江戸川乱歩 孤島の鬼(19) 弥陀の利益
弥陀の利益
さて、破(こわ)れた石膏像の中には、綿が一杯詰まっていたが、綿を取りのけると、二冊の本が出てきた。その一つは、思いがけぬ木崎初代の実家の系図帳で、かつて彼女が私に預け、思い出してみると、私が最初深山木を訪ねた時、彼に渡したままになっていたものである。もう一つは、古い稚記帳ようのもので、ほとんど全ページ、鉛筆書きの文字で埋まっていた。それが如何に不思議千万な記録であったかはおいおいに説明する。
「ああ、これが系図帳だね。僕の想像していた通りだ」
諸戸はその系図帳の方を手に取って叫んだ。
「この系図帳こそ曲者なんだ。賊が命がけで手に入れようとした『品物』なんだ。それはね、今までのことをよく考えてみればわかることなんだよ、先ず最初、初代さんが手提げ袋を盗まれた。もっとも当時すでに系図帳は君の手に渡っていたけれど、その以前には初代さんはこれをいつも手提げに入れて身辺から離さなかったというのだから、賊はその手提げさえ奪えばいいと思ったのだよ。ところが、それがむだ骨に終ったので、今度は君に眼をつけたが、君は偶然に賊が手出しをする前に、深山木氏に系図帳を渡してしまった。深山木氏がそれを持ってどこかへ旅行した、そして、おそらく有力な手掛りをつかむことができた。間もなく例の脅迫状がきて、深山木氏は殺されたが、今度もまた、あいつの狙った系図帳は、すでにこの石膏像の中に封じて君の手に返っていたので、賊はむなしく深山木氏の書斎をかき乱したにすぎなかった。それで再び君が狙われることになった。だが賊も石膏像には気づかぬものだから、君の部屋をたびたび探しはしたけれど、ついに目的を果たさなかった。おかしいことに、賊はいつもあとへあとへと廻っていたのだよ。という順序を想像すると、賊の命がけで狙っていたものは、確かにこの系図帳なんだよ」
「それで思い当たることがありますよ」私は驚いて言った。「初代さんがね、僕に話したことがあります。近所の古本屋が、いくら高くてもいいから、その系図帳を譲ってくれとたびたび申し込んだそうです。こんなつまらない系図帳に大した値打ちがあるわけはないのですから、考えてみると、古本屋はおそらく賊に頼まれたのですね。古本屋に尋ねたら賊の正体がわかるのじゃないでしょうか」
「そんなことがあったとすると、いよいよ僕の想像が当たるわけだが、しかし、あれほどの考え深いやつだから、古本屋にだって、決して正体をつかまれちゃいまいよ。先ず古本屋を手先に使って、おだやかに系図帳を買い取ろうとした。それがだめとわかると、今度はひそかに盗み出そうとした。君がいつか話したね。初代さんが例の怪しい老人を見たころ、初代さんの書斎の物の位置が変っていたって。それが盗み出そうとした証拠だよ。だが、系図帳はいつも初代さんが肌身はなさず持って歩くことがわかったものだから、次には……」
諸戸はそこまでいって、ハッと何事かに気づいた様子でまっ青になった。そして、だまり込んで、大きくひらいた眼でじっと空間を見つめた。
「どうかしたの?」
と私が尋ねても、彼は返事もしないで、長いあいだおしだまっていたが、やがて、気をとりなおして、何気なく話の結末をつけた。
「次には……とうとう初代さんを殺してしまった」
だが、それは何か奥歯に物のはさまったような、ハキハキしない言い方であった。私は、その時の、諸戸の異様な表情をいつまでも忘れることができなかった。
「ですが、僕には、少しわからないところがありますよ。初代にしろ、深山木にしろ、なぜ殺さなければならなかったのでしょう。殺人罪まで犯さなくても、うまく系図帳を盗みだす方法があったでしょうに」
「それは、今のところ僕にもわからない。多分別に殺さねばならぬ事情があったのだろう。そういうところに、この事件の単純なものでないことが現われている。だが、空論はよして、実物を調べてみようじゃないか」
そこで、私たちは二冊の書き物を調べたのだが、系図帳のほうは、かつて私も見て知っているように、なんの変りとてもない普通の系図帳にすぎなかったけれども、もう一冊の雑記帳の内容は、実に異様な記事に満たされていた。私たちは一度読みかけたら、あまりの不思議さに中途でよすことができないはど、引きいれられて、最初にその雑記帳の方を読んでしまったのだが、記述の便宜上、その方はあと廻しにして、先ず系図帳の秘密について書きしるすことにしよう。
「封建時代の昔なら知らぬこと。系図帳などが、命がけで盗み出すほど大切なものだとは思えない。とすると、これには、表面に現われた系図帳としてのほかに、もっと別の意味があるのかも知れぬ」
諸戸は、一枚一枚念入りに、頁(ページ)をめくりながらいった。
「九代、春延(はるのぶ)、幼名又四郎(またしろう)、享和(きょうわ)三年家督、賜(たまわる)二百石、文政十二年三月二十一日歿、か。この前はちぎれていてわからない。藩主の名もはじめのほうに書いてあったのだろうが、あとは略して禄高(ろくだか)だけになっている。二百石の微禄じゃあ姓名がわかったところで、何藩の臣下だか容易に調べはつくまいね。こんな小身者の系図に、どうしてそんな値打ちがあるのかしら。遺産相続にしたって、別に系図の必要もあるまいし、たとえ必要があったところで、盗み出すというのは変だからね。盗まないでも、系図が証拠になることなら、堂々と表だって要求できるわけだから」
[やぶちゃん注:「享和(きょうわ)三年」一八〇三年。第十一代将軍徳川家斉の治世。次の文政年間も同じ。
「文政十二年三月二十一日」グレゴリオ暦一八二九年四月二十四日。]
「変だな。ごらんなさい。この表紙のところが、わざとはがしたみたいになっている」
私はふと、それに気づいた。先に初代から受取ったときには、確かに完全な表紙だったのが、苦心してはがしたように、表面の古風な織物と、芯の厚紙とが別々になっていて、めくってみると、織物の裏打ちをした何かの反古(ほご)の、黒々とした文字さえ現われてきた。
「そうだね。確かにわざわざはがしたんだ。むろん深山木氏がしたことだ。とすると、これには何か意味がなくてはならないね。深山木氏は何もかも見通していたらしいのだから、無意味にこれをはがすはずはない」
私は何気なく、裏打ちの反古の文字を読んでみた。すると、その文句がどうやら異様に感じられたので、諸戸にそこを見せた。
「これは何の文句でしょうね。和讃かしら」
「おかしいね。和讃の一部でもなし、まさかこの時分お筆先でもあるまいし。物ありげな文句だね」
[やぶちゃん注:「和讃」仏教の教義や仏・菩薩・高僧の徳などを分かり易い和語で讃えた歌謡。七五調の四句又はそれ以上を一節として曲調をつけて詠じる歌。平安中期から流行したが、特に鎌倉新仏教に於いて重視され、浄土真宗の親鸞の「三帖和讃」、時宗の「浄業和讃」などを初めとして数多くの和讃が作られ、中世仏教歌謡を代表するものとなって行った。御詠歌もこの正統な流れの中にある。
「お筆先」天理教の三つの聖典の一つ(他の天理教原典は「みかぐらうた」と「おさしづ」)。天理教教祖中山みき(寛政一〇(一七九八)年~明治二〇(一八八七)年が親神(おやがみ)天理王命(てんりおうのみこと)の教えを書いたとされるもの。和歌形式を採る。「おふでさき」は明治二(一八六九)年から明治一五(一八八二)年頃までに執筆された。天理教立教は、みきがトランス状態になって夫善兵衛がみきを「月日(神)のやしろ」となることを承諾した天保九年十月二十三日(グレゴリオ暦一八三八年十二月九日)のこととされる(以上はウィキの「おふでさき」・「中山みき」を参照した)。]
で、文句というのは次のようにまことに奇怪なものであった。
神と仏がおうたなら
巽(たつみ)の鬼をうちやぶり
弥陀(みだ)の利益(りやく)をさぐるべし
六道(ろくどう)の辻に迷うなよ
「なんだか辻棲の合わぬまずい文句だし、書風も御家流まがいの下手な字だね。昔のあまり教養のないお爺さんでも書いたものだろう。だが、神と仏が会ったり、巽の鬼を打ちやぶったり、なんとなく意味ありげで、さっぱりわからないね。しかし、いうまでもなく、この変な文句が曲者だよ。深山木氏が、わざわざはがして調べたほどだからね」
「呪文みたいですね」
「そう。呪文のようでもあるが、僕は暗号文じゃないかと思うよ。命がけで欲しがるほど値打ちのある暗号文だね。もしそうだとすると、この変な文句に、莫大な金銭的価値がなくてはならない。金銭的価値のある暗号文といえば、すぐ思いつくのは、例の宝の隠し場所を暗示したものだが、そう思って、この文句を読んでみると、『弥陀の利益を探るべし』とあるのが、なんとなく『宝のありかを探せ』という意味らしく取れるじゃないか。隠された金銀財宝は、いかにも弥陀の利益にちがいないからね」
「ああ、そういえばそうも取れますね」
えたいの知れぬ蔭の人物が(それはかの八十歳以上にも見える怪老人であろうか)あらゆる犠牲を払って、この表紙裏の反古を手に入れようとしている。それは反古の文句が宝の隠し場所を暗示しているからだ。それをどうかして嗅ぎつけたのだ。とすると、事件は非常に面白くなってくる。われわれにこの古風な暗号文が解けさえすれば、ポーの小説の「黄金虫」の主人公のように、たちまちにして百万長者になれるかもしれないのだ。
だが、私たちはそこでずいぶん考えてみたのだが、「弥陀の利益」が財宝を暗示することは想像しえても、あとの三行の文句は全くわからない。その土地なり、現場の地形なりに、大体通じている人でなくては、全然解きえないものかも知れぬ。とすると、私たちはその土地を全く知らないのだから、この暗号文は、(たとえ暗号だったとしても)永久に解くすべがないわけである。
だが、これが果たして、諸戸の想像したように、宝のありかを示す暗号だったであろうか。
それはあまりにも浪漫的(ロマンチック)な、虫のいい空想ではなかったか。
[やぶちゃん注:系図帳の古さから考えて、その妖しい唄は当然、系図帳原本から出た反古には、正字で書かれていたと考えられる。一応、正字化したもの(読みは除去)するを示しておく。なお、「巽」は底本は上部の二つの「己」が「已」となったものであるが、この「巽」の異体字は電子活字としては存在しないので「巽」とした。歴史的仮名遣としてはおかしなところがあるが、そこは口語表現と採ってママとした。
神と佛がおうたなら
巽の鬼をうちやぶり
彌陀の利益をさぐるべし
六道の辻に迷うなよ
「黄金虫」(「おうごんちゅう」とも「こがねむし」とも読まれる。原題は“The Gold-Bug”。 一八四三年に発表されたエドガー・アラン・ポーの短編冒険小説。ウィキの「黄金虫」によれば、『語り手とその聡明な友人ルグラン、その従者のジュピターが、宝の地図を元にキャプテン・キッドの財宝を探し当てるまでを描く冒険小説である。また厳密には推理小説の定義からは外れるものの』、『暗号を用いた推理小説の草分けとも見なされている』。『この作品は『フィラデルフィア・ダラー・ニュースペーパー』(Philadelphia Dollar Newspaper)の懸賞で最優秀作となり、ポーは賞金として』百『ドルを得た。これはポーが単独作品で得た収入ではおそらく最高額である』とされる。『「黄金虫」はポーの作品のうち、彼の存命中もっとも広く読まれた作品となり』、『暗号というトピックを出版界に広く知らしめる役割を果たした』とある。リンク先にはネタバレを含むシノプシスが書かれているので、未読の方は見ない方がよろしい。]

