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2017/11/12

江戸川乱歩 孤島の鬼(20) 人外境便り

 

   人外境便り

 

 さて私は、奇妙な雑記帳の内容を語る順序となった。系図帳の秘密が、もし諸戸の想像した通りだとすれば、むしろ景気のよい華やかなものであったのに反して、雑記帳のほうはまことに不思議で、陰気で、薄気味のわるい代物であった。われわれの想像を絶した、人外境の便りであった。

 その記録は今も私の手文庫の底に残っているので、肝要な部分部分をここに複写しておくが、部分部分といっても、相当長いものになるかもしれない。だが、この不思議な記録こそ、私の物語の中心をなすところの、ある重大な事実を語るものなのだから、読者には我慢をしても読んでもらわねばならぬ。

 それは一種異様の告白文であって、こまかい鉛筆書きの、仮名ばかりの、妙な田舎なまりのある文章で、文章そのものも、なんともいえない不思議なものであったが、読者の読みやすいように、田舎なまりを東京言葉になおし、漢字を多くして、次に写しておく。括弧(かっこ)や句読点も、私が書き入れたものである。

 

 助八(すけはち)さんにたのんで、ないしょで、この帳面とエンピツを、もってきてもらいました。遠くのほうの国では、だれでも心におもったことを、字で書くのですから、わたしも、半ぶんのわたしですよ、書いてみます。

 不幸(これは近ごろおぼえた字です)ということが、わたしにもよくよくわかってきました。ほんとうに不幸という字が使えるのは、わたしだけだとおもいます。遠くのほうに世界とか日本とかいうものがあって、だれでもその中に住んでいるそうですが、わたしは生れてから、その世界や日本というものを見たことがありません。これは不幸という字に、よくよくあてはまるとおもいます。わたしは、不幸というものに、辛抱しきれぬようになってきました。本に「神さま助けてください」ということが、よく書いてありますが、わたしはまだ神さまという物を見たことがありませんけれど、やっぱり「神さま助けてください」といいたいのです。そうすると、いくらか胸がらくになるのです。

 わたしは悲しい心が話したいです。けれども、話す人がありません。ここへくる人は、私よりもずっと年の多い、まいにち歌を教えにくる助八さんという、この人は自分のことを「おじじ」といっています。おじいさんです。それから、物のいえない(啞というのです)三度ずつ、ご飯をはこんでくれるおとしさんと(この人は四十歳です)ふたりだけで、おとしさんはだめにきまっているし、助八さんもあんまり物をいわない人で、わたしがなにか聞くと、眼をしょぼしょぼさせて、涙ぐんでばかりいますから、話してもしかたがありません。そのほかには自分だけです。自分でも話せるけど、自分では気が合わないので、言い合いをしているほど、腹がたってきます。もう一つの顔がなぜこの顔と違っているのか、なぜ別々の考えかたをするのか、悲しくなるばかりです。

 助八さんは、わたしを十八歳だといいます。十八歳とは、生れてから、十八年たったことですから、私はきっと、この四角な壁の中に十八年住んでいたのでしょう。助八さんがくるたんびに、日を教えてくださいますから、一年の長さはわかりますが、それが十八年です。ずいぶん悲しいあいだです。そのあいだのことを、思い出し思い出し書いてみようとおもいます。そうすればわたしの不幸がみんな書けるでしょうとおもいます。

 子供は母の乳を呑んで大きくなるものだそうですが、わたしは悲しいことに、そのころのことを少しも覚えておりません。母というのは女のやさしい人だということですが、わたしには母というものが少しも考えられません。母と似たもので、父というのがあるのも知ってますが、父のほうは、あれがそうだとすると、二へんか三べんあいました。その人は、「わしはお前のお父(と)つぁんだよ」といいました。怖い顔のかたわ者でした。〔註、ここにいうかたわ者とは、普通の意味のかたわ者ではない。読進むに従い判明するであろう〕

[やぶちゃん注:この註は主人公蓑浦がこの手記を読んでいる読者に向けて附した註という体裁を採っている。]

 わたしが一ばんはじめにおぼえているのは、四歳か五歳のときのことでしょうとおもいます。それより前は、真暗でわかりません。その時分からわたしは、この四角な壁の中におりました。厚い土でできた戸のそとへは、一ども出たことがありません。その厚い戸は、いつでもそとから錠がかけてあって、押しても叩いても動きません。

 わたしの住んでいる四角な壁の中のことを一どよく書いておきましょう。わたしのからだの長さをもとにしていいますと、四角の壁はどれでもおよそわたしのからだの長さを四つつないだほどあります。高さはわたしのからだを二つかさねたほどです。天井には板がはってあって、助八さんに聞くと、その上に土をのせて、瓦がならべてあるのだそうです。その瓦のはしのほうは窓から見えております。

 今わたしのすわっているところには畳が十枚しいてあって、その下は板になっております。板の下には、もう一つ四角いところがあります。梯子をおりてゆくのです。そこも広さは上と同じですが、畳がなくて、いろいろな箱がゴロゴロところがっています。わたしの着物を入れたタンスもあります。お手水(ちょうず)もあります。この二つの四角なところを部屋ともいい、ドゾウともいいます。助八さんはときどきクラともいってます。

 クラにはさっきの土の戸のほかに、上に二つと下に二つの窓があります。みなわたしのからだの半分ぐらいの大きさで、太い鉄の棒が五本ずつはめてあります。それだから、窓からそとへ出ることはできません。

 畳のしいてあるほうには、すみにフトンがつんであるのと、わたしのおもちゃを入れた箱があるのと(いまその箱のふたの上で書いております)、かべのクギに三味線がかけてあるだけで、ほかにはなんにもありません。

 わたしはその中で大きくなりました。世界というものも、人のたくさんかたまってあるいている町というものも、一度も見たことがありません。町のほうは本の画でみたきりです。でも山と海は知っております。窓から見えるのです。山は土が高く重なったようなものですし、海は青くなったり、白く光ったりする、大きな水です。みんな助八さんに教えてもらいました。

 四歳か五歳のときを思いだしてみますと、いまよりはよっぽど楽しかったようにおもわれます。なにも知らなんだからでしょう。そのじぶんには、助八さんやおとしさんはいないで、おくみというお婆さんがいました。みなかたわ者です。この人がひょっとしたら母ではないかと、よく考えてみますが、乳もなかったし、どうもそんな気がしません。ちっともやさしい人ではなかったようです。でもあまり小さいじぶんだったので、よくわかりません。顔やからだの形も知りません。あとで名前を聞いておぼえているくらいです。

 その人がときどきわたしを遊ばせてくれました。お菓子やご飯もたべさせてくれました。ものをいうことも教えてくれました。わたしはまいにち、かべをつたわって歩きまわったり、フトンの上によじのぼったり、おもちゃの石や貝や木切れで遊んだりして、よくキャッキャと笑っていました。ああ、あのじぶんはよかった。なぜわたしはこんなに大きくなったのでしょう。そして、いろいろなことを知ってしまったのでしょう。(中略)

 おとしさんが、なんだか怒ったような顔をして、今お膳を持っておりていったところです。おなかが一杯の時は、吉ちゃんがおとなしいので、この間に書きましょう。吉ちゃんといってもよその人ではないのです。わたしのもう一つの名前なのです。

 書きはじめてから五日になります。字も知らないし、こんなに長く書くのははじめてですから、なかなかはかどりません。一枚書くのに一日かかることもあります。

 きょうは、わたしがはじめてびっくりしたときのことを書きましょう。

 わたしやほかの人たちは、みんな人間というもので、魚や虫やネズミなどとはべつの生きたものであって、みんな同じ形をしているものだということを、長いあいだ知りませんでした。人間にはいろいろなかたちがあるのだと思っておりました。それは、わたしがたくさんの人間を見たことがないものだから、そんなまちがったかんがえになったのです。

 七歳ぐらいのときだと思います。その時分まで、わたしはおくみさんと、おくみさんの次にくるようになったおよねさんのほかには、人間を見たことがなかったものですから、あのとき、およねさんがなんぎをして、わたしの巾の広いからだをだき上げて、鉄棒のはまった高い窓から、そとの広い原っぱを見せてくれたとき、そこを一人の人間があるいてゆくのを見て、わたしはアッとびっくりしてしまったのです。それまでにも、原っぱを見たことはありましたが、人間が通るのは一度も見ませんからです。

 およねさんは、きっと『ばか』というかたわだったのでしょう。なんにもわたしに教えてくれなんだものですから、その時まで、わたしは、人間のきまったかたちを、ハッキリ知らなんだのです。

 原っぱをあるいている人は、およねさんと、同じかたちをしておりました。そして、わたしのからだは、その人とも、およねさんとも、まるでちがうのです。わたしは怖くなりました。

「あの人や、およねさんは、どうして顔が一つしかないの」といってわたしがたずねますと、およねさんは「アハハハハ知らねえよ」といいました。

[やぶちゃん注:以上の改行した段落は改行があるかどうか不明。前の段落に続いている可能性もある。]

 その時は、なんにもわからずにしまいましたが、わたしは怖くってしようがないのです。寝ているとき、一つしか顔のない、妙なかたちの人間が、ウジャウジャと現われてくるのです。夢ばっかり見ているのです。

 かたわということばをおばえたのは、助八さんに歌をならうようになってからです。十歳ぐらいのときです。「ばか」のおよねさんがこなくなって、今のおとしさんに代ってまもなく、わたしは歌や三味線をならいはじめたのです。

 おとしさんがものをいわないし、わたしがいってもきこえないらしいので、妙だ妙だと思っていますと、助八さんが、あれはオシというかたわ者だと教えてくださいました。かたわ者というのは、あたりまえの人間とちがうところのあるものだと教えてくださいました。

 それで、わたしが「そんなら、助八さんも、およねさんも、おとしさんも、みんなかたわじゃないか」と、いいますと、助八さんはびっくりしたような大きな眼でわたしをにらみつけましたが、「ああ、秀ちゃんや吉ちゃんは気の毒だね。なんにも知らなかったのか」といいました。

 今では、わたしは三冊本をもらって、その小さな字の本を、なんべんもなんべんもよみました。助八さんはあまりものをいいませんけれど、それでも長いあいだにはいろいろなことを教えてくださいましたし、この本は助八さんの十ばいも、いろいろのことを教えてくださいました。それでほかのことは知りませんが、本に書いてあることはハッキリ知っております。その本にはたくさん人間や何かの画もかいてありました。それですから、人間というもののあたりまえのかたちも今ではわかりますが、その時は妙におもうばかりでした。

 考えてみますと、わたしもずっと小さい時から、なんだか妙に思っていたことはいたのです。わたしには二つの、ちがったかたちの顔があって、一つのほうは美しくて、一つのほうはきたないのです。そして、美しいほうは、わたしの思う通りになって、ものをいうことでも、心に思った通りにいうのですが、きたないほうのは、わたしが少しも心に思わないことを、うっかりしているときに、しゃべりだすのです。やめさせようとしても、少しもわたしの思う通りにならないのです。

 くやしくなって、ひっかいてやりますと、その顔が、怖い顔になって、どなったり、泣きだしたりします。わたしは少しも悲しくないのに、ポロポロ涙をこぼしたりします。そのくせ、わたしが悲しくて泣いているときでも、きたないほうの顔は、ゲラゲラ笑っていることがあります。

 思う通りにならないのは、顔ばかりでなくて、二本の手と二本の足もそうです(わたしには四本の手と四本の足があります)。わたしのおもう通りになるのは右のほうの二本ずつの手足だけで、左のほうのは、私にさからってばかりいます。

 わたしは考えることができるようになってから、ずっと、何かしばりつけられているような、思うようにならない気持ばかりしていました。それはこのきたない顔と、いうことを聞かぬ手と足があったからです。だんだん言葉がわかるようになってからは、わたしに二つ名前のあること、美しい顔のほうが秀ちゃんで、きたない顔のほうが吉ちゃんだということが、どうしてもへんでしかたがなかったのです。

 そのわけが、助八さんに教えてもらって、ようようわかりました。助八さんたちがかたわではなくて、わたしの方がかたわだったのです。不幸という字は、まだ知らなんだけれど、ほんとうに不幸という心になったのは、そのときからです。私は悲しくて悲しくて、助八の前でワーワー泣きました。

「かわいそうに、泣くんじゃないよ。わしはね、歌のほかはなにも教えてはならんと、いいつけられているので、くわしいことはいえぬが、お前たちはよくよく悪い月日のもとに生れあわせたんだよ。ふたごといってね。お前たちはお母さんの腹の中で、二人の子供が一つにくっついてしまって生れてきたんだよ。だが、切りはなすと死んでしまうから、そのままで育てられたのだよ」

 助八さんがそういいました。わたしはお母さんの腹の中ということが、よくわからないので、尋ねましたが、助八さんは、だまって涙ぐんでいるばかりで、なにもいわないのです。わたしは今でも、お母さんの腹の中という言葉をよくおぼえていますが、そのわけは教えてくれないので、少しも知りません。

 かたわ者というのは、ひどく人にきらわれるものにちがいありません。助八さんとおとしさんのほかには、きっとそのほかにも人がいるのですが、だれもわたしのそばへきてくれません。そしてわたしもそとへ出られないのです。そんなにきらわれるくらいなら、いっそ死んだほうがいいとおもいます。死ぬということは、助八さんは教えてくださいませんけれど、本で読みました。しんぼうできないほど痛いことをすれば、死ぬのだと思います。

 むこうで、そんなに私をきらうなら、こちらでもきらってやれ、にくんでやれという考えが、ついこのごろできてきました。それで、わたしは、ちかごろは、わたしとちがったかたちの、あたりまえの人を、心のうちでかたわ者といってやります。書くときにもそう書いてやります。

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