江戸川乱歩 孤島の鬼(37) 八幡の藪知らず
八幡の藪知らず
ともかく横穴へはいって、宝がすでに持ち出されたかどうかを確かめて見るほかはなかった。私たちは一度諸戸屋敷に帰って、横穴探検に必要な品々を取り揃えた。数挺のロウソク、マッチ、漁業用の大ナイフ、長い麻縄(網に使用する細い麻縄を、できるだけつなぎ合わせて、玉をこしらえたもの)などの品々である。
「あの横穴は存外深いかもしれない。『六道の辻』なんて形容してあるところを見ると、深いばかりでなく、枝道があって、八幡(やわた)の藪(やぶ)知らずみたいになっているのかもしれない。ほら『即興詩人』にローマのカタコンバへはいるところがあるだろう。僕はあれから思いついて、この麻縄を用意したんだ。フェデリゴという画工のまねなんだよ」
諸戸は大げさな用意を弁解するように言った。
[やぶちゃん注:「八幡の藪知らず」千葉県市川市八幡にあった竹藪(現在でも当該地区は禁足地とされている)は、一度入ると出口がわからなくなるといわれたところから、出口がわからなくなる迷路(ラビリンス)、そこから、事態がすっかり迷走してしまうことの譬えの慣用句として使われる。語源となった現地については、私の「耳囊 卷之六 市中へ出し奇獸の事」の注を参照されたい。
「『即興詩人』にローマのカタコンバへはいるところ」』「即興詩人」(デンマーク語:Improvisatoren)は、専ら童話で知られるデンマークの作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen 一八〇五年~一八七五年:デンマーク語のカタカナ音写:ハンス・クレステャン・アナスン)の出世作となった最初の長編小説で、イタリア各地を舞台としたロマンチックな恋愛小説。一八三五年刊行。その森鷗外訳「卽興詩人」は明治二五(一八九二)年から明治三四(一九〇一)年にかけて断続的に雑誌『しがらみ草紙』などに発表した(ドイツ語訳からの重訳)。単行本の初版は明治三五(一九〇二)年に春陽堂から上下巻で刊行された。「カタコンバ」はイタリア語の「カタコンベ」(catacombe)で「地下墓地」のこと。私は三十代の初め、妻と二人でイタリアを旅した折り、たっぷりと見学したものであった。]
私はその後「即興詩人」を読み返して、かのトンネルの条に至るごとに、当時を回想して、戦慄を新たにしないではいられぬのだ。
「深きところには、軟かなる土に掘りこみたる道の行き違ひたるあり。その枝の多き、その様の相似たる、おもなる筋を知りたる人も踏み迷ふべきほどなり。われは稚心(おさなごころ)に何とも思はず。画工はまたあらかじめその心して、我を伴ひ入りぬ。先づ蠟燭一つともし、一つをば衣(ころも)のかくしの中に貯へおき、一巻の絲(いと)の端を入口に結びつけ、さて我手を引きて進み入りぬ。忽ち天井低くなりて、われのみ立ちて歩まるるところあり……」
画工と少年とは、かようにして地下の迷路に踏み入ったのであるが、私たちもちょうどそのようであった。
[やぶちゃん注:「卽興詩人」は岩波文庫版を所持しているのだが、どうしても見当たらないので、「青空文庫」版(正字正仮名)で確認されたい。ここはその「隧道、ちご」の章を指す。リンク先の当該段落を引用する。一部の漢字を恣意的に正字化した。
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深きところには、軟(やはらか)なる土に掘りこみたる道の行き違ひたるあり。その枝の多き、その樣の相似たる、おもなる筋を知りたる人も踏み迷ふべきほどなり。われは穉心(をさなごゝろ)に何ともおもはず。畫工はまた豫め其心して、我を伴ひ入りぬ。先づ蠟燭一つ點(とも)し、一をば猶衣のかくしの中に貯へおき、一卷(ひとまき)の絲の端を入口に結びつけ、さて我手を引きて進み入りぬ。忽ち天井低くなりて、われのみ立ちて步まるゝところあり、忽ち又岐路の出づるところ廣がりて方形をなし、見上ぐるばかりなる穹窿をなしたるあり。われ等は中央に小き石卓を据ゑたる圓堂を過(よぎ)りぬ。こゝは始て基督教に歸依(きえ)したる人々の、異教の民に逐はるゝごとに、ひそかに集りて神に仕へまつりしところなりとぞ。フエデリゴはこゝにて、この壁中に葬られたる法皇十四人、その外數千の獻身者の事を物語りぬ。われ等は石龕のわれ目に燭火(ともしび)さしつけて、中なる白骨を見き。(こゝの墓には何の飾もなし。拿破里(ナポリ)に近き聖ヤヌアリウスの「カタコンバ」には聖像をも文字をも彫りつけたるあれど、これも技術上の價あるにあらず。基督教徒の墓には、魚を彫りたり。希臘(ギリシア)文の魚といふ字は「イヒトユス」なれば、暗に「イエソウス、クリストス、テオウ ウイオス、ソオテエル」の文の首字を集めて語をなしたるなり。此希臘文はこゝに耶蘇(やそ)基督キリスト神子(かみのこ)救世者と云ふ。)われ等はこれより入ること二三步にして立ち留りぬ。ほぐし來たる絲はこゝにて盡きたればなり。畫工は絲の端を控鈕(ボタン)の孔に結びて、蠟燭を拾ひ集めたる小石の間に立て、さてそこに蹲(うづくま)りて、隧道の摸樣を寫し始めき。われは傍なる石に踞(こしか)けて合掌し、上の方を仰ぎ視ゐたり。燭は半ば流れたり。されどさきに貯へおきたる新なる蠟燭をば、今取り出してその側におきたる上、火打道具さへ帶びたれば、消えなむ折に火を點すべき用意ありしなり。
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以下、続くシークエンスも印象的であり、この小説との関係性は、実は、ただの洞窟というシチュエーションだけのものではない。未読の方は是非、お読みあれかし。]
私たちはさっきの太い縄にすがって次々と井戸の底に降り立った。水はやっと、踝(くるぶし)を隠すほどしかなかったけれど、その冷たさは氷のようである。横穴は、そうして立った私たちの腰の辺にあいているのだ。
諸戸はフェデリゴのまねをして、先ず一本のロウソクをともし、麻縄の玉の端を、横穴の入口の石畳の一つに、しつかりと結びつけた。そして、縄の玉を少しずつほぐしながら、進んで行くのだ。
諸戸が先に立って、ロウソクを振りかざして、這って行くと、私が縄の玉を持って、そのあとにつづいた。二匹の熊のように。
「息がつまるようですね」
私たちはソロソロと這いながら、小声で話し合った。
五、六間行くと、穴が少し広くなって、腰をかがめて歩けるくらいになったが、すると間もなく、ほら穴の横腹にまた別のほら穴が口をひらいているところにきた。
「枝道だ。案の定八幡の藪知らずだよ。だが、しるべの縄を握ってさえいれば、道に迷うことはない。先ず本通りの方へ進んで行こうよ」
諸戸はそう言って、横穴に構わず、歩いて行ったが、二間も行くと、また別の穴がまっ黒な口をひらいていた。ロウソクをさし入れて覗いて見ると、横穴の方が広そうなので、諸戸はその方へ曲って行った。
道はのたうち廻る蛇のように、曲りくねっていた。左右に曲るだけではなくて、上下にも、或るときは下り、或るときはのぼった。低い部分には、浅い沼のように水の溜っているところもあった。
横穴や枝道は覚えきれないほどあった。それに人間の造った坑道などとは違って、這っても通れないほど狭い部分もあれば、岩の割れ目のように縦に細長く裂けた部分もあり、そうかと思うと、突然、非常に大きな広間のようなところへ出た。その広間には、五つも六つものほら穴が、四方から集まってきて、複雑きわまる迷路を作っている。
「驚いたね。蜘蛛手のようにひろがっている。こんなに大がかりだとは思わなかった。この調子だとこのほら穴は島じゅう、端から端までつづいているかもしれないよ」
諸戸はうんざりした調子で言った。
「もう麻縄が残り少なですよ。これが尽きるまでに行止まりへ出るでしょうか」
「だめかもしれない。仕方がないから、縄が尽きたらもう一度引っ返して、もっと長いのを持ってくるんだね。だが、その縄を離さないようにしたまえよ。迷路の道しるべをなくしたら、僕らはこの地の底で迷子になってしまうからね」
諸戸の顔は赤黒く光って見えた。それに、ロウソクの火が顎の下にあるものだから、顔の陰影が逆になって、頰と眼の上に、見馴れぬ影ができ、なんだか別人の感じがした。物いうたびに、黒い穴のような口が、異様に大きくひらいた。
ロウソクの弱い光は、やっと一間四方を明るくするだけで、岩の色も定かにはわからなかったが、まっ白な天井が気味わるくでこぼこになって、その突出した部分からポタリポタリと雫(しずく)が垂れているような箇所もあった。一種の鍾乳洞である。
やがて道は下り坂になった。気味のわるいほど、いつまでも下へ下へと降りて行った。
私の眼の前に、諸戸のまっ黒な姿が、左右に揺れながら進んで行った。左右に揺れるたびに彼の手にしたロウソクの焰がチロチロと隠顕(いんけん)した。ボンヤリと赤黒く見えるでこぼこの岩肌が、あとへあとへと、頭の上を通り越して行くように見えた。
しばらくすると、進むに従って、上も横も、岩肌が眼界から遠ざかって行くように感じられた。地底の広間の一つにぶっつかったのである。ふと気がつくと、そのとき私の手の縄の玉はほとんどなくなっていた。
「アッ、縄がない」
私は思わず口走った。そんなに大きな声を出したのでなかったのに、ガーンと耳に響いて、大きな音がした。そして、すぐさま、どこか向こうの方から、小さな声で、
「アッ、縄がない」
と答えるものがあった。地の底の谺(こだま)である。
諸戸はその声に、驚いてうしろをふり返って、「え、なに」と私の方へロウソクをさしつけた。
焰がユラユラと揺れて、彼の全身が明るくなった。その途端、「アッ」という叫び声がしたかと思うと、諸戸のからだが、突然私の眼界から消えてしまった。ロウソクの光も同時に見えなくなった。そして、遠くの方から、「アッ、アッ、アッ……」と諸戸の叫び声がだんだん小さく、幾つも重なり合って聞こえてきた。
「道雄さん、道雄さん」
私はあわてて諸戸の名を呼んだ。
「道雄さん、道雄さん、道雄さん、道雄さん」
と谺(こだま)がばかにして答えた。
私は非常な恐怖に襲われ、手さぐりで諸戸のあとを追ったが、ハッと思う間に、足をふみはずして、前へのめった。
「痛い」
私のからだの下で、諸戸が叫んだ。
なんのことだ。そこは、突然二尺ばかり地面が低くなっていて、私たちはおり重なって倒れたのである。諸戸は転落した拍子に、ひどく膝をうって、急に返事することができなかったのだ。
「ひどい目にあったね」
闇の中で諸戸がいった。そして、起き上がる様子であったが、やがて、シュッという音がしたかと思うと、諸戸の姿が闇に浮いた。
「怪我をしなかった?」
「大丈夫です」
諸戸はロウソクに火を点じて、また歩き出した。私も彼のあとにつづいた。
だが、一、二間進んだとき、私はふと立ち止まってしまった。右手に何も持っていないことに気づいたから、
「道雄さん、ちょっとロウソクを貸してください」
私は胸がドキドキしてくるのを、じつとこらえて、諸戸を呼んだ。
「どうしたの」
諸戸が不審そうに、ロウソクをさしつけたので、私はいきなりそれを取って、地面を照らしながら、あちこちと歩きまわった。そして、
「なんでもないんですよ。なんでもないんですよ」
と言いつづけた。
だがいくら探しても、薄暗いロウソクの光では、細い麻縄を発見することはできなかった。
私は広い洞窟を、未練らしく、どこまでも探して行った。
諸戸は気がついたのか、いきなり走り寄って、私の腕をつかむと、ただならぬ調子で叫んだ。
「縄を見失ったの?」
「ええ」
私はみじめな声で答えた。
「大変だ。あれをなくしたら、僕たちはひょっとすると、一生涯この地の底で、どうどうめぐりをしなければならないかも知れぬよ」
私たちはだんだんあわて出しながら、一生懸命探しまわった。
地面の段になっているところでころんだのだから、そこを探せばよいというので、ロウソクで地面を見て歩くのだが、だんだんになった箇所は方々にあるし、その洞窟に口をひらいている狭い横穴も一つや二つではないので、つい、どれがいまきた道だかわからなくなってしまって、探し物をしているうちにも、いつ路をふみ迷うかもしれないような有様なので、探せば探すほど、心細くなるばかりであった。
後日、私は「即興詩人」の主人公も同じ経験をなめたことを思い出した。鷗外の名訳が、少年の恐怖をまざまざと描き出している。
「その時われらの周囲には、寂としてなんの声も聞こえず、唯忽ち断へ忽ち続く物寂しき岩間の雫の響を聞くのみなりき。……ふと心づきて画工のはうを見やれば、あな訝(いぶ)かし。画工は大息つきて一つところを馳(は)せめぐりたり……。その気色ただならず覚えければ、われも立上りて泣き出しつ。……われは画工の手に取りすがりて、もはや登り行くべし、ここには居りたくなしとむづかりたり。画工は、そちはよき子なり、画きて遣(や)らむ、菓子を与へむ、ここに銭もあり、といひつつ衣のかくしを探して、財布を取り出し、中なる銭をば、ことごとく我に与へき。我はこれを受くる時、画工の手の氷の如く冷(ひややか)になりて、いたく震ひたるに心づきぬ。……さし俯してあまたたび我に接吻し、かはゆき子なり。そちも聖母に願へといひき。絲をや失ひ給ひし、と我は叫びぬ」
「即興詩人」の主人公たちは、間もなく糸の端を発見して、無事にカタコンバを立ちいでることができたのである。だが、同じ幸運が私たちにも恵まれたであろうか。
[やぶちゃん注:蓑浦の「卽興詩人」の引用は先の引用の次の段落部である。前と同じ仕儀で「糸の端を発見」する次の段落まで引いておく。踊り字「〲」「〱」相当の箇所は正字化した。
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われはおそろしき暗黑天地に通ずる幾條の道を望みて、心の中にさまざまの奇怪なる事をおもひ居たり。この時われ等が周圍には寂として何の聲も聞えず、唯だ忽ち斷え忽ち續く、物寂しき岩間の雫の音を聞くのみなりき。われはかく由(よし)なき妄想を懷きてしばしあたりを忘れ居たるに、ふと心づきて畫工の方を見やれば、あな訝(いぶ)かし、畫工は大息つきて一つところを馳せめぐりたり。その間かれは頻(しきり)に俯して、地上のものを搜し索(もと)むる如し。かれは又火を新なる蠟燭に點じて再びあたりをたづねたり。その氣色(けしき)ただならず覺えければ、われも立ちあがりて泣き出しつ。
この時畫工は聲を勵まして、こは何事ぞ、善き子なれば、そこに坐(すわ)りゐよ、と云ひしが、又眉を顰(ひそ)めて地を見たり。われは畫工の手に取りすがりて、最早登りゆくべし、こゝには居りたくなし、とむつかりたり。畫工は、そちは善き子なり、畫かきてや遣らむ、果子をや與へむ、こゝに錢もあり、といひつゝ、衣のかくしを探して、財布を取り出し、中なる錢をば、ことごとく我に與へき。我はこれを受くるとき、畫工の手の氷の如く冷(ひやゝか)になりて、いたく震ひたるに心づきぬ。我はいよいよ騷ぎ出し、母を呼びてますます泣きぬ。畫工はこの時我肩を摑みて、劇(はげ)しくゆすり搖(うご)かし、靜にせずば打擲(ちやうちやく)せむ、といひしが、急に手巾(ハンケチ)を引き出して、我腕を縛りて、しかと其端を取り、さて俯してあまたゝび我に接吻し、かはゆき子なり、そちも聖母に願へ、といひき。絲をや失ひ給ひし、と我は叫びぬ。今こそ見出さめ、といひいひ、畫工は又地上をかいさぐりぬ。
さる程に、地上なりし蠟燭は流れ畢りぬ。手に持ちたる蠟燭も、かなたこなたを搜し索(もと)むる忙しさに、流るゝこといよいよ早く、今は手の際まで燃え來りぬ。畫工の周章は大方ならざりき。そも無理ならず。若し絲なくして步を運ばば、われ等は次第に深きところに入りて、遂に活路なきに至らむも計られざればなり。畫工は再び氣を勵まして探りしが、こたびも絲を得ざりしかば、力拔けて地上に坐し、我頸を抱きて大息つき、あはれなる子よ、とつぶやきぬ。われはこの詞を聞きて、最早家に還られざることぞ、とおもひければ、いたく泣きぬ。畫工にあまりに緊(きび)しく抱き寄せられて、我が縛られたる手はいざり落ちて地に達したり。我は覺えず埃の間に指さし入れしに、例の絲を撮(つま)み得たり。こゝにこそ、と我呼びしに、畫工は我手を摻(と)りて、物狂ほしきまでよろこびぬ。あはれ、われ等二人の命はこの絲にぞ繋ぎ留められける。
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