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2017/11/15

江戸川乱歩 孤島の鬼(39) 魔の淵の主

 

   魔の淵の主

 

 

「そのほかに方法はない」闇の中から、突然、諸戸の声がした。「君はこの洞窟の、すべての枝道の長さを合わせるとどのくらいあると思う。一里か二里か、まさかそれ以上ではあるまい。もし二里あるとすれば、われわれはその倍の四里歩けばよいのだ。四里歩きさえすれば確実にそとへ出ることができるのだ。迷路という怪物を征服する方法は、このほかにないと思うのだよ」

「でも、同じところをどうどうめぐりしていたら、何里歩いたってしようがないでしょう」

 私はもうほとんど絶望していた。

「でも、そのどうどうめぐりを防ぐ手段があるのだよ。僕はこういうことを考えてみたんだ。長い糸で一つの輪を作る。それを板の上に置いて、指でたくさんのくびれをこしらえるのだ。つまり糸の輪を紅葉(もみじ)の葉みたいに、もっと複雑に入組んだ形にするのだ。このほら穴がちょうどそれと同じことじゃないか。いわばこのほら穴の両がわの壁が、糸に当たるわけだ。そこで、もしこのほら穴が糸みたいに自由になるものだったら、すべての枝道の両側の壁を引きのばすと、一つの大きな円形になる。ね、そうだろう。でこぼこになった糸を元の輪に返すのと同じことだ。

 で、もし僕らが、たとえば右の手で右の壁にさわりながら、どこまでも歩いて行くとしたら、右がわを伝って行止まれば、やっぱり右手でさわったまま、反対がわをもどって、一つ道を二度歩くようにして、どこまでもどこまでも伝って行けば、壁が大きな円周を作っている以上は、必らず出口に達するわけだ。糸の例で考えると、それがハッキリわかる。で、枝道のすべての延長が二里あるものなら、その倍の四里歩きさえすれば、ひとりでに元の出口に達する。迂遠なようだがこのほかに方法はないのだよ」

 ほとんど絶望におちいっていた私は、この妙案を聞かされて、思わず上体をしゃんとして、いそいそとして言った。

「そうだ、そうだ。じゃあ、今からすぐそれをやってみようじゃありませんか」

「むろんやってみるほかはないが、何もあわてることはないよ。何里という道を歩かなければならないのだから。充分休んでからにしたほうがいい」

 諸戸はそう言いながら、短くなった煙草を投げ捨てた。

 赤い火が鼠花火(ねずみはなび)のように、クルクルとまわって二、三間向こうまでころがって行ったかと思うと、ジュッといって消えてしまった。

「おや、あんなところに水溜りがあったかしら」

 諸戸が不安らしくいった。それと同時に、私は妙な物音を聞きつけた。ゴボッゴボッという、瓶の口から水の出るような、一種異様な音であった。

「変な音がしますね」

「なんだろう」

 私たちはじっと耳をすました。音はますます大きくなってくる。諸戸は急いでロウソクをともし、それを高く掲げて、前の方をすかして見ていたが、やがて驚いて叫んだ。

「水だ、水だ、このほら穴は、どっかで海に通じているんだ。潮が満ちてきたんだ」

 考えてみると、さっき私たちはひどい坂を下ってきた。ひょっとすると、ここは水面よりも低くなっているのかもしれない。もし水面よりも低いとすると、満潮のため海水が浸入すれば、そとの海面と平均するまでは、ドンドン水嵩(みずかさ)が増すにちがいない。

 私たちの坐っていた部分は、その洞窟の中で一ばん高い段の上であったから、つい気づかないでいたけれど、見ると水はもう一、二間のところまで追ってきていた。

 私たちは段を降りると、ジャブジャブと水の中を歩いて、大急ぎで元きた方へ引き返そうとしたけれど、ああ、すでに時機を失していた。諸戸の沈着がかえってわざわいをなしたのだ。水は進むに従って深く、もときた穴は、すでに水中に埋没してしまっていた。

「別の穴を探そう」

 私たちは、わけのわからぬことを、わめきながら、洞窟の周囲を駈けまわって、別の出口を探したが、不思議にも、水上に現われた部分には、一つの穴もなかった。私たちは不幸なことには、偶然寒暖計の水銀溜のような、袋小路へ入り込んでいたのだ。想像するに、海水はわれわれの通ってきた穴の向こうがわから曲折して流れ込んできたものであろう。その水の増す勢いが非常に早いことが、私たちを不安にした。潮の満ちるに従ってはいってくる水ならこんなに早く増すはずがない。これはこの洞窟が海面下にある証拠だ。引潮のときは、わずかに海上に現われているような岩の裂け目から、満潮になるや否や、一度にドッと流れ込む水だ。

 そんなことを考えているあいだに、水は、いつか私たちの避難していた段のすぐ下まで押しよせていた。

 ふと気がつくと、私たちの周囲を、ゴソゴソと無気味にはい廻るものがあった。ロウソクをさしつけて見ると、五、六匹の巨大なカニが、水に追われてはい上がってきたのであった。

「ああ、そうだ。あれがきっとそうだ。蓑浦君、もう僕らは助からぬよ」

 何を思い出したのか、諸戸が突然悲しげに叫んだ。私はその悲痛な声を聞いただけで、胸が空っぽになったように感じた。

「魔の淵の渦がここに流れ込むのだ。この水の元はあの魔の淵なんだ。それですっかり事情がわかったよ」諸戸はうわずった声でしゃべりつづけた。「いつか船頭が話したね。丈五郎の従兄弟という男が諸戸屋敷を尋ねてきて、間もなく魔の淵へ浮き上がったって。その男がどうかしてあの呪文を読んで、その秘密を悟り、私たちのようにこの洞穴へはいったのだ。井戸の石畳を破ったのもその男だ。そして、やっぱりこの洞窟へ迷い込み、われわれと同じように水攻めにあって、死んでしまったのだ。それが引潮とともに、魔の淵へ流れ出したんだ。船頭がいっていたじゃないか。ちょうどほら穴から流れ出した恰好で浮き上がっていたって。あの魔の淵の主というのは、つまりは、この洞窟のことなんだよ」

 そういううちにも、水ははや私たちの膝を濡らすまでに迫ってきた。私たちは仕方なく、立ち上がって、一刻でも水におぼれる時をおくらそうとした。

 

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