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2017/11/16

江戸川乱歩 孤島の鬼(42) 復讐鬼

 

   復讐鬼

 

 どれほど眠ったのか、胃袋が、焼けるような夢を見て、眼を醒ました。身動きすると、からだの節々が、神経痛みたいにズキンズキンした。

「眼がさめたかい、僕らは相変らず、穴の中にいるんだよ。まだ生きているんだよ」

 先に起きていた諸戸が、私の身動きを感じて、物やさしく話しかけた。

 私は、水も食物もなく、永久に抜け出す見込みのない闇の中に、まだ生きていることをハッキリ意識すると、ガタガタ震え出すほどの恐怖におそわれた。睡眠のために思考力が戻ってきたのが呪わしかった。

「怖い。僕、怖い」

 私は諸戸の身体をさぐって、すり寄って行った。

 「蓑浦君、僕たちはもう再び地上へ出ることはない。誰も僕たちを見ているものはない。顔さえ見えぬのだ。そして、ここで死んでしまってからも、僕らのむくろは、おそらく永久に、誰にも見られはしないのだ。ここには、光がないと同じように、法律も、道徳も、習慣も、なんにもない。人類が全滅したのだ。別の世界なのだ。僕は、せめて死ぬまでのわずかのあいだでも、あんなものを忘れてしまいたい。いま僕らには羞恥も、礼儀も、虚飾も、猜疑(さいぎ)も、なんにもないのだ。僕らはこの闇の世界へ生れてきた二人きりの赤ん坊なんだ」

 諸戸は散文詩でも朗読するように、こんなことをしゃベりつづけながら、私を引き寄せて、肩に手を廻して、しつかりと抱いた。彼が首を動かすたびに、二人の頰と頰が擦れ合った。

「僕は君に隠していたことがある。だが、そんなことは人類社会の習慣だ、虚飾だ。ここでは隠すことも、恥かしいこともありやしない。親爺のことだよ。アン畜生の悪口だよ。こんなにいっても、君は僕を軽蔑するようなことはあるまいね。だって、僕たちに親だとか友だちがあったのは、ここでは、みんな前世の夢みたいなもんだからね」

 そして、諸戸はこの世のものとも思われぬ、醜悪怪奇なる大陰謀について語りはじめたのであった。

「諸戸屋敷に滞在していたころ、毎日別室で、丈五郎のやつと口論していたのを君も知っているだろう。あの時、すっかりやつの秘密を聞いてしまったのだよ。

 諸戸家の先代が、化物みたいな佝僂の下女に手をつけて生れたのが丈五郎なのだ。むろん正妻はあったし、そんな化物に手をつけたのは、ほんの物好きの出来心だったから、因果と母親に輪をかけた片輪の子供が生れると、丈五郎の父親は、母と子をいみきらって、金をつけて島のそとへ追放してしまった。母親は正妻でないので、親の姓を名乗っていた。それが諸戸というのだ。丈五郎は今では樋口家の戸主だけれど、あたりまえの人間を呪うのあまり、姓まで樋口を嫌い、諸戸で押し通しているのだ。

 母親は生れたばかりの丈五郎をつれて、本土の山奥で乞食みたいな生活をしながら、世を呪い、人を呪った。丈五郎は幾年月この呪いの声を子守歌として育った。彼らはまるで別世界のけだものでもあるように、あたり前の人間を恐れ憎んだ。

 丈五郎は彼が成人するまでの、数々の悩み、苦しみ、人間どもの迫害について、長い物語を聞かせてくれた。母親は彼に呪いの言葉を残して死んで行った。成人すると、彼はどうしたきっかけでか、この岩屋島へ渡ったが、ちょうどそのころ、樋口家の世継ぎ、つまり丈五郎の異母兄に当たる人が、美しい妻と生れたばかりの子を残して死んでしまった。丈五郎はそこへ乗り込んで行って、とうとう居坐ってしまったのだ。

 丈五郎は因果なことに、この兄の妻を恋した。後見役といった立場にあるのを幸い、手をつくしてその婦人をくどいたが、婦人は「片輪者の意に従うくらいなら、死んだほうがましだ」

という無情な一ことを残して、子供をつれて、ひそかに島を逃げ出してしまった。丈五郎はまっ青になって、歯を食いしばって、ブルブル震えながら、その話をした。それまでとても、かたわのひがみから、常人を呪っていた彼は、そのときから、ほんとうに世を呪う鬼と変ってしまった。

 彼は方々探しまわって、自分以上にひどい片輪娘を見つけ出し、それと結婚した。全人類に対する復讐の第一歩を踏んだのだ。その上、片輪者と見れば、家に連れ戻って、養うことをはじめた。もし子供ができるなら、当たり前の人間でなくて、ひどいひどい片輪者が生れますようにと、祈りさえした。

 だが、なんという運命のいたずらであろう。片輪の両親のあいだに生れたのは僕だった。似もつかぬごくあたり前の人間だった。両親はそれが通常の人間であるというだけで、わが子さえも憎んだ。

 僕が成長するにつれて、彼らの人間憎悪はますます深まって行った。そして、ついに身の毛もよだつ陰謀を企らむようになったのだ。彼らは手を廻して、遠方から、生れたばかりの貧乏人の子を買って歩いた。その赤ん坊が美しく可愛いほど、彼らは歯をむき出して喜んだ。

 蓑浦君、この死の暗闇の中だから、打ち明けるのだけれど、彼らは不具者製造を思い立ったのだよ。

 君はシナの虞初新志(ぐしょしんし)という本を読んだことがあるかい。あの中に見世物に売るために赤ん坊を箱詰めにして不具者を作る話が書いてある。また、僕はユーゴーの小説に、昔フランスの医者が同じような商売をしていたことが書いてあるのを読んだおぼえがある。不具者製造というのは、どこの国にもあったことかもしれない。

[やぶちゃん注:「虞初新志」明末清初の張潮撰(一六五〇年~一七〇七年)になる小説集。

「見世物に売るために赤ん坊を箱詰めにして不具者を作る話」中文サイトの原典で探して見たが、それらしいものが「序」の中にあるようにも見えるが、何分、中国語は判らぬので、引用はやめておく。ただ、確実に言えることは、この作者江戸川乱歩の最初のネタ元はダイレクトに「虞初新志」ではなく、森鷗外の「ヰタ・セクスアリス」(明治四二(一九〇九)年に発表。題名はラテン語 vita sexualisで「性(欲)的生活」の意)であるということである。それは最後の示す乱歩の本篇への「自註自解」の中で、『この小説は鷗外全集の随筆の中に、シナで見世物用に不具者を製造する話が書いてあったのにヒントを得て、筋を立てた』と述べていることで明らかだからである。当該箇所は「十五になつた」で始まるパートの以下で、それを見れば、初見がこれであることは一目瞭然である。底本は岩波の新初版選集(私は全集を所持しないため)を用いたが、気持ちの悪い漢字新字体なので、恣意的に総て正字化した。後半部は関係ないが、纏まったシークエンスと時間であるから、一緒に示した。「虞初新誌」と表記するが、これは他でも同書の書名としてしばしば見かける表記で、誤りではない。

   *

 夏の初の氣持の好い夕かたである。神田の通りを步く。古本屋の前に來ると、僕は足を留(と)めて覗く。古賀は一しよに覗く。其頃は、日本人の詩集なんぞは一册五錢位で買はれたものだ。柳原の取附に廣場がある。ここに大きな傘を開いて立てて、その下で十二三位な綺麗な女の子にかつぽれを踊らせてゐる。僕は Victor Hugo Notre Dame を讀んだとき、Emeraude とかいふ寶石のやうな名の附いた小娘の事を書いてあるのを見て、此女の子を思出して、あの傘の下でかつぽれを踊ったやうな奴だらうと思つた。古賀はかう云つた。

 「何の子だか知らないが、非道い目に合はせてゐるなあ。」

 「もっと非道いのは支那人だらう。赤子を四角な箱に入れて四角に太らせて見せ物にしたといふ話があるが、そんな事もし兼ねない。」

 「どうしてそんな話を知つてゐる。」

 「虞初新誌にある。」

 「妙なものを讀んでいるなあ。面白い小僧だ。」

 こんな風に古賀は面白い小僧だを連發する。柳原を兩國の方へ歩いているうちに、古賀は蒲燒の行燈の出てゐる家の前で足を留(と)めた。

 「君は鰻を食ふか。」

 「食ふ。」

 古賀は鰻屋へ這入つた。大串を誂える。酒が出ると、ひとりで面白さうに飮んでゐる。そのうち咽に痰がひつ掛かる。かつと云ふと思ふと、緣(えん)の外の小庭を圍んでゐる竹垣を越して、痰が向うの路地(ろぢ)に飛ぶ。僕はあつけに取られて見てゐる。鰻が出る。僕はお父(とう)樣に連れられて鰻屋へ一度行つて、鰻飯を食つたことしか無い。古賀がいくら丈燒けと金で誂えるのに先づ驚いたのであつたが、その食ひやうを見て更に驚いた。串を拔く。大きな切を箸で折り曲げて一口に頰張る。僕は口には出さないが、面白い奴だと思つて見てゐたのである。

 その日は素直に寄宿舍に歸つた。寢るとき、明日(あした)の朝は起してくれえ、賴むぞと云つて、ぐうぐう寢てしまつた。

   *

この「Notre Dame」は「ノートルダムのせむし男」の邦題で知られる、フランス・ロマン主義の文豪ヴィクトル・ユーゴー(Victor Hugo 一八〇二年~一八八五年)の小説「パリのノートルダム(大聖堂)」(Notre-Dame de Paris:一八三一年刊)。

「ユーゴーの小説に、昔フランスの医者が同じような商売をしていたことが書いてあるのを読んだ」不詳。しかしどうも気になるのは、前に示した鷗外の引用部で、やはり、ユーゴの「ノートルダム・ド・パリ」の中でロマ(旧称「ジプシー」は差別性が強いので使用しない)の美姫の踊り子エスメラルダ(Esmeralda:原典表記はこちらが正しい)の名を挙げているのが気になり、そもそも同作の主人公カジモド(Quasimodo)は佝僂疾患である。乱歩には失礼乍ら、或いは彼は、鷗外の「ヰタ・セクスアリス」の先の引用箇所を読んで、「かつぽれを踊らせ」られている「十二三位な綺麗な女の子」を見た鷗外が、後に「Victor Hugo Notre Dame」を読んだ折り、そこに出てくる賤しい存在として差別されたロマの美しい「Emeraudeと」いう「小娘の事」について「書いてある」のを見い出し、「あの傘の下でかつぽれを踊」らされているひどい扱いをされていた娘を「思出して」同じだ、と思い、その、単に可憐な普通の少女が非道に酷使されているのを見た学友古賀が「何の子だか知らないが、非道い目に合はせてゐるなあ」と言ったのに対し、鷗外が(あんなのは酷使されているだけで、まだましだよ)「もっと非道いのは支那人だらう。赤子を四角な箱に入れて四角に太らせて見せ物にしたといふ話があるが、そんな事もし兼ねない」というふうに応じただけなのに、その文脈を乱歩は早とちりしてしまい――「虞初新志」に記されている、乳児の時から箱に閉じ込めて保育させられておぞましい畸形に改造されてしまった見世物の少女のように、鷗外が言っている「 Victor Hugo Notre Dame 」に出てくる「Emeraude とかいふ寶石のやうな名の附いた小娘」も、「あの傘の下でかつぽれを踊ったやうな」娘も、《ともに畸形な「奴」なの「だらうと思つた」》――という誤読をしているのではなかろうか? ユーゴの別な小説に「昔フランスの医者が同じような商売をしていたことが書いてある」のであれば、この推理は乱歩に対して失礼になるので即座に抹消線を引く。ご連絡あられたい。ともかくも大方の御叱正を俟つものである。

 丈五郎はむろんそんな先例は知りゃしない。人間の考え出すことを、あいつも考え出したにすぎない。だが、丈五郎のは金儲けが主眼ではなく、正常人類への復讐なんだから、そんな商売人の幾層倍も執拗で深刻なはずだ。子供を首だけ出る箱の中へ入れて、成長を止め、一寸法師を作った。顔の皮をはいで、別の皮を植え、熊娘を作った。指を切断して三つ指を作った。そして出来上がったものを興行師に売り出した。このあいだ三人の男が、箱を舟につんで出帆したのも、人造不具者輸出なんだ。彼らは港でない荒磯へあの舟をつけ、山越しに町に出て、悪人どもと取引きをするのだ。僕が奴らは数日帰ってこないといったのは、それを知っていたからだよ。

 そういうことをはじめているところへ、僕が東京の学校へ入れてくれと言い出したんだ。おやじは外科医者になるならという条件で僕の申し出を許した。そして、僕が何も気づいていないのを幸い、不具者の治療を研究しろなんて、ていのいいことをいって、その実不具者の製造を研究させていたのだ。頭の二つある蛙や、尻尾が鼻の上についた鼠を作ると、おやじはヤンヤと手紙で激励してきたものだ。

 やつがなぜ僕の帰省を許さなかったかというに、思慮のできた僕に、不具者製造の陰謀を発見されることを恐れたんだ。打ちあけるにはまだ早すぎると思ったんだ。また、曲馬団の友之助少年を手先に使った順序も、容易に想像がつく。やつは不具者ばかりでなく、血に餓えた殺人鬼をさえ製造していたのだ。

 今度、僕が突然帰ってきて、おやじを人殺しだといって責めた。そこで、やつははじめて、不具者の呪いを打ちあけて、親の生涯の復讐事業を助けてくれと、僕の前に手をついて、涙を流して頼んだ。僕の外科医の知識を応用してくれというのだ。

 恐ろしい妄想だ。おやじは日本じゅうから健全な人間を一人もなくして、かたわ者ばかりで埋めることを考えているんだ。不具者の国を作ろうとしているのだ。それが子々孫々の遵守すべき諸戸家の掟(おきて)だというのだ。上州辺で天然の大岩を刻んで、岩屋ホテルを作っているおやじさんみたいに、子孫幾代の継続事業として、この大復讐をなしとげようというのだ。悪魔の妄想だ。鬼のユートピアだ。

[やぶちゃん注:「上州辺で天然の大岩を刻んで、岩屋ホテルを作っている」「上州」ではないが、その近場で「岩屋ホテル」で直ちに思い浮かぶのは、埼玉県比企郡吉見町北吉見の吉見百穴のごく直近にあった(この中央位置(グーグル・マップ・データ)、通称「岩窟ホテル(巖窟ホテル)」(旧正式(?)通称「岩窟ホテル高壯館」)と称した岩山を刳(く)り抜いて作られた洋風の人口洞窟である。ウィキの「巌窟ホテル」によれば、『かつては、近隣の吉見百穴とともに観光名所になっていたが、現在は閉鎖されている』。『明治時代後期から大正時代にかけて、農夫・高橋峰吉の手によって掘られたもので、「岩窟掘ってる」が訛って「岩窟ホテル」と呼ばれるようになった』。『そのため、もともとホテルとして建設されたわけではないが、新聞報道ではホテルとして建設中であると報じられていた』。峰吉はこれ『を建設する理由について「何等功利上の目的はなく、唯純粋な芸術的な創造慾の満足と、建築の最も合理的にして完全なる範を永く後世の人士に垂れんが為」と述べている』という。安政五(一八五八)年に『農民の子として生まれた高橋峰吉は、野イチゴを放置しておいたところ』、『発酵してアルコールができたという子供のころの経験をきっかけに、穴を掘って酒蔵を作ることを思いつく』。『明治になって西洋から流入した新しい文化や技術に強いあこがれを抱いた峰吉は、寺子屋で読み書きを教わった以上の教育を受けたことはなかったものの、建築関係を中心に書物を読み漁り独学で知識を身に着けた』。明治三七(一九〇四)年六月に起工、同年九月に実作業に入り、以降、峰吉が亡くなる大正一四(一九二五)年八月までの二一年間、鑿(のみ)と鶴嘴(つるはし)を使って、たった独りで岩窟を掘り続けた。『峰吉の没後しばらくは作業が中断したものの、昭和の初めから息子の奏次が作業を引き継ぎ』、昭和三九(一九六四)年頃まで二『階部分の掘削やペイントの補修作業が続けられた』。『手作業ゆえに一日に掘り進められる距離が』三十センチメートル『と非常に短く、当初から』三代百五十『年間の建設期間を予定していたという』。『岩窟ホテルのうわさは近郊にまで広がり、大正時代のはじめころには多数の見物人が訪れ、整理券を発行するほどの盛況ぶりだったという』。『その様子はロンドンタイムズでも報じられ』、昭和二(一九二七)年『には堺利彦も小旅行で訪問している』。『峰吉の死後も見物人は後を絶たず、吉見百穴に並ぶ観光名所となった』。『しかし、第二次世界大戦末期、吉見百穴の地下一帯に軍需工場が建設されると、岩窟ホテルもその一部として使用され』、『その際、軍需工場へ続く通路が新たに掘られている』。『終戦後は再び観光名所となるが』、一九八二年と一九八七年の二『度の台風被害による崩落によって閉鎖を余儀なくされ』、『管理をしていた奏次も』一九八七『年に亡くなり、以降』、『再開されることなく』、『現在に至』っている、とある。本篇は初出が昭和四(一九二九)年、本文内の主時制も大正一四(一九二五)年(六月二十五日。山崎初代殺人事件発覚日)以降であるから、知名度からも「上州」(誤認或いは意識的なモデルのズラしであろう)という点を除けば、ここに間違いないと私は思う。画像はサイト「廃墟検索地図」のでも見られる。]

 そりゃあ、おやじの身の上は気の毒だ。しかし、いくら気の毒だって、罪もない人の子を箱詰めにしたり、皮をはいだりして、見世物小屋に曝すなんて、そんな残酷な地獄の陰謀を助けることができると思うか。それに、あいつを気の毒だと思うのは、理窟の上だけで、僕はどういうわけか、真から同情できないのだ。変だけれど、親のような気がしないのだ。母にしたって同じことだ。わが子にいどむ母親なんてあるものか。あいつら夫婦は生れながらの鬼だ。畜生だ。からだと同じに心まで曲りくねっているんだ。

 蓑浦君、これが僕の親の正体だ。僕は奴らの子だ。人殺しよりも幾層倍も残酷なことを、一生の念願としている悪魔の子なのだ。僕はどうすればいいのだ。

 ほんとうのことをいうとね。この穴の中で道しるべの糸を見失ったとき、僕は心の隅でホッと重荷をおろしたように感じた。もう永久にこの暗闇から出なくてもすむかと思うと、いっそ嬉しかった」

 諸戸はガタガタ震える両手で、私の肩を力一杯抱きしめて、夢中にしゃべりつづけた。しっかりと押しっけ合った頰に、彼の涙がしとど降りそそいだ。

 あまりの異常事に、批判力を失った私は、諸戸のなすがままに任せて、じつと身を縮めているほかはなかった。

 

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