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« 柴田宵曲 俳諧漫筆 菊 | トップページ | 江戸川乱歩 孤島の鬼(2) 思い出の一夜 »

2017/11/08

江戸川乱歩 孤島の鬼(1) 電子化注始動 はしがき

 

[やぶちゃん注:博文館の大衆雑誌『朝日』の昭和四(一九二九)年一月発行の創刊号から一年余り連載された、乱歩の作品の中でもとびっきりの怪作であるが、猟奇的な特殊な設定(ネタバレになるので言わない)自体が、結果的に、障碍者やある種の先天的疾患を有する人々に対する、非常な作者江戸川乱歩の差別意識を孕んでいるものであり、同様に、当時の社会認識及び作者自身の認識限界の低さから、ジェンダー(やはりネタバレになるので言わない)的な面での問題も甚だ大きい。それに付随して、現在は差別用語としてメディア・コードに抵触する語も多数使用されている。その辺りについては、十全に批判的視点を忘れずに読んで戴くことを切に望む。

 底本は創元推理文庫版(再版一九九一年刊(初版は一九八七年))を用いた。この底本は私の偏愛する画家竹中英太郎氏の初出時の挿絵が全点挿入されている驚くべき優れものであるが、残念ながら、竹中氏の著作権は存続しているので掲げることは出来ない

 なお、底本は全四十八章(各章標題附き)で、初出時は全十四のパート群に分かれており、それぞれのパートの初回連載の頭に英太郎氏に手になる総パート標題入り挿絵が配されてあるが、そこには最後の『完結』パートのそれを除き、概ね「孤島の鬼」の題名の頭書(かしらがき)風に、「怪奇探偵」という文字が書き込まれている。後の活字本ではそれは活字化されていない

 底本の傍点「ヽ」は太字とした。ルビの拗音化は私の判断で行った。殆んど必要がないとは思われるが、当該の語及び表現のある形式段落末にオリジナルに注を附す。

 

 本作は「青空文庫」で「校正中」(記載クレジットは二〇一六年四月二十四日)のままで、現在(二〇一七年十一月八日現在。既に一年半近く進行がない)、未だに公開されていない。また、それが公開されても、そちらは「青空文庫」作業中データによれば、底本が異なる(「江戸川乱歩ベストセレクション⑦ 孤島の鬼」角川書店角川ホラー文庫の平成二三(二〇一一)年刊の四版)点、私の電子化ではオリジナルな注を附す点で、仮に向後、「青空文庫」で全篇の公開があっても、全く別な電子データとなることになることをお断りしておく。【二〇一七年十一月七日ブログ・カテゴリ「江戸川乱歩 孤島の鬼」始動 藪野直史】【二〇一七年十一月十四日12:44/変更・削除及び追記:以上の注の末尾には、当初、万一、「青空文庫」版が私の電子化途中で、全文公開された場合の際の電子データ処理についての注意書きを添えていたが、本日只今を以って、私の底本のOCR読取作業を完遂したので、削除した。これによって私の「孤島の鬼」は全くの私単独の孤独な作業によって完成することとなったことをここに御報告申し上げる。】]

 

 

 孤島の鬼

 

   はしがき

 

 私はまだ三十にもならぬに、濃い髪の毛が、一本も残らずまっ白になっている。このような不思議な人間がほかにあろうか。かつて白頭宰相(はくとうさいしょう)といわれた人にも劣らぬ見事な綿帽子が、若い私の頭上にかぶさっているのだ。私の身の上を知らぬ人は、私に会うと第一に私の頭に不審の眼を向ける。無遠慮な人は、挨拶がすむかすまぬに、先ず私の白頭にいていぶかしげに質問する。これは男女にかかわらず、私を悩ますところの質問であるが、そのほかにもう一つ、私の家内とごく親しい婦人だけがそっと私に聞きにくる疑問がある。それは私の妻の右側の腿の上部の所にある、恐く大きな傷の痕(あと)についてである。そこには不規則な円形の、大手術の痕かえる、むごたらしい赤痣(あかあざ)があるのだ。

[やぶちゃん注:「白頭宰相」第十九代内閣総理大臣原敬(はらたかし 安政三(一八五六)年~大正一〇(一九二一)年)の俗称であるが、彼の場合、爵位の拝受を固辞し続けたことからついた「平民宰相」の方が知られる。内閣総理大臣の在任は大正七(一九一八)年九月二十九日から大正一〇(一九二一)年十一月四日まで。彼は大正十年十一月四日に鉄道省山手線大塚駅職員中岡艮一(こんいち)によって東京駅乗車口(現在の丸の内南口)で刺殺された。]

 二つの異様な事実は、しかし別段私たちの秘密だというわけではないし、私はことさらに、それらのものの原因について語ることを拒むわけでもない。ただ、私の話を相手にわからせることが非常に面倒なのだ。それについては実に長々しい物語があるのだし、たとえその煩わしさを我慢して話をしてみたところで、私の話の仕方が下手なせいもあろうけれど、聞き手は私の話を容易に信じてはくれない。たいていの人は「まさかそんなことが」と頭から相手にしない。私が大法螺吹(おおほらふ)きかなんぞのようにいう。私の白頭と、妻の傷痕という、れっきとした証拠物があるにもかかわらず、人々は信用しない。それほど私たちの経験した事柄というのは、奇怪至極なものであったのだ。

 私は、かつて「白髪鬼」という小説を読んだことがある。それには、ある貴族が早過ぎた埋葬に会って、出るに出られぬ墓場の中で死の苦しみをなめたため、一夜にして漆黒の頭髪が、ことごとくしらがと化したと書いてあった。また、鉄製の樽の中へはいって、ナイヤガラの滝へ飛び込んだ男の話を聞いたことがある。その男は仕合わせにも大した怪我もせず瀑布をくだることができたけれど、その一刹那に、頭髪がすっかり白くなってしまった由(よし)である。およそ、人間の頭髪をまっ白にしてしまうほどの出来事は、このように、世にためしのない大恐怖か大苦痛を伴っているものだ。三十にもならぬ私のこの白頭も、人々が信用しかねるほどの異常事を私が経験した証拠にはならないだろうか。妻の傷痕にしても同じことがいえる。あの傷痕を外科医に見せたならば、彼はきっと、それがなにゆえの傷であるかを判断するに苦しむにちがいない。あんな大きな腫物のあとなんてあるはずがないし、筋肉の内部の病気にしても、これほど大きな切口を残すような藪医者はどこにもないのだ。焼けどにしては治癒のあとが違うし、生れつきのあざでもない。それはちょうど、そこからもう一本足がはえていてそれを切り取ったら、定めしこんな傷痕が残るであろうと思われるような、何かそんなふうな変てこな感じを与える傷口なのだ。これとてもまた、なみたいていの異変で生じるものではないのである。

[やぶちゃん注:「白髪鬼」イギリスの女性作家マリー・コレリ(Marie Corelli 一八五五年~一九二四年)が一八八六年、二十二歳の時に発表した、ホラー・サスペンス「ヴェンデッタ(復讐)」(Vendetta!; or, The Story of One Forgotten)。但し、これは明治二三(一八九三)年に「白髪鬼」として黒岩涙香が、また、まさに江戸川乱歩自身が本作発表の二年後の昭和六(一九三一)年四月から翌年四月まで雑誌『富士』にそれぞれ翻案作を発表している。孰れも翻訳ではなく、原作との大きな異同がある。それはウィキの「白髪に分かり易く書かれてあるので参照されたい。]

 そんなわけで、私は、このことを会う人ごとに聞かれるのが煩わしいばかりでなく、折角身の上話をしても、相手が信用してくれない歯痒(はがゆ)さもあるし、それに実をいうと、私は、世人がかつて想像もしなかったようなあの奇怪事を――私たちの経験した人外境を、この世にはこんな恐ろしい事実もあるのだぞと、ハッキリと人々に告げ知らせたい慾望もある。そこで、例の質問をあびせられたときには、「それについては、私の著書に詳しく書いてあります。どうかこれを読んでお疑いをはらしてください」といって、その人の前にさし出すことのできるような、一冊の書物に、私の経験談を書き上げてみようと思い立ったわけである。

 だが、何をいうにも、私には文章の素養がない。小説が好きで読むほうはずいぶん読んでいるけれど、実業学校の初年級で作文を教わって以来、事務的な手紙の文章のほかには、文章というものを書いたことがないのだ。なに、今の小説を見るのに、ただ思ったことをダラダラと書いて行けばいいらしいのだから、私にだってあのくらいのまねはできよう。それに私のは作り話でなく、身をもって経験した事柄なのだから、一層書きやすいというものだ、などと、たかをくくって、さて書き出してみたところが、なかなかそんな楽なものでないことがわかってきた。第一予想とは正反対に、物語が実際の出来事であるために、かえって非常に骨が折れる。文章に不馴れな私は、文章を駆使するのでなくて、文章に駆使されて、つい余計なことを書いてしまったり、必要なことが書けなかったりして、折角の事実が世のつまらない小説よりも一層作り話みたいになってしまう。ほんとうのことをほんとうらしく書くことさえ、どんなにむずかしいかということを、今さらのように感じたのである。

 物語の発端だけでも、私は二十回も、書いては破り書いては破りした。そして結局、私と木崎初代(きざきはつよ)との恋物語からはじめるのが一ばん穏当だと思うようになった。実をいうと、自分の恋のうち明け話を、書物にして衆人の眼にさらすというのは、小説家でない私には、妙に恥かしく、苦痛でさえあるのだが、どう考えてみても、それを書かないでは、物語の筋道を失うので、初代との関係ばかりではなく、そのほかの同じような事実をも、はなはだしいのは、一人物とのあいだに醸された同性恋愛的な事件までをも、恥を忍んで私は暴露しなければなるまいかと思う。

 際立った事件のほうからいうと、この物語は二た月ばかり間を置いて起こった、二人の人物の変死事件或いは殺人事件を発端とするので、この話が世の探偵小説、怪奇小説というようなものに類似していながら、その実はなはだしく風変りであることは、全体としての事件が、まだ本筋にはいらぬうちに、主人公(或いは副主人公)である私の恋人木崎初代が殺されてしまい、もう一人は、私の尊敬する素人探偵で、私が初代変死事件の解決を依頼した深山木幸吉(みやまぎこうきち)が、早くも殺されてしまうのである。しかも私の語ろうとする怪異談は、この二人物の変死事件を単に発端とするばかりで、本筋は、もっともっと驚嘆すべく、戦慄すべき大規模な邪悪、いまだかつて何人(なんぴと)も想像しなかった罪業に関する、私の経験談なのである。

 素人の悲しさに、大袈裟な前ぶればかりしていて、一向読者に迫るところがないようであるから(だが、この前ぶれが少しも誇張でないことは、後々に至って読者に合点が行くであろう)、前置きはこのくらいにとどめて、さて私の拙い物語をはじめることにしよう。

 

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