江戸川乱歩 孤島の鬼(45) 霊の導き
霊の導き
「もっと詳しく、もっと詳しく話してください」
諸戸がかすれた声で、せき込んで尋ねた。
「わしはおやじの代からの、樋口家の家来で、七年前に、佝僂さんのやり方を見るに見かねて暇(いとま)を取るまで、わしはことしちょうど六十だから、五十年というもの、樋口一家のいざこざを見てきたわけだよ。順序を追って話してみるから、聞きなさるがいい」
そこで、徳さんは思い出し思い出し、五十年の過去に遡って、樋口家、すなわち今の諸戸屋敷の歴史を物語ったのであるが、それを詳しく書いていては退屈だから、左に一と目でわかる表にして掲げることにする。
[やぶちゃん注:以下、各年次の条が二行に及ぶ場合は底本では二字下げが行われているが、無視した。因みに先に注しておくと、「慶応」は一八六五年から一八六八年まで。「明治十年は一八七七年、中は略して、「明治四十一年」は一九〇八年。]
(慶応年代)樋口家の先代万兵衛(まんべえ)、醜きかたわの女中に手をつけ海二(かいじ)が生れた。これが母に輪をかけた佝僂の醜い子だったので、万兵衛は見るに耐えず、母子を追放した。彼らは本土の山中に隠れてけもののような生活をつづけてきた。母は世を呪い人を呪ってその山中に死亡した。
(明治十年)万兵衛の正妻の子春雄(はるお)が、対岸の娘、琴平梅野(ことひらうめの)と結婚した。
(明治十二年)春雄、梅野のあいだに春代(はるよ)生る。間もなく春雄病死す。
(明治二十年)海二が諸戸丈五郎という名で島に帰り、樋口家に入って、梅野がかよわい女であるのを幸い、ほしいままに振る舞った。その上梅野に不倫なる恋を仕掛けるので、彼女は春代を伴なって、実家に逃げ帰った。
(明治二十三年)恋に破れ世を呪う丈五郎は、醜い佝僂娘を探し出して結婚した。
(明治二十五年)丈五郎夫妻のあいだに一子生る。因果とその子も佝僂であった。丈五郎は歯をむき出して喜んだ。彼は同じ年、一歳の道雄をどこからか誘拐してきた。
(明治三十三年)実家に帰った梅野の子、春代(春雄の実子樋口家の正統)同村の青年と結婚す。
(明治三十八年)春代、長女初代を生む。これが後の木崎初代である。丈五郎に殺された私の恋人木崎初代である。
(明治四十年)春代、次女緑を生む。同年春代の夫死亡し、実家も死に絶えて身寄りなきため、春代は母の縁をたよって、岩屋島に渡り、丈五郎の屋敷に寄寓することになった。丈五郎の甘言にのせられたのである。この物語のはじめに、初代が荒れ果てた海岸で、赤ちゃんをお守りしていたと語ったのは、このころの出来事で、赤ちゃんというのは次女緑であった。
(明治四十一年)丈五郎の野望が露骨に現われてきた。彼は梅野に破れた恋を、その子の春代によって満たそうとした。春代はついに居たたまらず、ある夜初代を連れて島を抜け出した。そのとき次女の緑は丈五郎のために奪われてしまった。
春代は流れ流れて大阪にきたが、糊口に窮して、ついに初代を捨てた。それを木崎夫妻が拾ったのである。
以上が徳さんの見聞に私の想像を加えた簡単な樋口家の歴史である。これによって初代さんこそ樋口家の正統であって、丈五郎は下女の子にすぎないことがわかった。もしこの地底に宝が隠されてあるとすれば、それは当然なき初代さんのものであることが、いよいよ明かになった。
諸戸道雄の実の親がどこの誰であるかは、残念ながら少しもわからなかった。それを知っているのは丈五郎だけだ。
「ああ、僕は救われた。それを聞いては、どんなことがあっても、僕はもう一度地上に出る。そして、丈五郎を責めて、僕のほんとうの父や母のいどころを白状させないではおかぬ」
道雄はにわかに勇み立った。
だが、私は私で、ある不思議な予感に胸をワクワクさせていた。私はそれを徳さんに聞きたださなければならぬ。
「春代さんに二人の女の子があったのだね。初代と緑。その妹の緑の方は、春代さんが家出をしたとき、丈五郎に奪われたというのだね。数えてみると、ちょうど十七になる娘さんだ。その緑はそれからどうしたの。今でも生きているの」
「ああ、それを話すのを忘れたっけ」徳さんが答えた。「生きています。だが、可表そうに生きているというだけで、まともな人間じゃない。生れもつかぬふたごのかたわにされちまってね」
「おお、もしやそれが秀ちゃんでは?」
「そうだよ。あの秀ちゃんが緑さんのなれの果てですよ」
なんという不思議な因縁であろう。私は初代さんの実の殊に恋していたのだ。私の心持を地下の初代は恨むだろうか、それとも、このめぐり合わせはすべて、初代さんの霊の導きがあって、彼女は私をこの孤島に渡らせ、蔵の窓の秀ちゃんを見せて、私に一と目惚れをさせたのではないだろうか。ああ、なんだかそんな気がしてならぬ。もし初代さんの霊にそれほどの力があるのだったら、われわれの宝探しも首尾よく目的を達するかもしれない。そして、この地下の迷路を抜け出して、再び秀ちゃんに逢うときがくるかもしれない。
「初代さん、初代さん、どうか私たちを守ってください」
私は心の中で懐かしい彼女の悌(おもかげ)に祈った。
[やぶちゃん注:先の年譜で、春代が次女緑を生むのが明治四〇(一九〇七)年、春代が岩屋島から長女初代と逃走に成功するも、次女緑が丈五郎に奪われてしまったのが、翌年で、この章の時制が大正一四(一九二五)年夏(推定八月末か九月上旬)であるから、緑は満でなら、十七か十八とはなる。]

