二者を区別し毫(いささか)も怪まざる所なるを以て、狩猟法中に於て狸なる名称中には貉をも包含することを明(あきらか)にし、国民をして適帰(てつき)する所を知らしむるの注意を取るを当然とすべく、単に狸なる名称を掲げて其の内に当然貉を包含せしめ、我国古来の習俗上の観念に従い貉を以て狸と別物なりと思惟(しい)し之を捕獲したる者に対し刑罰の制裁を以て臨むが如きは、決して其の当を得たるものと謂(い)うを得ず』。
「久米邦武」(天保一〇(一八三九)年~昭和六(一九三一)年)は元佐賀藩士で歴史学者。近代日本の歴史学における先駆者とされる。
「狸貉同異の弁」久米が大正七(一九一八)年十二月発行の戸川残花編「たぬき」(発行所は三進堂・清和堂と二者が奥付にある)に発表したものらしい(データは個人サイト「大当り狸御殿」の「狸本・狸あれこれ・タイガース・ETC」に拠った)。私は未見。以下に出る「たぬき」と同一書。編者戸川残花は本名戸川安宅(とがわやすいえ 安政二(一八五五)年~大正一三(一九二四)年)は元旗本で、文学者及びプロテスタント系の「日本基督教会」の牧師の雅号。]
そこで河童の場合、『山嶋民譚集』を唯一のたよりにしたように、何かないかと思って書架を点検したら、『たぬき』という妙な本が見つかった。柳田国男氏の「狸とデモノロジー」という所説も中に見えるから、この辺を後楯(うしろだて)にして句中の狸を物色することにしよう。
[やぶちゃん注:『柳田国男氏の「狸とデモノロジー」』ちくま文庫版全集の同随筆の末尾には『(『たぬき』大正七年九月)』とある。先の引用元には同年十二発行とあるのとは齟齬するが、まず、同一書と考えてよかろう。「デモノロジー」は「Demonology」で一般にはヨーロッパでかつて流行した悪魔学・悪魔術・悪魔研究」の意であるが、柳田は人を化かす妖怪・妖獣の意を中心とした広義の「オカルティズム」(occultism:神秘学)の意で用いている。]
子供の時読んだ御伽噺に、狸が汽車に化ける話があった。いつも腹鼓ばかり打って暢気だとお月様に笑われた狸が、実は汽車を開業しようと思っていますという。翌晩同じ野原を照していると、向うから俄(にわか)に汽笛が聞えて、汽車が進んで来る。それが狸の仕業だったのには、さすがのお月様もびっくりした。爾来狸は図に乗って、本当の汽車に向って突進する。機関士が慌てて汽車を止めるのが面白いので、何度も同じ悪戯を繰返しているうちに、とうとう狸の所為であることがわかって、汽車は構わず走って来る。衝突すると同時に狸は轢殺(ひきころ)されるという筋であった。これはその作者の創意に成る話と思っていたところ、後年に及んで全国到る処に同様の話があり、明治の新事物に村して狸が大袈裟な化け方をしたものだということを知った。「狸とデモノロジー」にもその事が挙げてあり、一体に狸は好んで音の真似をする、即ち人の耳を欺く方だと書いてある。汽車に化けるなどは少し新し過ぎるが、この特徴は慥に看過すべからざるものであろう。明治の俳人は逸早(いちはや)く句中のものにしている。
枯野原汽車に化けたる狸あり 漱石
[やぶちゃん注:この話、私が好んで授業でやった大塚英志「少女民俗学」(光文社一九八九年刊)の中の「〈噂話〉〈怪談〉――「霊界」からのメッセージ」を思い出される教え子諸君も多かろう。そこでこの汽車に化けて果ては轢死した狸を私は「○文化に抹殺された古典的お化け→古河市の例」と板書したね。私も懐かしいよ。これは「偽汽車」などと呼ばれる近代妖怪譚の掉尾を飾るもので、松谷みよ子「現代民話考3 偽汽車・船・自動車の笑いと怪談」(一九八五年立風書房刊)で冒頭の第一章を飾っている。類型採話群はそちらをお読みあれ。なお、表記の漱石の句は明治二九(一八九六)年の作である。
『「狸とデモノロジー」にもその事が挙げてあり、一体に狸は好んで音の真似をする、即ち人の耳を欺く方だと書いてある』同随筆の最終章「四」にごく短く書かれてある。]
同じく音の世界である狸の腹鼓は何時(いつ)頃まで遡るか、『夫木和歌集』には「人すまで鐘も音せぬ古寺に狸のみこそ鼓うちけれ」という寂蓮の歌を載せている。狸の腹鼓なるものは果してどんな音かわからぬが、音の真似をして人の耳を欺く一例であるに相違ない。
鉢(はち)たゝききくや狸の腹つづみ 許六
鼓うつ狸が宿も宿も時雨(しぐれ)けり 冥々
すゞしさの月に狸が鼓かな 星府
麥まきやその夜狸のつゞみうつ 成美
鼓うつ狸かへれば千どりかな 沾艸(せんさう)
古寺無人迹(あと)
狸ども鼓ころばす涼みかな 柴雫(さいだ)
狸の腹鼓打贊
秋ゆたか狸のつづみ聞(きく)夜かな 素丸
狸の腹鼓の畫に
うち落せ秋の夜雨(よさめ)のふる瓦(かはら)
抱一
これらの句は春以外の各季にわたっている。狸の音楽は春に不似合なのかと思うと、
行春や狸もすなる夜の宴 几董
という句がある。いやしくも狸が宴を開く以上、腹鼓の奏楽を伴わぬはずがないから、裏面に音が含まれているものと見てよかろう。
本所の七不思議の一である狸囃子(たぬきばやし)は、泉鏡花氏をして「狸囃子」(陽炎座(かげろうざ))一篇を成さしめた。鏡花氏には別に「狸囃子」という随筆があって、深夜しばしば太鼓の音を耳にすることを記しているが、妖怪好(ずき)の作者はこれを怪しと思うより出発して「酒なく美人なき夜は、机の上に頰杖して、狸的(たぬこう)がまたやつてるぜ、と人知れずこそ微笑まるれ」という域に進んでいるのである。しかるに江戸時代の名随筆家として知られた鈴木桃野(とうや)は「番町の化物太鼓」なるものを解釈して、毎夜囃子の稽古をするのに、近所への聞えを憚って、土蔵や穴蔵の中で催すようにする、其方(そっち)かと思えば此方(こっち)に聞え、風につれて遠のくようにもなるのはそのためだ、といっている。鏡花氏の文中に「本所には限らずと覺ゆ。大塚を越して、今の榎町(えのきちやう)にても、同じく聞ゆ」とあるのは、かえって番町の方に近いようであるが、いくら番町ほど囃子の好(すき)なところはないといっても、桃野の頃から明治まで土蔵、穴蔵の囃子が行われていることもあるまい。煤煙濛々たる今の本所に七不思議の迹を尋ぬべくもないのと同じことである。
[やぶちゃん注:以上に就いて、同じ内容のことを柴田宵曲はこれより十八年も前の、昭和三八(一九六三)年に青蛙房から刊行した「妖異博物館」の「狸囃子」で既に記しており、私は以上を既に電子化注している。そちらを参照されたい。こういうダブりは私にとっては面白くもなんともない。もう少し、新味を以って書いてほしいもんでござんす、宵曲先生!]
柳田氏は「狸とデモノロジー」の中で、目を欺くのと耳を欺くのとを比較し、化け方としては目の方が優れている、目の認識力は耳の認識力よりもっと強いからで、それだけ目を欺くは耳を欺くよりも遥(はるか)に難い、狐はそれを欺くが、狸は力及ばぬらしい、と説いている。但(ただし)狸が耳を欺くに巧であるのは慥で、「耳の錯覺は目よりは起りやすい。往來を駈くる自動車の響に、空際を仰いで飛行機かと誤り得るが如きがこれを證する」というのである。何かの汽笛を警報かと思い誤るような場合は、現在といえども絶無ではないから、時節柄物数寄(ものずき)な狸が出て、大規模な新手の擬音などを試みないのは、われわれに取って幸福であるとしなければなるまい。
[やぶちゃん注:以上は前と同じく同随筆の最終章「四」にごく短く書かれてある。引用はちくま文庫版全集で補正し、漢字を恣意的に正字化した。]
古狸工夫して見ん花火かな 素丸
この工夫は音にあるか、形にあるか、狸の本領からいえばやはり前者であろう。昔あった芝居小屋の三味や義太夫を聞きおぼえて、小屋の跡が醬油庫と化した後まで、その真似をするほど優秀な狸なら、花火の音の如きは朝飯前の仕事に相違ない。尤も花火も音だけとしたら、古狸の工夫には単純過ぎるから、空に五彩を散し火龍を現ずる壮観までを要望したのかも知れぬ。その成否は第二の問題として、狸が油断なく新事物の研究につとめ、何らかの工夫に出でんとする傾向は、この句によっても卜(ぼく)することが出来る。
[やぶちゃん注:ほらほら! 宵曲先生! 前に書いたものを援用するから、読者に判らないこと、言っちまってますぜ! 「醬油庫」なんてどこに書いてあるでげすか?! そりゃあ、先生、「妖異博物館」の「狸囃子」で書かれたことですぜ! そんな先生に「新事物の研究につとめ、何らかの工夫に出でん」なんどと言われた日にゃ、狸も釜に化けて臍で茶を沸かしやすぜ!!!]
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