老媼茶話巻之六 磐梯山の化物
磐梯山の化物
磐梯山の麓に温泉、有(あり)。此湯は蟲つかい・頭痛・疝氣(せんき)・眼病に、分(わけ)て奇妙也とて、此山、四時(しじ)雪をいたゞくにより、春三月末迄は、人(ひと)通ふべき樣もなく、漸(やうやう)四月初(はじめ)より九月迄、源橋(げんはし)と云(いふ)村より小屋を懸置(かけおき)、近國より大勢入(いり)つどふ也。諸士の湯治小屋は、別して、奇麗(きれい)にかこひ置(おき)、飮食(おんじき)・箸の類(たぐひ)まて委く儲置(まうけおく)。士小屋へは雜人原(ざふにんばら)をば置(おか)ず。近國・他國より百姓・町人、聞傳(ききつた)へ、幾百人とも限りなく湯治するゆへ、此折は野も山も、人なり。山は常に燃上(もえあが)り、煙、こくうにうづ卷(まき)、たな引(びき)、湯、雄の氣、みてり。若(もし)此山のけぶり、他國より見ゆるならば、駿河の富士のやま・信濃の國淺間ケ獄にもおとるまじき名山なり。此所、深山幽谷、人倫稀(まれ)にして諸鳥(しよてう)も不住(すまず)、諸獸も、まれなり。此故に、あやしき事も多し。
近き頃、會津のもの拾人斗(ばかり)、此所へ湯治いたしけるに、至(いたつ)て天氣よく、はれ渡りければ、磐梯山江登り、しやくなげ、掘(ほり)けるが、なぐさみに大石を谷底江落しけるに、石、ゑんてんと、まろび、つまづき、躍り上り、まろび、つまづき、躍り上り、麓へ落下(おちくだ)る樣、興有りければ、聲を上(あげ)、のゝめき、笑(わらひ)、數多(あまた)の石を落しける。湯守、急(いそぎ)立出(たちいで)、申(まうし)けるは、
「是は。以(もつて)の外の御なぐさみ。此所にて大勢山へ登り、左樣(さやう)に聲を立(たて)、山をふみあらし候へば、四方天(テン)、霧(ム)、落(ヲリ)、山、荒(あれ)て、天狗、人を摑み取(とり)申候。各々も、今少し過(すぎ)候はゞ、大霧、山を包み、一寸先も見へず、中中(なかなか)、山を下(くだ)り給ふ事、成(なる)べからず。早々、下り候へ。」
といふ。
皆々驚き、急(いそぎ)、小屋へ歸りけるに、案のごとく、忽(たちまち)、大霧、下り、四方、眞闇(まつくら)に成(なり)、大風・大雨、ふり出(いだ)し、いかづち、鳴渡(なりわた)り、小屋を吹倒(ふきたふ)さんとして、大石、山上より小屋のまへ・うしろ、轉落(まろびおつ)。
「只今、打殺(うちころ)さるゝか。」
と覺(おぼえ)けれは、拾人斗(ばかり)のものども、一所にこぞり寄(より)、ふるへわななき居たる折、はいり口の菰(こも)を明(あ)け、覗く者、有(あり)。
みるに、面(おもて)、五尺、有(ある)大山伏也。
暫(しばらく)有(あり)て、又、地震(ない)のごとくに、人のあゆむ音して、小屋の破風(はふ)に、面(おもて)、壱間程成(なる)女、かね黑く付(つけ)たるが、つらを差入(さしいれ)、内を見入(みいり)、寢て居(ゐ)たるものを守り居たりけるが、忽然として、消失(きえうせ)たり。
長(た)ケ七、八尺ばかり有る山伏共、大勢、湯江入る折も有(あり)。
又、山より大石を礫(つぶて)に打(うち)、其(その)ひゞき、雷の樣に聞ゆる事も有(あり)。
極めて、坊主の入湯の節は、山、荒(ある)ると、いへり。
あるひは、夜日(やじつ)、數拾の鷄(にはとり)、時を作るときも、有り。
雨降(あめふり)、淋敷(さびしき)折、「さいの川原」といふ處にて、子どもや女のさけびなく聲、有(あり)。
又、夜更(よふけ)て、大山伏、棒を突(つき)、四、五人連(づれ)にて𢌞りありく事も有(あり)、と、いへり。
是は、その化物を見たる内にて語り侍る。
[やぶちゃん注:「磐梯山の麓に温泉、有」現在の福島県耶麻郡磐梯町内に、磐梯山南西麓の平地になるが、後に出る「源橋」という地名が現存するから(ここ(グーグル・マップ・データ))、ここから東北の磐梯山登山道を登った辺りにあった温泉か。現在も、磐梯山山麓には温泉が湧くが、例えば、かつては小磐梯山(現在の磐梯高原)の北斜面に上の湯・中の湯・下の湯の三箇所で温泉が湧出しており、湯治場となっていたが、明治二〇(一八八八)年七月に磐梯山が噴火、山体崩壊による岩屑のなだれによって、上の湯と下の湯は埋没し人的被害も発生、現在これらは跡(温泉は湧出)となっている、とウィキの「中の湯」にある。但し、福島県耶麻郡磐梯町源橋は磐梯高原からはかなり距離がある。この三湯の正確な位置は「磐梯山ジオパーク エリアガイドブック 磐梯火山エリアD」(PDF)の「3 中の湯と鶴巻浄賢と関谷清景」を参照されたい。
「蟲つかい」「蟲痞へ」。所謂、「逆蟲(さかむし)」或いは消化器疾患による嚥下困難や嘔吐などを広く指すものであろう。江戸期のヒト寄生虫の罹患率は極めて高く、多数の個体に寄生されていた者も多かったし、中には「逆虫」と称して、多量に寄生した虫を嘔吐するケースさえ実際にあった。
「疝氣」広く、下腹部の痛む病気を指す。良性・悪性の内臓機能性疾患であるケースが殆んどであるが、実は前の寄生虫もその主原因の一つと考えられていたから、「蟲痞え」とは親和性のある病名ではある。
「分(わけ)て奇妙也とて」特に驚くほど効果があるのであるという評判で。
「四時(しじ)」概ね四季を通じて。
「雪をいたゞく」山頂部の残雪。
「諸士」藩士を初めとする武士階級の入湯者。
「かこひ」「圍ひ」。
「委く」「くはしく」ではおかしいから(底本でも編者に拠る不審字マークが右にある)、恐らくは「悉(ことごと)く」の誤字ではあるまいか。
「雜人原(ばふにんばら)」武家の世話をするには相応しくない下賤の者ども。
「人なり」人で一杯である。
「山は常に燃上(もえあが)り」但し、江戸時代の大きな噴火は記録されていない。
「こくう」「虛空」。
「雄の氣」盛んなる地熱の気。
「けぶり」「煙」。
「しやくなげ」「石楠花」。ツツジ目ツツジ科ツツジ属シャクナゲ亜属 Hymenanthes のシャクナゲ類。江戸時代から園芸植物として好まれた。
「ゑんてんと、まろび、つまづき、躍り上り、まろび、つまづき、躍り上り」踊り字「〱」は最後の「躍り上り」の後に一つつくだけ(但し、底本は「ゑんてんとまろひつまつき躍り上り」で読点はない)であるから、通常なら「躍り上り」のみを繰り返せばいいわけであるが、どうもそれでは音読していてリズムが悪いと感じて、敢えてかく、してみた。
「四方天(テン)、霧(ム)、落(ヲリ)」底本は読点なし。「ヲリ」のルビはママ。霧(きり)が「降(お)り」ることであろう。
「大霧」前の湯守の謂いに従えば、「たいむ」と読むことになる。後のそれも同じ。
「下り」やはり同じくこれも「おり」と読むことになろう。
「大風・大雨」「大霧」(たいむ)に合わせるなら、「たいふう」「たいう」でなくてはならぬ。伝承譚では、そうした読みもないがしろには出来ぬのが私の癖である。
「大石」ここも先に従がうなら、これも「だいせき」と読みたい。くどいが、一度起動してしまった神話・伝承世界のシステムは自動的に後を表現に至るまで支配し牛耳るものだと私は考えているからである。
「菰」菰(まこも:単子葉植物綱イネ目イネ科エールハルタ亜科 Oryzeae 族マコモ属マコモ Zizania
latifolia)や藁で織った筵(むしろ)。
「面、五尺」顏の長さが一メートル五十一センチメートルだから、これはまさに超弩級の大入道の「大山伏」型ということになる。しかし、顏の長さがこれだけあると、小屋の莚を捲って覗いたとしても中の者どもには顔しか見えず、それが大山伏であることが判ると言うのは、物理的に少し不審な気がせんでもない。まあ、細かいことは言うまい。
「地震(ない)」私の推定訓。地震の古称。「な」は「地」、「い」は「居(ゐ)」の意であるが、歴史的仮名遣は「ない」でよい。元はこれで「大地・地盤」であったが、「ない震(ふ)る」「ない搖(よ)る」などの形で、地震が起こる意で使われることが多く、「ない」そのもので地震を指すようになった。
「あゆむ」「步む」。
「破風(はふ)」屋根の切妻にある合掌形の装飾板で囲まれた三角形の所。ここは季節限定で建てた掘立の山小屋であるから、そこは煙り出しのように穴が開いていたか、そこを可動式の薄板や莚で覆っていたものであろう。
「壱間」一メートル八十二センチメートル弱。
「かね」「鉄漿」。お歯黒。これは「大首(おおくび)」と呼ばれる女の巨大な首だけの妖怪の典型的スタイルである。
「守り」見守って。見つめて。
「長(た)ケ」「丈」。背丈(せたけ)。
「七、八尺」二・一三~二・四二メートル。
ばかり有る山伏共、大勢、湯江入る折も有(あり)。
「山より大石を礫(つぶて)に打(うち)、其(その)ひゞき、雷の樣に聞ゆる事も有(あり)」これも「天狗の石礫」として非常によく知られる快音現象である。私の「宿直草卷一 第六 天狗つぶて打つ事」及びそれに続く「第七 天狗、いしきる事」・「第八 天狗つぶて附心にかゝらぬ怪異はわざはひなき弁の事」等を参照されたい。
「坊主の入湯の節は、山、荒(ある)ると、いへり」磐梯山は古くからの山岳信仰の山で、仏教に圧迫された修験道系の勢力がより限定的に強かったからであろうか。しかし、磐梯山には足長手長という邪神(土着の産土神の零落した姿であろう)を弘法大師が瓶に封じ込めて山頂に埋めたという伝承もあるんじゃがなぁ?
「夜日(やじつ)」夜、真夜中の謂いか。
「時」「鬨(とき)」。
「さいの川原」南方からの猪苗代からの磐梯山直登コースの途中に岩場で「賽の河原」という箇所はある。追い風氏のブログ『「行ってみたい‼」と思わせ隊。』の「翁島口から磐梯山 ~見えない山頂~」に地図があり、「賽の河原」の位置が確認出来、「裏磐梯ビジターセンター」の「磐梯山登山(翁島口~裏磐梯スキー場口)」にトレッキング情報とともに「賽の河原」の文字が書かれた巨石の写真がある。但し、その写真はイメージするような河原ではないし、火山で湯が湧き出る辺りには、まさに三途の川岸のそれに相応しい景観は幾らもある(あった)であろうし、湯治客が聴く怪異なら、そうした温泉近くの別な場所であろうと私は思っている。
「その化物を見たる内にて」その化け物を実際に見たと言う者らから。]
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