トゥルゲニエフ作 上田敏譯 「散文詩」(抄) 物乞
物 乞
街頭をゆく。……老いさらぼへる物乞に、袖ひかれぬ。………眼(まなこ)、血走り、唇蒼く、痍(きづ)は爛(ただ)れて、なり、むさぐろし。………あはれ、醜くも、貧窮の、此薄倖兒に食(は)み入りしよ。
赤くふぐだめる掌をあげて、かれはうめきぬ。救を口籠りぬ。
かくしの數々を探れども………紙入なく、時計なく、手巾(はんけち)だになし。………身に一物もつけざりけり。
…物乞の捧げたる手は弱げに顫へわなゝく。
鼻白みたるまゝ、其汚れたる手を執りて、懇ろに握りぬ。………怨む勿れ、わが友、われ今一物なし。
血走る眼(まなこ)われを見つめぬ。 蒼唇、自らほゝゑみたり。 彼も亦わが冷たき持を握りぬ。
口籠りて語るやう、心煩はし給ふな、わが友、これこそ忝なけれ、これもなほ賚(たまもの)ぞ、わが友よ。
この時われも亦賚(たまもの)うけたる心地ぞありし。
[やぶちゃん注:これは是非、「神西清訳 乞食」の私の注をご覧戴きたい。本詩をインスパイアした、朝鮮の詩人윤동주(ユン・ドンジュ 尹東柱 一九一七年~一九四五年:一九四三年(昭和十八年)に治安維持法違反で逮捕され、二年後の日本敗戦の年に九州で獄死した)の「ツルゲーネフの丘」を読んで戴きたいからである(私の古い教え子であるI君が原語から訳してくれたものを掲げてある)。
「兒」には男子の意味がある。
「ふぐだめる」岩波文庫版では『ふくだめる』とする。「ふくだむ」は本来は「けば立って、ぼさぼさになる」或いは「けば立たせる」の謂いであるが、ここは腫れぼったく、浮腫(むく)んだの謂いであろう。
「賚(たまもの)」は「賜物」に同じい。]
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