江戸川乱歩 孤島の鬼(35) 三角形の頂点
三角形の頂点
片輪者は皆おとなしかったので、その見張りを秀ちゃんと吉ちゃんに頼んだ。性わるの吉ちゃんも、自由を与えてくれた諸戸のいいつけには、よく従った。
啞のとしさんには、秀ちゃんの手まねで諸戸の命令を伝えた。おとしさんの役目は、土蔵の中の丈五郎夫婦と片輪者のために、三度三度の食事を用意することだった。土蔵の戸は決してひらいてはならぬこと、食事は庭の窓からさし入れることなどを、くり返し命じた。彼女は丈五郎夫婦に心服していたわけではなく、むしろ暴虐な主人を恐れ憎んでいたくらいだから、わけを聞くと少しも反抗しなかった。
諸戸がテキパキとことを運んだので、午後にはもう、この騒動のあと始末ができてしまった。
諸戸屋敷には男の雇人は三人しかいず、それがみな出払っていたので、私たちはあっけなく戦いに勝つことができたのだ。丈五郎にしてみれば、私はすでにないものと思っているし、土蔵の中の道雄はまさか親に対してこんな反抗をしようとは思いがけぬものだから、つい油断をして、肝腎の護衛兵をみんな出してやったのであろうが、その虚に乗じた諸戸の思いきったやり口が、見事に功を奏したわけである。
三人の男が何をしに出掛けたのか、どうして五、六日帰ってこないのか、私が尋ねても、諸戸はなぜかハッキリした答えをしなかった。そして、「やつらの仕事が五、六日以上かかることは、ある理由で僕はよく知っているのだ。それは確かだから安心したまえ」というばかりであった。
その午後、私たちは連れだって、例の烏帽子岩のところへ出かけた。宝探しをつづけるためである。
「僕は二度とこのいやな島へ来たくない。といって、このまま逃げ出してしまっては、あの人たちに悪事の資金を与えるようなものだ。もし宝が隠してあるものなら、僕たちの手で探し出したい。そうすれば、東京にいる初代さんの母親も仕合わせになるだろうし、またたくさんのかたわ者を幸福にする道も立つ。僕としても、せめてもの罪亡ぼしだ。僕が宝探しを急いでいるのは、そういう気持からだよ。ほんとうなれば、これを世間に公表して、官憲の手を煩わすところだろうが、それはできない。そうすれば僕の父親を断頭台に送ることになるんだからね」
[やぶちゃん注:「ほんとうなれば」ママ。]
烏帽子岩への道で、諸戸は、弁解するように、そんなことをいった。
「それはわかっていますよ。ほかに方法のないことは僕にもよくわかっていますよ」
私は真実そのように思っていた。しばらくして、私は当面の宝探しの方へ話題を持って行った。
「僕は宝そのものよりも、暗号を解いて、それを探し出すことに、非常な興味を感じているのです。だが、僕にはまだよくわかりません。あなたはすっかり、あの暗号を解いてしまったのですか」
「やってみなければわからないけれど、なんだか解けたように思うのだが、君にも、僕の考えていることが大体わかったでしょう」
「そうですね。呪文の『神と仏が会うたなら』というのは烏帽子岩の鳥居の影と石地蔵とが一つになるときという意味だと、いうくらいのことしかわからない」
「そんなら、わかっているんじゃないか」
「巽の鬼というのは、むろん、土蔵の鬼瓦のことさ。それは君が僕に教えてくれたんじゃありませんか」
「すると、あの鬼瓦を打ち破れば、中に宝が隠されているのですか。まさかそうじゃないでしょう」
「鳥居と石地蔵の場合と同じ考え方をすればいいのさ。つまり、鬼瓦そのものでなくて、鬼瓦の影を考えるのだ。そうでなければ、第一句が無意味になるからね。それを丈五郎は、鬼瓦そのものだと思って、屋根へ上がってとりはずしたりしたんだ。僕は蔵の窓からあの人が鬼瓦を割っているのを見たよ。むろん何も出やしなかった。しかし、そのお蔭で僕は暗号を解く手がかりができたんだ」
私はそれを聞くと、なんだか自分が笑われているように感じて、思わず赤面した。
「ばかですね。僕はそこへ気がつかなかったのです。するとちょうど鳥居の影が石地蔵に一致したとき、鬼瓦の影の射す場所を探せばいいわけですね」
私は、諸戸が私の時計について尋ねたことを思い出しながら言った。
「間違っているかも知れないけれど、僕にはそんなふうに思われるね」
私たちは長い道を、こんな会話を取りかわしたほかは、多くだまりこんで歩いた。諸戸が非常に無愛想で、私をだまらせてしまったのだ。彼は父親を押篭めた不倫について考えているにちがいない。父という言葉を使わないで、丈五郎と呼び捨てにしていた彼ではあるが、それが親だと思うと、打ち沈むのはすこしも無理ではなかった。
私たちが目的の海岸へ着いたときは、少し時間が早すぎて、烏帽子岩の鳥居の影は、まだ切り岸の端にあった。
私たちは時計のネジを巻いて、時の移るのを待った。
日蔭を選んで腰をおろしていたけれど、珍らしく風のない日で、ジリジリと背中や胸を汗が流れた。
動かないようでも、鳥居の影は、眼に見えぬ早さで、地面を這って、少しずつ少しずつ、丘の方へ近づいて行った。
だが、それが石地蔵の数間手前まで迫ったとき、私はふとあることに気づいて、思わず諸戸の顔を見た。すると、諸戸も同じことを考えたとみえて、変な顔をしているのだ。
「この調子で進むと、鳥居の影は石地蔵には射さないじゃありませんか」
「二、三間横にそれているね」諸戸はがっかりした調子で言った。「すると僕の考え違いかしら」
「あの暗号の書かれた時分には、神仏に縁のあるものが、ほかにもあったかもしれませんね。現に別の海岸にも、石地蔵の跡があるくらいだから」
「だが、影を投げるほうのものは、高いところにある筈だからね。ほかの海岸にこんな高い岩はないし、島のまん中の山には神社の跡らしいものも見えない。どうも『神』というのはこの鳥居としか思えないのだが」
諸戸は未練らしくいった。
そうしているうちに、影の方はグングン進んで、ほとんど石地蔵と肩を並べる高さに達した。見ると丘の中腹に投じた鳥居の影と、石地蔵とのあいだには、二間ばかりの隔たりがある。
諸戸はそれをじっと眺めていたが、何を思ったのか、突然笑い出した。
「ばかばかしい。子供だって知っていることだ。僕たちは少しどうかしているね」言いさして彼は又ゲラゲラ笑った。「夏は日が長い。冬は日が短い。君、これはなんだね。ハハハハハ、地球に対して太陽の位置が変るからだ。つまり、物の影は、正確にいえは、一日だって同じ場所へ射さないということだ。同じ場所へ射すときは、一年に二度しかない。太陽が赤道へ近づくとき、赤道を離れるとき、その往復に一度ずつ。ね、わかりきったことだ」
「なるほど、ほんとうに僕たちはどうかしていましたね。すると宝探しの機会も一年に二度しかないということでしょうか」
「隠した人はそう思ったかもしれない。そして、それが宝を掘り出しにくくする屈強の方法だと誤解したかもしれない。だが、果たしてこの鳥居と石地蔵が、宝探しの目印なら、何も実際影の重なるのを待たなくても、いくらも手段はあるよ」
「三角形を書けばいいわけですね。鳥居の影と石地蔵を二つの頂点にして」
「そうだ。そして、鳥居の影と石地蔵とのひらきの角度を見つけて、鬼瓦の影を計るときにも、同じ角度だけ離れた場所に見当をつければいいのだ」
私たちはそんな小さな発見にも、目的が宝探しだけに、かなり興奮していた。そこで、鳥居の影が正しく石地蔵の高さにきたときの時間を見ると、私の腕時計はちょうど五時二十五分を指していたので、私はそれを手帳に控えた。
それから、私たちは崖を伝い降りたり、岩によじ登ったり、いろいろ骨をおった末、鳥居と石地蔵の距離を計り、鳥居の影と石地蔵との隔たりも正確に調べて、それの作りなす三角形の縮図を手帳に書きしるした。この上はあすの午後五時二十五分、諸戸屋敷の土蔵の屋根の影がどこに射すかを確かめ、きょう調べた角度によって、誤差を計れば、いよいよ宝の隠し場所を発見することができるわけである。
だが、読者諸君、私たちはまだ完全に例の呪文を解読していたわけではなかった。呪文の最後には「六道の辻に迷うなよ」という無気味な一句があった。六道の辻とは一体なにを指すのか。私たちの行事には、もしやそのような地獄の迷路が待ち構えているのではあるまいか。