トゥルゲニエフ作 上田敏譯 「散文詩」(抄) 一僧
一 僧
わが知己に一人の僧ありき――世を遁れ、行ひすましぬ。ひたぶるに、祈禱を淨樂として、一念これに醉ひぐれたれば、精舍のつめたき床にたちても、膝より下の、ふくだみて、全身、石柱をあざむくに至るまで、ひるまざりき。すべてのおぼえ、うせぬるまでも、そこに佇みて祈り念じぬ。
この人の心、われよく識りぬ。こゝろ妬(ね)たくさへおもほゆ。彼また吾を解(げ)したれば、おのれが悦にえとゞかねばとて、卑しみ果つることつゆなかりき。
この人は、憎むべき『我』をほろぼしつ。しかはあれど、吾の祈りえざるは、あながちに、唯我のたかぶりあるのみにあらじよ。
わがもてる『我』は、この人のもてる『我』よりも、更に重くして、更に憎々しかるなり。
おのれを忘ずる術、かれ、既にみいだしぬ。われもまた、いつもいつもといふにあらねど、『我』を脱離する法を悟れり。
彼は、矯飾の徒にあらず、われまたさにあらじかし。
[やぶちゃん注:ここから最後までの三篇が翌明治三五(一九〇二)年八月発行の『明星』(「三ノ二」号)に発表されたものである。
「悦」「よろこび」と訓じておく。
「我」以下総て「が」と音読みしておく。
「唯」「ただ」。
「術」僧であるからして「すべ」ではなく、「じゆつ」と音読みしておく。
「矯飾」「けうしよく(きょうしょく)」は「上辺(うわべ)だけを取り繕って飾ること。]
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