トゥルゲニエフ作 上田敏譯 「散文詩」(抄) あすは、明日は、
あすは、明日は、
いかに、わが世の、あだなるや、空(くう)なるや、うつろなるや。げに、人間のあとかたの覺束なくて、數少なき。徒なるは月日なり。
しかも萬人は生を惜む。いたく、性命を尊みて、これより、我より、當來より、なに物か、えまほしく、求めてやまず……噫、人は、當來に、豐なる賚(たまもの)を望む。
さはれ、なじかは、思はざる、當來また過去に似たらむを。
げに、思はざるなり。考ふるを好まざるなり。此事眞に善し。
『さて、あすは、明日は!』人みな、この『あすは』をもて、自ら慰め、終におくつきの道に降らむ。
而して、ひとたび、墳塋(おくつき)のうちに入らば、人の思はおのづから已まむ。
[やぶちゃん注:「性命を尊みて」「せい、いのちをたつとみて」と訓じておく。「性」は生まれつきの意。
「當來」未来。
「此事眞に善し」「このこと、まことによし」と訓じておく。]
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