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2017/11/15

柴田宵曲 猫 一

 

柴田宵曲 猫

 

[やぶちゃん注:本篇は昭和三二(一九五七)年七月及び十月と、翌昭和三十三年十二月と、昭和三十五年六月月と十月発行の雑誌『谺』にかなり時間を挟んで発表された「猫」絡みの俳諧随想である。底本は一九九九年岩波文庫刊の小出昌洋編「新編 俳諧博物誌」に載る「猫」を用いたが、「虫の句若干」の冒頭注で述べた通り、大幅な変更処理を施してある。全五章(発表の順であろう)からなるので、各章毎に分割して電子化注するが、この冒頭注はここにのみ附す。

 ネコは一般に、動物界 Animalia 脊索動物門 Chordata 脊椎動物亜門 Vertebrata 哺乳綱 Mammalia 食肉目 Carnivora ネコ型亜目 Feliformia ネコ科 Felidae ネコ属 Felis ヨーロッパヤマネコ Felis silvestris または Felis catus が家畜化された、亜種イエネコ Felis silvestris catus を指し、ここではその限定でよい。]

 

       一

 

 俳諧の猫は殆ど恋猫に掩(おお)われた観がある。尤もそういう人間にしたところで、小説の世界から覗けば殆ど恋愛に終始しているわけだから、猫と甚しい逕庭(けいてい)はないのかも知れぬ。這間(しゃかん)の消息はすべて見る人の眼鏡によって支配される。小説世界が恋愛三昧だからといって、あらゆる人間が日夜恋愛に奔走しているとは限るまい。恋猫は季題として独立し、古今の句集に遍在しているため、人の目につく機会が多いに過ぎぬので、俳人の観察は固よりこれにとどまらぬのである。

[やぶちゃん注:「恋猫」初春の季語。

「逕庭」「径庭」とも書く。「逕」は「小道」、「庭」は「広場」の意。二つのものの間にある有意な隔たり、懸隔の意。元は「荘子」の「逍遥遊篇」に拠る。

「這間」既注であるが、再掲しておく。「この間(かん)」の意。但し、「這」には「この」という指示語の意はなく、誤読の慣用法である。宋代、「この」「これ」の意で「遮個」「適箇」と書いたが、この「遮」や「適」の草書体が「這」と誤判読されたことに由来するものである。]

 

 元日や去年(こぞ)のめしくふ猫の顔 一友

 

 先(まず)歳旦第一日からはじめる。元日だからといって、猫の生活に変りはない。人間世界が屠蘇、雑煮その他、新年の季題に忙殺されるだけ、猫の方は閑却されざるを得ぬ。索莫として去年の皿に残された飯を食っている、というのである。甚だ冷遇を極めたようだけれども、実際問題からいうと、人間世界にも元日の飯はない。肝腎の餅は猫の御歯に合わざること、『吾輩は猫である』の証明する通りだから、しばらく去年の飯で我慢するより仕方があるまいと思う。

 この句は淡々と事実を叙し去ったようで、ちょっと面白いところを捉えている。元日としては普通の人の看過しそうな趣である。

[やぶちゃん注:「『吾輩は猫である』の証明する通り」「吾輩は猫である」の「二」の正月のロケーションに以下のようにある。引用は岩波版旧全集に拠った。踊り字「〱」「〲」は正字化した。

   *

 今朝見た通りの餅が、今朝見た通りの色で椀の底に膠着(かうちやく)している。白狀するが餅というものは今迄一返も口に入れた事がない。見るとうまさうにもあるし、又少しは氣味(きび)がわるくもある。前足で上にかゝつて居る菜つ葉を搔き寄せる。爪を見ると餅の上皮(うはかは)が引き掛つてねばねばする。嗅いで見ると釜の底の飯を御櫃(おはち)へ移す時の樣な香(におひ)がする。食はうかな、やめ樣(やう)かな、とあたりを見廻す。幸か不幸か誰も居ない。御三(おさん)は暮も春も同じ樣な顏をして羽根をついて居る。小供は奧座敷で「何と仰しやる兎さん」を歌って居る。食ふとすれば今だ。もし此機をはづすと來年迄は餅といふものゝ味を知らずに暮して仕舞はねばならぬ。吾輩は此刹那に猫ながら一の眞理を感得した。「得難き機會は凡(すべ)ての動物をして、好まざる事をも敢てせしむ」吾輩は實を云ふとそんなに雜煑を食ひ度くはないのである。否椀底(わんてい)の樣子を熟視すればする程氣味(きび)が惡くなつて、食ふのが厭になつたのである。此時もし御三(おさん)でも勝手口を開けたなら、奧の小供の足音がこちらへ近付くのを聞き得たなら、吾輩は惜氣(をしげ)もなく椀を見棄てたらう、しかも雜煑の事は來年迄念頭に浮ばなかつたらう。所が誰も來ない、いくら躕躇して居ても誰も來ない。早く食はぬか食はぬかと催促される樣な心持がする。吾輩は椀の中を覗き込み乍ら、早く誰か來てくれゝばいゝと念じた。やはり誰も來てくれない。吾輩はとうとう雜煑を食はなければならぬ。最後にからだ全體の重量を椀の底へ落す樣にして、あぐりと餅の角を一寸(いつすん)許(ばか)り食ひ込んだ。此位力を込めて食ひ付いたのだから、大抵なものなら嚙み切れる譯だが、驚いた! もうよからうと思つて齒を引かうとすると引けない。もう一返嚙み直さうとすると動きがとれない。餅は魔物だなと疳(かん)づいた時は既に遲かつた。沼へでも落ちた人が足を拔かうと焦慮(あせ)る度にぶくぶく深く沈む樣に、嚙めば嚙むほど口が重くなる、齒が動かなくなる。齒答はあるが、齒答がある丈(だけ)でどうしても始末をつける事が出來ない。美學者迷亭先生が甞て吾輩の主人を評して君は割り切れない男だといった事があるが、成程うまい事をいつたものだ。此餅も主人と同じ樣にどうしても割り切れない。嚙んでも嚙んでも、三で十を割るごとく盡未來際(じんみらいざい)[やぶちゃん注:仏語。未来の果てに至るまで。未来永劫。永遠。ここは副詞的用法。]方(かた)のつく期(ご)[やぶちゃん注:決着のつくべき瞬間。]はあるまいと思はれた。此煩悶の際吾輩は覺えず第二の眞理に逢着した。「凡(すべ)ての動物は直覺的に事物の適不適を豫知す」眞理は既に二つ迄發明したが、餅がくつ付いて居るので毫も愉快を感じない。齒が餅の肉に吸収されて、拔ける樣に痛い。早く食ひ切つて逃げないと御三(おさん)が來る。小供の唱歌もやんだ樣だ、屹度(きつと)臺所へ馳け出して來るに相違ない。煩悶の極(きよく)尻尾(しつぽ)をぐるぐる振つて見たが何等の功能もない、耳を立てたり寐かしたりしたが駄目である。考へて見ると耳と尻尾(しつぽ)は餅と何等の關係もない。要するに振り損の、立て損の、寐かし損であると氣が付いたからやめにした。漸くの事是は前足の助けを借りて餅を拂ひ落すに限ると考へ付いた。先づ右の方をあげて口の周圍を撫(な)で廻す。撫(な)でた位で割り切れる譯のものではない。今度は左(ひだ)りの方を伸(のば)して口を中心として急劇に圓を劃して見る。そんな呪(まじな)ひで魔は落ちない。辛防が肝心だと思つて左右交(かは)る交るに動かしたが矢張り依然として齒は餅の中にぶら下つて居る。えゝ面倒だと兩足を一度に使ふ。すると不思議な事に此時丈(だけ)は後足(あとあし)二本で立つ事が出來た。何だか猫でない樣な感じがする。猫であらうが、あるまいが斯うなつた日にやあ構ふものか、何でも餅の魔が落ちる迄やるべしといふ意氣込みで無茶苦茶に顏中引つ搔き廻す。前足の運動が猛烈なので稍(やゝ)ともすると中心を失つて倒れかゝる。倒れかゝる度に後足(あとあし)で調子をとらなくてはならぬから、一つ所にいる譯にも行かんので、臺所中あちら、こちらと飛んで廻る。我ながらよくこんなに器用に起(た)つて居られたものだと思ふ。第三の眞理が驀地(ばくち)に[やぶちゃん注:禅語。副詞。激しい勢いで目標に向かって突き進むさま。いっさんに。一気に。まっしぐらに。]現前(げんぜん)する。「危きに臨めば平常なし能はざる所のものを爲し能ふ。之を天祐[やぶちゃん注:天の助け。]といふ」幸に天祐を享(う)けたる吾輩が一生懸命餅の魔と戰つて居ると、何だか足音がして奧より人が來る樣な氣合(けはひ)である。こゝで人に來られては大變だと思つて、愈(いよいよ)躍起(やくき)となつて臺所をかけ廻る。足音は段々近付いてくる。あゝ殘念だが天祐が少し足りない。とうとう小供に見付けられた。「あら猫が御雜煑を食べて踊(をどり)を踊つて居る」と大きな聲をする。此聲を第一に聞きつけたのが御三(おさん)である。羽根も羽子板も打ち遣つて勝手から「あらまあ」と飛込んで來る。細君は縮緬(ちりめん)の紋付で「いやな猫ねえ」と仰せられる。主人さへ書齋から出て來て「この馬鹿野郎」といった。面白い面白いと云ふのは小供許(ばか)りである。さうして皆(み)んな申し合せた樣にげらげら笑つて居る。腹は立つ、苦しくはある、踊はやめる譯にゆかぬ、弱つた。漸く笑ひがやみさうになつたら、五つになる女の子が「御かあ樣、猫も隨分ね」といつたので狂瀾(きやうらん)を既倒(きたう)に何とかする[やぶちゃん注:韓愈の「進學解」に基づく。原義は「崩れかけた大波を、もと来た方へ押し返す」で、「形勢がすっかり悪くなったのを、再びもとに戻す」という譬え。]という勢で又大變笑はれた。人間の同情に乏しい實行も大分(だいぶ)見聞(けんもん)したが、この時程恨めしく感じた事はなかつた。遂に天祐もどつかへ消え失せて、在來の通り四よつ這になつて、眼を白黑するの醜態を演ずる迄に閉口した。さすが見殺しにするのも氣の毒と見えて「まあ餅をとつて遣れ」と主人が御三に命ずる。御三はもっと踊らせ樣(やう)ぢやありませんかといふ眼付で細君を見る。細君は踊は見たいが、殺して迄見る氣はないのでだまつて居る。「取つてやらんと死んで仕舞ふ、早くとつて遣れ」と主人は再び下女を顧みる。御は御馳走を半分食べかけて夢から起された時の樣に、氣のない顏をして餅をつかんでぐいと引く。寒月君(かんげつくん)ぢやないが前齒が皆(み)んな折れるかと思つた。どうも痛いの痛くないのつて、餅の中へ堅く食ひ込んで居る齒を情(なさ)け容赦もなく引張るのだから堪らない。吾輩が「凡(すべ)ての安樂は困苦を通過せざるべからず」と云ふ第四の眞理を經驗して、けろけろとあたりを見廻した時には、家人は既に奧座敷へ這入つて仕舞つて居つた。

   *]

 

 初夢に猫も不二見る寢やうかな  一茶

 

 正月の縁端か、炉辺(ろばた)かに寝ている猫に対して、今どんな夢を見つつあるだろう、今日は初夢だから、一不二、二鷹、三茄子という、不二の夢でも見ているかも知れぬ、といったのである。人間の気持を直(じき)に禽獣に及ぼす、一茶一流の句であるが、何分拵(こしら)えものたるを免れぬ、現在自分の見た夢ですら、なかなか句には現しにくいのに、猫の夢裡の世界を伝えようとするが如きは、最初から無理である。初夢に跋(ばつ)を合せるために「不二見る寝やう」を持出すに至っては、奇ならんとしてかえって常套に堕している。

[やぶちゃん注:一茶の句は文政七(一八二四)年満六十歳の折りの歳旦吟と推定される。

「初夢に跋(ばつ)を合せる」自分が見た初夢を一つの話と譬えて、それに書物の「跋(ばつ)」(ここは後書き)を「合せる」ように句を捻り出した、という謂いか。]

 

 正月や猫も寒がる靑畳    素廸(そてき)

 

 新居であるか、年末に畳替(たたみがえ)をした場合か、いずれでも差支ない。畳が正月らしく青々としている。あたりもすっかり片付いて、あらゆるものがきちんとしている。こういう室内はすがすがしいと同時に、一種の寒さを感ぜしむるものである。就中(なかんずく)猫が寒そうな様子をしている、という句らしい。人間の正月気分と猫の生活とが一致せぬ一例である。

 

 猫の膝きのふはけふの著衣始(きそはじめ)

               范孚(はんぷ)

 

 この句も似たような趣であるが、一句の表現の上に、少しく曲折を弄したところがある。第一に「猫の膝」というのは猫に貸す膝の意である。昨日は猫の乗るに任せたが、今日は新な著物を著ているので、汚れるのを厭うて膝に乗らしめぬ。猫は不満かも知れぬが、晴著の膝の汚れを厭うところに、これを飼う婦女の気持が窺われる。

 著衣始は三ケ日のうち吉日を選ぶとある。日はきまっていないらしい。

 

 七草をたゝくむかふの小猫かな    諉水(いすい)

 古猫の相伴にあふ卯杖(うづゑ)かな 許六

 卯杖ともしらで逃けり猫の妻     卜史

 

 七草の粥は今なお行われているが、七草をたたく方は語り草に残るのみとなった。地方にはこの習慣が残っているところがあるかも知れぬ。卯杖に至っては更に遠い感じのする行事である。七草をたたく様子を見て、小猫がびっくりしているのも新春らしい光景であろう。この小猫は見物だから無事であるが、古猫の方は文字通り傍杖を食っている。そこでその次の猫の妻は、打たれぬ先から逃げているのである。

[やぶちゃん注:「七草をたゝく」正月六日の夜又は七日早朝に春の七種の菜を俎板の上に置いて、その年の福徳を司る歳徳神(としとくじん)がいる恵方(えほう)を向き、囃子詞を詠いながら、庖丁の背や擂粉木などを用いて七草を大きな音を響かせつつ、叩き潰す予祝行事。その際の祝詞は京都や大阪では「唐土(とうど)の鳥が日本の土地へ渡らぬさきになずな七草(ななくさ)はやしてほとと」、江戸では「唐土うんぬん渡らぬさきに七草なずな」。無論、こうして出来た七草を七日の朝の粥に炊き込んで食することでこの行事は完遂される。以上は古くからお世話になっている「みんなの知識委員会」の運営する非常に便利なサイト「みんなの知識 ちょっと便利帳」の「七草がゆの儀式  七草たたき」に拠った。

「卯杖」新年の予祝行事で用いられた邪気を払うための杖。梅・桃・木瓜(ぼけ)などの木で作られ、いろいろな装飾が施される。長さは五尺三寸(約一・六メートル)で、二、三本ずつ五色の糸で巻いたりした。平安時代には正月初卯の日に、これを六衛府などから天皇・東宮に奉献する儀式があり、これを御帳の四隅に立てた。卯杖は漢の王莽の故事による剛卯杖の影響を受けており、また,年木(としぎ:戸口や門松のそばなどに置いて年神に供える木)や粥杖(小正月(正月十五日)に、望粥(もちがゆ:月の望であるが、後に餅を掛けて実際に餅を入れた)を煮る際に使う杖。これで子のない女性の腰を打つと男子が生まれるとされた)などとの関連も考えられる。現在、民間では用いられていないが,太宰府天満宮で正月七日の追儺祭 (ついなのまつり) にこれで鬼面を打ったり、和歌山県伊太祁曾(いだきそ)神社で正月十四日夕方、神前に卯杖を供えるなど、神事に用いている例は少くない(ここは「ブリタニカ国際大百科事典」その他に拠った)。]

 

 つく羽や二階に猫の背を立る   古曆

 鳴く猫に赤ン目をして手まりかな 一茶

 

 この両句の相手は子供である。突羽子(つくばね)に驚いて背を立てる二階の猫にも、鳴く猫に赤ン目をする子供のふるまいにも、共に漫画的空気が溢れている。東京では「アカンベ」というのが普通だけれども、赤ン目が正しいのであろう。

[やぶちゃん注:一茶の句は文政四(一八二一)年の新年の句であるが、前年の句に、

 

 鳴く猫に赤ン目と云(いふ)手まり哉

 

があり、その改作と思しい。]

 

 山猫の下に昼餉や傀儡師(かいらいし)

                雁宕(がんたう)

 戀知らぬ猫さうさうし傀儡師  吐月

 あの猫も戀した果(はて)や傀儡師

                子交

 

 山猫廻しは傀儡師のことだと『塵塚談(ちりづかだん)』にある。人形を舞(まわ)して最後の一段になった時、鼬(いたち)のようなものを出してチチクワイチチクワイチチクワイとわめいて終にする、というのであるが、著者の小川顕道も少年時代に見たきりで、「今は絶てなし」という。われわれに全然見当がつかぬのはやむをえない。『続飛鳥川』の記載によると、「なく者は山猫にかましよ」と呼ぶのだそうである。雁宕(がんとう)の句は明(あきらか)に山猫廻しを詠んだものと思われる。「戀知らぬ猫」も「戀した果」の猫も、傀儡師から見た場合であろう。猫の老少を現すのに恋を持出したのは、やはり俳語の伝統に捉われたものかも知れぬ。山猫廻しとの因縁は稀薄なようである。

[やぶちゃん注:「傀儡師」「くぐつし」とも読む(わたしは「くぐつ」の読みが好きである)が句に読み込むには使い勝手が悪いことは判る)。人形を使って諸国を回った漂泊芸人。特に江戸時代、首に人形の箱を掛け、その上で人形を操った門付け芸人をいう。「傀儡(くぐつ)回し」「木偶(でく)回し」「箱まわし」「首掛人形」、また、ここに出るように「山猫廻(まわ)し」などとも称した。やはり、予祝演芸として新年の季語となっている。

「塵塚談」江戸(一時は相模国藤沢に住んだらしい)の医師小川顕道(あきみち 元文二(一七三七)年~文化一三(一八一六)年)が文化一一(一八一四)年に書いた随筆集。幸い、現代思潮社の「古典文庫」版を所持しているので以下に示す(但し、気持ちの悪い新字新仮名版である。悪しからず)。まさに「塵塚談」の巻頭(上之巻)を飾る記載である。原典に添えられている図も添えた。キャプションによれば、上が江戸時代の傀儡師、下が平安時代の「信西古楽図」からの引用らしい。

   *

傀儡師のこと

 傀儡師(くぐつし)を、江戸の方言に山ねこという、人形まわしなり。一人して小袖櫃のようの箱に、人形を入れ背負いて、手に腰鼓(こしつつみ)をたたきながら歩行(ありく)なり。小童その音を聞きて呼び入れ、人形を歌舞せしめ遊観す。浄瑠璃は義太夫ぶしにして三絃はなく、芦屋道満の葛の葉の段、時頼記の雪の段の類を、語りながら人形を舞わし、だんだん好み[やぶちゃん注:出し物。演目。]も終り、これ切りというところに至りて、山ねこという鼬のごときものを出して、チチクワイくとわめきて仕舞いなり。われら十四五歳ころまでは、一ケ月に七八度ヅツも来りしが、今は絶えてなし。

 

Kugutusi

 

   *]

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