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2017/12/24

老媼茶話巻之七 八天幻術

 

     八天幻術

 

 御旗本の渡步士(かち)に佐久間作左衞門といふ者、有(あり)。ばくちにうちまけ、衣類・大小迄失ひ、せんかた盡果(つきはて)、主人の廣間より鐵砲を盜出(ぬすみいだ)し、ひそかにうり拂ひ、漸(やうやう)、衣類大小を調(ととのへ)、奉公を勤めける。

 鐵砲の失(うせ)ける事、主人、嚴しく詮さくすれども、且(かつ)て知れず。

 

 其ころ、深川邊に八天通明居士といふ術者あり。

「龍猛大士の祕傳、悉く傳へ得たり。」

とて、人、皆、もてはやしける。

 主人、通明居士をよび、盜物をうらなわしむ。

 通明、則(すなはち)、中小姓・歩士・槍持・中間におよぶ迄、悉く、廣間に呼出(よびいだ)し、印を結び、しゆをとなへ、赤白のへいはくを高く捧(ささげ)て曰、

「此へい、壱には水天明王、壱には火天明王、のり移り玉へり。此兩へい、盜人の前に至り倒るべし。是をしるしに、し玉へ。」

と云(いひ)て、弐のへいはくを座の眞中なげ出せば、此へいはく、座中をおどりありく。

 佐久間、思ひけるは、

『此へい、必ず、我前にて倒るべし。へいはくをふみ折(をり)、居士を抓(ツカミ)ひしがん。』

と思ひつめ、眼(まなこ)を見出し、へいはくを、にらみ付(つく)る。

 弐のへいはく、佐久間が前へおどり行(ゆき)、すでに倒れんとしけるが、又、起立(おきたち)て、是も歩士の者、兒嶋文右衞門と云(いひ)て、愚(ヲロ)かに佛神を信じ、臆病なる男、有けるが、彼が前に至り、倒伏(たふれふし)たり。依之(これによつて)、盜人は文右衞門に落(おち)、裏の馬場土壇(どたん)を仕懸(しか)け、文右衞門、切らるゝに極(きはま)り、其翌日、文右衞門をしばり、裏の馬場へ引行(ひきゆく)。

 佐久間、長屋の窓より、是を見るに、文右衞門は高手小手(たかてこて)にしばられ、首をふせ、淚を流し、誠にせん方なき體(てい)なり。

 作左衞門、此あらましを見、急ぎ、飛出(とびいで)、徒目付(かちめつけ)の前へ出(いで)、

「鐵砲をば、某(それがし)、盜取(ぬすみとり)候。文左衞門は少も咎(とが)無之(これなく)候。我等、ばくちに打負(うちまけ)、すべきやうなく候まゝ、鐵砲を盜取、鬼子母神前(きしもじんまへ)の小間物屋へ金弐兩に賣(うり)はらひ候。文左衞門をば御助有(あり)て、我を御誅罪可被成(なさるべし)。」

といふ。

 歩行目付、委敷(くはしく)聞屆(ききとどけ)、主人に委(くはしく)申上(まうしあげ)ける。

 主人、聞て被申(まうされ)けるは、

「眞諦(シンタイ)の實理は正法に奇特(キドク)なし。天竺の幻術、倭(ヤマト)の魔法、是、人をまよはし、一心をみだす。通明居士、飯綱(いづな)の法を以て妖狐(ヨウコ)をつかふなるべし。我、罪なき人を殺さんとす。大きなるあやまりなり。作左衞門、不屆・言語同斷たりといへども、『あやまつて改(あらたむ)るにはゞかる事なかれ』といへり。作左衞門が此度(このたび)の不義は勇心にめんじ、咎をゆるし、給金一倍加增して、中小姓に役替(やくがへ)さすべし。兒嶋は武士道にくらきものなり。己(おのれ)、大臆病成る心よりして通明が幻術に、まよはされたり。召仕(めしつかふ)べきものに、あらず。」

とて、江戸を追拂(おひはら)はれたり、といへり。

 

[やぶちゃん注:「八天幻術」不詳。「八天」は仏教で八方(東西南北の四方と東北・東南・西北・西南)を守護する諸尊である八方天に由来することは間違いなく(後の「水天」「火天」の注を参照)、あらゆる時空間内を自在に行き来出来る幻術の謂いか。

「渡步士(かち)」一般には、小さな藩などが参勤交代等の際に雇う臨時の藩士。実際、雇われていない時は悪事を働いている事が多かった。ここはそうした臨時雇いの徒士を渡り歩いては世過ぎとしている、貧困不良武士の謂いととってよい。

「八天通明居士」不詳。如何にもな、怪しい名である。

「龍猛大士」(一五〇年頃~二五〇頃)インドの大乗仏教を確立した僧で教学者であった龍樹の別称。サンスクリット語「ナーガールジュナ」の漢音訳。「中論」「十二門論」「空七十論」「大智度論」などの重要な仏典の作者とされる。「龍猛」は通常、「りゅうみょう」(現代仮名遣)と読む。但し、龍樹と龍猛は別人とする説もある。

「うらなわしむ」ママ。「占はしむ」。

「へいはく」「幣帛」。

「水天明王」水天(ヴァルナ)。仏教に於ける天部の一人で須弥山の西に住んでいるとされる、十二天の一天。水を神格化したもの。

「火天明王」火天(アグニ)。仏教に於ける天部の一人で須弥山の東南に住んでいるとされる、十二天の一天。火を神格化したもの。

「愚(ヲロ)かに佛神を信じ」筆者はこれを確信犯で添えている。神仏をよく理解せずに、生半可に或いはこまった時だけ念ずるような輩は却って外法(げほう)の格好の餌食となることを言っている。その証拠に、悪に徹して、強力な精神力と臂力を以って立ち向おうとする真犯人佐久間には、この怪しい幣帛、寄りつきくことも出来ぬのである。にしても、エンディングの旗本の彼への処置は私は哀れと思うこと頻りである。

「土壇(どたん)」斬罪に処するために設けた土盛り。

「鬼子母神前(きしもじんまへ)」現在の豊島区雑司が谷にある鬼子母神堂((グーグル・マップ・データ)。なお、ここは東北直近の東京都豊島区南池袋にある日蓮宗威光山法明寺(ほうみょうじの飛地境内である)。

「眞諦(シンタイ)」仏教に於ける絶対不変の真理、究極の正法(しょうぼう)の真実。

「奇特(キドク)なし」ここは「世間で神仏が持っているとする超人間的な力や霊験などというものは(絶対的真理の前には)実は存在しない」という謂いである。だからこそ、外法邪道の「天竺の幻術、倭(ヤマト)の魔法、是、人をまよはし、一心をみだす」と続いて糾弾しているのである。

「飯綱(いづな)の法」既出既注。]

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