ジョナサン・スイフト原作 原民喜譯 「ガリヴァー旅行記」(やぶちゃん自筆原稿復元版) フウイヌム たのしい家 (2)
八章 たのしい家
[やぶちゃん注:現行版にはこのような柱はなく、行空けもなく、普通に改行で前と続いている。]
〔こんな風に〕私は主人から、ヤーフの癖〔性質〕をいろいろ聞かされた〔。〕ので、それでは一つ是非どこか近所のヤーフの群を訪問させて下さい、と〔私は〕賴みました。主人は快く承知して〔、〕くれ、召使の月毛の小馬を私の附添ひに命じました。この附添にまもられて〔が〕ゐなかつたら、とても私はヤーフに〔の〕近づ〔く〕に行くことはできなかつたのです。私が最初この囗に來た時、この忌まはしい動物に〔に〕いぢめられたことは、前にも言つたとおりですが〔のですが〕、その後も、私は〔うつかり短劍を忘れて外に出たときなど〕三四度も危く爪に
で にかけられるところでした。
それにどうやら彼等の方でも、私が同種族のものであることに、うすうす感づいてゐたらしいのです。私は附添と一緒にゐるときなど、よく袖をまくりあげて、腕や胸を見せてやりました。すると彼等は〔、〕いつも私のすぐ傍まで來て、丁度あの猿の人眞似と同じやうに、しきりに私の恰好を眞似ますが、いつも憎憎しげな顏つきで〔、〕それをやるのでした。
彼等は子供の時から、とても敏捷です。〔あるとき私は〕一度三歳の子を一匹捕へ■〔て〕て、手なづけようとしましたが、相手は、恐ろしい勢で、喚んだり、ひつかいたり、かみみつくので、とうとう放してしまひ〔やりま〕した。
[やぶちゃん注:「喚んだり」は「さけんだり」と読んでいるようである。現行版は『喚いたり』となっている。]
私の見たところでは、ヤーフぐらゐ〔ほど〕、教へにくい動物はゐません。できることといへば、精々荷物をひいたり、かついだりすることだけ〔ぐらゐ〕です。
フウイヌムたちは、家から少し離れたところに小屋をつくつて、いろんな用にヤーフを飼つてゐますが、その他のヤーフは〔、〕すべて野原に放し飼ひにされてゐます〔るのです〕。彼等はそこで、木の根を掘つたり、草を食つたり、肉をあさつたり、時には、いたちや〔を〕捕へて食べます。〔そして〕丘などの側に爪で深い穴をほつて、そのなかに寢ます。
彼等は子供の時から、水泳ぎや、長い間〔水の中〕に〔水〕潛つてゐることも〔り〕〔が〕できます。かうしてよく魚を捕へては、牝が家に持つて帰つて、子供に食べさせるのです。〔ます。〕
〔ところで、〕なにしろ、私はこの國に三年も住んでゐたのですから、この國の住民たちの風俗や習慣のことを、〔ここに少し述べておきます。〕ここに〔これか〕らお話し
たらよく知つてゐます〔るのです。〕
[やぶちゃん注:最後の抹消し忘れはママ。]
このフウイヌム族といふのは、生れつき、非常に徳の高い性質を持つてゐます。彼等の格言は〔、〕「理性を磨け 理性によつて行へ」といふのでした。
友情と厚意はフウイヌムの美徳です。どんな遠い國から來た旅〔知らない〕人でも、まるで友達のやうにもてなされます。どこへ行つても、自分の家と同じやうに安心できます。みんなは〔、〕非常に上品で〔、〕つつしみ深いのですが、わざとらしく取澄まし〔らしく儀禮〕〔らし〕いところは〔が〕〔少しも〕がありません。自分の子供も他所の子供だからといつて滅茶苦茶可愛がるも、同じやうに可愛がります。〔彼等〕子供の教育〔のしかた〕は感心なかなか立派です。なのです。十八歳になるまでは、ある定まつた日でなければ、燕麥など一粒も口にすることを許されません。牛乳などももほとんど飲まされません。夏は午前に二時間と、午后に二時間づつ、草を食べさせてもらへますが、このきまりは親たち〔ち〕もそのとほりに守るのです。
[やぶちゃん注:現行版は細部がかなり違う。
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友情と厚意は、フウイヌムの美徳です。どんな遠い国から来た知らない人でも、まるで友達のようにもてなされます。どこへ行っても、自分の家と同じように安心できます。みんなは、非常に上品で、つゝしみ深いのですが、ちょっとも、わざとらしいところがありません。自分の子供も他所の子供も、同じように可愛がります。子供の教育の仕方は、なかなか立派なのです。十八歳になるまでは、ある定まった日でなければ、からす麦など一粒も口にすることを許されません。夏は午前に二時間と、午後に二時間ずつ、草を食べさせてもらいますが、この規則を親たちもきちんと守ります。
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太字はもとは傍点「ヽ」。]
フウイヌムは、その子弟を〔を強くするために、〕險しい山や石ころ道を走らさます。汗だくになると、今度は河の中にザンブリ頭から跳びこませるのです。それから、一年に四回、若い男女が集まつて、駈けくらや、跳込み、そのほか、いろんなの競技をします。勝つた者には、それを讃める歌が與えられます。
[やぶちゃん注:「走らさます」はママ。現行版は『走らせます』。
「讃める」は「ほめる」と訓じているようである。現行版は『ほめる』と平仮名である。]
また四年目毎に、全國からの代表者が集つて會議があります。これ〔集まつ→これ〕は野原で開かれ、凡そ五六日つづきます。この會ギでは各地方のいろいろなこと〔な問題〕が決められます。
[やぶちゃん注:以上の段落は、全体に斜めに大きな取消線が二本引かれている。現行版には全く存在しない内容である。
「ギ」という乱暴なカタカナ表記様のものは一見、珍しいが、実は民喜は「義」を(つくり)に持つ「議」「儀」などの場合には、「義」を「ギ」とすることがままあり、ここでは(へん)の「言」をも省略してしまった結果、こうなったものと私は考えている。或いは、書きながら、「ここもカットだな」と考えていたために、書き方がぞんざいになった可能性もあるかも知れぬ。]
フウイヌムは文字といふものをまるで持つてゐません。(知識は親から子へ口でつたへるのです。)しかし彼等は詩をつくることがとてもうまいのです。その詩は〔その詩は〕友情や善意をうたつたものと、運動の優勝者を讃める〔た〕ものと〔立派な→ものと、〕詩なか立派な詩があるので〔りま〕す。
[やぶちゃん注:現行版は最後は『なかなか美しい詩があります』となっている。]
家〔庭〕はごく簡單〔質素〕に出來てゐますが、不便はありません。この國には四十年ごとに根元がゆるんで、〔風でも吹けばすぐ〕倒れる樹木があります〔ます〕。〔そして〕これは〔が〕まつすぐに伸でゐるのですから、この〔倒れた〕樹木を使つて家を作しるのです。
[やぶちゃん注:以上の段落は丸ごと現行版には存在しない。]
フウイヌムたちは〔、〕病氣にかかるといふことがないので、醫者はゐません。〔しかし〕怪我をしたとき使ふ〔つける〕薬は立派なのが〔ちやんと〔備へて〕あり〕ます。彼等は、病気が〔にかかつて〕死ぬなど〔など〕こと〔やうなこと〕はないのです。〔く、〕死ぬとは〔の〕〔ただ〕年をとつて自然に衰へた〔て〕死ぬのです。死ぬと〔そして〕死人は〔人〕目につかない場所に〔そつと〕葬ることになつてゐます。臨終だといつて、誰も悲しんだりするものはありません、死んでゆく本人でさへ、ちよつとも悲しさうな顏はしてゐないのです。
彼等はたいてい〔、〕七十か七十五まで生きます。たまには八十まで生きる人〔もの〕もゐます。死ぬ二三週間前になると、だんだん身躰が弱つてきますが、別につ〔つ〕らくはないのです。そ〔す〕ると〔さうなると〕友達がつぎつぎに訪ねて來ます。つまり、気樂に一寸外出するやうなことができなくなつ〔いから〕です。
いよいよ死ぬ十日前頃には、今度はごく近所の人たちにだけ〔には→だけには〕挨拶に〔答礼〕に出かけてゆきます。彼は答礼先へ着くと、まづ暇乞お別れの挨拶をのべるのですが、それはまるで、何處か遠いところへ旅行するときの別れのやうな恰好なのです。
[やぶちゃん注:ここに一行空けの指示が入っている。現行版は一行空けはない。]
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