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2017/11/21

和漢三才圖會第四十一 水禽類 鶩(あひろ)〔アヒル〕


Ahiru

あひろ   鴨 家鳬

      舒鳬 𩿣

【音木】

      【和名阿比呂】

 

本綱鴨鳴呷呷其名自呼與鳬同名【野鴨鳬家鴨鶩】以別之鳬在

野高飛鶩在家舒緩不能飛也雄者綠頭文翅雌者黃斑

但有純黑純白者又有白而烏骨者【藥食更佳】皆雄瘖雌鳴重

陽后乃肥腯肉【氣味】甘冷稍美清明后生卵則内陷不滿伏

卵聞礱磨之聲毈而不孚無雌抱伏則以牛屎嫗而出之

此皆物理之不可曉者也

腦血 能解諸毒又治中惡及溺水死者【灌之卽活】

△按鶩人家多畜之毎𢩯泥啄蚯蚓啜穢水故肉有

 泥臭氣其飛不過一歩嘴如箆而不尖故不能破卵漫

 落不定其處人拾取使雞伏之其卵重不足十錢者不孚

一種有鳬鶩 形全似鳬而狀全似鶩其飛也捷於鶩人

 家畜之是亦生卵不能自孚

 

 

あひろ   鴨 家鳬〔(かふ)〕

      舒鳬〔ぢよふ〕 𩿣〔(ばつひつ)〕

【音、「木〔(ボク)〕」。】

      【和名、「阿比呂〔(あひろ)〕」。】

 

「本綱」、鴨は鳴くこと、「呷呷〔(かふかふ)〕」、其の名、自ら呼んで、鳬〔(かも)〕名を同じくす。【野鴨は鳬〔(かも)〕、家鴨は鶩〔(あひろ)〕。】以つて之れを別〔(わか)〕つ。鳬〔(かも)〕は野に在りて高く飛ぶ。鶩〔(あひろ)〕は家に在りて舒緩〔(じよくわん)にして〕飛ぶこと能はず。雄は綠の頭、文(あや)ある翅。雌は、黃斑〔(きまだら)〕なり。但し、純-黑(まくろ)・純白(ましろ)なる者、有り、又、白くして、烏(くろ)き骨の者有り【藥食〔するに〕更に佳し。】。皆、雄は瘖(をし)にして、雌は鳴く。重陽の后(のち)、乃〔(すなは)〕ち、肥ゆ。腯〔(こ)えし〕肉【氣味。】、甘く冷〔にして〕、稍〔(やや)〕美なり。清明の后、卵を生みぬれば、則ち、内、陷〔(おちい)り〕て滿たず。伏卵〔(ふくらん)〕して〔も〕、礱-磨(うす)の聲〔(をと)〕を聞くときは、毈(すもり)となりて孚〔(かへ)〕らず。雌、抱-伏(かへらか)すこと無からん〔とき〕は、則ち、牛の屎(くそ)を以つて嫗(うば)にして之れを出だす。此れ、皆、物理の曉(さと)すべからざる者なり。

腦の血 能〔(よ)〕く諸毒を解す。又、中惡〔(ちゆうあく)〕及び水に溺れて死〔せんとする〕者を治す【之れを灌〔(そそ)〕ぐときは、卽ち、活す。】。

△按ずるに、鶩(あひろ)は人家に多く之れを畜〔(か)〕ふ。毎〔(つね)〕に溝〔の〕泥を𢩯(せゝ)りて蚯蚓(みゝず)を啄ばみ、穢水〔(おすい)〕を啜〔(すす)〕る。故に肉、泥臭(どろくさ)き氣(かざ)有り。其れ、飛ぶ〔も〕一歩に過ぎず。嘴、箆(へら)のごとくして尖らず。故に卵を破る能はず、漫(みだ)りに落して、定まらず。其の處を、人、拾ひ取り、雞〔(にはとり)〕をして之れを伏せしむ。其の卵の重さ、十錢〔(せん)〕に足らざる者は孚(かへ)らず。

一種、鳬鶩(かもあひる)[やぶちゃん注:「あひる」はママ。]有り。 形、全く鳬〔(かも)〕に似て、狀、全く鶩〔(あひる)〕に似る。其の飛ぶや、鶩〔(あひる)〕より捷(はや)し。人家に之れ〔も〕畜ふ。是れ〔も〕亦、卵を生〔むも〕自ら孚(かへ)すこと、能はずして。[やぶちゃん注:「して」はママ。本文はここで終わっている。]

 

[やぶちゃん注:鳥綱 Aves カモ目 Anseriformes カモ科 Anatidae マガモ属 Anas マガモ Anas platyrhynchos 品種アヒルAnas platyrhynchos var.domesticus。言わずもがな、非常に古くに、水鳥のカモ科のマガモを原種として人間が生み出した家禽で、生物学的にはマガモと同種である。ウィキの「アヒル」によれば、『ヨーロッパや中国などで飼育が始まり、飼育が容易なこともあり、世界中で幅広く飼育されている』。『野生のマガモを飼いならして家禽化するうち、個体や品種にもよるが、体が大きく重くなり、翼は小さくなって数メートルほどしか飛ぶことが出来なくなった。また、体形も太ったもの、直立して歩くものなど色々変化した』。アヒルは年間で百五十から二百個の『卵を産む。産卵は特に春が盛んである。卵の大きさはニワトリのものよりやや大きく、殻の色は極薄い緑色である(色名ダックエッググリーンの由来)。産卵から』三十『日弱でヒナが孵化する。ただ』、ここでも「本草綱目」で既に述べられているように、『アヒルは卵を産んでも、抱卵しない個体もあるため』、『確実に卵を孵すために孵卵器を使うことが多い。その他、抱卵性の残っている矮鶏』(チャボ:ニワトリ(キジ目キジ科 Phasianidaeヤケイ属Gallusセキショクヤケイ種gallus亜種domesticus)の品種)『や烏骨鶏』(ウコッケイ:同じくニワトリの品種)『等の卵に混ぜて、ニワトリに暖めさせる方法もある』。『生まれたヒナが卵を産むようになるのは生後』五ヶ月から六ヶ月で、『繁殖が可能になる性成熟は雌で生後』六ヶ月から七ヶ月頃である。『雄は性成熟が雌に比べてやや遅い』。『発情期は早春から秋にかけてであり、水上や陸上など場所を問わず交尾する。雌を巡って雄どうしが激しく争うこともある』。『食性は雑食性で、家禽用の穀物類を主にした餌のほか、人間の食べる野菜類や果物、食肉など、個体差はあるものの、基本的には何でも食べる。ただし、食べるからといって何でも与えるのはアヒルの健康のためにはよくないとされている』。『家禽から野生化したものは、草の新芽や、小型の昆虫類、土壌動物などを捕食する。アヒルはつがいになると』、『共に長く暮らすことがあるが、一生同じ相手と過ごすとは限らない。野生化したものは淡水域で暮らすことが多いが、原種のマガモは海上で暮らすこともできるため、アヒルも海上で暮らすことができる』。『野生のものは飼育下のものに比べ産卵の頻度が低い。寿命は』五年から二十年ほどである。『家禽のため』、『主に飼育下で生息するが、中には家禽が野生化したものも見られる。野生化したものは、池や沼地、河川のそばなど淡水域で主に暮らす。日本の公園などにも幅広く生息している』。『成鳥は全長』五十~八十センチメートルほどで、体重は三~五キログラム『前後のものが多く、生態のところで述べてあるように、マガモと比べると大型である。雄より雌の方がやや小さい。 生まれたばかりのヒナの体重は』七十グラム前後である。『嘴は黄色が主で、幅が広いいわゆる「アヒル口」の形をしている。上下には細かいギザギザがあるため、獲物の虫をくわえとったり、雑草の新芽を切り取ったりするのに利用する』。『足は黄色やオレンジ色で、大きな水かきを持っている。細い木の枝などにつかまることはできない』。『ガチョウ』(カモ目 Anseriformes カモ科 Anatidae ガン亜科 Anserinae に属するものの家禽化したもの)『と似ているが、ガチョウはアヒルよりひと回り大きい。またガチョウの首が長く直立しているのに対し、アヒルの首は「乙」の字型で短い』とある。

 

「あひろ」「あひる」の古語のようであるが、近世俳諧などを見ても、「あひろ」の用例が散見されるから、江戸時代までは「あひろ」と「あひる」は共時的に生きていた言葉である。ここでも見ての通り、良安自身、「あひろ」と「あひろ」を両方と同一解説の中で使用している。語源は複数あるが、蹼(みずかき)が目立つこと、目立つそれで盛んに闊歩すること等からの「足廣」「足濶」「足闊」であった可能性が断然高いようには思われる。

「鶩」荒俣宏「世界博物大図鑑」の第四巻「鳥類」(一九八七年平凡社刊)の「カモ」の項に、『アヒルを意味する漢字〈鶩〉は〈木〉に通じ』、『質朴な性質を示す』とある。

「鳬」鴨と同義とするが、カモ自体が鳥類の分類学上の纏まった群ではなく、カモ目カモ科の鳥類のうち、雁(これも通称総称で、カモ目カモ科ガン亜科 Anserinaeのマガモ属 Anas よりも大型で、カモ科 Anserinae 亜科に属するハクチョウ類よりも小さいものを指す)に比べて体が小さく、首があまり長くなく、冬羽(繁殖羽)はで色彩が異なるものを指すが、カルガモ(マガモ属カルガモ Anas zonorhyncha)のように雌雄で殆んど差がないものもいるので決定的な弁別属性とは言えない。また、この字は「鳧」とも書き、「けり」とも読み、その場合、現行の和名では全く異なる種である、チドリ目 Charadriiformes チドリ亜目 Charadrii チドリ科 Charadriidae タゲリ属 Vanellusケリ Vanellus cinereus を指すので注意が必要である。前掲の荒俣氏の「世界博物大図鑑」の「カモ」には、漢名のこの『鳬(ふ)は』、『羽が短く空高く飛ぶ鳥をあらわす』「几」(しゅ)『に従い』、『正確にはカルガモのことという』とある。また、同箇所には和名の「かも」の語源について、『古来より伝わる方言らしいが』、『その語源は不明』とされながらも、但し、『一説によれば』、『古くはカモドリと呼ばれ』、『浮かぶ鳥の意とする』とあり、また、別の古い呼称である「アイサ」は「万葉集」に「秋沙」と出、これは『秋は訳にあらわれる』鳥である『ことを称したものである』とある。

「舒鳬〔ぢよふ〕」「舒」は後にも出るが、「ゆるやか」の意で、「如何にものんびりと」或いは「どっしりと落ち着いている鴨(かも)」という意であろうか。

𩿣〔(ばつひつ)〕」同じく荒俣氏の「世界博物大図鑑」の「カモ」に、「」の字の『〈匹〉が』二『羽のアヒルのことで』、『低俗な鳥というニュアンスがある』とある。やや意味を採り難いので、中文サイトを調べると、本字の解説記載に「騖也。鴨也。一作匹」とし、その後に「礼記」の「曲礼 下」の「庶人之摯匹」が引かれてあったので、同箇所見て見たところ、神霊への「贄(にえ)」に用いる対象を記した部分であった。

   *

凡、天子鬯、諸侯圭、卿羔、大夫鴈、士雉、庶人之摯匹。

   *

 

これは贄としては「まず、天子は鬯(チョウ:黒い匂いの高い高級な黍(きび)酒)を、諸侯は圭(ケイ:玉)を、卿は羔(ヨウ:仔羊)を、大夫は鴈(ガン:雁(かり))を、士は雉(チ:きじ)を、庶民は匹(あひる)を用いているという意味で、恐らくは「匹」は「匹夫野人」の「賤しい」の意であり、荒俣氏の「二羽のアヒル」云々というのは「雌雄が直ぐ交(つる)もうとする」低俗にして淫猥な鳥という意味であろうように私は採った。

「呷呷〔(かふかふ)〕」以上は漢音で現代仮名遣では「コウコウ」となる。オノマトペイアであるが、この「呷」の字の(つくり)である「甲」を「鳥」と組み合わせて、「呷」と鳴く「鳥」だから「鴨」と名付けたという謂いであろう。但し、現代の中国音でも「呷」は「シィア」で、「鴨」は「ィア」であるから、音声としては共通する部分があるとは言える。

「舒緩〔(じよくわん)にして〕」「舒」も「緩」も孰れも「ゆるやか」の意で、東洋文庫訳では『のんびりとしていて』とある。

「白くして烏(くろ)き骨の者有り【藥食〔するに〕更に佳し。】」この薬食(くすりぐ)い(肉食を戒める仏教の教えからの抜け道としての謂いが強い)にするにはより効果的であるとい割注は、恐らく、この直前の羽毛は白いが、捌いた際に骨が黒みを帯びたアヒルが効能が高いというのであろう。

「雄は瘖(をし)にして、雌は鳴く」♂は鳴かず、♀のみが鳴くというのであるが、無論、誤りである。但し、「長崎鼻パーキングガーデン」の「アヒルのオスメスの見分け方」によれば、♂と♀では鳴き方が有意に異なり、『「ガァ、ガァ」「グヮッ、グヮッ」と、イメージ通りの』『アヒルの声で鳴いているのは』♀であり、『「クェ、クェ、」「クワ~、クワ~」とちょっと高めの声で鳴いているのが』♂である、とある(下線やぶちゃん、以下、同じ)。因みに、ここには他にアヒルの雌雄の判別法が記されてあり、基本、『尾羽がくりんとカールしているのが』♂、『嘴に黒い斑点、シミみたいなのがあるのが』♀である、とある。ただ、これは個体差があり、成長期のアヒルなどでは判別がつかないケースもあるので、その時は鳴き声が雌雄判別の決定打となるとある。覚えておきたい。

「重陽」陰暦の九月九日。

「腯〔(こ)えし〕肉」或いは前の「肥」とセットで「肥-腯(こ)ゆ」と読んでいるのかも知れぬが、原典の「ユ」の送り仮名は明らかに「肥」の右下に配されてあり、間に熟語を示す線は引かれていないので、私はかく読んだ。若くてスマートなうちは、肉は食うに足らぬというのは、腑に落ちるからでもある。

「清明」春分(現行の本邦では三月二十日又は三月二十一日になることが多い)から十五日目。現行の太陽暦では四月五日頃になる。

「内、陷〔(おちい)り〕て滿たず」これは、産卵にエネルギを消耗してしまい、見た目が大きくても内の肉がげっそりと殺げてしまいうということを言っているように思われる。

「伏卵〔(ふくらん)〕」抱卵。

「礱-磨(うす)」字から見て、碾(ひ)き臼のことと思われる。

「毈(すもり)」「巣守」で、孵化することなく、巣に残ってしまっている卵を言う。但し、無精卵なのではなく、冒頭の引用や本文の以下にもあるように、アヒルは抱卵をしなかったり、途中でやめてしまうことがあることから、抱卵による温度管理が不全なために発生が進まず、死んでしまうことがあるからであろう。

 「抱-伏(かへらか)すこと無からん〔とき〕は」頭の部分は「孵(かへ)らかす」と当て訓しているのであろう。抱卵しようとする素振りが全く見えない時は。

「則ち」なるべく早く。

「牛の屎(くそ)を以つて嫗(うば)にして之れを出だす」温かい排泄したての牛の糞を常に添えてやり、牛の糞を以って「乳母」役にして卵から孵(かえ)させる、というのであるが、なかなかクルもののある言い方である。

「物理の曉(さと)すべからざる者なり」東洋文庫訳は『これらはみな物理の解明できない事柄である』とある。抱卵しないこと、牛の糞で孵すこと、総てが、自然の理に一見、反している、やや不都合である、しかし、それは人知では解明出来ぬ事柄なのである、と言っているようである。

「腦の血」頭部を割って採取する生き血。

「中惡〔(ちゆうあく)〕」東洋文庫訳の割注には、『悪気による中毒症状』とある。

「活す」蘇生する。

𢩯(せゝ)りて」東洋文庫訳では『せせって』とあり、この見慣れぬ「𢩯」の字を中文サイトで調べると、「杖を以って掘り出す」といったような意味が書かれてあり、所謂、「挵(せせ)る」、即ち、「小刻みな動作をせわしなく繰り返す」、「繰り返し突っつく・つついて漁(あさ)る」、「ほじる・ほじくる」、「突っつく・突き散らす・弄(いじ)くる・やたらに触る」という意として、腑に落ちる。

「穢水〔(おすい)〕」汚れた水。

「氣(かざ)」臭(にお)い。

「飛ぶ〔も〕一歩に過ぎず」事実、通常のアヒルは高く有意に飛ぶことは出来ない。これは卵や肉を目的とし、逃げないように囲いの中で家禽化するうち、人間の目論見通り、体重が重くなり、翼も小さくなって数メートルほどしか飛ぶことが出来なくなってしまったのである。

「卵を破る能はず」殻を破って孵化しようとする子を、外から殻を少し破って助けてやることも出来なくなり。

「漫(みだ)りに落して、定まらず」不格好で不安定な箆型の嘴故に、卵を銜えようとしてもうまく出来ず、やっと銜えても、直に落してしまうために、卵を一定の場所に置いて抱卵することも苦手である。

「伏せしむ」抱卵させる。托卵である。

「十錢に足らざる者」重量単位の一銭(せん)は約三・七五グラムであるから、三十七・五グラム未満の卵。

「鳬鶩(かもあひる)」合鴨のこと。マガモ品種アイガモ Anas platyrhynchos var.domesticusウィキの「アイガモによれば、『野生のマガモとアヒルとの交雑交配種。ただし、アヒルはマガモを品種改良した家禽品種で生物学的にはマガモの』一『種であり、その交配であるアイガモもまたマガモであり、「マガモ」、「アヒル」、「アイガモ」という呼び変えは生物学的なものではなく、歴史的・伝統な慣例や認識、または商業的な理由によるものである』。『マガモとアヒルの交雑個体では、羽色や(大きさは大きく異なるが)外観は野生のマガモと類似する。特に欧米では頻繁に、また日本でもしばしば狩猟用のおとりに用いられる。愛玩鳥として飼養する場合もある。すなわち』、『これらは、日本では』「なきアヒル」とか「なき鴨」、『英名でDecoyと呼ばれる品種や個体の意味である。なお』、『この英名は鳥類の彩色木彫を意味するデコイの語と由来(どちらも狩猟用のおとりに使われた)を共にする』とある。『日本ではアイガモの名は食肉用としてよく耳にするが、上記の定義に基づいた本来のアイガモは交雑種であるため、家禽であるアヒルに比較すると』、『体が小さくなり肉量が少ない。他にも繁殖力が劣っており、かつ』、『成長に時間がかかるといった欠点を抱えているため、実際に食肉用に飼養されるケースは』実は『ほとんどない』。『合鴨肉は鴨肉に比べると』、『一般に脂身が多く、赤身は癖がなく柔らかいが』、『味はやや薄い』とある(下線やぶちゃん)。そうなのだ。現在、我々が「鴨肉」として食しているものの多くは、実はこのアヒルの肉なのである。]

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