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2017/11/18

和漢三才圖會第四十一 水禽類 天鳶(はくちやう)〔ハクチョウ〕


Hakutyou

はくちやう 鵠【音斛】 鳴哠

      哠故名鵠

天鳶

      凡物大者皆

      以天名故曰

テンゴウ  天鵞

 

本綱鵠大于雁羽毛白澤其翔極高善歩謂鵠不浴而

白一擧千里是也

――――――――――――――――――――――

有黄鵠丹鵠 其皮毛可爲服飾謂之天鵞絨

大金頭鵞 似雁而長項入食爲上美于鴈

小金頭鵞 形差小又有不能鳴鵞飛則翔響

△按天鵞【一名鵠】俗云白鳥也似白雁而大項頸長而肥大

 眼前觜上黄赤觜脚俱黑羽毛白澤其翔極高而善歩

 其翅骨甚強鷹亦勞則爲之被搏其腹毛太柔厚製之

 作革造襯衣及巾膕則温燠能禦寒是天鵞絨之類乎

 翅之裏羽細長潔白而羽莖中正者俗稱君不知以造

 楊弓箭羽甚佳也常奧二州之産尤好其肉肥美味羽

 亦勁厚餘州之産者肉味不美其羽亦軟弱不足用之

一種有俗稱大鳥者狀似鵠而甚肥大白交黄紫花斑羽

 尾黑有白處而帶黄色脚指青而蹼及指端爪邊帶微

 赤色飛翔有響一擧千里唳于九霄近頃西北海島上

 捕之常見之者稀

 鵠字有二物可分別一卽此白鳥也一卽小鳥【久々比】也

 日本紀埀仁天皇皇子譽津別王生年既三十而未言

 焉十月八日於大殿前有鳴鵠度大虛皇子仰觀鵠曰

 是何物耶仍勅天湯河板擧令捕之時板擧遠望鵠飛

 之方追尋詣出雲而捕獲十一月二日獻鵠也皇子弄

 是鵠遂得言語由是敦賞之賜姓而曰鳥取造因亦定

 鳥取部鳥養部【日本紀鵠訓久々比不審】鵠恐此白鳥矣非大鳥者

 何能鳴度大虛飛到數百里乎

 

 

はくちやう 鵠【音、「斛〔(コク)〕」。】 鳴く

      こと、「哠哠」たり。故に鵠と名

      づく。

天鳶

      凡そ、物。大〔なる〕は、皆、

      「天」をつて名づく。故に、「天鵞」

      と曰ふ。

テンゴウ

 

「本綱」、鵠は雁より大にして、羽毛、白く澤(うるほ)ひ、其の翔〔(と)ぶや〕、極めて高く、善く歩く。鵠、浴びずして白く、一擧、千里と謂ふは、是れなり。

――――――――――――――――――――――

黄鵠・丹鵠、有り。 其の皮毛、服(きもの)・飾(かざり)と爲べし。之れを「天鵞絨(ビロ〔ウ〕ド)」と謂ふ。

大金頭鵞 雁に似て、長き項〔(うなじ)〕。食に入れて、上と爲す。鴈より美なり。

小金頭鵞 形、差(やや)小さし。又、鳴くこと能はざる〔も〕、鵞、飛びて、則ち、翔〔(はね)〕、響(ひゞ)く有り。

△按ずるに、天鵞【一名、「鵠」。】俗に云ふ白鳥(はく〔ちやう〕)なり。白雁に似て、大なり。項〔(うなじ)〕・頸、長くして、肥大なり。眼の前・觜の上、黄赤。觜・脚、俱に黑。羽毛、白澤。其れ、翔(かけ)ること、極めて高く、而〔も〕善く歩く。其の翅の骨、甚だ強く、鷹も亦、勞するときは、則ち、之の爲に搏(う)たるる。其の腹の毛、太〔(はなは)〕だ柔厚〔にして〕、之れを製して、革を作り、襯-衣(はだぎ)及び巾膕(きやはん)に造る。則ち、温燠〔(をんをう)〕にして能く寒を禦〔(ふせ)〕ぐ。是れ、「天鵞絨」の類か。翅の裏の羽、細かに長く潔白にして、羽の莖の中正なる者を、俗に「君(きみ)知らず」と稱す。以つて楊弓の箭〔(や)〕の羽に造りて甚だ佳なり。常・奧二州の産、尤も好し。其の肉〔も〕、肥〔えて〕美味〔なり〕。羽も亦、勁厚〔(けいこう)〕なり。餘州の産は、肉の味〔も〕美ならず、其の羽も亦、軟弱にして、之れを用ふるに足らず。

一種、俗に「大鳥」と稱する者、有り。狀、鵠に似て、甚だ肥大。白くして、黄・紫の花斑〔(くわはん)〕を交ふ。羽尾、黑くして、白き處、有り、黄色を帶ぶ。脚指、青くして、蹼〔(みづかき)〕及び指の端・爪の邊り、微赤色を帶ぶ。飛び翔(かけ)る時、響(ひゞ)き有り、一擧千里、九霄〔(きうせう)〕に唳〔(な)〕く。近頃、西北海、島の上〔にて〕、之れを捕ふ〔と〕。常に之れを見るは稀なり。

「鵠」の字、二物、有〔れば〕、分別すべし。一つは、卽ち、此の「白鳥」なり。一つは、卽ち、「小鳥」【「久々比〔(くぐひ)〕。】なり。「日本紀」埀仁天皇の皇子譽津別王(ほむつわけの〔おほきみ〕)、生年〔(しやうねん)〕既に三十にして、未だ言(ものい)はず。十月八日、大殿の前に於いて、鳴〔ける〕鵠、有〔りて〕、大虛(をほぞら)に度(わた)る。皇子、仰ぎて、鵠を觀て曰く、「是れ、何物(〔も〕の)や」〔と〕。仍〔(よつ)〕て天湯河板擧(〔あめのゆかは〕のたな)に勅して、之れを捕らしむ。時〔に〕、板擧(たな)、遠く、鵠、飛〔(とぶ)〕の方を望み、追ひ尋ねて出雲に詣(いた)り、捕獲して、十一月二日、鵠を獻ず。皇子、是の鵠を弄(もてあそ)び、遂に、言語を得。是に由つて、敦(あつ)く之れを賞したまひて、姓を賜ひて、「鳥取造(とつとりのみやつこ)」曰ふ。因りて亦、「鳥取部〔(とつとりべ)〕」・「鳥養部〔(とりかひべ)〕」を定む【「日本紀」、「鵠」、「久々比」と訓ず。不審。】。「鵠」、恐らくは、此の「白鳥」ならん。大鳥に非ずんば、何ぞ能く鳴きて大虛を度(わた)らん、〔また、〕飛ぶこと、數百里に到らんや。

 

[やぶちゃん注:最後に良安は二つの別な鳥(群)を指すとするが、そもそも彼が「白鳥(はくちょう)」と別種とする「鵠(くくひ・くぐひ)」はその白鳥の古称であるからして、ここは鳥綱 Aves カモ目 Anseriformes カモ科 Anatidae Anserinae 亜科に属する広義のハクチョウ類を指すと考えてよい。同亜科はハクチョウ属Cygnus・カモハクチョウ属 Coscoroba の二属に分かれ、ハクチョウ属にコブハクチョウCygnus olor・コクチョウCygnus atratus(和名の通り、ハクチョウ属であるが、成長するにつれて黒くなる)・クロエリハクチョウCygnus melancoryphus・オオハクチョウCygnus cygnus・ナキハクチョウCygnus buccinator・コハクチョウCygnus columbianus が、カモハクチョウ属にカモハクチョウ Coscoroba coscoroba がいるが、本来、古来から本邦に自然に飛来して来る種はオオハクチョウ Cygnus Cygnus とコハクチョウ Cygnus columbianus の二種のみであったと考えられるから、ここで良安の二種(「大鳥」と小鳥の「鵠(くぐい)」)の区別は大きさの点だけでも、これに合致する

 

「哠哠」白鳥の鳴き声のオノマトペイアで漢字を当てたものであるが、この「哠」の字は「喋る」の意があるので、実にマッチしたものと言える。東洋文庫訳は『皓皓』とするが、誤りである。

「浴びず」水浴びをしないのにも拘わらず。

「一擧、千里」一たび、飛び立てば、そのまま休むことなく千里を翔(かけ)ること。但し、これは明代の千里となるから(一里は五百五十九・八メートルしかない)、約五百六十キロメートルとなる。

「黄鵠」中文ウィキによれば、オオハクチョウ Cygnus Cygnus の現在の中文名が「黄嘴天鵝」であるから、それである可能性が高いかと思われる。

「丹鵠」中文ウィキによれば、コブハクチョウCygnus olor の別名としてある。

「天鵞絨(ビロ〔ウ〕ド)」ビロード。ベルベット。ポルトガル語の「veludo」で、本来は羽毛ではなく、表面が滑らかな感触の絹織物を指す。

「大金頭鵞」そのまま「だいきんとうが」(現代仮名遣)と読んでおく。

「食に入れて」食用に用いて。

「小金頭鵞」そのまま「しょうきんとうが」(現代仮名遣)と読んでおく。

「差(やや)」「稍」に同じい。

「鳴くこと能はざる〔も〕」鳴くことは出来ないが。殆んど鳴かない鳥は普通にいるが、種として鳴くことが出来ない鳥というのは私はいないのではないかと思う。いるということであれば、是非、御教授を乞うものである。

鵞、飛びて、則ち、翔〔(はね)〕、響(ひゞ)く有り。

「勞するときは」疲労して思うように飛べぬ時は。

「襯-衣(はだぎ)」肌着。

「巾膕(きゃはん)」脚絆。

「温燠〔(をんをう)〕」暖かいこと。

「君(きみ)知らず」若杉稔氏のサイト「マーリン通信」の「江戸時代の鷹狩り」の「君不知毛(きみしらずげ) とは?」に以下のようにある。

   《引用開始》

 江戸時代、鷹狩りに使われたタカはもっぱらオオタカのメスでした。その次に、ハヤブサ、ハイタカが使われ、まれに、コチョウゲンボウ、チゴハヤブサ、ツミなどが使われたようです。いずれもメスです。ハイタカは仕込みが難しいことからいちばん格の高い最高位のタカとして使われました。ハヤブサは森林の多い日本の環境にはやや向かないこともあってか、わざと格を下げて、蔑(さげす)まされて使われていました。

 さて、今回は、切経緒(きりへお)というハイタカ、ツミにしか使われない特別なものについて、記述します。ツミが鷹狩りにどの程度使われていたかはよく分かりませんが、大名の献上品目録には、時々ツミ(雀鷂)が出てきますので、ある程度使われていたことは確かです。しかし、タカ狩りの世界では、ツミは完全に脇役です。

 オオタカやハヤブサは、鷹匠の拳から飛び立ち、獲物を捕らえた後、すぐに捕らえたその場で獲物の羽毛をむしり始めたり、首の骨を折ることをし始めたりします。獲物を足にぶら下げて運ぶことはあまりしません。特に、しっかりと仕込まれたタカは獲物を運びません。しかし、ハイタカ、ツミは捕らえた獲物をすぐにぶら下げて運んでしまいます。そもそもそういう習性があるようです。そこで、鷹匠が考えたのは、ハイタカ、ツミの足に短いひもをつけることでした。このひものことを、切経緒(きりへお)といいます。馬の尾の毛を3本でよって作ったひもで長さ2mくらい、その一番先端に、ハクチョウの君不知毛(きみしらずげ)を付けます。君不知毛は脇腹にある羽で、「腋羽」のことです。どの鳥にもありますが、大きくて、白いことからハクチョウの羽が使われていました。

 身近な図鑑では、森岡照明さんら4人著の「日本のワシタカ類」、45ページのトビの写真によく写っています。下の写真で、右脇腹からピンと飛び出た羽が君不知毛です。

[やぶちゃん注:リンク先でここに挿入された写真を確認されたい。]

 なぜ、ハクチョウのこの羽が使われたのでしょうか。それはこの羽が白く目立つことと、羽軸に対して左右対称であること、しかも表と裏もそりがなく対称のため、ひもの先に付けて引っ張っても羽がクルクルと回転することがないからです。他の部位の羽、例えば風切羽や尾羽を使うと羽が必ず回転してしまい、ひもがよじれてしまいます。

   《引用終了》

これでその呼称と用途の確認は出来たが、何故、この羽を「君知らず」と呼ぶのかが判らない。自分の羽の脇羽であるから、鳥自身からは見えず、地上からは目立つことを、憐れんでかく呼んだものか? 識者の御教授を乞う。

「常・奧二州」常陸(ひたち)国と奥羽地方(陸奥国(奥州)と出羽国(羽州))或いは常陸と陸奥国。

「勁厚〔(けいこう)〕」厚みがあって強靱であること。

「餘州」それ以外の他の地方。

「九霄〔(きうせう)〕」空の高い所。

「唳〔(な)〕く」「啼く」。

「西北海、島の上」不詳。隠岐や壱岐・対馬であれば、そう記すはずであるから、北九州或いは山陰地方の海岸に近いマイナーな島であったか。

「「日本紀」埀仁天皇の皇子譽津別(ほむつわけの)王……」「日本書紀」の垂仁天皇二十三年(単純換算で紀元前七年)十月壬申の条。

   *

二十三年秋九月丙寅朔丁卯。詔群卿曰。譽津別王。是生年既三十。髯鬚八掬。猶泣如兒。常不言何由矣。因有司而議之。

冬十月乙丑朔壬申。天皇立於大殿前。譽津別皇子侍之。時有鳴鵠。度大虛。皇子仰観鵠曰。是何物耶。天皇則知皇子見鵠得言而喜之。詔左右曰。誰能捕是鳥獻之。於是。鳥取造祖天湯河板擧奏言。臣必捕而獻。卽天皇勅湯河板擧曰。汝獻是鳥、必敦賞矣。時湯河板擧遠望鵠飛之方。追尋詣出雲而捕獲。或曰。得于但馬國。

十一月甲午朔乙未。湯河板擧獻鵠也。譽津別命弄是鵠。遂得言語。由是以敦賞湯河板擧。則賜姓而曰鳥取造。因亦定鳥取部。鳥養部。譽津部。

   *

譽津別王(ほむつわけの〔おほきみ〕)」ウィキの「誉津別命によれば、『誉津別命(ほむつわけのみこと、生没年未詳)は、記紀における皇族(王族)。『日本書紀』では誉津別命、『古事記』では本牟都和気命、本牟智和気命。『尾張国風土記』逸文に品津別皇子。垂仁天皇の第一皇子。母は皇后の狭穂姫命(さほひめのみこと。彦坐王の女)』。『名の由来を記では稲城の焼かれる火中で生まれたので、母により本牟智和気御子と名づけられたとする。母の狭穂姫命はその兄狭穂彦の興した叛乱(狭穂毘古の反乱)の際に自殺。紀では反乱の前に生まれていたとするが、火中から救い出されたのは記に同じ』。『誉津別皇子は父天皇に大変寵愛されたが、長じてひげが胸先に達しても言葉を発することがなく、特に『日本書紀』では赤子のように泣いてばかりであったという』。『『日本書紀』によると皇子はある日、鵠(くぐい、今の白鳥)が渡るさまを見て「是何物ぞ」と初めて言葉を発した。天皇は喜び、その鵠を捕まえることを命じる。湯河板挙(鳥取造の祖)が出雲(一書に但馬)で捕まえて献上し、鵠を遊び相手にすると、誉津別命は言葉を発するようになった。ここに鳥取部・鳥飼部・誉津部を設けたとある』。『一方『古事記』では、誉津別皇子についてより詳しい伝承が述べられている。天皇は尾張の国の二股に分かれた杉で二股船を作り、それを運んできて、市師池・軽池に浮かべて、皇子とともに戯れた。あるとき』、『皇子は天を往く鵠を見て何かを言おうとしたので、天皇はそれを見て』、『鵠を捕らえるように命じた。鵠は紀伊・播磨・因幡・丹波・但馬・近江・美濃・尾張・信濃・越を飛んだ末に捕らえられた。しかし皇子は鵠を得てもまだ物言わなかった。ある晩、天皇の夢に何者かが現れ』、『「我が宮を天皇の宮のごとく造り直したなら、皇子はしゃべれるようになるだろう」と述べた。そこで天皇は太占で夢に現れたのが何者であるか占わせると、言語(物言わぬ)は出雲大神の祟りとわかった。天皇は皇子を曙立王・菟上王とともに出雲(現:島根県東部)に遣わし、大神を拝させると皇子はしゃべれるようになったという。その帰り、皇子は肥長比売と婚姻したが、垣間見ると肥長比売が蛇体であったため、畏れて逃げた。すると肥長比売は海原を照らしながら追いかけてきたので、皇子はますます畏れて、船を山に引き上げて大和に逃げ帰った。天皇は皇子が話せるようになったことを知って喜び、菟上王を出雲に返して大神の宮を造らせた。また鳥取部・鳥甘部・品遅部・大湯坐・若湯坐を設けたという』。『さらに、『釈日本紀』に引く『尾張国風土記』逸文では阿麻乃彌加都比女の祟りとする。それによると誉津別皇子は』七『歳になっても話すことができなかったが、皇后の夢に多具の国の神・阿麻乃彌加都比売が現れて、「自分にはまだ祝(はふり)がいないので、自分を祭祀してくれる者を与えてくれたなら、皇子は話せるようになり、寿命も延びるであろう」と言った。そこで天皇は日置部らの祖・建岡君にこの神がどこにいるかを占わせた。建岡君は美濃国の花鹿山に行き、榊を折って鬘(髪飾り)を作り、ウケイして「この鬘の落ちたところに神はいらっしゃるだろう」と言った。すると鬘は空を飛んで尾張国丹羽郡に落ちたので、建岡君は同地に社を建て、また同地も鬘が訛って阿豆良(あづら)の里と呼ばれるようになったとある』。『多具の国とは、出雲国の多久川流域とされ、また』、『阿麻乃彌加都比売は『出雲国風土記』秋鹿郡伊農郷にみえる天ミカ津日女(もしくは楯縫郡神名樋山の項の天御梶日女)と同神とされる』。『これらの話は神話研究では、記紀でのスサノオが大人になっても泣いてばかりであったことや、また『出雲国風土記』でのアジスキタカヒコネが口が利けなかったという神話と比較されている』とある。

「天湯河板擧(〔あめのゆかは〕のたな)」「日本書紀」の以上の箇所にのみ出現する人物。その他の詳細は不詳。

『「日本紀」、「鵠」、「久々比」と訓ず。不審』『「鵠」、恐らくは、此の「白鳥」ならん。大鳥に非ずんば、何ぞ能く鳴きて大虛を度(わた)らん、〔また、〕飛ぶこと、數百里に到らんや』良安はこの「日本書紀」に出てくる「鵠」が小さい方の「くぐい」の訓で読まれていることに不審と異議を申し立てているのである。この話柄の鵠は大和国から出雲まで非常な遠距離を飛翔しており、大きな鳥でないものが、どうして大声で啼きつつ高い高い上空をゆうゆうと飛び翔け渡り、しかも数百里も離れた地に至ることができようか、いやできない、これは小型の鳥である(良安の認識)「くぐい」なんぞでは到底なく、大型の「白鳥(はくちょう)」でなくてはあり得ぬことだ、とブイブイ言わせているのである。]

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