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2017/12/01

ジョナサン・スイフト原作 原民喜譯 「ガリヴァー旅行記」(やぶちゃん自筆原稿復元版) 飛ぶ島(ラピュタ)(9) 「七章   幽靈の島」(3) / 「幽靈の島」~了

 いよいよ出發の日が來たので、私はグラブダブドリブの酋長と別れて、連れ〔件〕の紳士と一緒に、マルドナーダーへ帰りました。そして、この港で二週間ばかり待つてゐると、いよいよラグナグ島行の船が出ることになりました。この町の知人たちは大へん親切にしてくれて、私を、わざわざ船まで見送つてくれました。

 航海は一ケ月かかりました。一度は暴風雨にあつたりしましたが、一七一一年四月二十一日に私たちの船はクルメグニグ河に入りました。こ〔こ〕は〔、〕ラグナグ國の東南にある港でした→す〕。船は〔、〕この町から一リーグばかり手前で、錨をおろし、水先案内に合図をしました。半時間もしないうちに〔、水先〕案内は二人連れでやつて來ました。

[やぶちゃん注:「一七一一年四月二十一日」日本では宝永八年四月四日である(但し、その二十一日後の四月二十五日(グレゴリオ暦六月十一日)正徳に改元している)。第六代将軍徳川家宣の治世因みに、本書刊行の一七二六年は享保十一年相当で八代将軍徳川吉宗の治世である。

 ところが、〔ある〕船員が、→の〕二三の者が、私のことを、外國人で、〕旅行家だと、水先案内に話してしまつたのです。すると〔また〕水先案内は〔、〕税関吏に〔、〕私のことを話しました。そのために、私は上陸すると〔、〕早速きびしい檢査を受けました。

 この税関吏は、バルニバービ語で〔、〕私に話しかけました。この國とバルニバービとは互に往來してゐるので、港町ではたいてい言葉が通じるのでした。

 私はできるだけ簡單に、わかりやすく話してやりましたが、ただ〔私の國は〕一つ〔私は〕オランダだと、〔ただ〕一つ噓をつきました。これは私が〔まだ〕日本へ寄つてみようと思つてゐ〔た〕からです。〔その〕日本では〔、〕オランダ人の他は〔一切〕ヨーロツパ人を上陸させない〔、〕といふことを〔、〕私は知つてゐました。私は役人にむかつて云ひました■■■

 「私はバルニバービの海岸で〔船が〕難破して岩の上に打ちあげられてゐたのです。すると、ラピユタ(飛島)に見つかつて、救はれました。今はこれから〔、〕日本へ行くと〔かう〕としてゐるところです。それから先〔日本へ行きさ〕へすれば、船があるので、故國へ帰れます」

 と、私は役人にむかつて云ひました。すると、役人は、

 「では早速〔、〕宮廷へ手紙を書いてあげる。二週間もすれば返事が聞けるだらうから。しかしそれまでは、〔一應、〕あなたを〔こちらで〕捕へておく」と云ひます。

 そこで、私は宿へ引ぱつて行かれまし〔そこでたが〔、〕門口には番人がちやんと一人立つてゐます。しかし庭の中を步き廻ることだけは許されました。それに私は國王の費用で隨分いい〔よく〕もてなされました。また方々から私を珍しがつて招いてくれました。〔私のことが、〕まだ〔話にも〕聞ゐたことのない、遠い遠い國からやつて來た男だといふことが、人々の噂になつてゐたからです。

 私は同じ船で來た一人の靑年を〔、〕通譯に雇へました。この通譯を使つて、私は訪ねて來る人たちと〔、〕話をすることができました。

[やぶちゃん注:「雇へ」はママ。「雇ひ」の誤記。]

 宮廷からの返事を待つてゐると〔た頃〕、使者が〔、〕やつて來ました。その返事〔れ〕は、私と私の連れを〔、〕十頭の馬で〔、〕トラルドラグダカまで案内してくれるといふのです。私は通譯の靑年のほかに連れはなかつたので、彼に一緒に行つてくれるやうに賴み、二人の乘りものとして、騾馬を一頭づつもらひました。いよいよ出發する前に、まづ使者を一人先に發たせることにしました。私は使者に王あての手紙を持たせてやりました。その手紙〔に〕は

 「陛下の御足の前の塵を舐めさせていただきたいのですが、いつ御伺ひしたらいいか、御都合を御知らせ下さい」と、私〔の〕使者に云はせました〔は王にかう申上げま〕した。私は〔はじめ〕私は「塵を舐める」といふのは〔ただ〕この宮廷の云ひまはしで、「お目にかゝる」といふ意味だらうと私は思つてゐました。ところが、〔その後、これは、〕ほんとに塵を舐めるのだといふことが、〔私に〕わかりました。

 私は宮廷に着いて二日目に〔私は〕いよいよ陛下の前に呼出されました。すると、私は腹這になれと命令さ〔じら〕れました。そして、陛下の前まで進んで行き〔、〕床の塵をペロペロなめろ〔、〕と云はれました。もつとも〔、〕私は外國人なので、とくべつのあつかひをされて、床は綺麗に〔し〕てあつたので、〔りました。→ましたので、塵も〕たいしたことはなかつたのです。しかし、これは大変なほんとに→全く〕とくべつあつかひで、この國の一番えらい人と同じやうに〔、〕あつかつてくれたわけです。

 〔ひどいのになると、それどころか、〕宮廷で気に入られてゐない人がやつて來〔る〕りすると、わざわざ塵をまき散らしておくことがあるさうです。〔のです。〕

 私はこの宮廷で、ある大官が口の中を塵だらけにして、ものも言へず困つてゐるところを見ました。もしこんな時〔こんな場合〕、〔相手が〕陛下の前で、唾を吐いたり、口を拭いたりしたら、すぐ死刑にされるのです。〔てしまひます。〕

 それからこの宮廷では〔、〕もう一つ〔■■〕面白くない慣習がありました。それは、〔もし〕王が誰か家來をそつと死刑にしたい〔てやらう〕と思はれると、この床の上に〔、〕毒の粉を撒きちらすやう〔、お〕命じられになります。その毒を〔れを〕〔家來が〕舐めれば、二十四時間で死んでしまふといふのです。しかし、かうし〔て〕死刑がすん〔むと、〕後は、必ず床〔についてゐる〕毒を綺麗に洗ひ落しておくよう、お命じになります。

 あるとき、私は一人の侍童がひどく叱られてゐるのを見ました。それ〔、〕床にまいた毒を後で綺麗に掃除しておかなかつたからです。そのため、一人の立派な靑年が陛下にお目にかかりに來て〔の〕〔前で、毒をなめて、死〕んでしまひました。その時、陛下は、彼を殺さうとはちよつともお考へにならなかつたのです。した。→、ひどく〕殘念がられました。

[やぶちゃん注:一行空けの指示がある。原稿版にはない。]

 

 王は私との會見が大変お氣に召されました。私と通譯に宮中の部屋を貸して下さつて、毎日、食事と〔お〕小遣をあたへてくれました。私は王〔に〕すゝめに從つて〔られて〕、この國に三月間滯在しました。ラグナグ人は禮儀正しい國民でした。私は上流貴族とおもに交際ひました。通譯つきで話をしたのですが、氣まづいものではなかつたのです。

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