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2017/11/01

トゥルゲニエフ作 上田敏譯 「散文詩」(抄) 田舍世界

 

[やぶちゃん注:昨日、神西清訳「散文詩」の「あとがき」への注で私は「近い将来、電子化する」と約束した。私に遠い将来はないかも知れない。されば、今日中に総てを公開することとした。

 底本は昭和三七(一九六二)年岩波文庫刊の山内義雄・矢野峰人編「上田敏全訳詩集」を参考加工データとしつつ、最初の十篇は国立国会図書館デジタルコレクションの画像で初出と校合し、原則、初出のママで電子化した(岩波版は編者に拠る補正が加えられてある)。ルビ(読み)は初出に拠った。字配及び句点の後の有意な字空きは、概ね、この初出に拠ったが、行間その他はオリジナルに施した部分がある。踊り字「ヽ」は「ゝ」に代え、踊り字「〱」「〲」は正字化した。原典はリーダに不全があり、点の数が一定しなかったり、脱落したりしているが、原則、「田舍世界」で最初に出現する九点リーダで統一した。一部にオリジナルな注を附した。

 以下の全十三篇はロシア語原典からの訳ではなく、イギリス人翻訳家で十九世紀ロシア文学を専門とし、トルストイとも親交のあった「ガーネット夫人」の呼称で知られるコンスタンス・ガーネット(Constance Garnett 一八六一年~一九四六年)による英訳からの重訳で、以下全十三篇の内、「田舍世界」から「戰はむ哉」までの十篇は明治三四(一九〇一)年文友館刊上田敏の訳詩集「みをつくし」に初出する。残りの三篇「一僧」「あすは、明日は」「露西亞の言葉」は、翌明治三十五年八月発行の『明星』(「三ノ二」号)に発表されたものである(このデータは各篇には示さない)。なお、ウィキの「コンスタンス・ガーネットによれば、彼女は『ロシア文学を英語圏に広く紹介する役割を果たし』、『ジョゼフ・コンラッドやデーヴィッド・ハーバート・ローレンスから名訳と絶賛され、今日』、『なお』、『増刷を重ねる』が、『しかし、ウラジーミル・ナボコフやヨシフ・ブロツキーからは、読みやすいが』、『あまりに意訳に過ぎる』、『などと批判された。実際に、原文に不明な単語や成句があれば訳文で省略されたという』とあり、既に電子化したロシア語原典訳のそれらと、この上田訳を比べた時、そうした省略が明らかにあることが、冒頭の「田舍世界」から既にはっきりと見てとれる。【2017年11月1日 藪野直史】]

 

 

  散 文 詩    トゥルゲニエフ

 

 

   田舍世界

 

 六月をはりの日、このあたり一千ヹルスト、噫、故里、露西亞。

 はてなき靑色は滿天に漲り、その上に孤雲、泛ぶが如く消ゆるが如し。 日暖く靜にして………そよかぜぞ新乳のやうなる。

 雲雀高きに名告り、野鳩くゝといふ。 おともなく燕、をちこちに飛びかひ、馬の嘶、齒がみきこゆ。 犬も今聲なく、靜に尾を掉りてまもりゐたり。

 折たく柴の烟、乾草のかをりに交り、樹脂のにほひ、けしきばかり、獸皮のそれも添ふ。麻の花、今をさかりに、重ぐるしき芳香放ちぬ。

 深けれど、谷は斜なり。 兩岸の楊樹、つらなめて、上に頭重く、下に幹さけたり。 谷間には小川、水底のさゞれ石は、淸流をすきてふるふ。 かなた遙、天地の境、長江の靑帶を橫ふ。

 谷のこなたに沿ひて、趣ある小舍、三つ四つ二つ。 小さき倉の戸は閉ぢたり。 對岸に、板葺の松小舍五六、軒每に長棹たてゝ、鳩の家とす。 入口には、鬣短き鐡ものゝ馬を掲ぐ。 あやしき玻璃の窓板は、虹のいろのたぐひを盡して、窓の戸には花瓶の圖、家每の前なる小椅子も今樣めいて淸げなり。 盛だかの土の上なる樂寢の猫は、透きとほる左右の耳けざとくも聳てつ。 高き鴨居のあなた、表部屋の凉しげなる陰もすきみゆ。

 われ今馬衣を廣げて谷のまきばに橫ふ。 刈りてほど經ぬ柴草よもに堆くして、香は人を壓するばかり。 賢き農夫は伏屋の前に稻村つくりぬ。 先づ日光に少し乾せて後、納屋に收むをなり。 眠床としてめでたきものぞ。

 稻村每より、波うてる稚兒の髮のぞく。 鷄冠(とさか)ある家禽は、乾草ついばみて、甲虫、虻などをあさりゆけば、唇白き小狗は散りしく草のなかに轉びぬ。

 ぬめごま色の髮もてるわかうどらは、外衣(うはぎ)淸げに、帶低く、重き靴穿ちて馬具はづしたる車に倚り、互に心にくきざれ言かはしつゝ開いたる口の齒なみ白し。

 まる顏のをとめ、窓より覗き、男の戲に笑ひ、稻村の稚兒たちを眺む。

 腕太き他のわかき女は、井戸より濡れたる大釣瓶をくみあげたり。………釣瓶ふるへ動きて、飛沫こぼれ光りぬ。

 わが前に老婦たてり。 縞の袴、新しく、靴もまた新し。 淺黑き細頸にうつろ玉三列に卷き、白髮をつゝむ赤玉もやうの黃巾は、落ちかゝりて、その老眼を葢ふ。

 老眼なほ未だ欵待の笑を失はず。皺顏は笑み傾けり。 おもふに七十を越えつらむ。………しかもその春の色を忍ばしむ。

 日にやけたる指を屈して、穴倉より汲みて間もなき冷乳の一盃を右手に支ふ。碗のまはり、乳滴れかゝりて眞珠一連とみるべし。左手をもてわれに温き麵包の大塊を捧ぐ。 物言ふ如し、道ゆく人よ、來れ、これを食ひて心安かれと。

 をりしも鷄歌ひいでゝ、せはしげに羽ばたきす。 小舍に閉されたる犢の呻吟(うめき)ものうげに答ふ。

 あゝ、豐なる麥の貯よとわが駁者は叫びぬ。‥‥噫、露西亞、田舍世界のたりほ、靜にもまた豐かなるよ。噫何等の太平ぞ、幸福ぞ。

 忽にして思ひ浮べぬ。コンスタンテノポリスなる聖ソフヤ寺の圓閣に、十字のみしるし樹てむなど、都人の思ひわづらふもろもろのよしなし事、はた何の益ぞと。

 

[やぶちゃん注:登場する幾つかの対象(「コンスタンテノポリスなる聖ソフヤ寺の圓閣」など)については、既に「イワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフ作「散文詩」神西清訳抄(改訳分十一篇)」で私が注を附しているので、そちらを参照されたい。

「一千ヹルスト」これはメートル法以前のロシアの長さの単位である「ヴィルスター」(верста)の音写訳。一ヴィルスター約一・〇七キロメートルであるから、一千七十キロメートル。

「泛ぶ」「うかぶ」。

「新乳」「あらぢち」と訓じておく。搾り立ての牛乳。

「名告り」「なのり」。

「嘶」「いななき」。

「掉りて」「ふりて」。「振りて」。「掉」は「揮(ふる)う」の意。

「橫ふ」「よこたふ」。

「鬣」「たてがみ」。

「鐡ものゝ馬を掲ぐ」鉄製の馬を象った屋根の棟飾りを掲げている。

「あやしき」「粗末な」。精製されていないために凹凸が激しい故に太陽光に「虹のいろのたぐひ」を頻りに乱反射させるのである。

「盛だか」「盛高」。風を防ぐために盛り土をしてあるのである。

「聳てつ」「そばだてつ」。

「よもに」「四方に」。

「堆くして」「うづたかくして」。

「稻村」「いなむら」稲叢。

「乾せて後」岩波文庫版ではここが『乾(かはか)して後』となっている。しかし、これは文法的に決定的な誤りであろうか。完全なる古語としては誤りではあるが、現代語としては使役の助動詞「せる」で問題はない。本篇は全体が擬古文ではあるから、この補正は不当とはしないものの、擬古文とは総てが古語文法によって支配されていなくてはならぬものだとは思わない。上田敏が江戸っ子であることも考慮してよい。擬古文の絶対縛りに従うなら、私は冒頭の「ヹルスト」が既にだめだろうと思う。「數千里」にすべきだろう。私は「かはかせてのち」と躓かずに読める。だから、これで、よい

「眠床」「ねどこ」。「寢床」。

「唇白き小狗」違和感がある。他の諸訳は鼻の先が白い小犬である。

「轉びぬ」「まろびぬ」と訓じたい。岩波版もかくルビする。

「ぬめごま色」亜麻色。紡(つむ)いだ糸の色のような黄味がかった薄茶色。「ぬめごま」は亜麻(キントラノオ目アマ科アマ属アマ Linum usitatissimum)の別称。中央アジア原産で、同種の丸い果実の中には長楕円形で平たい黄褐色の種子があり、これから亜麻仁(あまに)油を絞り採った。

「ざれ言」「戲れ言」。

「まる顏のをとめ、窓より覗き、男の戲に笑ひ、稻村の稚兒たちを眺む」ここは原詩では乙女は実は「男の戲に」対してなのか、「稻村の稚兒たちを眺」めてのそれなのか、よく判らないどっちつかずの印象で笑うのである。私が冒頭でガーネット訳の問題点を指摘したのはこの微妙な乙女心の曖昧な恥じらいを、恐らくは彼女の英語訳では訳し出し切れてはいないと踏んだのである。

「うつろ玉」穴の空いたガラス玉。

「黃巾」プラトーク。スカーフ。

「葢ふ」「蔽(おほ)ふ」。

「欵待」「くわんたい」。款待(かんたい)に同じい。「欵・款」は「親しみ・よしみ」の意。

「笑」「ゑみ」。

「麵包」「パン」。

「物言ふ如し、道ゆく人よ、來れ、これを食ひて心安かれと」神西訳などでは実際に老婆がそう声を懸ける完璧な直接話法で訳しているが、中山三郎では『「旅のお方、ようこそ、さあ、どうぞ、おあがり!」とでもいふのであらう。』とあり、私はここは上田や中山が訳すように、老婆は無言で、笑いながら、牛乳とパンを詩人に進めるシークエンスこそが唯一絶対の映像であると信ずる

「犢」「こうし」。仔牛。

「貯よ」「たくはへよ」。豊作を言祝ぐ謂い。

「たりほ」「足りほ」豊かな稔り。「ほ」はまさにそうした穀類のたわわな「穂」を語源とする「抜きん出て豊かなこと・秀でて素晴らしこと」或いは「表面に出て有意に盛んに目立つもの」の意の「ほ」と読む。

「噫」「ああ」。冒頭と同じだか、後に読点が欲しい。

「忽」「たちまち」

「樹てむ」「建(た)てむ」。

「益」岩波文庫版はこれに『やう』とルビする。従えない。この単漢字を出されて、「やう」と読む日本人はゼロに近い。「えき」か「やく」である。意味は確かに「役」(になること)の意味ではあるが。]

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